抱朴子 外篇1~3

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

嘉遁卷第一

抱朴子曰:有懷冰先生者, 薄周流之棲遑, 悲吐握之良苦. 讓膏壤於陸海, 爰躬耕乎斥鹵. 秘六奇以括囊, 含琳琅而不吐. 謐清音則莫之或聞, 掩輝藻則世不得睹. 背朝華於朱門, 保恬寂乎蓬戶. 絕軌躅於金張之閭, 養浩然於幽人之仵. 謂榮顯為不幸, 以玉帛為草土. 抗靈規於雲表, 獨違今而遂古. 庇峻岫之巍峨, 藉翠蘭之芳茵. 漱流霞之澄液, 茹八石之精英. 思眇眇焉若居乎虹霓之端, 意飄飄焉若在乎倒景之鄰. 萬物不能攪其和, 四海不足汩其神.
於是有赴勢公子聞之, 慨然而歎曰:空谷有項領之駿者, 孫陽之恥也;太平遺冠世之才者, 賞真之責也. 安可令俊民全其獨善之分, 而使聖朝乏乎元凱之用哉!
乃造而說曰:徒聞振翅竦身, 不能淩厲九霄, 騰跚玄極, 攸敘彝倫者, 非英偉也. 今先生操立斷之鋒, 掩炳蔚之文, 玩圖籍於絕跡之藪, 括藻麗乎鳥獸之群, 陳龍章於晦夜, 沈琳琅於重淵, 蟄伏於盛夏, 藏華於當春;雖複下帷覃思, 殫毫騁藻, 幽贊太極, 闡釋元本, 言歡則木梗怡顏如巧笑, 語戚則偶嚬顣而滂沱, 抑輕則鴻羽沈於弱水, 抗重則玉石漂於飛波, 離同則肝膽為胡越, 合異則萬殊而一和, 切論則秋霜春肅, 溫辭則冰條吐葩, 摧高則峻極頹淪, 竦卑則淵池 嵯峨, 疵清則倚暗夜光, 救濁則立澄黃河. 然不能沾大惠於庶物, 著弘勳於皇家, 名與朝露皆晞, 體與蜉蝣並化, 忽崇高於聖人之寶, 忘川逝於大耋之嗟, 竊為先生不取焉.
蓋聞大者天地, 其次君臣. 先聖憂時, 思行其道, 三月無君, 皇皇如也. 恥今聖主不與堯舜一致, 湣此黎民不可比屋而封, 故或負鼎而龍躍, 或扣角以鳳歌, 不須蒲輪而後動, 不待文王而後興. 潛初飛五, 與時消息, 進有攸往之利, 退無濡尾之累, 明哲以保身, 宣化以濟俗. 使夫承蘭風以傾柯, 濯清波以遣穢者, 若沈景之應朗鑒, 方圓之赴規矩. 故勳格上下, 惠沾八表. 夫有唐所以巍巍, 重華所以恭己, 西伯所以三分, 姬發所以革命, 桓文所以一匡, 漢高所以應天, 未有不致群賢為六翮, 托豪傑為舟輯者也. 若令各守洗耳之高, 人執耦耕之分, 則稽古之化不建, 英明之盛不彰, 明良之歌不作, 括天之網不張矣.
故藏器者珍於變通隨時, 英逸者貴於吐奇撥亂. 若乃耀靈翳景於雲表, 則麗天之明不著;哮虎韜牙而握爪, 則搏噬之捷不揚;太阿潛鋒而不擊, 則立斷之勁不顯;驥騄踠趾而不馳, 則追風之迅不形;並默則子貢與喑者同口, 鹹暝則離朱與蒙瞽不殊矣. 先生潔身而忽大倫之亂, 得意而忘安上之義, 存有關機之累, 沒無金石之聲, 庸人且猶憤色, 何有大雅而無心哉!
夫繩舒則木直, 正進則邪凋, 有虞舉則四凶戮, 宣尼任則少卯梟, 猶震雷駭則鼛鼓堙, 朝日出則螢燭幽也. 不拯招魂之病, 則無為效越人之絕伎;不獎多難之世, 則無以知非常之遠量. 高拱以觀溺, 非勿踐之仁也, 懷道以迷國, 非作者之務也. 若俟中唐殖占日之草, 朝陽繁鳴鳳之音, 郊跱獨角之獸, 野攢連理之林, 長旌卷而不懸, 干戈戢而莫尋, 少伯方將告退於成功, 孰能相擢乎陸沈哉? 深願先生不遠迷複哉!
於是懷冰先生蕭然遐眺, 遊氣天衢, 情神遼緬, 旁若無物. 俯而荅曰:嗚呼! 有是言乎? 蓋至人無為, 棲神沖漠, 不役志於祿利, 故害辱不能加也;不*峙於險途, 故傾墜不能為患也. 藜藿不供, 而意佚於方丈;齊編庸民, 而心歡於有土. 寢宜僚之舍, 閉幹木之閭, 攜莊萊之友, 治陋巷之居, 確嶽峙而不拔, 豈有懷於卷舒乎? 以欲廣則濁和, 故委世務而不紆眄;以位極者憂深, 故背勢利而無餘疑. 其貴不以爵也, 富不以財也. 侶雲鵬以高逝, 故不縈翮於腐鼠;以蕃武為厚誡, 故不改樂於簞瓢.
且夫玄黃遐邈, 而人生倏忽, 以過隙之促, 托罔極之間, 迅乎猶奔星之蹔見, 飄乎似飛矢之電經. 聊且優遊以自得, 安能苦形於外物哉! 夫鸞不絓網, 驎不墮阱, 相彼鳥獸, 猶知為患, 風塵之徒, 曾是未吝也?
若夫要離滅家以效功, 紀信赴燔以誑楚, 陳賈刎頸以證弟, 仲由投命而葅醢, 嬴門伏劍以表心, 聶政感惠而屠葅, 荊卿絕臏以報燕, 樊公含悲而授首, 皆下愚之狂惑, 豈上智之攸取哉!
蓋祿厚者責重, 爵尊者神勞. 故漆園垂綸, 而不顧卿相之貴;柏成操耜, 而不屑諸侯之高. 羊說安乎屠肆, 楊朱吝其一毛. 僥求之徒, 昧乎可欲, 集不擇木, 仕不料世, 貪進不慮負乘之禍, 受任不計不堪之敗;論榮貴則引伊周以救溺, 言亢悔則諱覆餗而不記;伺河龍之睡而撥明珠, 居量表之寵而冀無患;耽漏刻之安, 蔽必至之危;無朝菌之榮, 望大椿之壽;似蹈薄冰以待夏日, 登朽枝而須勁風;淵魚之引芳餌, 澤雉之咽毒粒;咀漏脯以充饑, 酣鴆酒以止渴也.
昔箕子睹象箸而流泣, 尼父聞偶葬而永歎, 蓋尋微以知著, 原始以見終. 然而暗夫蹈機不覺, 何前識之至難, 而利欲之*篤邪! 周成賢而信流言, 公旦聖而走南楚, 托鴟鴞以告悲, 賴金縢以僅免. 況能寤之主, 不世而一有;不悅之謗, 無時而蹔乏. 德不以激烈風而起斃禾, 事不以載圭璧而稱多才, 嗟泣靡及, 宜其然也.
夫漸漬之久, 則膠漆解堅;浸潤之至, 則骨肉乖析;塵羽之積, 則沈舟折軸;三至之言, 則市虎以成. 故江充疏賤, 非親於元儲, 後母假繼, 非密於伯奇;而掘梗之誣, 滅父子之恩;袖蜂之誑, 破天性之愛. 又況其他, 安可自必. 嗟乎! 伍員所以懷忠而漂屍;悲夫! 白起所以秉義而刎頸也. 蓋徹鑒所為寒心, 匠人之所眩惑矣.
又欲推短才以厘雷同, 仗獨是以彈眾非. 然不睹金雖克木, 而錐鑽不可以伐鄧林;水雖勝火, 而升合不足以救焚山. 寸膠不能治黃河之濁, 尺水不能卻蕭丘之熱. 是以身名並全者甚稀, 而先笑後號者多有也. 畏亢悔而貪榮之欲不滅, 忌毀辱而爭肆之情不遣, 亦猶惡濕而泳深淵, 憎影而不就陰, 穿舟而息漏, 猛爨而止沸者也.
夫七尺之骸, 稟之以所生, 不可受全而歸殘也;方寸之心, 制之在我, 不可放之於流遁也. 躬耕以食之, 穿井以飲之, 短褐以蔽之, 蓬廬以覆之, 彈詠以娛之, 呼吸以延之, 逍遙竹素, 寄情玄毫, 守常待終, 斯亦足矣. 且夫道存則尊, 德勝則貴, 隋珠彈雀, 知者不為. 何必須權而顯, 俟祿而飽哉!
且夫安貧者以無財為富, 甘卑者以不仕為榮. 故幼安浮海而澄神, 鬍子甘心於退耕. 逢比有令德之罪, 信布陷功大之刑. 一枝足以戢鸞羽, 何煩乎豐林? 潢洿足以泛龍鱗, 豈事乎滄海? 藜藿嘉於八珍, 寒泉旨於醽醁;躡履美於赤舄, 縕袍麗於袞服;把橦安於杖鉞, 鳴條樂乎絲竹;茅茨豔於丹楹, 辨椽珍於刻桷;登高峰為台榭, 疵岩霤為華屋;積篇章為敖庾, 寶玄談為金玉;棄細人之近戀, 捐庸隸之所欲;遊九皋以含歡, 遣智慧以絕俗. 同屈尺蠖, 藏光守樸;表拙示訥, 知止常足. 然後咀嚼芝芳, 風飛雲浮;晞景九陽, 附翼高遊;仰棲梧桐, 俯集玄洲. 孰與銜轡而伏櫪, 同被繡於犧牛哉!
赴勢公子曰:夫入而不出者, 謂之耽寵忘退;往而不反者, 謂之不任無義. 故達者以身非我有, 任乎所值. 隱顯默語, 無所必固. 時止則止, 時行則行. 束帛之集, 庭燎之舉, 則君子道長, 在天利見. 若運涉陽九讒勝之時, 則不出戶庭, 括囊勿用. 龍起鳳戢, 隨時之宜. 古人所以或避危亂而不肯入, 或色斯而不終日者, 慮巫山之失火, 恐芝艾之並焚耳.
方今聖皇禦運, 世夷道泰, 仁及蒼生, 惠風遐邁, 威肅鬼方, 澤沾九裔;儀坤德以厚載, 擬乾穹以高蓋;神化則雲行雨施, 玄澤則煙煴汪濊;四門穆穆以博延, 主思英逸以俾乂. 此乃千載所希值, 剖判之一會. 而先生慕嘉遁之偏枯, 不覺狷華之患害也;務乎單豹之養內, 未睹暴虎之犯外也. 是聞涉水之或溺, 則謂乘舟者皆敗;以商臣之凶逆, 則謂繼體無類也.
懷冰先生曰:聖化之盛, 誠如高論. 出處之事, 人各有懷. 故堯舜在上, 而箕潁有巢棲之客;夏後禦世, 而窮藪有握耒之賢. 豈有慮於此險哉? 蓋各附於所安也. 是以高尚其志, 不仕王侯, 存夫爻象, 匹夫所執, 延州守節, 聖人許焉.
仆所以逍遙於丘園, 斂跡乎草澤者, 誠以才非政事, 器乏治民, 而多士雲起, 髦彥鱗萃, 文武盈朝, 庶事既康, 故不欲複舉熠耀以廁日月之間, 拊甂瓴於洪鍾之側, 貢輕扇於堅冰之節, 炫裘爐乎隆暑之月, 必見捐於無用, 速非時之巨嗤. 若擁經著述, 可以全真成名, 有補末化;若強所不堪, 則將顛沛惟咎, 同悔小狐. 故居其所長, 以全其所短耳. 雖無立朝之勳, 即戎之勞;然切磋後生, 弘道養正, 殊塗一致, 非損之民也. 劣者全其一介, 何及於許由, 聖世恕而容之, 同曠於有唐, 不亦可乎!
赴勢公子勃然自失, 肅爾改容, 曰:先生立言助教, 文討奸違, 摽退靜以抑躁競之俗, 興儒教以救微言之絕, 非有出者, 誰敘彝倫? 非有隱者, 誰誨童蒙? 普天率土, 莫匪臣民. 亦何必垂纓執笏者為是, 而樂饑衡門者可非乎! 夫群迷乎雲夢者, 必須指南以知道;並乎滄海者, 必仰辰極以得反. 今聞嘉訓, 乃覺其蔽. 請負衣冠, 策駑希驥, 泛愛與進, 不嫌擇焉.

逸民卷第二

抱朴子曰:余昔遊乎雲台之山, 而造逸民, 遇仕人在焉. 仕人之言曰:明明在上, 總禦八紘, 華夷同歸, 要荒服事;而先生游柏成之遐武, 混群伍於鳥獸. 然時移俗異, 世務不拘, 故木食山棲, 外物遺累者, 古之清高, 今之逋逃也. 君子思危於未形, 絕禍於方來, 無乃去張毅之內熱, 就單豹之外害, 畏盈抗慮, 忘亂群之近憂, 避牛跡之淺嶮, 而墮百仞之不測, 違濡足之泥涇, 投爐冶而不覺乎?
逸民答曰:夫銳志於雛鼠者, 不識騶虞之用心;盛務於庭粒者, 安知鴛鸞之遠指? 猶焦螟之笑雲鵬, 朝菌之怪大椿, 坎蛙之疑海鱉, 井蛇之嗤應龍也. 子誠喜懼於勸沮, 焉識玄曠之高韻哉! 吾幸生於堯舜之世, 何憂不得此人之志乎!
仕人曰:昔狂狷華士義不事上, 隱於海隅, 而太公誅之. 吾子沈遁, 不亦危乎?
逸民曰:呂尚長於用兵, 短於為國, 不能儀玄黃以覆載, 擬海嶽以博納, 褒賢貴德, 樂育人才;而甘於刑殺, 不修仁義, 故其劫殺之禍, 萌於始封, 周公聞之, 知其無國也. 夫攻守異容, 道貴知變, 而呂尚無烹鮮之術, 出致遠之禦, 推戰陳之法, 害高尚之士, 可謂賴甲胄以完刃, 又兼之浮泳, 以射走之儀, 又望求之於准的者也.
夫傾庶鳥之巢, 則靈鳳不集;漉魚鱉之池, 則神虯遐逝;刳凡獸之胎, 則麒麟不止寺其郊;害一介之士, 則英傑不踐其境. 呂尚創業垂統, 以示後人, 而張苛酷之端, 開殘賊之軌, 適足以驅俊民以資他國, 逐賢能以遺讎敵也. 去彼市馬骨以致駿足, 軾陋巷以退秦兵者, 不亦遠乎! 子謂呂尚何如周公乎? 仕人曰:不能審也.
逸民曰:夫周公大聖, 以貴下賤, 吐哺握發, 懼於失人, 從白屋之士七十人, 布衣之徒親執贄所師見者十人, 所友者十有二人, 皆不逼以在朝也. 設令呂尚居周公之地, 則此等皆成市朝之暴屍, 而溝澗之腐此肉矣.
唐堯非不能致許由巢父也, 虞舜非不能脅善鄭石戶也, 夏禹非不能逼柏成子高也, 成湯非不能錄卞隨務光也, 魏文非不能屈幹木也, 晉平非不能吏亥唐也, 然服而師之, 貴而重之, 豈六君之小弱也? 誠以百行殊尚, 默默難齊, 慕尊賢之美稱, 恥賊善之醜跡, 取之不足以增威, 放之未憂於官曠, 從其志則可以闡弘風化, 熙隆退讓, 厲苟進之貪夫, 感輕薄之冒昧;雖器不益於旦夕之用, 才不周於立朝之俊, 不亦愈於脅肩低眉, 諂媚權右, 提贄懷貨, 宵征同塵, 爭津競濟, 市買名品, 棄德行學問之本, 赴雷同比周之末也? 彼六君尚不肯苦言以侵隱士, 寧肯加之鋒刃乎! 聖賢誠可師者, 呂尚居然謬矣.
漢高帝雖細行多闕, 不涉典藝, 然其弘曠恢廓, 善恕多容, 不系近累, 蓋豁如也. 雖饑渴四皓, 而不逼也. 及太子卑辭致之, 以為羽翼, 便敬德矯情, 惜其大者, 發《黃鵠》之悲歌, 杜宛妾之覬覦, 其珍賢貴隱, 如此之至也. 宜其以布衣而君四海, 其度量蓋有過人者矣.
且夫呂尚之殺狷華者, 在於恐其沮眾也. 然俗之所患者, 病乎躁於進趨, 不務行業耳. 不苦於安貧樂賤者之太多也. 假令隱士往往屬目, 至於情掛勢利, 志無止足者, 終莫能割此常欲, 而慕彼退靜者也. 開闢已降, 非少人也, 而忘富遺貴之士, 猶不能居萬分之一. 仲尼親受業於老子, 而不能修其無為;子貢與原憲同門, 而不能模其清苦. 四凶與巢由同時, 王莽與二龔共世, 而不能效也. 凡民雖複笞督之, 危辱之, 使追狷華, 猶必不肯, 乃反憂其壞俗邪? 呂尚思不及此, 以軍法治平世, 枉害賢人, 酷誤已甚矣! 賴其功大, 不便以至顛沛耳.
且呂尚之未遇文王也, 亦曾隱於窮賤, 凡人易之, 老婦逐之, 賣庸不售, 屠釣無獲, 曾無一人慕之. 其避世也, 何獨慮狷華之沮眾邪? 設令殷紂以尚逃遁, 收而斂之, 尚臨死, 豈能自謂罪所應邪? 魏武帝亦弄法嚴峻, 果於殺戮, 乃心欲用乎孔明, 孔明自稱不樂出身. 武帝謝遣之曰:義不使高世之士, 辱於汙君之朝也.其鞭撻九有, 草創皇基, 亦不妄矣.
紛擾日久, 求競成俗, 或推貨賄以龍躍, 或階黨援以鳳起, 風成化習, 大道漸蕪, 後生昧然, 儒訓遂堙. 將為立身, 非財莫可. 苟有卓然不群之士, 不出戶庭, 潛志味道, 誠宜優訪, 以興謙退也. 夫使孫吳荷戈, 一人之力耳;用其計術, 則賢於萬夫. 今令大儒為吏, 不必切事. 肆之山林, 則能陶冶童蒙, 闡弘禮敬. 何必服巨象使捕鼠韛鸞(有脫文)也. (脫仕人曰數語)若乃零淪藪澤, 空生徒死, 亦安足貴乎?
逸民答曰:子可謂守培螻, 玩狐丘, 未登閬風而臨雲霓;玩瀅汀, 遊潢洿, 未浮南溟而涉天漢. 凡所謂志人者, 不必在乎祿位, 不必須乎勳伐也. 太上無己, 其次無名, 能振翼以絕群, 騁跡以絕軌, 為常人所不能為, 割近才所不能割, 少多不為凡俗所量, 恬粹不為名位所染, 淳風足以濯百代之穢, 高操足以激將來之濁. 何必紆朱曳紫, 服冕乘軺, 被犧牛之文繡, 吞詹何之香餌, 朝為張天之炎熱, 夕成冰冷之季灰!
夫斥鷃不以蓬榛易雲霄之表, 王鮪不以幽岫貿滄海之曠, 虎豹入廣廈而懷悲, 鴻鶤登嵩巒而含戚. 物各有心, 安其所長. 莫不泰於得意, 而慘於失所也. 經世之士, 悠悠皆是, 一日無君, 惶惶如也. 譬猶藍田之積玉, 鄧林之多材, 良工大匠, 肆意所用. 亦何必棲魚而沈鳥哉! 嘉遁高蹈, 先聖所許;或出或處, 各從攸好.
蓋士之所貴, 立德立言. 若夫孝友仁義, 操業清高, 可謂立德矣. 窮覽《墳》《索》, 著述粲然, 可謂立言矣. 夫善鄭無治民之功, 未可謂減於俗吏;仲尼無攻伐之勳, 不可以為不及於韓白矣. 身名並全, 謂之為上. 隱居求志, 先民嘉焉. 夷齊一介, 不合變通, 古人嗟歎, 謂不降辱. 夫言不降者, 明隱逸之為高也;不辱者, 知羈縶之為洿也. 聖人之清者, 孟軻所美, 亦雲天爵貴於印綬. 志修遺榮, 孫卿所尚, 道義既備, 可輕王公. 而世人所畏唯勢, 所重唯利. 盛德身滯, 便謂庸人;器小任大, 便謂高士. 或有乘危冒嶮, 投死忘生, 棄遺體於萬仞之下, 邀榮華乎一朝之間, 比夫輕四海愛脛毛之士, 何其緬然邪!
仕人曰:潛退之士, 得意山澤, 不荷世貴, 蕩然縱肆, 不為時用, 嗅祿利(有脫文), 誠為天下無益之物, 何如?
逸民答曰:夫麟不吠守, 鳳不司晨, 騰黃不引犁, 屍祝不治庖也. 且夫揚大明乎無外, 宜嫗煦之和風者, 日也;耀華燈於暗夜, 治金石以致用者, 火也. 天下不可以經時無日, 不可以一旦無火, 然其大小, 不可同也. 江海之外, 彌綸二儀, 升為雲雨, 降成百川;而朝夕之用, 不及累仞之井, 灌田溉園, 未若溝渠之沃. 校其巨細, 孰為曠哉?
桀紂, 帝王也;仲尼, 陪臣也. 今見比於桀紂, 則莫不怒焉;見擬於仲尼, 則莫不悅焉. 爾則貴賤果不在位也. 故孟子云, 禹稷顏淵, 易地皆然矣. 宰予亦謂, 孔子賢於堯舜遠矣. 夫匹庶而鈞稱於王者, 儒生高極乎唐虞者, 德而已矣, 何必官哉!
且夫交靈升於造化, 運天地於懷抱, 恢恢然世故不棲於心術, 茫茫然寵辱不汨其純白, 流俗之所欲, 不能染其神, 近人之所惑, 不能移其志. 榮華, 猶贅疣也;萬物, 猶蜩翼也. 若然者, 豈肯詰屈其支體, 俯仰其容儀, 挹酌於其所不喜, 修索於其所棄遺, 怡顏以取進, 曲躬以避退, 恐俗人之不悅, 戚我身之淩遲, 屈龍淵為錐鑽之用, 抑靈鼖為鼓兆鼙之音, 推黃鉞以適釤鎌之持, 撓華旗以入林杞之下乎?
古公杖策而捐之, 越翳入穴以逃之, 季劄退耕以委之, 老萊灌園以遠之, 從其所好, 莫與易也. 故醇而不雜, 斯則富矣;身不受役, 其則貴矣. 若夫剖符有土, 所謂祿利耳, 非富貴也. 且夫官高者其責重, 功大者人忌之, 獨有貧賤, 莫與我爭, 可得長寶, 而無憂焉.
濯裘布被, 拔葵去織, 豘不掩豆, 菜肴糲餐, 又獲逼下邀偽之譏, 樹塞反坫, 三歸玉食, 穰侯之富, 安昌之泰, 則有僭上洿濁之累. 未若游神典文, 吐故納新, 求飽乎耒梠之端, 索縕乎杼軸之間, 腹仰河而已滿, 身集一枝而余安, 萬物芸芸, 化為埃塵矣. 食齧弱糊口, 布褐縕袍, 淡泊肆志, 不憂不喜, 斯尊樂, 喻之無物也.
夫仕也者, 欲以為名邪? 則修毫可以洩憤懣, 篇章可以寄姓字, 何假乎良史, 何煩乎鑱鼎哉! 孟子不以矢石為功, 揚雲不以治民益世, 求仁而得, 不亦可乎?
仕人又曰:隱遁之士, 則為不臣, 亦豈宜居君之地, 食君穀乎? 逸民曰:何謂其然乎! 昔顏回死, 魯定公將躬吊焉, 使人訪仲尼. 仲尼曰:凡在邦內, 皆臣也.定公乃升自東階, 行君禮焉. 由此論之, 率土之濱, 莫匪王臣可知也. 在朝者陳力以秉庶事, 山林者修德以厲貪濁, 殊途同歸, 俱人臣也. 王者無外, 天下為家, 日月所照, 雨露所及, 皆其境也. 安得懸虛空, 餐咀流霞, 而使之不居乎地, 不食乎穀哉?
夫山之金玉, 水之珠貝, 雖不在府庫之中, 不給朝夕之用, 然皆君之財也. 退士不居肉食之列, 亦猶山水之物也, 豈非國有乎? 許由不竄於四海之外, 四皓不走於八荒之表也. 故曰:萬邦黎獻, 共惟帝臣. 幹木不荷戈戍境, 築壘疆場, 而有蕃魏之功. 今隱者潔行蓬蓽之內, 以詠先王之道, 使民知退讓, 儒墨不替, 此亦堯舜之所許也. 昔夷齊不食周粟, 鮑焦死於橋上, 彼之硜硜, 何足師表哉?
昔安帝以玄纁玉帛聘周彥祖. 桓帝以玄纁玉帛聘韋休明, 順帝以玄纁玉帛聘楊仲宣, 就拜侍中, 不到. 魏文帝征管幼安不至, 又就拜光祿勳, 竟不到;乃詔所在常八月致羊一口酒二斛. 桓帝玄纁玉帛聘憑藉孺子, 就拜太原太守及東海相, 不到. 順帝以玄纁玉帛聘樊季高, 不到;乃詔所在常以八月致羊一口酒二斛, 又賜幾杖, 待以師傅之禮. 獻帝時, 鄭康成州辟舉賢良方正茂才, 公府十四辟, 皆不就;公車徵左中郎博士趙相侍中大司農, 皆不起. 昭帝公車徵韓福, 到;賜帛五十匹及羊酒. 法高卿再舉孝廉, 本州五辟, 公府八辟, 九舉賢良博士, 三徵, 皆不就. 桓帝以玄纁玉帛安車軺輪聘韓伯休, 不到. 以玄纁玉帛安車軺輪聘妾伯雅, 就拜太中大夫犍為太守, 不起. 然皆見優重, 不加威辟也. 若此諸帝褒隱逸之士不謬者, 則呂尚之誅華士為凶酷過惡, 斷可知矣.
仕人乃悵然自失, 慨爾永歎曰:始悟超俗之理, 非庸瑣所見矣.

勖學卷第三

抱朴子曰:夫學者所以清澄性理, 簸揚埃穢, 雕鍛礦璞, 礱煉屯鈍, 啟導聰明, 飾染質素, 察往知來, 博涉勸戒, 仰觀俯察, 於是乎在, 人事王道, 於是乎備. 進可以為國, 退可以保己. 是以聖賢罔莫孜孜而勤之, 夙夜以勉之, 命盡日中而釋, 饑寒危困而不廢. 豈以有求於當世哉? 誠樂之自然也.
夫斫削刻畫之薄伎, 射禦騎乘之易事, 猶須慣習, 然後能善, 況乎人理之曠, 道德之遠, 陰陽之變, 鬼神之情, 緬邈玄奧, 誠難生知. 雖雲色白, 匪染弗麗;雖雲味甘, 匪和弗美. 故瑤華不琢, 則耀夜之景不發;丹青不治, 則純鉤之勁不就. 火則不鑽不生, 不扇不熾;水則不決不流, 不積不深. 故質雖在我, 而成之由彼也. 登閬風, 捫晨極, 然後知井穀之暗隘也;披七經, 玩百氏, 然後覺面牆之至困也.
夫不學而求知, 猶願魚而無網焉, 心雖勤而無獲矣;廣博以窮理, 猶須風而托焉, 體不勞而致遠矣. 粉黛至則西施以加麗, 而宿瘤以藏醜;經術深則高才者洞達, 鹵鈍者醒悟. 文梓幹云, 而不可名台榭者, 未加班輪之結構也;天然爽朗, 而不可謂之君子者, 不識大倫之臧否也.
欲超千里於終朝, 必假追影之足;欲淩洪波而遐濟, 必因艘楫之器;欲見無外而不下堂, 必由之乎載籍;欲測淵微而不役神, 必得之乎明師. 故朱綠所以改素絲, 訓誨所以移蒙蔽. 披玄雲而揚大明, 則萬物無所隱其狀矣;舒竹帛而考古今, 則天地無所藏其情矣. 況於鬼神乎? 而況於人事乎? 泥涅可令齊堅乎金玉, 曲木可攻之以應繩墨, 百獸可教之以戰陳, 畜牲可習之以進退, 沈鱗可動之以聲音, 機石可感之以精誠, 又況乎含五常而稟最靈者哉!
低仰之駟, 教之功也;鷙擊之禽, 習之馴也. 與彼凡馬野鷹, 本實一類, 此以飾貴, 彼以質賤. 運行潦而勿輟, 必混流乎滄海矣;崇一簣而弗休, 必鈞高乎峻極矣. 大川滔瀁, 則虯螭群遊;日就月將, 則德立道備. 乃可以正. 夢乎丘旦, 何徒解桎乎困蒙哉!
昔仲由冠雞帶豘, 靃珥鳴蟬, 杖劍而舞, 盛稱南山之勁竹, 欲任掘強之自然;尼父善誘, 染以德教, 遂成升堂之生, 而登四科之哲. 子張鄙人, 而灼聚凶猾, 漸漬道訓, 成化名儒, 乃抗禮於王公, 豈直免於庸陋!
以是賢人悲寓世之倏忽, 疾泯沒之無稱;感朝聞之弘訓, 悟通微之無類;懼將落之明戒, 覺罔念之作狂;不飽食以終日, 不棄功於寸陰;鑒逝川之勉志, 悼過隙之電速;割遊情之不急, 損人間之末務;洗憂貧之心, 遣廣願之穢, 息畋獵博奕之遊戲, 矯晝寢坐睡之懈怠;知徒思之無益, 遂振策於聖途. 學以聚之, 問以辯之, 進德修業, 溫故知新.
夫周公上聖, 而日讀百篇. 仲尼天縱, 而韋編三絕. 墨翟大賢, 載文盈車. 仲舒命世, 不窺園門. 倪寬帶經以芸鉏, 路生截蒲以寫書, 黃霸抱桎梏以受業, 甯子勤夙夜以倍功, 故能究覽道奧, 窮測微言, 觀萬古如同日, 知八荒若廬庭, 考七耀之盈虛, 步三五之變化, 審盛衰之方來, 驗善否於既往, 料玄黃於掌握, 甄未兆以如成. 故能盛德大業, 冠於當世, 清芒令問, 播於罔極也.
且夫聞商羊而戒浩瀁, 訪鳥砮而洽東肅, 諮萍實而言色味, 訊土狗而識墳羊, 披《靈寶》而知山隱, 因折俎而說專車, 瞻離畢而分陰陽之候, 由冬螽而覺閏餘之錯, 何神之有? 學而已矣. 夫童謠猶助聖人之耳目, 豈況《墳》《索》之弘博哉!
才性有優劣, 思理有修短. 或有夙知而早成, 或有提耳而後喻. 夫速悟時習者, 驥騄之腳也;遲解晚覺者, 鶉鵲之翼也. 彼雖尋飛絕景, 止而不行, 則步武不過焉;此雖咫尺以進, 往而不輟, 則山澤可越焉. 明暗之學, 其猶茲乎? 蓋少則志一而難忘, 長則神放而易失, 故修學務早, 及其精專, 習與性成, 不異自然也. 若乃絕倫之器, 盛年有故, 雖失之於暘穀, 而收之於虞淵. 方知良田之晚播, 愈於座歲之荒蕪也. 日燭之喻, 斯言當矣.
世道多難, 儒教淪喪, 文武之軌, 將遂凋墜. 或沈溺於聲色之中, 或驅馳於競逐之路. 孤貧而精六藝者, 以游夏之資, 而抑頓乎九泉之下;因風而附鳳翼者, 以駑庸之質, 猶辶回遑乎霞霄之表. 捨本逐末者, 謂之勤修庶幾;擁經求己者, 謂之陸沈迂闊. 於是莫不蒙塵觸雨, 戴霜履冰, 懷黃握白, 提清挈肥, 以赴邪徑之近易, 規朝種而暮獲矣.
若乃下帷高枕, 遊神九典, 精義賾隱, 味道居靜, 確乎建不拔之操, 揚青於歲寒之後, 不揆世以投跡, 不隨眾以萍漂者, 蓋亦鮮矣. 汲汲於進趨, 悒悶於否滯者, 豈能舍至易速達之通途, 而守甚難必窮之塞路乎? 此川上所以無人, 《子衿》之所為作. 憫俗者所以痛心而長慨, 憂道者所以含悲而頹思也.
夫寒暑代謝, 否終則泰, 文武迭貴, 常然之數也. 冀群寇畢滌, 中興在今, 七耀遵度, 舊邦惟新, 振天彗以廣埽, 鼓九陽之洪爐, 運大鈞乎皇極, 開玄模以軌物. 陶冶庶類, 匠成翹秀, 蕩汰積埃, 革邪反正. 戢干戈, 橐弓矢, 興辟雍之庠序, 集國子, 修文德, 發金聲, 振玉音. 降風雲於潛初, 旅束帛乎丘園, 令抱翼之鳳, 奮翮於清虛;項領之駿, 騁跡於千里. 使夫含章抑鬱, 窮覽洽聞者, 申公伏生之徒, 發玄纁, 登蒲輪, 吐結氣, 陳立素, 顯其身, 行其道, 俾聖世迪唐虞之高軌, 馳升平之廣途, 玄流沾於九垓, 惠風被乎無外. 五刑厝而頌聲作, 和氣洽而嘉禾遂生, 不亦休哉!
昔秦之二世, 不重儒術, 舍先聖之道, 習刑獄之法. 民不見德, 唯戮是聞. 故惑而不知反迷之路, 敗而不知自救之方, 遂墮墜於雲霄之上, 而敕韭粉乎不測之下. 惟尊及卑, 可無鑒乎!

抱朴子 外篇4~10

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

崇教卷第四

抱朴子曰:澄視於秋毫者, 不見天文之煥炳. 肆心於細務者, 不覺儒道之弘遠. 玩鮑者忘茞蕙, 迷大者不能反. 夫受繩墨者無枉刳之木, 染道訓者無邪僻之人. 飾治之術, 莫良乎學. 學之廣在於不倦, 不倦在於固志. 志苟不固, 則貧賤者汲汲於營生, 富貴者沈倫於逸樂. 是以遐覽淵博者, 曠代而時有;面牆之徒, 比肩而接武也.
若使素士則晝躬耕以糊口, 夜薪火以修業, 在位則以酣宴之餘暇, 時遊觀於勸誡, 則世無視肉, 游夏不乏矣. 亦有饑寒切己, 藜藿不給, 膚困風霜, 口乏糟糠, 出無從師之資, 家有暮旦之急, 釋耒則農事廢, 執卷則供養虧者, 雖闕學業, 可怒者也. 所謂千里之足, 困於鹽車之下;赤刀之礦, 不經歐冶之門者也.
若夫王孫公子, 優遊貴樂, 婆娑綺紈之間, 不知稼穡之艱難, 目倦於玄黃, 耳疲乎鄭衛, 鼻饜乎蘭麝, 口爽於膏粱, 冬遝貂狐之縕麗, 夏縝紗縠之翩飄, 出驅慶封之輕軒, 入宴華房之粲蔚, 飾朱翠於楹棁, 積無已於篋匱, 陳妖冶以娛心, 湎醹醁以沈醉, 行為會飲之魁, 坐為博奕之帥. 省文章既不曉, 睹學士如草芥, 口筆乏乎典據, 牽引錯於事類. 劇談則方戰而已屈, 臨疑則未老而憔悴. 雖叔麥之能辯, 亦奚別乎瞽瞆哉!
抱朴子曰:蓋聞帝之元儲, 必入太學, 承師問道. 齒於國子者, 以知為臣, 然後可以為君;知為子, 然後可以為父也. 故學立而仕, 不以政學, 操刀傷割, 鄭喬所歎. 觸情縱欲, 謂之非人. 而貴遊子弟, 生乎深宮之中, 長乎婦人之手, 憂懼之勞, 未常經心, 或未免於繈褓之中, 而加青紫之官;才勝衣冠, 而居清顯之位. 操殺生之威, 提黜陟之柄, 榮辱決於與奪, 利病感於唇吻, 愛惡無時暫乏, 毀譽括厲於耳. 嫌疑象類, 似是而非, 因機會以生無端, 藉素信以設巧言, 交構之變, 千端萬緒, 巧算所不能詳, 毫墨所不能究也. 無術學, 則安能見邪正之真偽, 具古今之行事? 自悟之理, 無所惑假, 能無傾巢覆車之禍乎!
先哲居高, 不敢忘危, 愛子欲教之義方, 雕琢切磋, 弗納於邪偽. 選明師以象成之, 擇良友以漸染之, 督之以博覽, 示之以成敗, 使之察往以悟來, 觀彼以知此, 驅之於直道之上, 斂之乎檢括之中, 懍乎若跟掛於萬仞, 栗然有如乘奔以履冰. 故能多遠悔吝, 保其貞吉也.
昔諸竇蒙遺教之福, 霍禹受率意之禍, 中山東平以好古而安, 燕剌由面牆而危. 前事不忘, 今之良鑒也. 湯武染乎伊呂, 其興勃然;辛癸染乎推崇, 其亡忽焉. 朋友師傅, 尤宜精簡. 必取寒素德行之士, 以清苦自立, 以不群見憚者. 其經術如仲舒桓榮者, 強直若龔遂王吉者, 能朝夕講論忠孝之至道, 正色證存亡之軌跡, 以洗濯垢涅, 閑邪矯枉, 宜必抑情遵憲法, 入德訓者矣.
漢之末世, 吳之晚年, 則不然焉. 望冠蓋以選用, 任朋黨之華譽, 有師友之名, 無拾遺之實. 匪唯無益, 乃反為損. 故其所講說, 非道德也;其所貢進, 非忠益也. 唯在於新聲豔色, 輕體妙手, 評歌謳之清濁, 理管弦之長短, 相狗馬之剿駑, 議遨遊之處所, 比錯途之好惡, 方雕琢之精粗, 校彈棋樗蒲之巧拙, 計漁獵相掊之勝負, 品藻妓妾之妍蚩, 指摘衣服之鄙野, 爭騎乘之善否, 論弓劍之疏密. 招奇合異, 至於無限, 盈溢之過, 日增月甚.
其談宮殿, 則遠擬瑤台瓊室, 近效阿房林光, 以千門萬戶為局促 , 以昆明太液為淺陋, 笑茅茨為不肖, 以土階為朴馬矣. 民力竭於功役, 儲蓄靡於不急, 起土山以准嵩霍, 決渠水以象九河;登淩霄之華觀, 辟雲際之綺窗. 淫音噪而惑耳, 羅袂揮而亂目, 濮上北裏, 迭奏迭起;或號或呼, 俾晝作夜. 流連於羽觴之間, 沈淪乎弦節之側.
或建翠翳之青蔥, 或射勇禽於郊坰, 馳輕足於嶮峻之上, 暴僚隸於盛日之下, 舉火而往, 乘星而返, 機事廢而不修, 賞罰棄而不治. 或浮文艘於滉瀁, 布密網於綠川, 垂香餌於漣潭, 縱擢歌於清淵, 飛高繳以下輕鴻, 引沈綸以拔潛鱗;或結罝罘於林麓之中, 合重圍於山澤之表, 列丹飆於豐草, 騁逸騎於平原, 縱盧獵以噬狡獸, 飛輕鷂以鷙翔禽, 勁弩殪狂兕, 長戟斃熊虎. 如此, 既彌年而不厭, 曆載而無已矣.
而又加之以四時請會, 祖送慶賀, 要思數之密客, 接執贄之嘉賓. 人間之務, 密勿罔極. 是以雅正稍遠, 遨逸漸篤. 其去儒學, 緬乎邈矣. 能獨見崇替之理, 自拔淪溺之中, 舍敗德之嶮途, 履長世之大道者, 良甚鮮矣. 嗟乎! 此所以保國安家者至稀, 而傾撓泣血者無算也.
今聖明在上, 稽古濟物, 堅堤防以杜決溢, 明褒貶以彰勸沮;想宗室公族, 及貴門富年, 必當競尚儒術, 撙節藝文, 釋老莊之意(意字衍)不急, 精六經之正道也.

君道卷第五

抱朴子曰:清玄剖而上浮, 濁黃判而下沈. 尊卑等威, 於是乎著. 往聖取諸兩儀, 而君臣之道立;設官分職, 而雍熙之化隆. 君人者, 必修諸己以先四海, 去偏党以平王道, 遣私情以標至公, 氦宇宙以籠萬殊. 真偽既明於物外矣, 而兼之以自見;聽受既聰於接來矣, 而加之以自聞. 儀決水以進善, 鈞絕弦以黜惡, 昭德塞違, 庸親昵賢, 使規盡其圓, 矩竭其方, 繩肆其直, 斤效其斫. 器無量表之任, 才無失授之用.
考名責實, 屢省勤恤, 樹訓典以示民極, 審褒貶以彰勸沮, 明檢齊以杜僭濫, 詳直枉以違晦吝. 其與之也, 無叛理之幸;其奪之也, 有百氏之掩. 匠之以六藝, 軌之以忠信, 蒞之以慈和, 齊之以禮刑. 揚仄陋以促沈抑, 激清流以澄臧否. 使物無詭道, 事無非分. 立朝牧民者, 不得侵官越局;推轂即戎者, 莫敢憚危顧命. 悅近以懷遠, 修文以招攜. 阜百姓之財粟, 闡進德之廣途, 杜機偽之繁務(下有脫文), 則明罰敕法, 哀敬折獄;淳化洽, 則匿瑕藏疾, 五教在寬.
外總多士於文武, 內建維城之穆屬, 使親疏相持, 尾為身幹. 枝雖茂而無傷本之憂, 流雖盛而無背源之勢. 石磐嶽峙, 式遏覬覦. 見三苗之傾殄, 則知川源之未可恃也;睹翳幽之不守, 則覺嚴*嶮之不足賴也. 夫江漢猶存, 而強楚虜辱;劍閣自如, 而子陽赤族. 四岳三塗土, 實不一姓;金城湯池, 未若人和. 守在海外, 匪山河也.
是以賢君抱(有脫文)懼不足, 而改過恐有餘. 謀當計得, 猶思危而弗休焉;戰勝地廣, 猶戒盈而夕惕焉. 象渾穹以遐燾, 式坤厚以廣載. 運重光以表微, 致遠思乎未兆. 資春景以嫗煦, 範秋霜以肅物. 言州諮以校同異, 平衡以銓群言. 虛己以盡下情, 推功以勸將來. 禦之以術, 則終始可竭也;整之以度, 則三差可齊也. 嶷若閬風之淩霄, 而諸下不得以輕重料焉;窈若玄淵之萬仞, 則近侍不能以少多量焉. 然則君之流源不窮, 而百僚之才力畢陳矣;我之涯畔無外, 而彼之斤兩可限矣.
發號吐令, 則車訇若震霆之激響, 而不為邪辯改其正. 畫法創制, 則炳若七曜之麗天, 而不以愛惡曲其情. 宏略遠罩, 則藹若密雲之高結. 居貞成務, 則確若嵩岱之根地. 料倚伏於未萌之前, 審毀譽於巧言之口. 不使敦樸散於雕偽, 不使一體澆於二端. 雖能獨斷, 必博納乎芻蕘;雖務含弘, 必清耳於浸潤.
民之饑寒, 則哀彼責此;百姓有罪, 則謂之在予. 嘉祥之臻, 則念得神之佑;或逢天之怒, 則思桑林之引咎. 不吝改弦於宜易之調, 不恥反迷於朝過之途. 虎眄以警密, 麟跱以接疏. 路無擊壤之叟, 則羞聞和音之作;民有不粒之匱, 則愧臨方丈之膳. 處飛閣之概天, 則懼役夫之勞瘁;茹柔嘉之旨月色, 則憂敬授之失時;聆管弦之宴羨, 則戚逸樂之有過;瞻藻麗之辨粲, 則慮賦斂之慘烈. 遵放勳之粗裘, 准衛文之大帛;追有夏之卑宮, 識露臺之不果;鑒章華之召災, 悟阿房之速禍.
誥誓則念依時之失信. 耽玩則覺褒妲之惑我. 征伐則量力度時, 不令百里有號泣之憤;誅戮則遺情任理, 不使鴟夷有抱枉之魂. 鑒操彤之杜伯, 惟人立之呼豕. 廢嫡則戒晉獻之巨惑. 立庶則念劉表之殄祀. 草鬼畋則樂失獸而得士, 識馳網而悅遠, 偏愛則慮袖蜂之謗巧, 飛燕之專寵. 獨任則悟鹿馬之作威, 恭顯之惡直. 納策則思漢祖之吐哺, 孝景之誅錯.
旨甘之進, 則疏儀狄. 容悅姑息, 則沈欒激. 除蒸子之諂, 親放麋之仁. 鑒白龍以輟輕脫, 觀羸(原脫一字)以節無饜. 防人彘之變於六宮之中, 止汗血之求於絕域之外. 除惡犬以遏酒酗之患, 市馬骨以招追風之駿. 軾怒蛙以以勸勇, 避螳螂以勵武. 聆公廬之讜言, 容保甲之正直. 剔腹背無益之毛, 攬六翮淩虛之用. 烹如簧以謐司原之箴, 折菀渃以迪梁伯之美. 放丹姬以弭婉孌之迷, 退子瑕以杜餘桃之惑. 藏淵中之魚, 操利器之柄. 勿憚徙薪之煩, 以省焦爛之費. 鼓廉恥之陶冶, 明考試之准的.
怒不越法以加虐, 喜不逾憲以厚遺. 割情於所愛, 而有犯者無赦;辨善於所憎, 而有勞者不遺. 傾下(原脫一字)以納忠, 聞逆耳而不諱. 廣乞言於誹謗, 雖委抑而不距. 掩細瑕而錄大用, 忘近惡而念遠功, 使夫曹劌孟明有修來之效, 魏尚張敞立雪恥之績. 身鉤之賊臣, 著匡合之弘勳;釋縛之左車, 吐止戈之高策. 則鵂梟化為鴛鸞, 邪偽變成忠貞. 芒穎秀於斥鹵, 夜光起乎泥濘. 剡銳載胥, 九功允諧, 西面逡巡, 以延師友之才;尊事老叟, 以敦孝悌之行.
是以淵蟠者仰赴, 山棲者俯集. 炳蔚內弼, 九虎闞外禦. 政得於上, 而物傾於下;惠發乎邇, 而澤邁乎遠. 明哲宣力於攸蒞, 黔庶讓畔於藪澤. 爾乃蠲滋章之法令, 振大和之清風. 蒲輪玉帛, 以抽丘園之俊民;元豈畢集, 以究論道之損益. 減牧羊之多人, 反不酤之至醇, 張仁讓之闈, 杜華競之津, 旌義正之操, 弘道素之格. 使附德者若潛萌之悅甘雨, 見歸者猶行潦之赴大川. 黎民安之, 若綠葉之綴修柯;左衽仰之, 若眾星之系北辰.
是以七政不亂象於玄極, 寒溫不謬節而錯集. 四靈備覿, 芝華灼粲. 甘露淋漉以霄附, 嘉穗婀娜而盈箱. . 丹魃逐於神潢, 玄厲拘於廣朔. 百川無沸騰之異, 南箕謐偃禾之暴, 物無詭時之凋, 人無嗟慨之響. 囹圄虛陳, 五刑寢厝. 正朔所不加, 冕紳所不暨, 氈裘皮服, 山棲海竄, 莫不含歡革面, 感和重譯, 靈禽貢於彤庭, 瑤環獻自西極. 員首遽善, 猶氤氳之順勁風;要荒承指, 若響亮之和絕音. 誠升隆之盛致, 三五之軌躅也. 故能固廟祧於罔極, 繁本枝乎百世矣.
夫根深則末盛矣, 下樂則上安矣. 馬不調, 造父不能超千里之跡;民不附, 唐虞不能致同天之美. 馬極則變態生, 而傾僨惟憂矣;民困則多離叛, 其禍必振矣. 可不戰戰以待旦乎! 可不栗栗而慮危乎! 人主不澄思於治亂, 不深鑒於亡徵, 雖盼百尋之秋毫, 耳精八音之清濁, 文則琳琅墮於筆端, 武則鉤鉻摧於指掌, 心苞萬篇之誦, 口播濤波之辯, 猶無補於土崩, 不救乎瓦解也. 何者? 不居其大, 而務其細, 滯乎下人之業, 而暗元本之端也.
誠能事過乎叢, 臨深履冰, 居安不忘乘奔之戒, 處存不廢慮亡之懼, 操綱領以整毛目, 握道數以禦眾才, 韓白畢力以折沖, 蕭曹竭能以經國, 介一人之心致其果毅, 謀夫協思進其長算;則人主雖從容玉房之內, 逍遙雲閣之端, 羽爵腐於甘醪, 樂人疲於拚舞, 猶可以垂拱而任賢, 高枕以責成. 何必居茅茨之狹陋, 食薄味之大羹, 躬監門之勞役, 懷損命之辛勤, 然後可以惠流蒼生, 道洽海外哉!
昏惑之君, 則不然焉. 其為政也, 或仁而不斷, 朱紫混漫, 正者不賞, 邪者不罰. 或苛猛慘酷, 或純威無恩, 刑過乎重, 不恕不逮. 根露基頹, 危猶巢幕, 而自比於天日, 擬固於泰山, 謂克明俊德者不難及, 小心翼翼者未足算也. 於是無罪無辜, 淫刑以逞, 民不見德, 唯戮是聞.
官人則以順志者為賢, 擢才則以近習者為前. 上宰鼎列, 委之母後之族;專斷顧問, 決之阿諂之徒. 所揚引則遠九族外親, 而不簡其器幹;所信仗則在於瑣才曲媚, 而憎乎方直;所抑退則從雷同, 而不察之以情;所寵進則任美談, 而不考其績用. 掌要治民之官, 禦戎專征之將, 或貪污以壞所在矣, 或營私以亂朝廷矣, 或懦弱以敗庶事矣, 或恇怯以失軍利矣. 終於不覺, 不忍黜斥, 猶加親委, 冀其晚效. 器小任大, 遂及於禍. 良才遠量無援之士, 或披褐而朝隱, 或沈淪於窮否, 懷道括囊, 民力莫由, 陵替之災, 所以多有也.
又經典規戒, 弗聞弗覽, 玩弄褻宴, 是耽是務. 高樓觀而下道德, 廣苑囿而狹招納, 深池沼而淺恩信, 悅狗馬而惡蹇諤, 貴珠玉而賤智略, 豐綺紈而約惠澤, 緩賑濟而急聚斂, 勤畋弋而忽稼穡, 重兼併而輕民命, 進優倡而退儒雅, 厚嬖幸而薄戰士, 流聲色而忘庶事, 先酣遊而後聽斷, 數苦役而疏犒賜, 工造費好不急之器, 圈聚食肉靡穀之物. 然則危亡不可以怨天, 微弱不可以尤人也. 夫吉凶由己, 湯武豈一哉?
昔周文掩未埋之骨, 而天下稱其仁. 殷紂剖比干之心, 而四海疾其虐. 望在具瞻, 毀譽尤速. 得失之舉, 不在多也. 凡譽重則蠻貊歸懷, 而不可以虛索也;毀積即華夏離心, 而不可以言救也. 是以小善雖無大益, 而不可不為;細惡雖無近禍, 而不可不去也.
若乃肆情縱欲, 而不與天下共其樂, 故有憂莫之恤也. 削基憎峻, 而不覺下墮則上崩, 故傾頹莫之扶也. 於是轡策去於我手, 神物假而不還, 力勤財匱, 民不堪命, 眾怨於下, 天怒於上, 田成盜全齊於帷幄, 姬昌取有二於西鄰, 陳吳之徒, 奮劍而大呼, 劉項之倫, 揮戈而飆駭, 雲梯乘於百雉之上, 皓刃交於象魏之下, 飛鋒內薦, 禁兵外潰, 而乃憂悲以思邈世之大賢, 擁彗以延岩棲之智士, 慕伊呂於嵩岫, 招孫吳於草萊, 拜昌言而無所, 思嘉算而莫問, 猶大廈既燔, 而運水於滄海, 洪潦淩室, 而造船於長洲矣.
夫巍巍之稱, 不可驕吝構;而東嶽之封, 未易以恣欲修也. 上聖兼策載馳, 猶懼不逮前;而庸主緩步按轡, 而自以為過之. 或於安而思危, 或在嶮而自逸. 或功成治定, 而匪怠匪荒, 或綴旒累卵, 而不覺不寤. 不有辛癸之沒溺, 曷用貴欽明之高濟哉? 念茲在茲, 庶乎庶乎!

臣節卷第六

抱朴子曰:昔在唐虞, 稽古欽明, 猶俟群後之翼亮, 用臻巍巍之成功. 故能熙帝之載, 庶績欺凝, 四門穆穆, 百揆時序, 蠻夷無猾夏之變, 阿閣有鳴鳳之巢也. 喻之元首, 方之股肱, 雖有尊卑之殊, 邈實若一體之相賴也.
君必度能而授者, 備乎覆食束之敗;臣必量才而受者, 故無流放之禍. 夫如影如響, 俯伏惟命者, 偷容之屍素也. 違令犯顏, 蹇蹇匪躬者, 安上之民翰也. 先意承指者, 佞諂之徒也;匡過弼違者, 社稷之鯁也. 必將伏斧金質而正諫, 據鼎鑊而盡言. 忠而見疑, 諍而不得者, 待放可也;必死無補, 將增主過者, 去之可也.
其動也, 匪訓典弗據焉;其靜也, 匪憲章弗循焉. 請托無所容, 申繩不顧私. 明刑而不濫乎所恨, 審賞而不加乎附己. 不專命以招權, 不含洿而談潔. 進思盡言以攻謬, 退念推賢而不蔽. 夙興夜寐, 戚庶事之不康也;儉躬約志, 若策奔於薄冰也.
納謀貢士, 不宣之於口;非義之利, 不棲之乎心. 立朝則以砥矢為操, 居己則以羔羊為節. 當危值難, 則忘家而不顧命. 擥衡執銓, 則平懷而無彼此. 儀蕭曹之指揮, 羨張陳之奇畫, 追周勃之盡忠, 准二鮑之直視, 蹈嬰弘之節叢, 執恬毅之守終, 甘此離紀炙身之分, 戒彼韓英失忠之禍. 出不辭勞, 入不數功, 歸勳引過, 讓以先下, 專誠祗栗, 恒若天威之在顏也;宵夙虔竦, 有如湯鑊之在側也.
負荷寄託, 則以伊周為師表;宣力四方, 則以吉召為軌儀;送往視居, 則竭忠貞而不辶回;搏噬幹紀, 則若鷹鸇之鷙鳥雀;蕃捍疆場, 則慕魏絳李牧之高蹤;蒞眾撫民, 則希文翁信臣之德化. 夫忠至者無(原脫一字)以為國, 況懷智以迷上乎? 義督者滅祀而無憚, 況黜辱之敢辭乎? 故能保勞貴以顯親, 托良哉於輿歌. 昆吾彝器, 能者鐫勳. 皋陶後稷, 亦何人哉!
抱朴子曰:人臣勳不弘, 則恥俸祿之虛厚也;績不茂, 則羞爵命之妄高也. 履信思順, 天人攸贊;畏盈居謙, 乃終有慶. 舉足則蹈道度, 抗手則奉繩墨, 褒崇雖淹留, 而悔辱亦必遠矣. 若夫損上以附下, 廢公以營私, 阿媚曲從, 以水濟水, 君舉雖謬, 而諂笑贊善. 數進玩好, 陷主於惡. 巧言毀政, 令色取悅, 上蔽人主之明, 下杜進賢之路;外結出境之交, 內樹背公之黨. 雖才足飾非, 言足文過, 專威若趙高, 擅朝如董卓, 未有不身膏剡鋒, 家糜湯火者也. 然而愚瞽舍正即邪, 違真侶偽, 親覽傾僨, 不改其軌, 殃禍之集, 匪降自天也.
抱朴子曰:臣喻股肱, 則手足也. 履冰執熱, 不得辭焉. 是以古人方之於地, 掘之則出水泉, 樹之則秀百穀;生者立焉, 死者入焉. 功多而不望賞, 勞瘁而不敢怨. 審識斯術, 保己之要也.
抱朴子曰:臣職分則治, 統廣則多滯. 非賁獲之壯, 不可以舉兼人之重;非萬夫之特, 不可以總異官之局. 韓侯所以罪侵冒之典, 子元所以懼不勝之禍也. 若乃才力絕倫, 文武兼允, 入有腹心之高算, 出有折沖之遠略, 雖事殷而益舉, 兩循而俱濟, 舍之則彝倫斁, 委之而無其人者, 兼之可也;非此器也, 宜自忖引, 轅若載重, 鮮不及矣. 常人貪榮, 不慮後患, 身既傾溺, 而禍逮君親, 不亦哀哉! 人皆辭斧斤所未開, 而莫讓攝官所不堪. 嗟乎! 陳李所以作戒於力少, 而子房所以高蹈於挹盈也.

良規卷第七

抱朴子曰:翔集而不擇木者, 必有離罻之禽矣. 出身而不料時者, 必有危辱之士矣. 時之得也, 則飄乎猶應龍之覽景雲;時之失也, 則蕩然若巨魚之枯崇陸. 是以智者藏其器以有待也, 隱其身而有為也. 若乃高岩將霣, 非細縷所綴;龍門沸騰, 非掬壤所遏. 則不苟且於乾沒, 不投險於僥倖矣.
抱朴子曰:周公之攝王位, 伊尹之黜太甲, 霍光之廢昌邑, 孫綝之退少帝, 謂之舍道用權, 以安社稷. 然周公之放逐狼跋, 流言載路;伊尹終於受戮, 大霧三日;霍光幾於及身, 家亦尋滅, 孫綝桑蔭未移, 首足異所. 皆笑音未絕, 而號咷已及矣.
夫危而不持, 安用彼相? 爭臣七人, 無道可救. 致令王莽之徒, 生其奸變, 外引舊事以飾非, 內包豺狼之禍心, 由於伊霍, 基斯亂也. 將來君子, 宜深茲矣. 夫廢立之事, 小順大逆, 不可長也. 召王之譎, 已見貶抑. 況乃退主, 惡其可乎! 此等皆計行事成, 徐乃受殃者耳. 若夫陰謀始權, 而貪人賣之, 赤族殄祀;而他家封者, 亦不少矣.
若有奸佞翼成驕亂, 若桀之幹辛推哆, 紂之崇惡來, 厲之黨也, 改置忠良, 不亦易乎? 除君側之眾惡, 流凶族於四裔, 擁兵持疆, 直道守法, 嚴操柯斧, 正色拱繩, 明賞必罰, 有犯無赦, 官賢任能, 唯忠是與, 事無專擅, 請而後行;君有違謬, 據理正諫. 戰戰競競, 不忘恭敬, 使社稷永安於上, 己身無患於下. 功成不處, 乞骸告退, 高選忠能, 進以自代, 不亦綽有餘裕乎? 何必奪至尊之璽紱, 危所奉之見主哉!
夫君, 天也, 父也. 君而可廢, 則天亦可改, 父亦可易也. 功蓋世者不賞, 威震主身危. 此徒戰勝攻取, 勳勞無二者, 且猶鳥盡而弓棄, 兔訖而犬烹. 況乎廢退其君, 而欲後主之愛己, 是奚異夫為人子而舉其所生捐之山谷, 而取他人養之, 而雲我能為伯瑜曾三之孝, 但吾親不中奉事, 故棄去之. 雖日享三牲, 昏定晨省, 豈能見憐信邪?
霍光之徒, 雖當時增班進爵, 賞賜無量, 皆以計見崇, 豈斯人之誠心哉? 夫納棄妻而論前婿之惡, 買仆虜而毀故主之暴, 凡人庸夫, 猶不平之. 何者? 重傷其類, 自然情也. 故樂羊以安忍見疏, 而秦西以過厚見親. 而世人誠謂湯武為是, 而伊霍為賢, 此乃相勸為逆者也.
又見廢之君, 未必悉非也. 或輔翼少主, 作威作福, 罪大惡積, 慮於為後患;及尚持勢, 因而易之, 以延近局之禍. 規定策之功, 計在自利, 未必為國也. 取威既重, 殺生決口. 見廢之主, 神器去矣, 下流之罪, 莫不歸焉. 雖知其然, 孰敢形言? 無東牟朱虛以致其計, 無南史董狐以證其罪, 將來今日, 誰又理之? 獨見者乃能追覺桀紂之惡不若是其惡, 湯武之事不若是其美也.
方策所載, 莫不尊君卑臣, 強幹弱枝. 《春秋》之義, 天不可讎. 大聖著經, 資父事君. 民生在三, 奉之如一. 而許廢立之事, 開不道之端, 下陵上替, 難以訓矣. 俗儒沈淪鮑肆, 困於詭辯, 方論湯武為食馬肝, 以彈斯事者, 為不知權之為變, 貴於起善而不犯順, 不謂反理而叛義正也.
而前代立言者, 不析之以大道, 使有此情者加夫立剡鋒之端, 登方崩之山, 非所以延年長世, 遠危之術. 雖策命暫隆, 弘賞暴集, 無異乎犧牛之被紋繡, 淵魚之愛莽麥, 渴者之資口於雲日之酒, 饑者之取飽於鬱肉漏脯也. 而屬筆者皆共褒之, 以為美談, 以不容誅之罪為知變, 使人悒而永慨者也.
或諫餘以此言為傷聖人, 必見譏貶. 餘答曰:舜禹曆試內外, 然後受終文祖. 雖有好傷, 聖人者豈能傷哉! 昔人嚴延年廷奏霍光為不道, 於時上下肅然, 無以折也. 況吾為世之誡, 無所指斥, 何慮乎常言哉!

時難卷第八

抱朴子曰:盡節無隱者, 可為也. 若夫使言必納而身必安者, 須時. 時之否也. 夫奸凶之徒妒所不逮, 擁上抑下, 惡直醜正, 憂畏公方之彈擊邪枉, 是以務除勝己以紓其誅. 明主不世而出, 庸君迷於皂白, 既不能受用忠益, 或乃宣洩至言. 於是弘恭石顯之徒, 飾巧辭以構象似, 假至公以售私奸. 令獻長生之術者, 反獲立死之罪;進安上之計者, 旋受危身之禍. 故曰:非言之難也, 談之時難也.
夫以賢說聖, 猶未必即受, 故伊尹幹湯, 至於七十也. 以智告愚, 則必不入, 故文諫紂, 終不納也. 言不見信, 猶之可也. 若乃李斯之誅韓非, 龐涓之刖孫臏, 上官之毀屈平, 袁盎之中晁錯, 不可勝載也. 為臣不易, 豈一途也哉! 蓋往而不反者, 所以功在身後;而藏器俟時者, 所以百無一遇. 高勳之臣曠代而一有;陷冰之徒, 委積乎史策. 悲夫, 時之難遇也, 如此其甚哉! 由茲以言, 吾知渭濱呂尚之儔, 岩間傅說之屬, 懷其王佐之器, 抱其邈世之材, 秉竿擁築, 老死於庸兒之伍, 而遂不遭文王高宗者, 必不訾矣.

官理卷第九

抱朴子曰:騄駬之騁逸跡, 由造父之禦也;禹稷之序百揆, 遭唐虞之主也. 故能不勞而千里至, 揖讓而頌聲作. 若乃臧否之乘驌騻, 殷辛之臨三仁, 欲長驅輕騖, 則轡急轅逼, 欲盡規竭忠, 則禍如發機. 所以車傾於險途, 國覆而不振也. 故良駿敗於拙禦, 智士躓於暗世. 仲尼不能止魯侯之出, 晏嬰不能遏崔杼之亂. 其才則是, 主則非也.
夫君猶器也, 臣猶物也, 器小物大, 不能相受矣. 髫孺背千金而逐蛺蜨, 越人棄八珍而甘蛙黽, 即患不賞好, 又病不識惡矣. 夫不用, 則雖珍而不貴矣;莫與, 則傷之者必至. 昔衛靈聽聖言而數驚, 秦孝聞高談而睡寐, 而欲緝隆平之化, 收良能之勳, 猶卻行以逐馳, 適楚而道燕也.

務正卷第十

抱朴子曰:南溟引朝宗以成不測之深, 玄圃崇本石以致極天之峻. 大夏淩霄, 賴群橑之積;輪曲轅直, 無可闕之物. 故元凱之佐登, 而格天之化洽;折沖之才周, 則逐鹿之奸寢. 舜禹所以有天下而不與, 衛靈所以雖驕恣而不危也.
眾力並, 則萬鈞不足舉也;群智用, 則庶績不足康也. 故繁足者死而不弊, 多士者亂而不亡. 然劍戟不長於縫緝, 錐鑽不可以擊斷, 牛馬不能吠守, 雞犬不任駕乘. 役其所長, 則事無廢功;避其所短, 則世無棄材矣.

抱朴子 外篇11~16

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

貴賢卷第十一

抱朴子曰:舍輕艘而涉無涯者, 不見其必濟也;無良輔而羨隆平者, 未聞其有成也. 鴻鸞之淩虛者, 六翮之力也;淵虯之天飛者, 雲霧之偕也. 故招賢用者, 人主之要務也;立功立事者, 髦俊之所思也. 若乃樂治定而忽智士者, 何異欲致遠途而棄騏騄哉!
夫拔丘園之否滯, 舉遺漏之幽人, 職盡其才, 祿稱其功者, 君所以待賢者也;勤夙夜之在公, 竭心力於百揆, 進善退惡, 知無不為者, 臣所以報知己也. 世有隱逸之民, 而無獨立之主者, 士可以喜遁而無憂, 君不可以無臣而致治. 是以傅說呂尚不汲汲於聞達者, 道德備則輕王公也. 而殷高周文乃夢想乎得賢者, 建洪勳必須良佐也.
患於生乎深宮之中, 長乎婦人之手, 不識稼穡之艱難, 不知憂懼之何理, 承家繼體, 蔽乎崇替. 所急在乎侈靡, 至務在乎游晏, 般於畋獵, 湎於酣樂, 聞淫聲則驚聽, 見豔色則改視. 役聰用明, 止此二事. 鑒澄人物, 不以經神, 唯識玩弄可以悅心志, 不知奇士可以安社稷. 犀象珠玉, 無足而至自萬里之外;定傾之器, 能行而淪乎四境之內. 二豎之疾既據而募良醫, 棟橈之禍已集而思謀夫, 何乎火起乃穿井, 覺饑而占田哉! 夫庸隸猶不可以不拊循而卒盡其力, 安可以無素而暴得其用哉?

任能卷第十二

或曰:尾大於身者, 不可掉;臣賢於君者, 不可任. 故口不容而強吞之者必哽, 才非匹而安仗之者見輕.
抱朴子曰:詭哉, 言乎! 昔者荊子總角而攝相事, 實賴二十五老, 臻乎惠康. 子賤起家而治大邦, 實由勝己者多, 而招其弘益. 齊桓殺兄而立, 鳥獸其行, 被發彝酒, 婦閭三百, 委政仲父, 遂為霸宗;夷吾既終, 禍亂亟起. 魯用季子二十餘年, 內無秕政, 外無侵削;人之亡沒, 殄瘁響集. 豈非才所不逮, 其功如彼;自任其事, 其禍如此乎!
漢高決策於玄幃, 定勝乎千里, 則不如良平;治兵多而益善, 所向無敵, 則不如信布;兼而用之, 帝業克成. 故疾步累趨, 未若托乘乎逸足;尋飛逐走, 未若假伎乎鷹犬. 夫勁弩難彀, 而可以摧堅逮遠;大舟難乘, 而可以致重濟深;猛將難禦, 而可以折沖拓境;高賢難臨, 而可以攸敘彝倫.
昔魯哀庸主也, 而仲尼上聖, 不敢不盡其節;齊景下才也, 而晏嬰大賢, 不敢不竭其誠. 豈有人臣當與其君校智力之多少, 計局量之優劣, 必須堯舜乃為之役哉! 何事非君? 何使非民? 恥令其君不及唐虞, 此亦達者之用心也.

欽士卷第十三

抱朴子曰:由餘在戎, 而秦穆惟憂. 楚殺得臣, 而晉文乃喜. 樂毅出而燕壞, 種蠡入而越霸. 破國亡家, 失士者也. 豈徒有之者重, 無之者輕而已哉! 柳惠之墓, 猶挫元寇之銳, 況於坐之於朝廷乎? 幹木之隱, 猶退踐境之攻, 況於置之於端右乎? 郅都之象, 使勁虜振懾. 孔明之屍, 猶令大國寢鋒. 以此禦侮, 則地必不侵矣;以此率師, 則主必不辱矣.
是以明主旅束帛於窮巷, 揚滯羽於瘁林, 飛翹車於河梁, 辟四門而不倦, 不吝金璧, 不遠千里, 不憚屈己, 不恥卑辭, 而以致賢為首務, 得士為重寶. 舉之者受上賞, 蔽之者為竊位.
故公旦執贄於白屋, 秦邵拜昌於張生. 鄒子涉境, 而燕君擁彗;莊周未食, 而趙惠竦立. 晉平接亥唐, 腳痹而坐不敢正;齊任之造稷丘, 雖頻繁而不辭其勞. 楚王受笞於保申, □簡去甲於公廬, 彼雖降高抑滿, 以貴下賤, 終亦並目以遠其明, 假耳以廣其聰. 龍騰虎踞, 宜其然也.

用刑卷第十四

抱朴子曰:莫不貴仁, 而無能純仁以致治也;莫不賤刑, 而無能廢刑以整民也. 或云:明後禦世, 風向草偃. 道洽化醇, 安所用刑? 餘乃論之曰:夫德教者, 黼黻之祭服也;刑罰者, 捍刃之甲胄也. 若德教治狡暴, 猶以黼黻禦剡鋒也;以刑罰施平世, 是以甲升廟堂也. 故仁者養物之器, 刑者懲非之具, 我欲利之, 而彼欲害之, 加仁無悛, 非刑不止. 刑為仁佐, 於是可知也.
譬存玄胎息, 呼吸吐納, 含景內視, 熊經鳥伸者, 長生之術也. 然艱而且遲, 為者鮮成, 能得之者, 萬而一焉. 病篤痛甚, 身困命危, 則不得不攻之以針石, 治之以毒烈. 若廢和鵲之方, 而慕松喬之道, 則死者眾矣. 仁之為政, 非為不美也. 然黎庶巧偽, 趨利忘義. 若不齊之以威, 糾之以刑, 遠羨羲農之風, 則亂不可振, 其禍深大. 以殺止殺, 豈樂之哉!
八卦之作, 窮理盡性, 明罰用獄, 著於《噬嗑》;系以徽纆, 存乎《習坎》. 然用刑其來尚矣. 逮於軒轅, 聖德尤高, 而躬親征伐, 至於百戰, 僵屍涿鹿, 流血阪泉, 猶不能使時無叛逆, 載戢干戈. 亦安能使百姓皆良, 民不犯罪而不治者, 未之有也. 唐虞之盛, 象天用刑, 竄殛放流, 天下乃服. 漢文玄默, 比靈斯成康, 猶斷四百, 鞭死者多. 夫匠石不舍繩墨, 故無不直之木. 明主不廢戮罰, 故無陵遲之政也.
蓋天地之道, 不能純仁, 故青陽闡陶育之和, 素秋厲肅殺之威, 融風扇則枯瘁攄藻, 白露凝則繁英凋零. 是以品物阜焉, 歲功成焉. 溫而無寒, 則蠕動不蟄, 根植冬榮. 寬而無嚴, 則奸宄並作, 利器長守. 故明賞以存正, 必罰以閑邪. 勸沮之器, 莫此之要. 觀民設教, 濟其寬猛, 使懦不可狎, 剛不傷恩. 五刑之罪, 至於三千, 是繩不可曲也;司寇行刑, 君為不舉, 是法不可廢也. 繩曲, 則奸回萌矣;法廢, 則禍亂滋矣.
亡國非無令也, 患於令煩而不行;敗軍非無禁也, 患於禁設而不止. 故眾慝彌蔓, 而下黷其上. 夫賞貴當功而不必重, 罰貴得得罪而不必酷也. 鞭樸廢於家, 則僮仆怠惰;征伐息於國, 則群下不虔. 愛待敬而不敗, 故制禮以崇之;德須威而久立, 故作刑以肅之. 班倕不委規矩, 故方圓不戾於物;明君不釋法度, 故機詐不肆其巧.唐虞其仁如天, 而不原四罪;姬公友於兄弟, 而不赦二叔. 仲尼之誅正卯, 漢武之殺外甥, 垂淚惜法, 蓋不獲已也.
故誅一以振萬, 損少以成多, 方之櫛發, 則所利者眾;比於割疽, 則所全者大. 是以灸刺慘痛而不可止者, 以痊病也;刑法凶醜而不可罷者, 以救弊也. 六軍如林, 未必皆勇. 排鋒陷火, 人情所憚. 然恬顏以勸之, 則投命者鮮;斷斬以威之, 則莫不奮擊. 故役歡笑者, 不及叱吒之速;用誘悅者, 未若刑戮之齊.
是以安於感深谷而嚴其法, 衛子疾棄灰而峻其辟. 夫以其所畏, 禁其所玩, 峻而不犯, 全民之術也. 明治病之術者, 杜未生之疾;達治亂之要者, 遏將來之患. 若乃以輕刑禁重罪, 以薄法衛厚利, 陳之滋章, 而犯者彌多, 有似穿阱以當路, 非仁人之用懷也.
善為政者, 必先端此以率彼, 治親以整疏, 不曲法以行意, 必有罪而無赦. 若石石昔之割愛以滅親, 晉文之忍情以斬頡. 故仁者, 為政之脂粉;刑者, 禦世之轡策;脂粉非體中之至急, 而轡策須臾不可無也. 肅恭少怠, 則慢惰已至;威嚴暫馳, 則群邪生心. 當怒不怒, 奸臣為虎;當殺不殺, 大賊乃發. 水久壞河, 山起咫尺. 尋木千丈, 始於毫末;鑽燧之火, 勺水可滅;鵠卵未孚, 指掌可縻. 及其乘沖飆而燎巨野, 奮六羽以淩朝霞, 則雖智勇不能制也.
故明君治難於其易, 去惡於其微, 不伐善以長亂, 不操柯而猶豫焉. 然則刑之為物, 國之神器, 君所自執, 不可假人, 猶長劍不可倒捉, 巨魚不可脫淵也. 乃崇替之所由, 安危之源本也. 田常之奪齊, 六卿之分晉, 趙高之弑秦, 王莽之篡漢, 履霜逮冰, 由來漸矣. 或永歎於海濱, 或拊心乎望夷, 禍延宗祧, 作戒將來者, 由乎慕虛名於住古, 忘實禍於當己也.
或人曰:刑辟之興, 蓋存叔世. 立人之道, 唯仁與義. 我清靜而民自正, 我無欲而民自樸, 烹鮮之戒, 不欲其煩. 寬以愛人則得眾, 悅以使人則下附. 故孟子以體仁為安, 揚子雲謂申韓為屠宰. 夫繁策急轡, 非造父之禦;嚴刑峻罰, 非三五之道. 故有虞手不指揮, 口不煩言, 恭己南面, 而治化雍熙矣. 宓生政以率俗, 彈琴詠詩, 身不下堂, 而漁者宵肅矣.
必能厚惠薄斂, 救乏擢滯, 舉賢任才, 勸穡省用, 招攜以禮, 懷遠以德, 陶之以成均, 治之以庠序. 化上而興善者, 必若靡草之逐驚風;洗心而革面者, 必若清波之滌輕塵. 朝有德讓之群後, 野無犯禮之軌躅. 圜土可以虛蕪, 楚革可以永格, 何必賞罰可以為國乎!
抱朴子答曰:《易》稱明罰敕法, 《書》有哀矜折獄. 爵人於朝, 刑人於市, 有自來矣, 豈從叔世! 多仁則法不立, 威寡則下侵上. 夫法不立, 則庶事汩矣;下侵上, 則逆節明矣. 至醇既澆於三代, 大樸又散於秦漢, 道衰於疇昔, 俗薄乎當今, 而欲結繩以整奸欺, 不言以化狡猾, 委轡策而乘奔馬於險途, 舍柁櫓而泛虛舟以淩波, 盤旋以逐走盜, 揖讓以救災火, 斬晁錯以卻七國, 舞干戈以平赤眉, 未見其可也!
蓋三皇步而五常驟, 霸王以來, 載馳載騖. 當其弊也, 吏欺民巧, 寇盜公行, 髡鉗不足以懲無恥, 族誅不能以禁覬覦. 重目以廣視, 累耳以遠聽, 抗燭以理滯事, 焦心以息奸源, 而猶市朝有呼嗟之音, 邊鄙有不聞之枉.
作威作福者, 或發乎瞻視之下;凶家害國者, 或構乎蕭牆之內. 而欲乙太昊之道, 治偷薄之俗;以畫一之歌, 救鼎湧之亂, 非識因革之隨時, 明損益之變通也. 所謂刻舟以摸遺劍, 三天而射五步, 摜犀兕之甲, 以涉不測之淵;扲卻寒之裘, 以禦鬱隆之暑, 踵之解除, 頤之搔背, 其為憒憒, 莫此之劇矣!
但當先令而後誅, 得情而勿喜, 使伯氏無怨於失邑, 虞芮知恥而無訟耳. 若強暴掩容, 操繩而不憚, 誘於含垢, 莫蔓而不除, 恃藏疾之大言, 忘膏肓之近急, 何異焦喉之渴切身, 而遙指滄海於萬里之外, 滔天之水已及, 而方造舟於長洲之林, 安得免誇父之禍, 脫淪水之害哉!
世人薄申韓之實事, 嘉老莊之誕談. 然而為政莫能錯刑, 殺人者原其死, 傷人者赦其罪, 所謂土木半瓦胾, 無救朝饑者也. 道家之言, 高則高矣, 用之則弊, 遼落迂闊, 譬猶幹將不可以縫線, 巨象不可使鼠, 金舟不能淩陽侯之波, 玉馬不任騁千里之跡也.
若行其言, 則當燔桎梏, 墮囹圄, 罷有司, 滅刑書, 鑄干戈, 平城池, 散府庫, 毀符節, 撤關梁, 掊衡量. 膠離朱之目, 塞子野之耳. 泛然不系, 反乎天牧;不訓不營, 相忘江湖. 朝廷闃而若無人, 民則至死不往來. 可得而論, 難得而行也.
俗儒徒聞周以仁興, 秦以嚴亡, 而未覺周所以得之不純仁, 而秦所以失之不獨嚴也.
昔周用肉刑, 刖足劓鼻. 盟津之令, 後至者斬, 畢力賞罰, 誓有孥戮. 考其所為, 未盡仁也. 及其叔世, 罔法玩文, 人主苛虐, 號令不出宇宙, 禮樂征伐, 不復由己. 群下力競, 還為長蛇. 伐本塞源, 毀冠裂冕. 或沈之於漢, 或流之一彘. 失柄之敗, 由於不嚴也.
秦之初興, 官人得才. 衛鞅由餘之徒, 式法於內;白起王翦之倫, 攻取於外. 兼弱攻昧, 取威定霸, 吞噬四鄰, 咀嚼群雄, 拓地攘戎, 龍變龍視, 實賴明賞必罰, 以基帝業. 降及杪季, 驕於得意, 窮奢極泰. 加之以威虐, 築城萬里, 離宮千餘, 鍾鼓女樂, 不徒而具. 驪山之役, 太半之賦, 閭左之戍, 坑儒之酷, 北擊獫狁, 南征百越, 暴兵百萬, 動數十年. 天下有生離之哀, 家戶懷怨曠之歎. 白骨成山, 虛祭布野. 徐福出而重號口兆之讎, 趙高入而屯豺狼之黨. 天下欲反, 十室九空. 其所以亡, 豈由嚴刑? 此為秦以嚴得之, 非以嚴失之也.
且刑由刃也, 巧人以自成, 拙者以自傷, 為治國有道而助之以刑者, 能令慝偽不作, 凶邪改志. 若綱絕網紊, 得罪於天, 用刑失理, 其危必速. 亦猶水火者所以活人, 亦所以殺人, 存乎能用之與不能用.
夫症瘕不除, 而不修越人之術者, 難圖老彭之壽也. 奸黨實繁, 而不嚴彈違之制者, 未見其長世之福也. 但當簡於張之徒, 任以法理世;選趙陳之屬, 季以案劾. 明主留神於上, 忠良盡誠於下, 見不善則若鷹鸇之搏鳥雀, 睹亂萌則若草雉田之芟蕪穢. 慶賞不謬加, 而誅戮不失罪, 則太平之軌不足迪. 令而不犯, 可庶幾廢刑致治, 未敢謂然也.
或曰:然則刑罰果所以助教興善, 式曷軌忒也. 若夫古之肉刑, 亦可複與?
抱朴子曰:曷為而不可哉! 昔周用肉刑, 積祀七百. 漢氏廢之, 年代不如. 至於改以鞭笞, 大多死者. 外有輕刑之名, 內有殺人之實也. 及於犯罪, 上不足以至死, 則其下唯有徒謫鞭杖, 或遇赦令, 則身無損;且髡其更生之發, 撾其方愈之創, 殊不足以懲次死之罪. 今除肉刑, 則死罪之下無複中刑在其間, 而次死罪不得不止於徒謫鞭杖, 是輕重不得適也. 又犯罪者希而時有耳, 至於殺之則恨重, 而鞭之則恨輕, 犯此者為多. 今不用肉刑, 是次死之罪, 常不見治也.
今若自非謀反大逆, 惡於君親, 及軍臨敵犯軍法者, 及手殺人者, 以肉刑代其死, 則亦足以懲示凶人. 而刑者猶任坐役, 能有所為, 又不絕其生類之道, 而終身殘毀, 百姓見之, 莫不寒心, 亦足使未犯者肅栗, 以彰示將來, 乃過於殺人. 殺人, 非不重也. 然辜之三日, 行埋棄之, 不知者眾, 不見者多也. 若夫肉刑者之為摽戒也多.
昔魏世數議此事, 諸碩儒達學, 洽通殷理者, 鹹謂宜複肉刑, 而意異者駁之, 皆不合也. 魏武帝亦以為然. 直以二陲未賓, 遠人不能統至理者, 卒聞中國刖人肢體, 割人耳鼻, 便當望風謂為酷虐, 故且權停, 以須四方之並耳. 通人揚子雲亦以為肉刑宜複也. 但廢之來久矣, 坐而論道者, 未以為急耳.

審舉卷第十五

抱朴子曰:華霍所以能崇極天之峻者, 由乎其下之厚也;唐虞所以能臻巍巍之功者, 實賴股肱之良也. 雖有孫陽之手, 而無騏驥之足, 則不得致千里矣. 雖有稽古之才, 而無宣力之佐, 則莫緣凝庶績矣. 人君雖明並日月, 神鑒未兆, 然萬機不可以獨統, 曲碎不可以親總, 必假目以遐覽, 借耳以廣聽, 誠須有司, 是康是贊.
故聖君莫不根心招賢, 以舉才為首務, 施玉帛於丘園, 馳翹車於岩藪, 勞於求人, 逸於用能, 上自槐棘, 降逮皂隸, 論道經國, 莫不任職. 恭己無為, 而治平刑措;而化洽無外, 萬邦咸寧. 設官分職, 其猶構室, 一物不堪, 則崩橈之由也. 然夫貢舉之士, 格以四科, 三事九列, 是之自出, 必簡標穎拔萃之俊, 而漢之末葉, 桓靈之世, 柄去帝室, 政在奸臣, 網漏防潰, 風頹教沮, 抑清德而揚諂媚, 退履道而進多財. 力競成俗, 苟得無恥, 或輸自售之寶, 或賣要人之書, 或父兄貴顯, 望門而辟命;或低頭屈膝, 積習而見收.
夫銓衡不平, 則輕重錯謬;斗斛不正, 則少多混亂;繩墨不陳, 則曲直不分, 准格傾側, 則滓雜實繁. 以之治人, 則虐暴而豺貪, 受取聚斂, 以補買官之費;立之朝廷, 則亂劇於棼絲. 引用駑庸, 以為黨援, 而望風向草偃, 庶事之康, 何異懸瓦礫而責夜光, 弦不調而索清音哉! 何可不澄濁飛沉, 沙汰臧否, 嚴試對之法, 峻貪夫之防哉! 殄瘁攸階, 可勿畏乎?
古者諸侯貢士, 適者謂之有功, 有功者增班進爵;貢士不適者謂之有過, 有過者黜位削地. 猶複不能令詩人謐大車素餐之刺, 山林無伐檀罝兔之賢. 況舉之無非才之罪, 受之無負乘之患. 衡量一失其格, 多少安可複損乎? 夫孤立之翹秀, 藏器以待賈;瑣碌之輕薄, 人事以邀速. 夫唯待價, 故頓淪於窮瘁矣;夫唯邀速, 故佻竅而騰躍矣.
蓋鳥鴟屯飛, 則鴛鳳幽集;豺狼當路, 則麒麟遐遁. 舉善而教, 則不仁者遠矣;奸偽榮顯, 則英傑潛逝. 高概恥與闒茸為伍, 清節羞入饕餮之貫. 舉任並謬, 則群賢括囊;群賢括囊, 則凶邪相引;凶邪相引, 則小人道長;小人道長, 則檮杌比肩. 頌聲所以不作, 怨嗟所以嗷嗷也.
高幹長材, 恃能勝己, 屈伸默語, 聽天任命, 窮通得失, 委之自然, 亦焉得不墮多黨者之後, 而居有力者之下乎? 逸倫之士, 非禮不動, 山峙淵渟, 知之者希, 馳逐之徒, 蔽而毀之, 故思賢之君, 終不知奇才之所在, 懷道之人, 願效力而莫從. 雖抱稷卨之器, 資邈世之量, 遂沈滯詣死, 不得登敘也. 而有党有力者, 紛然鱗萃, 人乏官曠, 致者又美, 亦安得不拾掇而用之乎?
靈獻之世, 閹官用事, 群奸秉權, 危害忠良. 台閣失選用於上, 州郡輕貢舉於下. 夫選用失於上, 則牧守非其人矣;貢舉輕於下, 則秀孝不得賢矣. 故時人語曰:舉秀才, 不知書;察孝廉, 父別居. 寒素清白濁如泥, 高第良將怯如雞. 又云:古人欲達勤誦經, 今世圖官免治生. 蓋疾之甚也.
於時懸爵而賣之, 猶列肆也;爭津者買之, 猶市人也. 有直者無分而徑進, 空拳者望途而收跡. 其貨多者其官貴, 其財少者其職卑. 故東園積賣官之錢, 崔烈有銅臭之嗤. 上為下效, 君行臣甚. 故阿佞幸, 獨談親容. 桑梓議主, 中正吏部, 並為魁儈, 各責其估. 清貧之士, 何理有望哉! 是既然矣. 又邪正不同, 譬猶冰炭;惡直之人, 憎於非黨. 刀尺顛到者, 則恐人之議己也;達不由道者, 則患言論之不美也. 乃共構合虛誣, 中傷清德, 瑕累橫生, 莫敢救拔.
於是曾閔獲商臣之謗, 孔墨蒙盜蹠之垢. 懷正居貞者, 填笮乎泥濘之中, 而狡猾巧偽者, 軒翥乎虹霓之際矣. 而凡夫淺識, 不辯邪正, 謂守道者為陸沈, 以履徑者為知變. 俗之隨風而動, 逐波而流者, 安能複身於德行, 苦思於學問哉! 是莫不棄檢括之勞, 而赴用賂之速矣. 斯誠有漢之所以傾, 來代之所宜深鑒也.
或曰:吾子論漢末貢舉之事, 誠得其病也. 今必欲戒既往之失, 避傾車之路, 改有代之弦調, 防法玩之或變, 令濮上《巴人》, 反安樂之正音, 腠理之疾, 無退走之滯患者, 豈有方乎? 士有風姿豐偉, 雅望有餘, 而懷空抱虛, 幹植不足, 以貌取之, 則不必得賢, 徐徐先試, 則不可倉卒. 將如之何?
抱朴子答曰:知人則哲, 上聖所難. 今使牧守皆能審良才於未用, 保性履之始終, 誠未易也. 但共遣其私情, 竭其聰明, 不為利欲動, 不為屬托屈. 所欲舉者, 必澄思以察之, 博訪以詳之, 修其名而考其行, 校同異以備虛飾. 令親族稱其孝友, 邦閭歸其信義. 嘗小仕者, 有忠清之效, 治事之幹, 則寸錦足以知巧, 刺鼠足以觀勇也.
又, 秀孝皆宜如舊試經答策, 防其罪對之奸, 當令必絕其不中者勿署, 吏加罰禁錮. 其所舉書不中者, 刺史太守免官, 不中左遷. 中者多不中者少, 後轉不得過故. 若受賕而舉所不當, 發覺有驗者除名, 禁錮終身, 不以赦令原, 所舉與舉者同罪. 今試用此法, 治一二歲之間, 秀孝必多不行者, 亦足以知天下貢舉不精之久矣. 過此, 則必多修德而勤學者矣.
又, 諸居職, 其犯公坐者, 以法律從事;其以貪濁贓汙為罪, 不足死者, 刑竟及遇赦, 皆宜禁錮終身, 輕者二十年. 如此, 不廉之吏, 必將化為夷齊矣. 若臨官受取, 金錢山積, 發覺則自恤得了, 免退則旬日複用者, 曾史亦將變為盜蹠矣. 如此, 則雖貢士皆中, 不辭於官長之不良.
或曰:能言不必能行, 今試經對策雖過, 豈必有政事之才乎?
抱朴子答曰:古者猶以射擇人, 況經術乎? 如其舍旃, 則未見餘法之賢乎此也. 夫豐草不秀瘠土, 巨魚不生小水, 格言不吐庸人之口, 高文不墮頑夫之筆. 故披《洪範》而知箕子有經世之器, 覽九術而見范生懷治國之略, 省夷吾之書, 而明其有撥亂之幹, 視不害之文, 而見其精霸王之道也. 今孝廉必試經無脫謬, 而秀才必對策無失指, 則亦不得暗蔽也. 良將高第取其膽武, 猶復試之以對策, 況文士乎? 假令不能必盡得賢能, 要必愈於了不試也.
今且令天下諸當在貢舉之流者, 莫敢不勤學. 但此一條, 其為長益風教, 亦不細矣. 若使海內畏妄舉之失, 凡人息僥倖之求, 背競逐之末, 歸學問之本, 儒道將大興, 而私貨必漸絕, 奇才可得而役, 庶官可以不曠矣.
或曰:先生欲急貢舉之法, 但禁錮之罪, 苛而且重, 懼者甚眾. 夫急轡繁策, 伯樂所不為;密防峻法, 德政之所恥.
抱朴子曰:夫骨填肉補之藥, 長於養體益壽, 而不可以救日曷溺之急也. 務寬含垢之政, 可以蒞敦禦樸, 而不可以拯衰弊之變也. 虎狼見逼, 不揮戈奮劍, 而彈琴詠詩, 吾未見其身可保也. 燎火及室, 不奔走灌注, 而揖讓盤旋, 吾未見其焚之自息也. 今與知欲賣策者論此, 是與蹠議捕盜也.
抱朴子曰:今普天一統, 九垓同風, 王制政令, 誠宜齊一. 夫衡量小器, 猶不可使往往有異, 況人士之格, 而可三差而無檢乎? 江表雖遠, 密邇海隅, 然染道化, 率禮教, 亦既千餘載矣. 往雖暫隔, 不盈百年, 而儒學之事, 亦不偏廢也. 惟以其土宇褊於中州, 故人士之數, 不得鈞其多少耳. 及其德行才學之高者, 子游仲任之徒, 亦未謝上國也.
昔吳土初附, 其貢士見偃以不試. 今太平已近四十年矣, 猶複不試, 所以使東南儒業衰於在昔也. 此乃見同於左衽之類, 非所以別之也. 且夫君子猶愛人以禮, 況為其愷悌之父母邪! 法有招患, 令有損化, 其此之謂也. 今貢士無復試者, 則必皆修飾馳逐, 以競虛名, 誰肯複開卷受書哉? 所謂饒之適足以敗之者也.
自有天性好古, 心悅藝文. 學不為祿, 味道忘貧, 若法高卿周生烈者. 學精不仕(疑有脫文)徇乎榮利者, 萬之一耳. 至於甯越倪寬黃霸之徒, 所以強自篤勵於典籍者, 非天性也, 皆由患苦困瘁, 欲以經術自拔耳. 向使非漢武之世, 則朱買臣嚴助之屬, 亦未必讀書也. 今若取富貴之道, 幸有易於學者, 而複素無自然之好, 豈肯複空自勤苦, 執灑埽為諸生, 遠行尋師問道者乎?
兵興之世, 武貴文寢, 俗人視儒士如仆虜, 見經誥如芥壤者, 何哉? 由於聲名背乎此也. 夫不用譬猶售章甫於夷越, 徇髯蛇於華夏矣. 今若遐邇一例, 明考課試, 則必多負笈千里, 以尋師友, 轉其禮賂之費, 以買記籍者, 不俟終日矣.
抱朴子曰:才學之士堪秀孝者, 已不可多得矣. 就令其人若桓靈之世, 舉吏不先以財貨, 便安台閣主者, 則雖諸經兼本解, 於問無不對, 猶見誣枉, 使不得過矣. 常追恨於時執事, 不重為之防.
余意謂新年當試貢舉者, 今年便可使儒官才士, 豫作諸策, 計足周用. 集上禁其留草殿中, 封閉之;臨試之時, 亟賦之. 人事因緣於是絕. 當答策者, 皆可會著一處, 高選台省之官親監察之. 又嚴禁其交關出入, 畢事乃遣. 違犯有罪無赦. 如此, 屬托之翼窒矣. 夫明君恃己之不可欺, 不恃人之不欺己也. 亦何恥於峻為斯制乎? 若試經法立, 則天下 可以不立學官, 而人自勤樂矣.
案四科亦有明解法令之狀, 今在職之人, 官無大小, 悉不知法令. 或有微言難曉, 而小吏多頑, 而使之決獄, 無以死生委之, 以輕百姓之命, 付無知之人也. 作官長不知法, 為下吏所欺而不知, 又決其口筆者, 憤憤不能知食法, 與不食不問, 不以付主者. 或以意斷事, 蹉跌不慎法令, 亦可令廉良之吏, 皆取明律令者試之如試經, 高者隨才品敘用. 如此, 天下必少弄法之吏, 失理之獄矣.

交際卷第十六

抱朴子曰:余以朋友之交, 不宜浮雜. 面而不心, 揚雄攸譏. 故雖位顯名美, 門齊年敵, 而趨舍異規, 業尚乖互者, 未嘗結焉. 或有矜其先達, 步高視遠, 或遺忽陵遲之舊好, 或簡棄後門之類味, 或取人以官而不論德, 其不遭知己, 零淪丘園者, 雖才深智遠, 操清節高者, 不可也;其進趨偶合, 位顯官通者, 雖面牆庸瑣, 必及也. 如此之徒, 雖能令壤蟲雲飛, 斥鷃戾天, 手捉刀尺, 口為禍福, 得之則排冰吐華, 失之則當春凋悴, 餘代其口止叔口止脊, 恥與共世.
窮之與達, 不能求也. 然而輕薄之人, 無分之子, 曾無疾非俄然之節, 星言宵征, 守其門廷, 翕然諂笑, 卑辭悅色, 提壺執贄, 時行索媚;勤苦積久, 猶見嫌拒, 乃行因托長者以構合之. 其見受也, 則踴悅過於幽系之遇赦;其不合也, 則懊悴劇於喪病之逮己也. 通塞有命, 道貴正直, 否泰付之自然, 津途何足多咨. 嗟乎細人, 豈不鄙哉! 人情不同, 一何遠邪? 每為慨然, 助彼羞之.
昔莊周見惠子從車之多, 而棄其餘魚. 餘感俗士(或脫無)不汲汲於攀及至也. 瞻彼云云, 馳騁風塵者, 不懋建德業, 務本求己, 而偏徇高交, 以結朋黨, 謂人理莫比之要, 當世莫此之急也. 以嶽峙獨立者, 為澀吝疏拙;以奴顏婢睞者, 為曉解當世. 風成俗習, 莫不逐末, 流遁遂往, 可慨者也.
或有德薄位高, 器盈志溢, 聞財利則驚掉, 見奇士則坐睡. 襤縷杖策, 被褐負笈者, 雖文豔相雄, 學優融玄, 同之埃芥, 不加接引. 若夫程鄭王孫羅裒之徒, 乘肥衣輕, 懷金挾玉者, 雖筆不集劄, 菽麥不分辯, 為之倒屣, 吐食握發.
餘徒恨不在其位, 有斧無柯, 無以為國家流穢濁於四裔, 投畀於有北. 彼雖赫奕, 刀尺決乎(有脫文)勢力足以移山拔海, 吹呼能令泥象登云, 造其門庭, 我則未暇也. 而多有下意怡顏, 匍匐膝進, 求交於若人, 以圖其益. 悲夫! 生民用心之不鈞, 何其遼邈之不肖也哉! 餘所以同生聖世而抱困賤, 本後顧而不見者, 今皆追瞻而不及, 豈不有以乎! 然性苟不堪, 各從所好, 以此存亡, 予不能易也.
或又難曰:時移世變, 古今別務, 行立乎己, 名成乎人. 金玉經於不測者, 托於輕舟也;靈烏萃於玄霄者, 扶搖之力也;芳蘭之芬烈者, 清風之功也;屈士起於丘園者, 知己之助也. 今先生所交必清澄其行業, 所厚必沙汰其心性, 孑然只口止寺, 失棄名輩, 結讎一世, 招怨流俗, 豈合和光以籠物, 同法之高義乎? 若比智而交, 則白屋不降公旦之貴;若鈞才而遊, 則尼父必無入室之客矣.
抱朴子曰:吾聞詳交者不失人, 而泛結者多後悔. 故曩哲先擇而後交, 不先交而後擇也. 子之所論, 出人之計也;吾之所守, 退士之志也. 子雲玉浮鳥高, 皆有所因, 誠複別理一家之說也. 吾以為寧作不載之寶, 不飛之鵬, 不颺之蘭, 無黨之士, 亦(何? )損於夜光之質, 垂天之大, 含芳之卉, 不朽之蘭乎? 且夫名多其實, 位過其才, 處之者猶鮮免於禍辱, 交之者何足以為榮福哉!
由茲論之, 則交彼而遇者, 雖得達不足貴;芘之而誤者, 譬如蔭朽樹之被笮也. 彼尚不能自止其顛蹶, 亦安能救我之碎首哉! 吾聞大丈夫之自得而外物者, 其於庸人也, 蓋逼迫不獲已而與之形接, 雖以千計, 猶蚤虱之積乎衣, 而贅疣之攢乎體也. 失之雖以萬數, 猶飛塵之去嵩岱, 鄧林之墮朽條耳. 豈以有之為益, 無之覺損乎?
且夫朋友也者, 必取乎直諒多聞, 拾遺斥謬, 生無請言, 死無托辭, 終始一契, 寒暑不渝者. 然而此人良未易得, 而或默語殊途, 或憎愛異心, 或盛合衰離, 或見利忘信. 其處今也, 璧猶禽魚之結侶, 冰炭之同器, 欲其久合, 安可得哉! 夫父子天性, 好惡宜鈞, 而子政子駿, 平論異隔;南山伯奇, 辯訟有無. 面別心殊, 其來尚矣. 總而混之, 不亦難哉!
世俗之人, 交不論志, 逐名趨勢, 熱來冷去;見過不改, 視迷不救;有利則獨專而不相分, 有害則苟免而不相恤;或事便則先取而不讓, 值機會則賣彼以安此. 凡如是, 則有不如無也.
天下不為盡不中交也, 率於為益者寡而生累者眾. 知人之明, 上聖所難. 而欲力厲近才, 短於鑒物者, 務廣其交, 又欲使悉得, 可與經夷險而不易情, 曆危苦而相負荷者, 吾未見其可多得也. 雖搜琬琰於培螻之上, 索鸞鳳乎鷦鷯之巢, 未為難也. 吾亦豈敢謂藍田之陽, 丹穴之中, 為無此物哉! 亦直言其稀已矣.
夫操尚不同, 猶金沈羽浮也. 志好之乖次, 猶火升而水降也. 苟不可同, 雖造化之靈, 大塊之匠, 不可使同也, 何可強乎! 余所稟訥馬矣, 加之以天挺篤懶, 諸戲弄之事, 彈棋博弈, 皆所惡見;及飛輕走迅, 遊獵傲覽, 鹹所不為, 殊不喜嘲褻. 凡此數者, 皆時世所好, 莫不耽之, 而余悉闕焉, 故親交所以尤遼也. 加以挾直, 好吐忠藎, 藥石所集, 甘心者鮮. 又欲勉之以學問, 諫之以馳競, 止其樗蒲, 節其沈湎, 此又常人所不能悅也.
毀方瓦合, 違情偶俗, 人之愛力, 甚所不堪, 而欲好日新, 安可得哉! 知其如此而不辯改之, 可不謂之暗於當世, 拙於用大乎? 夫交而不卒, 合而又離, 則兩受不弘之名, 俱失克終之美. 夫厚則親愛生焉, 薄則嫌隙結焉, 自然之理也, 可不詳擇乎! 為可臨觴者拊背, 執手須臾, 欲多其數而必其全, 吾所懼也.
或曰:然則都可以無交乎?
抱朴子答曰:何其然哉! 夫畏水者何必廢舟楫, 忌傷者何必棄父斤? 交之為道, 其來尚矣. 天地不交則不泰, 上下不交即乖志. 夫不泰則二氣隔並矣, 志乖則天下無國矣. 然始之甚易, 終之竟難. 患乎所結非其人, 敗於爭小以忘大也. 《易》美多蘭, 《詩》詠百朋, 雖有兄弟, 不如友生. 切思三益, 大聖所嘉, 門人所以增親, 惡言所以不至;管仲所以免誅戮而立霸功, 子元所以去亭長而驅朱軒者, 交之力也.
單弦不能發《韶》《夏》之和音, 孑色不能成兗龍之瑋燁, 一味不能合伊鼎之甘, 獨木不能致鄧林之茂. 玄圃極天, 蓋由眾石之積. 南溟浩瀁, 實須群流之赴. 明鏡舉則傾冠見矣, 羲和照則曲影覺矣, 櫽括修則枉刺之疾消矣, 良友結則輔仁之道弘矣.
達者知其然也, 所企及則必簡乎勝己, 所降結則必料乎同志. 其處也則講道進德, 其出也則齊心比翼. 否則鈞魚釣之業, 泰則協經世之務. 安則有以精義, 危則有以相恤. 恥令譚肯專面地之篤, 不使王貢擅彈冠之美. 夫然, 故交道可貴也.
然實未易知, 勢利生去就, 積毀壞刎頸之契, 漸漬釋膠漆之堅. 於是有忘素情之惆歎, 或睚眥而不思, 遂令元伯巨卿之好, 獨著於昔;張耳陳餘之變, 屢構於今. 推往尋來, 良可歎也. 夫梧禽不與鴟梟同枝, 麟虞不與豺狼連群, 清源不與濁潦混流, 仁明不與凶暗同處. 何者? 漸染積而移直道, 暴迫則生害也.
或人曰:敢問全交之道可得聞乎?
抱朴子答曰:君子交絕猶無惡言, 豈肯向所異辭乎? 殺身猶以許友, 豈名位之足競乎? 善交狎而不慢, 和而不同, 見彼有失, 則正色而諫之;告我以過, 則速改而憚. 不以忤彼心而不言, 不以逆我耳而不納, 不以巧辯飾其非, 不以華辭文其失, 不形同而神乖, 不若情而口合, 不面從而背憎, 不疾人之勝己, 護其短而引其長, 隱其失而宣其得, 外無計數之諍, 內遺心競之累. 夫然後《鹿鳴》之好全, 而《伐木》之刺息. 若乃輕合而不重離, 易厚而不難薄, 始如形影, 終為三辰, 至歡變為篤恨, 接援化成讎敵, 不詳之悔, 亦無以(原有脫文).
往者漢季陵遲, 皇轡不振, 在公之義替, 紛競之俗成. 以違時為清高, 以救世為辱身. 尊卑禮壞, 大倫遂亂. 在位之人, 不務盡節, 委本趨末, 背實尋聲. 王事廢者其譽美, 奸過積者其功多. 莫不飛輪兼策, 星言假寐, 冒寒觸暑, 以走權門, 市虛華之名於秉勢之口, 買非分之位於賣官之家. 或爭所欲, 還相屠滅.
於是公叔偉長疾其若彼, 力不能正, 不忍見之, 爾乃發憤著論, 杜門絕交, 斯誠感激有為而然. 蓋矯枉而過正, 非經常之永訓也. 徒當遠非類之黨, 慎諂黷之源. 何必裸袒以詭彼己, 斷粒以刺玉食哉! 夫交之為非, 重諫而不止, 遂至大亂. 故禮義之所棄, 可以絕矣.

抱朴子 外篇17~23

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

備闕卷第十七

抱朴子曰:騕褭能奮蘭筋以絕景, 而不能履冰以乘深;猛虎能似雷霆以博噬, 而不能踴雲霧以淩虛. 鴻鶤不能振翅於籠罩之中, 輕鷂不能電擊於幾筵之下. 物既然矣, 人亦如之. 故能調和陰陽者, 未必能兼百行修簡書也;能敷五邁九者, 不必能全小潔經曲碎也.
惠子, 上相之標也, 而不能役舟楫以淩陽侯;漢高, 神武之傑也, 而不能治產業端檢括;淮陰, 良將之元也, 而不能修農商免饑寒;周勃, 社稷之鯁也, 而不能答錢谷責獄辭. 若以所短棄所長, 則逸儕拔萃之才不用矣;責具體而論細禮, 則匠世濟民之勳不著矣.
天不能平其西北, 地不能隆其東南, 日月不能摛光於曲穴, 沖風湧揚波於井底. 扌適齒則松檟不及一寸之筵, 挑耳則棟樑不如鷦鷯之羽, 彈鳥則千金不及丸泥之用, 縫緝則長劍不及數寸之針. 何必伏巨象而捕鼠, 制大鵬以司晨乎? 故薑牙賣煦(疑作漿)無所售, 而見師於文武;蔣生憒慢於百里, 而獨步三槐.

擢才卷第十八

抱朴子曰:華章藻蔚, 非矇瞍所玩;英逸之才, 非淺短所識. 夫瞻視不能接物, 則兗龍與素褐同價矣;聰鑒不足相涉, 則俊民與庸夫一概矣. 眼不見, 則美不入神焉;莫之與, 則傷之者至焉. 且夫愛憎好惡, 古今不均, 時移俗易, 物同價異. 譬之夏後之璜, 曩直連城, 鬻之於今, 賤於銅鐵. 故昔以隱居求志為高士, 今以山林之儒為不肖. 故聖世之良榦, 乃暗俗之罪人也;往者之介潔, 乃末葉之羸劣也.
弘偉之士, 履道之生, 其崇信匪徒重仞之牆, 其淵澤不唯呂梁之深也, 故短近不能賞, 而淺促不能測焉. 因以異乎己而薄之矣, 以不求我而疾之矣, 不貴不用, 何足言乎? 乃有播埃塵於白珪, 生瘡疒有於玉肌, 訕疵雷同, 攻伐獨立, 曾三蒙劫剽之垢, 巢許獲穿窬之謗. 自匪明並懸象, 玄鑒表微者, 焉能披泥抽淪玉, 澄川掇沈珠哉! 夫珪璋居肆而不售, 矧乃翳於槃璞乎? 奇士扣角而見遏, 況乃潛於四羊藪乎?
孫臏思騁其秘略, 而司馬刖之;韓非願建治績, 而李斯殺之;賈誼慷慨, 懷經國之術, 而武夫排之;子政忠良, 有匡危之具, 而恭顯陷之. 和氏所以抱璞而泣血, 禽息所以發憤而碎首也. 夫玉石易別於賢愚, 愛寶情篤於好士, 以易別之寶, 合篤好之物, 猶獲罪截趾, 曆世受誣. 況乎難知之賢, 非意所急, 讒人畫蛇足於無形, 奸臣畏忠貞之害己, 體曲者忌繩墨之容, 夜裸者憎明燭之來. 是以高譽美行, 抑而不揚, 虛構之謗, 先形生影. 又無楚人號哭之薦, 萬無一遇, 固其宜矣.
夫以玉為石者, 亦將以石為玉矣;以賢為愚者, 亦將以愚為賢者矣. 以石為玉, 未有傷也;以愚為賢者, 亡之診也. 蓋診亡者雖存而必亡, 猶脈死者雖生而必死也. 可勿慎乎! 於戲, 悲夫! 莫之思者也. 昔仲尼上聖也, 東受累於齊人, 南見塞於子西. 文種大賢也, 初不齒於荊俗, 末雍遊於鈞如. 競年立功, 不亦難乎? 夫結綠玄黎, 非陶猗不能市也;千鈞之重, 非賁獲不能抱也. 《白雪》之弦, 非靈素不能徽也;邁倫之才, 非明主不能用也.
然耀靈光夜之珍, 不為莫求而虧其質, 以苟且於賤賈;洪鍾周鼎(或有脫文), 不為委淪而輕其體, 取見舉於侏儒;嶧陽雲和, 不為不禦而息唱, 以競顯於淫哇;冠群之德, 不以沈抑而履徑, 而剸節於流俗. 是以和璧變為滯貨, 柔木廢於勿用, 赤刀之礦, 不得經歐冶之爐;元凱之疇, 終不值四門之辟也.

任命卷第十九

抱朴子曰:余之友人有居泠先生者, 恬愉靜素, 形神相忘, 外不飾驚愚之容, 內不寄有容之心, 遊精墳誥, 樂以忘憂. 晝競羲和之末景, 夕照望舒之餘耀, 道靡遠而不究, 言無微而不研. 然車跡不軔權右之國, 尺牘不經貴勢之庭. 是以名不出蓬戶, 身不離畎畝.
於是翼亮大夫候而難之曰:余聞淵蟠起則玄雲赴, 道化雨沾則逸才奮. 故康衢有角歌之音, 鼎俎發淩風之跡. 沽之則收不貲之賈, 踴之則超在天之舉. 耀逸景於暘穀, 播大明乎九垓. 勳蔭當世, 聲揚罔極. 故尋仞之途甚近而弗往者, 雖追風之腳不能到也;楹棁之下至卑而不動者, 雖鴻鶤之翅未之及也. 況乎寢足於大荒之表, 斂羽於幽梧之枝, 安得效迅以尋景, 振輕乎蒼霄哉?
年期奄冉而不久, 托世飄迅而不再, 智者履霜則知堅冰之必至, 處始則悟生物之有終. 六龍促軌於大渾, 華顛倏忽而告暮, 古人所以映順流而顧歎, 眄過隙而興悲矣.
先生資命世之逸量, 含英偉以邈俗, 銳翰汪濊以波湧, 六奇抑鬱而淵稸;然不能淩扶搖以高竦, 揚清耀於九玄, 器不陳於瑚簋之末, 體不免於負薪之勞, 猶奏和音於聾俗之地, 鬻章甫於被發之域. 徒忘寤於翰林, 銳意以窮神, 崇琬琰於懷抱之內, 吐琳琅於毛墨之端, 躬困屢空之儉, 神勞堅高之間, 譬若埋尺璧於重壤之下, 封文錦於遝匱之中, 終無交易之富, 孰賞堙翳之珍哉?
夫龍驥維縶, 則無以別乎蹇驢;赤刀韜鋒, 則曷用異於鉛刃. 鱣鮪不居牛跡, 大鵬不滯蒿林. 願先生委龍蛇之穴, 升利見之途, 釋戶庭之獨潔, 覽二鼠而遠寤, 越窮谷以登高, 襲丹藻以改素, 競驚飆於清晨, 不盤旋以錯度, 收名器於崇高, 響鍾鼎之慶祚. 柏成一介之夫, 辨薇可足多慕乎?
居泠先生應曰:蓋聞靈機冥緬, 混芒眇昧, 禍福交錯乎倚伏之間, 興亡纏綿乎盈虛之會;迅遊者不能脫逐身之景, 樂成者不能免理致之敗;匡流末者, 未若挺治乎無兆之中;整已然者, 不逮反本乎玄樸之外. 是以覺蠖者, 甘屈以保伸;識通塞者, 不慘悅於否泰.
且夫洪陶範物, 大象流形, 躁靜異尚, 翔沈舛情. 金寶其重, 羽矜其輕. 篤隘者執束於滓涅達妙者逍遙於玄清. 潢洿納行潦而潘溢, 渤澥吞百川而不盈. 鮋蝦踴悅於泥濘, 赤螭淩厲乎高冥. 嚼香餌者, 快嗜欲而赴死;味虛淡者, 含天和而趨生;識機神者, 瞻無兆而弗惑;暗休咎者, 觸強弩而不驚. 各附攸好, 安肯改營?
吾聞五玉不能自剖於嵩岫, 騰蛇不能無霧而電征, 龍淵不能勿操而斷犀兕, 景鍾不能莫扣而揚洪聲. 金芝須商風而激耀, 倉庚俟煙火日皿而修鳴, 騏騄不苟馳以赴險, 君子不詭遇以毀名. 運屯則沈淪於勿用, 時行則高竦乎天庭. 士以自炫為不高, 女以自媒為不貞. 何必委洗耳之峻標, 效負俎之幹榮哉?
夫其窮也, 則有虞婆娑而陶釣, 尚父見逐於愚嫗, 范生來辱於溺簣, 弘式匿奇於耕牧;及其達也, 則淮陰投竿而稱孤, 文種解屍彳喬而紆青, 傅說釋築而論道, 管子脫桎為上卿. 蓋君子藏器以有待也, 稸德以有為也, 非其時不見也, 非其君不事也, 窮達任所值, 出處無所系. 其靜也, 則為逸民之宗;其動也, 則為元凱之表. 或運思於立言, 或銘勳乎國器. 殊途同歸, 其致一焉.
士能為可貴之行, 而不能使俗必貴之也;能為可用之才, 而不能使世必用之也. 被褐茹草罝兔, 則心歡意得, 如將終身, 服冕乘軺, 兼朱重紫, 則若固有之. 常如布衣, 此至人之用懷也.
若席上之珍不積, 環堵之操不粹者, 予之罪也. 知之者希, 名位不臻, 以玉為石, 謂鳳曰鷃者, 非餘罪也. 夫汲汲於見知, 悒悒於否滯者, 裳民之情也;浩然而養氣, 淡爾而靡欲者, 無悶之志也. 時至道行, 器大者不悅;天地之間, 知命者不憂. 若乃徇萬金之貨, 以索百十之售, 多失骨幹毛, 我則未暇矣.

名實卷第二十

門人問曰:聞漢末之世, 靈獻之時, 品藻乖濫, 英逸窮滯, 饕餮得志, 名不准實, 賈不本物, 以其通者為賢, 寒者為愚. 其故何哉?
抱朴子答曰:夫雷霆車訇磕, 而或不聞焉;七曜經天, 而或不見焉. 豈唯形器有聾瞽哉! 心神所蔽, 亦又如之. 是以聞格言而不識者, 非無耳也;見英異而不知者, 非無目也;由乎聰不經妙, 而明不逮奇也. 夫智大量遠者, 盤桓以山峙;器小志近者, 蓬飛而萍浮. 夫唯山峙, 故莫之能動焉;夫唯萍浮, 故流而不滯焉.
方之貨也, 則緘連以待賈者, 唯至珍而難售;鳴鼓以徇之者, 雖凡蔽而易盡. 比之材也, 則結根於嵩岱者, 雖竦蓋千仞, 垂蔭萬畝, 而莫之知也;插株途要者, 雖鉤曲戾細而速朽, 而猶見用也. 故廟堂有枯楊之瑚簋, 窮穀多不伐之梓橡也.
是以竊華名者, 螻蜥騰於雲霄;失實賈者, 翠虯淪乎九泉. 於是斥鷃淩風以高奮, 靈鳳卷翮以幽戢, 鉛鋒充太阿之寶, 犬羊佻虎狼之資矣. 夫佞者鼓珍賂為勁羽, 則無高而不到矣;乘朋黨為舟楫, 則無遠而不濟矣.
持之以夙興側立, 加之以先意承指, 其利口諛辭也似辯, 其道聼塗説也似學, 其心險貌柔也似仁, 其行汙言潔也似廉, 其好說人短也似忠, 其不知忌諱也似直, 故多通焉. 且亦奉望我者, 欲我益之, 不求我者, 我不能愛, 自然之理也.
夫賢常少而愚常多, 多則比周而匿瑕, 少則孤弱而無援, 佞人相汲引而柴正路, 俊哲處下位而不見知, 拔茅之義圯, 而負乘之群興, 亢龍高墜, 泣血漣如. 故子西逐大聖之仲尼, 臧倉毀命世之孟軻. 二生不免斯患, 降茲亦何足言! 斯禍蓋與開闢並生, 苦之匪唯一世也. 曆覽振古, 多同此疾.
至於駑蹇矯首於王周輦, 駥驥委牧乎林坰, 彼己屍祿, 邦國殄瘁, 下淩上替, 實此之由. 或蟲流而莫斂, 或逆竄於申亥, 或擢筋於廟梁, 或絕命於望夷, 蓋所拔之非真, 而忠能之不用也.
故明君勤於招賢, 而汲汲於擢奇, 導達凝滯, 而嚴防壅蔽. 才誠足委, 不拘於屠釣;言審可施, 抽之於戎戍. 或舉於牛口之下, 而加之於群僚之上;或拔於桎梏之中, 而任以社稷之重. 故能勳業隆濟, 拓境服遠, 取威定功, 垂統長世也.
夫直繩者, 枉木之所憎也;清公者, 奸慝之所讎也. 人主不能運玄鑒以索隱, 而必須當途之所舉. 然每觀前代專權之徒, 率其所舉皆在乎附己者也, 所薦者先乎利己者也. 毀所畏而進所愛, 所畏則至公者也, 所愛則同私者也. 至公用則奸黨破, 眾私立則主威奪矣;奸黨破則升泰之所由也, 主威奪則危亡之端漸矣. 毀所畏則恐辭之不痛, 雖刖劓之, 猶未弇意焉, 故必除之而後快也;彼進所愛則苦談之不美, 雖位超之, 猶未逞心焉, 故必危彼以安此也. 是故抱枉而死, 無愆而黜者, 有自來矣.
所以體道合真, 嶷然特立, 才遠量逸, 懷霜履冰, 思綿天地, 器兼元凱, 執經衡門, 淵渟嶽立. 寧潔身以守滯, 恥脅肩以苟合. 樂饑陋巷, 以勵高尚之節;藏器全真, 以待天年之盡. 非時不出, 非禮不動. 結褐嚼蔬, 而不悒悒也;黃發終否, 而不悢悢也. 安肯蹙太山之峻, 以適鑿枘之中;斂垂天之羽, 為戒旦之役? 編於仕類, 而抑鬱庸兒之下. 舍鸞鳳之林, 適枳棘之藪, 競腐鼠於踞鴟, 而枉尺以直尋哉!
且大賢之狀也至拙, 其為味也甚淡, 蕭然自足, 泊爾無知, 知之者稀而不戚, 時不能用而不悶. 雖並日無藜藿之糝, 不以易不義之太牢也;雖縕袍無卒歲之服, 不肯樂無道之狐白也. 獨可散發高枕, 守其所有已, 絕不曲躬低眉, 求其所未須也.
德薄位厚, 弗交也;名與實違, 弗親也;榮華馳逐, 弗務也;豪俠奸權, 弗接也;俗說細辨, 不答也;脅肩所赴, 弗隨也. 貌愚而志遠, 面垢而行潔. 確乎若嵩岱, 銓衡所不能測也;浩乎若滄海, 斗斛所不能校也. 峻其重仞之高, 隱其百官之富. 觀彼佻竊, 若草莽也. 邈世之操, 眇焉冠秋雲之表;遺俗之神, 緬焉棲九玄之端. 雖窮賤, 而不可脅以威;雖危苦, 而不可動以利.
其所業尚, 可聞而不可盡也;其所執守, 可見而不可論也. 故疾之者, 齊聲而側目;愛之者, 寡弱而無益. 亦猶撮壤不能填決河, 升水不能殄原火. 於是鼖鼓戢雷霆之音, 鞉鞞恣喋鼛之響. 芳蕙芟夷, 臭鮑佩禦. 玄鬯傾棄而不羞, 醨酪專灌於圓丘. 汗血驅放而垂耳, 跛蹇馳騁於鑾軒. 此古人之所以懷沙負石, 赴流魚葬, 而不堪與之同世也. 已矣! 悲夫!
然捐玄黎於洿濘, 非夜光之不真也, 由莫識焉;投彤盧而不彎, 非繁弱之不勁也, 坐莫賞焉. 故瓊瑤俟荊和而顯連城之價, 烏號須逢門而著陷堅之功, 飛菟待子豫而飆騰, 俊民值知己而宣力. 若夫美玉不出重岫, 良弓不鑿百劄, 驥騄不服朱軒, 命世不履爵勢, 則孰知其能攄符彩之耀曄, 頓雲禽於千仞, 騁逸跡以追風, 康庶績於百揆乎?
夫其不遇, 亦得不雜糅於瓦石, 鈞賤於朽木, 列鑣於下乘, 等望於凡瑣哉! 嗟乎! 弓廣棘矢而望高手於渠廣, 策疲駑而求繼軌於周穆, 放斧斤而欲雙巧於班墨, 忽良才而欲彝倫之攸敘, 不亦難乎? 名實雖漏於一世, 德音可邀乎將來. 樂天知命, 何慮何憂? 安時處順, 何怨何憂哉!

清鑒卷第二十一

抱朴子曰;鹹謂勇力絕倫者, 則上將之器;洽聞治亂者, 則三九之才也. 然張飛關羽萬人之敵, 而皆喪元辱主, 授首非所;孔融邊讓文學邈俗, 而並不達治務, 所在敗績. 鄧禹馬援田間諸生, 而善於用兵;蕭何曹三不涉經誥, 而優於宰輔. 爾則知人果未易也. 欲試可乃已, 則恐成折足覆食束;欲聽言察貌, 則或似是而非, 真偽混錯. 然而世人甚以為易, 經耳過目, 謂可精盡. 餘甚猜焉, 未敢許也.
區別臧否, 瞻形得神, 存乎其人, 不可力為. 自非明並日月, 聽聞無音者, 願加清澄, 以漸進用, 不可頓任. 輕假利器, 收還之既甚難, 所損者亦已多矣. 無以一事暗保其餘, 同乎己者, 未必可用;異於我者, 未必可忽也.
或難曰:夫在天者垂象, 在地者有形, 故望山度水, 則高深可推;風起雲飛, 則吉凶可步. 智者睹木不瘁, 則悟美玉之在山;覿岸不枯, 則覺明珠之沈淵. 彗星出, 則知鱣魚之方死;日月蝕, 則識騏驎之共鬥. 華霍不須稱, 而無限之重可知矣;江河不待量, 而不測之數已定矣. 鴻鵠之翼, 騄騏之足, 雖未飛走, 輕迅可必也. 豪曹之劍, 徐氏匕首, 雖未奮擊, 其立斷無疑也.
駮子有吞牛之容, 鶚鷧有淩鷙之貌. 卉茂者土必沃, 魚大者水必廣. 虎尾不附狸身, 象牙不出鼠口. 叔魚無饜之心, 見於初生之狀;食我滅宗之徵, 著乎開胞之始. 申童覺竊妻之巫臣, 張負知將貴之陳平. 範子所以絕跡於五湖者, 以句踐蜂目而鳥喙也. 趙人所以息意於爭鋒者, 以白起首銳而視直也. 文王之接呂尚, 桑陰未移, 而知其足師矣. 玄德之見孔明, 晷景未改, 而腹心已委矣.
郭泰中才, 猶能知人, 故入潁川則友李元禮, 到陳留則結符偉明, 入外黃則親韓子助, 至蒲亨則師仇季知, 止學舍則收魏德公, 觀耕者則拔茅季偉, 奇孟敏於擔負, 戒元艾之必敗. 終如其言, 一無差錯. 必能簡精鈍於符表, 詳舒急乎聲氣, 料明暗於舉厝, 察清濁於財色, 觀取與於宜適, 謂虛實於言行, 考操業於閨閫, 校始終於信效, 善否之驗, 不其易乎?
抱朴子答曰:餘非謂人物了不可知, 知人挺無形理也. 徒以斯術存乎大明, 非夫當人自許. 然而世士各謂能之, 是以有云, 以警付任耳. 夫貌望豐偉者不必賢, 而形器尪瘁者不必愚, 咆哮者不必勇, 淳淡者不必怯. 或外候同而用意異, 或氣性殊而所務合. 非若天地有常候, 山川有定止也.
物亦故有遠而易知, 近而難料, 譬猶眼能察天衢, 而不能周項領之間;耳能聞雷霆, 而不能識蟲豈虱之音也. 唐呂樊許善於相人狀, 唯知壽夭貧富官秩尊卑, 而不能審情性之寬克, 志行之洿隆. 惟帝難之, 況庸人乎! 而吾子舉論形之例, 詰精神之談, 未修其本, 殆失指矣.
夫亡射之箭, 皆破秋毫. 然准的恒不得為工. 叔向之母, 申氏之子, 非不一得, 然不能常也. 陶唐稽古而失任, 姬公欽明而謬授. 尼父遠得崇替於未兆, 近失澹台於形骸. 延州審清濁於千載之外, 而蔽奇士於咫尺之內. 知人之難, 如此其甚. 郭泰所論, 皆為此人過上聖乎? 但其所得者, 顯而易識;其所失者, 人不能紀.
且夫所貴, 貴乎見俊才於無名之中, 料逸足乎吳阪之間, 掇懷珠之蚌於九淵之底, 指含光之珍於積石之中. 若伯喈識絕音之器於煙燼之余, 平子剔逸響之竹於未用之前. 六軍之聚, 市人之會, 暫觀一睹, 無所眩惑, 探其潛生之心計, 定其始終之事行, 乃為獨見不傳之妙耳. 若如未論(原文有脫文), 必俟考其操蹈之全毀, 觀其雲為之好醜, 此為絲線既銓衡, 布帛已曆於丈尺, 徐乃說其斤兩之輕重, 端匹之修短, 人皆能之, 何煩於明哲哉!

行品卷第二十二

抱朴子曰:擬玄黃之覆載, 揚明並以表微;文彪日丙而備體, 獨澄見以入神者, 聖人也. 稟高亮之純粹, 抗峻標以邈俗, 虛靈機以如愚, 不貳過而諂黷者, 賢人也. 居寂寞之無為, 蹈修直而執平者, 道人也. 盡烝嘗於存亡, 保發膚以揚名者, 孝人也. 垂惻隱於有生, 恒恕己以接物者, 仁人也. 端身命以徇國, 經險難而一節者, 忠人也. 覿微理於難覺, 料倚伏於將來者, 明人也. 量理亂以卷舒, 審去就以保身者, 智人也. 順通塞而一情, 任性命而不滯者, 達人也. 不枉尺以直尋, 不降辱以苟合者, 雅人也. 據體度以動靜, 每清詳而無悔者, 重人也. 體冰霜之粹素, 不染潔於勢利者, 清人也. 篤始終於寒暑 , 雖危亡而不猜者, 義人也. 守一言於久要, 曆衰而不渝者, 信人也. 摛銳藻以立言, 辭炳蔚而清允者, 文人也. 奮果毅之壯烈, 騁干戈以靜難者, 武人也. 甄《墳》《索》之淵奧, 該前言以窮理者, 儒人也. 銳乃心於精義, 吝寸陰以進德者, 益人也. 識多藏之厚亡, 臨祿利而如遺者, 廉人也. 不改操於得失, 不傾志於可欲者, 貞人也. 恤急難而忘勞, 以憂人為己任者, 篤人也. 潔皎分以守終, 不遜避而苟免者, 節人也. 飛清機之英麗, 言約暢而判滯者, 辯人也. 每居卑而推功, 雖處泰而滋恭者, 謙人也. 崇敦睦於九族, 必居正以赴理者, 順人也. 臨凝結而能斷, 操繩墨而無私者, 幹人也. 拔朱紫於中構, 剖猶豫以允當者, 理人也. 步七曜之盈縮, 推興亡之道度者, 術人也. 赴白刃而忘生, 格兕虎於林穀者, 勇人也. 整威容以肅眾, 仗法度而無二者, 嚴人也. 創機巧以濟用, 總音數而並精者, 藝人也. 淩強禦而無憚, 雖險逼而不沮者, 黠人也. 執匪懈於夙夜, 忘勞瘁於深峻者, 勤人也. 蒙謗讀言而晏如, 不懾懼於可畏者, 勁人也. 聞榮譽而不歡, 遭憂難而不變者, 審人也. 知事可而必行, 不猶豫於群疑者, 果人也. 循繩墨以進止, 不乾沒於僥倖者, 謹人也. 奉禮度以戰兢, 及親屬而無尤者, 良人也. 履道素而無欲, 時雖移而不變者, 樸人也. 凡此諸行, 了無一然, 而不躋善人之跡者, 下人也.
門人請曰:善人之行, 既聞其目矣;惡者之事, 可以戒俗者, 願文垂誥焉.
抱朴子曰:不致養於所生, 損道而危身者, 悖人也. 懷邪偽以偷榮, 豫利己而忘生者, 逆人也. 背仁義之正途, 苟危人以自安者, 凶人也. 好爭奪而無厭, 專醜正而害直者, 惡人也. 出繩墨以傷刻, 心好殺而安忍者, 虐人也. 飾邪說以浸潤, 構謗累於忠貞者, 讒人也. 雖言巧而行違, 實履濁而假清者, 佞人也. 不原本於枉直, 苟好勝而肆怒者, 暴人也. 措細善以取信, 陰挾毒而無親者, 奸人也. 承風指以苟容, 揆主意而扶非者, 諂人也. 言不計於反覆, 好輕諾而無實者, 虛人也. 睹利地而忘義, 棄廉恥以苟得者, 貪人也. 睹豔逸而心蕩, 飾絝綺而思邪者, 淫人也. 見成事而疑惑, 動失計而多悔者, 暗人也. 背訓典而自任, 恥請問於勝己者, 損人也. 知善事而不逮, 雖多為而無成者, 劣人也. 委德行而不修, 奉權勢以取媚者, 弊人也. 履蹊徑以僥速, 推貨賄以爭津者, 邪人也. 既傲很以無禮, 好淩辱乎勝己者, 悍人也. 被抑枉則自誣, 事無苦而振懾者, 怯人也. 治細辯於稠眾, 非其人而盡言者, 淺人也. 暗事宜之可否, 雖企慕而不及者, 頑人也. 知事非而不改, 聞良規而增劇者, 惑人也. 無濟恤之仁心, 輕告絕於親舊者, 薄人也. 既疾其所不逮, 喜他人之有災者, 妒人也. 專財穀而輕義, 觀困匱而不振者, 吝人也. 冒至危以僥倖, 植禍敗而不悔者, 愚人也. 情局碎而偏黨, 志唯務於盈利者, 小人也. 騁鷹犬於原獸, 好博戲而無已者, 迷人也. 忘等威之異數, 快飾玩之誇麗者, 奢人也. 耽聲色於飲宴, 廢慶吊於人理者, 荒人也. 既無心於修尚, 又怠惰於家業者, 懶人也. 無抑斷之威儀, 每脫易而不思者, 輕人也. 觀道義而如醉, 聞貨殖而波擾者, 穢人也. 杖淺短而多謬, 暗趨舍之臧否者, 笨人也. 憎賢者而不貴, 聞高言而如聾者,囂人也. 睹朱紫而不分, 雖提耳而不悟者, 蔽人也. 違道義以趑趄, 冒禮刑而罔顧者, 亂人也. 每動作而受嗤, 言發口而違理者, 拙人也. 事酋豪如仆虜, 值衰微而背惠者, 慝人也. 捐貧賤之故舊, 輕人士而踞傲者, 驕人也. 棄衰色而廣欲, 非宦學而遠遊者, 蕩人也. 無忠信之純固, 背恩養而趨利者, 叛人也. 當交顏而面從, 至析離而背毀者, 偽人也. 習強梁而專己, 距忠告而不納者, 刺人也.
抱朴子曰:人技未易知, 真偽或相似. 士有顏貌修麗, 風表閒雅, 望之溢目, 接之適意, 威儀如龍虎, 盤旋成規矩. 然心蔽神否, 才無所堪, 心中所有, 盡附皮膚. 口不能吐片奇, 筆不能屬半句;入不能宰民, 出不能用兵;治事則事廢, 銜命則命辱. 動靜無宜, 出處莫可. 蓋難分之一也.
士有貌望樸悴, 容觀矬陋, 聲氣雌弱, 進止質澀. 然而含英懷寶, 經明行高, 榦過元凱, 文蔚春林. 官則庶績康用, 武則克全獨勝. 蓋難分之二也.
士有謀猷淵邃, 術略入神, 智周成敗, 思洞幽玄, 才兼能事, 神器無宜;而口不傳心, 筆不盡意, 造次之接, 不異凡庸. 蓋難分之三也.
士有機變清銳, 巧言綺粲, 擥引譬喻, 淵湧風厲;然而口之所談, 身不能行;長於識古, 短於理今, 為政政亂, 牧民民怨. 蓋難分之四也.
士有外形足恭, 容虔言恪, 而神疏心慢, 中懷散放, 受任不憂, 居局不治, 蓋難分之五也.
士有控弦命中, 空拳入白, 倒乘立騎, 五兵畢習;而體輕慮淺, 手剿心怯, 虛試無對, 而實用無驗. 望塵奔北, 聞敵失魄. 蓋難分之六也.
士有梗概簡緩, 言希貌樸, 細行闕漏, 不為小勇, 口止局口止脊拘檢, 犯而不校, 握爪垂翅, 名為弱願. 然而膽勁心方, 不畏強禦, 義正所在, 視死猶歸, 支解寸斷, 不易所守. 蓋難分之七也.
士有孝友溫淑, 恂恂平雅, 履信思順, 非禮不蹈, 安困潔志, 操清冰霜;而疏遲迂闊, 不達事要, 見機不作, 所為無成, 居己梁倡, 受任不舉. 蓋難分之八也.
士有行己高簡, 風格峻峭, 嘯傲偃蹇, 淩儕慢俗, 不肅檢括, 不護小失, 適情率意, 旁若無人, 朋黨排譴, 談者同敗, 士友不附, 品藻所遺. 而立朝正色, 知無不為, 忠於奉上, 明以攝下. 蓋難分之九也.
士有含弘曠濟, 虛己受物, 藏疾匿瑕, 溫恭廉潔, 勞謙沖退, 救危全信, 寄命不疑, 托孤可保;而純良暗權, 仁而不斷, 善不能賞, 惡不忍罰, 忠貞有餘, 而榦用不足, 操柯猶豫, 廢法效非, 枉直混錯, 終於負敗. 蓋難分之十也.
夫物有似而實非, 若然而不然. 料之無惑, 望形得神, 聖者其將病諸, 況乎常人? 故用才取士, 推昵結友, 不可以不精擇, 不可以不詳試也. 若乃性行之惑變, 始正而終邪, 若王莽初則美於伊霍, 晚則劇於趙高, 又非中才所能逆盡也.
若令士之易別, 如鷦鷯之與鴻鵠, 狐兔之與龍麟者, 則四凶不得官於堯朝, 管蔡不得幾危宗周, 仲尼無澹台之失, 延陵無捐金之恨, 伊尹無七十之勞, 項羽無嫌範之悔矣. 所患於其如石武石夫之亂瑾瑜, 鷦螟之似鳳皇, 凝冰之類水精, 煙熏之疑雲氣, 故令不謬者鮮也. 惟帝難之, 矧乎近人哉!
夫惟大明, 玄鑒幽微, 靈銓揣物, 思灼沈昧, 瞻山識璞, 臨川知珠. 士於難分之中, 而無取捨之恨者, 使臧否區分, 抑揚鹹允. 武丁姬文不獨治, 而傅說呂尚不永棄, 高莽宰嚭不得成其惡, 弘恭石顯無所容其偽矣. 其蓋取士之較略, 選擇之大都耳. 精微以求, 存乎其人, 固非毫翰之所備縷也.

弭訟卷第二十三

姑子劉君士由之論曰:人綱始於夫婦, 判合擬乎二儀. 是故大婚之禮, 古人所重, 將合二姓之好, 以承祖宗之基. 主人拜迎於門, 聽命於廟, 玄纁贄幣, 親禦授綏, 婿有三年之喪, 致命女氏, 女氏許諾而不敢改. 大喪既沒, 請命於婿, 婿有辭焉, 然後乃嫁. 所以崇敬讓也. 豈有先訟後婿之謂乎?
而末世輕慢, 傷化敗俗, 舉不修義, 許而弗與, 訟鬩穢辱, 煩塞官曹. 今可使諸爭婚者, 未及同牢, 皆聽義絕, 而倍還酒禮, 歸其幣帛. 其嘗已再離者, 一倍裨娉. 其三絕者, 再倍裨娉. 如此, 離者不生訟心, 貪吝者無利重受, 乃王治要術, 不易之永法也.
抱朴子答曰:劉君憫德讓之淩替, 疾民爭之損化, 雖速我訟, 室家不足, 用和之貴, 將遂淪胥. 創讜言以拾世遺, 建嘉謀以拯流遁, 紛嘩之俗, 將以此而易, 無恥之風, 將由此而移. 彌綸情偽, 固難間矣. 誠經國之永法, 至益之篤論也.
洪以不敏, 不識至理, 造次承問, 竊有疑焉. 夫婚媾之結, 義無逼迫, 彼則簡擇而求, 此則可意乃許, 輕諾後悔, 罪在女氏, 食言棄信, 與奪任情, 嚴防峻制, 未之能弭. 今猥恣之, 唯責裨娉倍貧者所憚也, 豐於財者, 則適其願矣. 後所許者, 或能富殖, 助其裨娉, 必所甘心. 然則先家拱默, 不得有言, 原情論之, 能無怨歎乎?
夫不伏之人, 視死猶歸, 血刃之禍, 於是將起. 今苟惜其辭訟之小丑, 而構其難忍之大恨, 所謂愛其僦覽之煩, 忘其凋殞之酷也. 夫買物於市者, 或加價而奪之, 則鮮忍而不忿然矣, 況乎見奪待告之妻哉! 此法遂用者, 將使結婚者, 雖納敬親迎, 猶抱有見奪之慮. 何者? 劉君之論, 以同牢為斷, 固也.
爾則女氏雖受幣積年, 恒挾在意之威, 恃可數奪, 必惰於擇婿, 婿小不得意, 便得改悔, 結讎帶禍, 莫此之甚矣. 曩人畫法, 慮關終始, 杜漸防萌, 思之良精, 而不關恣奪之路, 斷以報板之制者, 殆有決乎?
儻令女有國色, 傾城絕倫, 而值豪右權臣之徒, 目玩冶容, 心忘禮度, 資累千金, 情無所吝. 十倍還娉, 猶所不憚, 況但一乎? 華氏不難於殺孔父而取其妻, 楚人為子迎婦, 以其美而自納之. 以此論之, 豈惜傾竭居產以助女氏還前家之直哉! 小人輕薄, 睚眥成怨, 又喜委衰逐盛, 蹋冷趨熱, 此法之行, 則必多奪貧賤而與富貴者矣. 不審吾君, 何方以防弊乎!
或曰:可使女氏受娉無豐約, 皆以即日報板, 後皆使時人署姓名於別板, 必十人已上, 必備遠行及死亡. 又令女之父兄若伯叔, 答婿家書, 必手書一紙, 若有變悔而證據明者, 女氏父母兄弟, 皆加刑罪. 如此, 庶於無訟者乎!

抱朴子 外篇24~30

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

酒誡卷第二十四

抱朴子曰:目之所好, 不可從也;耳之所樂, 不可順也;鼻之所喜, 不可任也;口之所嗜, 不可隨也;心之所欲, 不可恣也. 故惑目者, 必逸容鮮藻也;惑耳者, 必妍音淫聲也;惑鼻者, 必草臣蕙芬也;惑口者, 必珍羞嘉旨也;惑心者, 必勢利功名也. 五者畢惑, 則或承之禍為身患者, 不亦信哉!
是以智者嚴櫽括於性理, 不肆神以逐物, 檢之以恬愉, 增之以長算. 其抑情也, 劇乎堤防之備決;其禦性也, 過乎腐轡之乘奔. 故能內保永年, 外免釁累也. 蓋饑寒難堪者也, 而清節者不納不義之穀帛焉;困賤難居者也, 而高尚者不處危亂之榮貴焉. 蓋計得則能忍之心全矣, 道勝則害性之事棄矣.
夫酒醴之近味, 生病之毒物, 無毫分之細益, 有丘山之巨損, 君子以之敗德, 小人以之速罪, 耽之惑之, 鮮不及禍. 世之士人, 亦知其然, 既莫能絕, 又不肯節, 縱心口之近欲, 輕召災之根源, 似熱渴之恣冷, 雖適己而身危也. 小大亂喪, 亦罔非酒.
然而俗人是酣是湎, 其初筵也, 抑抑濟濟, 言希容整, 詠《湛露》之厭厭, 歌在鎬之愷樂, 舉萬壽之觴, 育溫克之義. 日未移晷, 體輕耳熱. 夫琉璃海螺之器並用, 滿酌罰餘之令遂急. 醉而不止, 拔轄投井.
於是口湧鼻溢, 濡首及亂. 屢舞躚躚, 舍其坐遷;載號載呶, 如沸如羹. 或爭辭尚勝, 或啞啞獨笑, 或無對而談, 或嘔吐幾筵, 或值厥足良倡, 或冠脫帶解.
貞良者流華督之顧眄, 怯懦者效慶忌之蕃捷, 遲重者蓬轉而波擾, 整肅者鹿踴而魚躍. 口訥於寒暑者, 皆搖掌而譜聲, 謙卑而不競者, 悉裨瞻以高交. 廉恥之儀毀, 而荒錯之疾發;闒茸之性露, 而傲佷之態出.
精濁神亂, 臧否顛倒. 或奔車走馬, 赴阬穀而不憚, 以九折之阪為蟲豈封;或登危蹋頹, 雖墮墜而不覺, 以呂梁之淵為牛跡也. 或肆仇於器物, 或酗醟於妻子;加枉酷於臣仆, 用剡鋒乎六畜;熾火烈於室廬, 掊寶玩於淵流;遷威怒於路人, 加暴害於士友. 褻嚴主以夷戮者, 有矣;犯凶人而受困者, 有矣.
言雖尚辭, 煩而叛理;拜伏徒多, 勞悲非敬. 臣子失禮於君親之前, 幼賤悖慢於耆宿之坐. 謂清談為詆詈, 以忠告為侵己. 於是白刃抽而忘思難之慮, 棒杖奮而罔顧乎前後. 構漉血之讎, 招大辟之禍.
以少淩長, 則鄉党加重責矣;辱人父兄, 則子弟將推刃矣;發人所諱, 則壯士不能堪矣;計數深克, 則醒者不能恕矣. 起眾患於須臾, 結百疒阿於膏肓. 奔駟不能追既往之悔, 思改而無自反之蹊. 蓋智者所深防, 而愚人所不免也. 其為禍敗, 不可勝載.
然而歡集, 莫之或釋, 舉白盈耳, 不論於能否. 計瀝雨留於小餘, 以稽遲為輕己. 傾匡注於所敬, 殷勤變而成薄. 勸之不持, 督之不盡, 怨色醜音所由而發也.
夫風經府藏, 使人惚怳, 及其劇者, 自傷自虞. 或遇斯疾, 莫不憂懼, 吞苦忍痛, 欲其速愈. 至於醉之病性, 何異於茲. 而獨居密以逃風, 不能割情以節酒. 若畏酒如畏風, 憎醉如憎病, 則荒沈之咎塞, 而流連之失止矣. 夫風之為疾, 猶展攻治, 酒之為變, 在乎呼吸. 及其悶亂, 若存若亡, 視泰山如彈丸, 見滄海如盤盂, 仰嚾天墮, 俯呼地陷, 臥待虎狼, 投井赴火, 而不謂惡也. 夫用身之如此, 亦安能惜敬恭之禮, 護喜怒之失哉!
昔儀狄既疏, 大禹以興. 糟丘酒池, 辛癸以亡. 豐侯得罪, 以戴尊銜懷. 景升荒壞, 以三雅之爵. 劉松爛腸, 以逃暑之飲. 郭珍發狂, 以無日不醉. 信陵之凶短, 襄子之亂政, 趙武之失眾, 子反之誅戮, 漢惠之伐命, 灌夫之滅族, 陳遵之遇害, 季布之疏斥, 子建之免退, 徐邈之禁言, 皆是物也. 世人好之樂之者甚多, 而戒之畏之者至少, 彼眾我寡, 良箴安施? 且願君節之而已.
曩既年荒穀貴, 人有醉者相殺, 牧伯因此輒有酒禁, 嚴令重申, 官司搜索, 收執榜徇者相辱, 制鞭而死者太半. 防之彌峻, 犯者至多. 至乃穴地而釀, 油囊懷酒. 民之好此, 可謂篤矣. 餘以匹夫之賤, 托此空言之書, 未如之何矣.
又臨民者雖設其法, 而不能自斷斯物, 緩己急人, 雖令不從, 弗躬弗親, 庶民弗信. 以此而教, 教安得行;以此而禁, 禁安得止哉? 沽賣之家, 廢業則困, 遂修飾賂遺, 依憑權右, 所屬吏不敢問. 無力者獨止, 而有勢者擅市. 張爐專利, 乃更倍售, 從其酤買, 公行靡憚, 法輕利重, 安能免乎哉?
或人難曰:夫夏桀殷紂之亡, 信陵漢惠之殘, 聲色之過, 豈唯酒乎! 以其生患於古, 而斷之於今, 所謂以褒姒喪周, 而欲人君廢六宮, 以阿房之危秦, 而使王者結草庵也. 蓋聞昊天表酒旗之宿, 坤靈挺空桑之化, 燎祡員丘, 瘞薶圻澤,祼鬯儀彝, 寘降神祇, 酒為禮也.
千鍾百觚, 堯舜之飲也. 唯酒無量, 仲尼之能也. 姬旦酒肴不撤, 故能制禮作樂. 漢高婆娑巨醉, 故能斬蛇鞠旅. 於公引滿一斛, 而斷獄益明. 管輅傾仰三斗, 而清辯綺粲. 揚雲酒不離口, 而《太玄》乃就. 子圉醉無所識, 而霸功以舉. 一瓶之醪傾, 而三軍之眾悅. 解毒之觴行, 而盜馬之屬感. 消憂成禮, 策勳飲至, 降神合人, 非此莫以也. 內速諸父, 外將嘉賓, 如淮如澠, 《春秋》所貴. 由斯言之, 安可誡乎?
抱朴子答曰:酒旗之宿, 則有之矣. 譬猶懸象著明, 莫大乎日月;水火之原, 於是在焉. 然節而宣之, 則以養生立功;用之失適, 則焚溺而死. 豈可恃懸象之在天, 而謂水火不殺人哉? 宜生之具, 莫先於食;食之過多, 實結症瘕. 況於酒醴之毒物乎!
夫使彼夏桀殷紂信陵漢惠荒流於亡國之淫聲, 沈溺於傾城之亂色, 皆由乎酒熏其性, 醉成其勢, 所以致極情之失, 忘修飾之術者也. 我論其本, 子識其末, 謂非酒禍, 禍其安出? 是獨知猛雨之沾衣, 而不知雲氣之所作;唯患飛埃之糝目, 而不覺飆風之所為也.
千鍾百斛, 不經之言, 不然之事, 明者不信矣. 夫聖人之異自才智, 至於形骸非能兼人, 有七尺三丈之長, 萬倍之大也. 一日之飲, 安能至是? 仲尼則畏性之變, 不敢及亂. 周公則終日百拜, 肴乾酒澄. 上聖戰戰, 猶且若斯, 況乎庸人, 能無悔乎?
漢高應天, 承運革命, 向雖不醉, 猶當斬蛇. 於公聰達, 明於聽斷, 小大以情, 不失枉直. 是以刑不濫加, 世無怨民. 但其健飲, 不即廢事. 若論大醉, 亦俱無知. 決疑之才, 何賴於酒? 未聞皋繇甫侯子產釋之, 醉乃折獄也.
管輅年少, 希當劇談, 故假酒勢以助膽氣. 若過其量, 亦必迷錯. 及其刺毫釐於爻卦, 索鬼神之變化, 占氣色以決盛衰, 聆鳴鳥以知方來, 候風雲而克吉凶, 觀碑柏而識禍福, 豈複須酒, 然後審之?
揚雲通人, 才高思遠, 英瞻之富, 稟之自天, 豈藉外物, 以助著述? 及其數飲, 由於偶好;亦或有疾, 以宜藥勢耳. 子圉肆志, 蓋已素定. 雖複不醉, 亦於終果. 瓶醪悅眾, 寓言之喻. 誠能賞罰允當, 威恩得所, 長算縱橫, 應機無方, 則士思果毅, 人樂奮命. 其不然也, 雖流酒淵, 何補勝負? 繆公飲盜, 造次之權, 舍法長惡, 何足多稱哉! 豈如慎之邪?

疾謬卷第二十五

抱朴子曰:世故繼有, 禮教漸頹. 敬讓莫崇, 傲慢成俗. 儔類飲會, 或蹲或踞. 暑夏之月, 露首袒體. 盛務唯在摴草捕彈棋, 所論極於聲色之間, 舉足不離綺繻紈袴之側, 游步不去勢利酒客之門. 不聞清談講道之言, 專以醜辭嘲弄為先. 以如此者為高遠, 以不爾者為騃野.
於是馳逐之庸民, 偶俗之近人, 慕之者猶宵蟲之赴明燭, 學之者猶輕毛之應飆風. 嘲戲之談, 或上及祖考, 或下逮婦女. 往者務其必深焉, 報者恐其不重焉. 倡之者不慮見答之後患, 和之者恥於言輕之不塞. 周禾之芟, 溫麥之刈, 實由報恨, 不能已也. 利口者扶強而黨勢, 辯給者借鍒以刺瞂. 以不應者為拙劣, 以先止者為負敗. 如此, 交惡之辭, 焉能默哉!
其有才思者之為之也, 猶善於依因機會, 准擬體例, 引古喻今, 言微理舉, 雅而可笑, 中而不傷, 不棖人之所諱, 不犯人之所惜. 若夫拙者之為之也, 則枉曲直湊, 使人愕愕然, 妍之與媸, 其於宜絕, 豈唯無益而已哉!
乃有使酒之客, 及於難侵之性, 不能堪之, 拂衣拔棘, 而手足相及, 醜言相加於所尊, 歡心變而成讎, 絕交壞身, 構隙致禍, 以杯螺相擲者有矣, 以陰私相訐者有矣. 昔陳靈之被矢, 灌氏之泯族, 匪降自天, 口實為之. 樞機之發, 榮辱之主, 二緘之戒, 豈欺我哉!
激雷不能追既往之失辭, 班輪不能磨斯言之既玷. 雖不能三思而吐清談, 猶可息謔調以防禍萌也. 尊其辭令, 敬其威儀, 使言無口過, 體無倨容, 可法可觀, 可畏可愛, 蓋遠辱之良術, 全交之要道也.
且夫慢人者, 不愛其親者也;輕鬥者, 不重遺體者也. 皆陷不孝, 可不詳乎! 然而迷謬者無自見之明;觸情者諱逆耳之規. 疾美而無直亮之針艾, 群惑而無指南以自反. 諂媚小人, 歡笑以贊善;面從之徒, 拊節以稱功. 益使惑者不覺其非, 自謂有端晏之捷過人之辯, 而不悟斯乃招患之旌召害之符傳非之驛傾身之車也. 豈徒減其方策之令聞, 虧其沒世之德音而已哉!
蓋雖有偕老之慎, 不能救一朝之過, 雖有陶朱之富, 不能贖片言之謬. 故毫釐之失, 有千里之差;傷人之語, 有劍戟之痛. 積微致著, 累淺成深, 鴻羽所以沈龍舟, 群輕所以折勁軸, 寸飆所以燔百尋之室, 蠹蠍所以仆連抱之木也. 古賢何獨口止局口止脊恂恂之如彼, 今人何其憒慢傲放之如此乎!
是以高世之士, 望塵而旋跡;輕薄之徒, 響赴而影集. 謀事無智者之助, 居危無切磋之益. 良史懸筆, 無可書之善;談者含音, 無足傳之美. 令聞不著, 醜聲宣流, 沒有餘敗, 貽譏將來, 始無可法, 終無可紀, 斯亦志士之恥也.
安忍為之! 過而不改, 斯誠委夷路而陷叢棘, 舍嘉旨而咽鉤吻者也, 豈所謂以小善為無益而不為, 以小惡為無損而不止, 以至惡積而不可掩, 罪大而不可解者邪! 余願世人改其無檢之行, 除其驕吝之失, 遣其誇矜尚人之疾, 絕息嘲刑不典之言, 則趙勝之門無去客, 黃祖之棓無所用矣.
抱朴子曰:或有不治清德以取敬, 而仗氣力以求畏. 其入眾也, 則亭立不坐, 爭處端上, 作色諧聲, 逐人自安, 其不得意, 恚懟不退. 其行出也, 則逼狹之地, 恥於作途, 振策長驅, 推人於險, 有不即避, 更加攄頓. 鳴呼, 非哉! 此雲古之卑而不可逾, 推蔭讓路, 勞謙下士, 無競於物, 立若不勝衣, 行若不容身者, 何其緬然之不肖哉!
夫德盛操清, 則雖深自挹降, 而人猶貴之. 若履蹈不高, 則雖行淩暴, 而人猶不敬. 假令外服人體, 內失人心, 所謂見憎惡, 非為見尊重也. 昔莊生未食, 趙王側立;騶衍入疆, 燕君擁彗;康成之裏, 逆虜望拜;林宗之庭, 莫不卑肅. 非力之所服也.
夫以抄盜致財, 雖巨富不足嘉, 凶德脅人, 雖見憚不足榮也, 然而庸民為之不惡. 故聞其言者, 猶鴟梟之來鳴也;睹其面者, 若鬼魅之見形也. 其所至詣, 則如妖怪之集也;其在道途, 則甚逢虎之群也. 愚夫行之, 自矜為豪;小人徵之, 以為橫階. 亂靡有定, 實此之由也.
然敢為此者, 非必篤頑也. 率多冠蓋之後, 勢援之門, 素頗力行善事, 以竊虛名, 名既粗立, 本情便放. 或假財色以交權豪, 或因時運以佻榮位, 或以婚姻而連貴戚, 或弄毀譽以合威柄. 器盈志溢, 態發病出, 黨成交廣, 道通步高. 清論所不能複製, 繩墨所不能複彈, 遂成鷹頭之繩, 廟垣之鼠.
所未及者, 則低眉埽地以奉望之. 居其下者, 作威作福以控禦之. 故勝己者則不得聞, 聞亦陽不知也;減己者則不敢言, 言亦不能禁也. 夫災蟲害穀, 至降霜則殄矣. 佞雄亂群, 值嚴時則敗矣. 獨善其身者, 唯可以不肯事之, 不行效之而已耳. 有斧無柯, 其如之何哉!
抱朴子曰:《詩》美睢鳩, 貴其有別. 在禮, 男女無行媒, 不相見, 不雜坐, 不通問, 不同衣物, 不得親授, 姊妹出適而反, 兄弟不共席而坐, 外言不入, 內言不出, 婦人送迎不出門, 行必擁蔽其面, 道路男由左, 女由右, 此聖人重別杜漸之明制也.
且夫婦之間, 可謂昵矣, 而猶男子非疾病不晝居於內, 將終不死婦人之手, 況於他乎! 昔魯女不幽居深處, 以致他扈犖之變;孔妻不密潛戶庭, 以起華督之禍;史激無防, 有汗種之悔;王孫不嚴, 有杜門之辱. 而今俗婦女, 休其蠶織之業, 廢其玄紞之務, 不績其麻, 市也婆娑. 舍中饋之事, 修周施之好. 更相從詣之適親戚, 承星舉火, 不已於行, 多將侍從, 瑋曄盈路, 婢使吏卒, 錯雜如市, 尋道褻謔, 可憎可惡.
或宿於他門, 或冒夜而反, 遊戲佛寺, 觀視漁畋, 登高臨水, 出境慶吊, 開車褰幃, 周章城邑. 杯觴路酌, 弦歌行奏, 轉相高尚, 習非成俗. 生致因緣, 無所不肯. 誨淫之源, 不急之甚, 刑於寡妻, 家邦乃正. 願諸君子, 少可禁絕. 婦無外事, 所以防微矣.
抱朴子曰:輕薄之人, 跡廁高深, 交成財贍, 名位粗會, 便背禮判教, 托雲率任, 才不逸倫, 強為放達, 以傲兀無檢者為大度, 以惜護節操者為澀少. 於是臘鼓垂無賴之子, 白醉耳熱之後, 結党合群, 遊不擇類, 奇士碩儒, 或隔籬而不授, 妄行所在, 雖遠而必至, 攜手連袂, 以遨以集, 入他堂室, 觀人婦女, 指玷修短, 評論美醜, 不解此等何為者哉?
或有不通主人, 便共突前, 嚴飾未辦, 不復窺聽, 犯門折關, 逾垝穿隙, 有似抄劫之至也. 其或妾媵藏避不及, 至搜索隱僻, 就而引曳, 亦怪事也. 夫君子之居室, 猶不掩家人之不備, 故入門則揚聲, 升堂則下視, 而唐突他家, 將何理乎?
然落拓之子, 無骨鯁而好隨俗者, 以通此者為親密, 距此者為不恭, 誠為當世不可以不爾. 於是要呼憒雜, 入室視妻, 促膝之狹坐, 交杯觴於咫尺, 弦歌淫冶之音曲, 以言兆文君之動心, 載號載呶, 謔戲醜褻, 窮鄙極黷, 爾乃笑亂男女之大節, 蹈《相鼠》之無儀.
夫桀傾紂覆, 周滅陳亡, 鹹由無禮, 況匹庶乎! 蓋信不由中, 則屢盟無益, 意得神至, 則形器可忘. 君子之交也, 以道義合, 以志契親, 故淡而成焉. 小人之接也, 以勢利結, 以狎慢密, 故甘而敗焉. 何必房集內宴, 爾乃款誠, 著妻妾飲會, 然後分好昵哉!
古人鑒淫敗之曲防, 杜傾邪之端漸, 可謂至矣. 修之者為君子, 背之者為罪人. 然禁疏則上宮有穿窬之男, 網漏則桑中有奔隨之女. 縱而肆之, 其猶烈猛火於雲夢, 開積水乎萬仞, 其可撲以帚彗, 過以撮壤哉! 然而俗習行慣, 皆曰:此乃京城上國, 公子王孫貴人所共為也.
餘每折之曰:夫中州, 禮之所自出也. 禮豈然乎! 蓋衰亂之所興, 非治世之舊風也. 夫老聃, 清虛之至者也, 猶不敢見乎所欲, 以防心亂, 若使柳下惠潔(疑脫一字)高行, 屢接褻宴, 將不能不使情生於中, 而色形於表, 況乎情淡者萬未一, 而抑情者難多得. 如斯之事, 何足長乎?
窮士雖知此風俗不足引進, 而名勢並乏, 何以整之! 每以為慨, 故常獲憎於斯黨, 而見謂為野樸之人, 不能隨時之宜, 餘期於信己而已, 亦安以我之不可, 從人之可乎! 可歎非一, 率如此也. 已矣夫, 吾未如之何也! 彼之染入邪俗, 淪胥以敗者, 曷肯納逆耳之讜言, 而反其東走之遠跡哉!
抱朴子曰:俗間有戲婦之法, 於稠眾之中, 親屬之前, 問以醜言, 責以慢對, 其為鄙黷, 不可忍論. 或蹙以楚撻, 或系腳倒懸. 酒客酗醟, 不知限齊, 至使有傷於流血, 口止委折支體者, 可歎者也. 古人感離別而不滅燭, 悲代親而不舉樂禮, 論禮, 娶者羞而不賀. 今既不能動蹈舊典, 至於德為鄉閭之所敬, 言為人士之所信, 誠宜正色矯而呵之, 何謂同其波流, 長此弊俗哉! 然民間行之日久, 莫覺其非, 或清談所不能禁, 非峻刑不能止也. 遂詘周而疵孔, 謂傲放為邈世矣.
或因變故, 佻竊榮貴, 或賴高援, 翻飛拔萃, 於是便驕矜誇驁, 氣淩雲物, 步高視遠, 眇然自足, 顧瞻否滯失群之士, 雖實英異, 忽焉若草. 或傾枕而延賓, 或稱疾以距客, 欲令人士立門以成林, 軍騎填噎於閭巷, 呼謂尊貴, 不可不爾.
夫以勢位言之, 則周公勤於吐握;以聞望校之, 則仲尼恂恂善誘. 咸以勞謙為務, 不以驕慢為高. 漢之末世, 則異於茲. 蓬發亂鬢, 橫挾不帶. 或褻衣以接, 或裸袒而箕踞. 朋友之集, 類味之游, 莫切切進德, 門言門言修業, 攻過弼違, 講道精義.
不爾, 不成親至, 而棄之不與為黨, 及好會, 則狐蹲牛飲, 爭食競割. 掣撥淼摺, 無複廉恥, 以同此者為泰, 以不爾者為劣. 終日無及義之言, 徹夜無箴規之益. 誣引老莊, 貴於率任, 大行不顧細禮, 至人不拘檢括, 嘯傲縱逸, 謂之體道. 嗚呼, 惜乎, 豈不哀哉!
於是嘲族以敘歡交, 極黷以結情款. 以傾倚申腳者為妖妍標秀, 以風格端嚴者為田舍朴馬矣;以蚩鎮抗指者為巢力令鮮倚, 以出言有章者為摺答猝突. 凡彼輕薄之徒, 雖便辟偶俗, 廣結伴流, 更相推揚, 取達速易, 然率皆皮膚狡澤, 而懷空抱虛. 有似蜀人瓠壺之喻, 胸中無一紙之誦, 所識不過酒炙之事. 所謂傲很明德, 即聾從昧, 冒於貨財, 貪於飲食, 左生所載, 不才之子也.
若問以《墳》《索》之微言, 鬼神之情狀, 萬物之變化, 殊方之奇怪, 朝廷宗廟之大禮, 郊祀禘祫之儀品, 三正四始之原本, 陰陽律曆之道度, 軍國社稷之殿式, 古今因革之異同, 則怳悸自失, 喑鳴俯仰, 濛濛焉, 莫莫焉. 雖心覺面牆之困, 而外護其短乏之病, 不肯謐己, 強張大談, 曰:雜碎故事, 蓋是窮巷諸生章句之士, 吟詠而向枯簡, 匍匐以守黃卷者所宜識, 不足以問吾徒也.
誠知不學之弊, 碩儒之貴, 所祖習之非, 所輕易之謬, 然終於迷而不返者, 由乎放誕者無損於進趨故也. 若高人以格言彈而呵之, 有不畏大人而長惡不悛者, 下其名品, 則宜必懼然冰泮而革面, 旋而東走之跡矣.

譏惑卷第二十六

抱朴子曰:澄濁剖判, 庶物化生, 習族或能應對焉, 毛宗或有知言焉. 於玃識往, 歸終知來, 玄禽解陰陽, 蟲也蟲豈遠泉流, 蓍龜無以過焉, 甘石不能勝焉. 夫唯無禮, 不廁貴性, 厥初邃古, 民無階級, 上帝悼混然之甚陋, 憫巢穴之可鄙, 故構棟宇以去鳥獸之群, 制禮數以異等威之品. 教以盤旋, 訓以揖讓, 立則磬折, 拱則抱鼓, 趨步升降之節, 瞻視接對之容, 至於三千. 蓋檢溢之堤防, 人理之所急也. 故儼若冠於曲禮, 望貌首於五事, 出門有見賓之肅, 閒居有敬獨之戒, 顏生整儀於宵浴, 仲由臨命而結纓, 恭容暫廢, 惰慢已及, 安上治民, 非此莫以.
蓋人之有禮, 猶魚之有水矣. 魚之失水, 雖暫假息, 然枯糜可必待也. 人之棄禮, 雖猶面見然, 而禍敗之階也. 魯秉周禮, 暴兵不加, 魏式幹木, 銳冠旋旆. 大楚帶甲百萬, 而有振槁之月色;強秦肴函襲嶮, 而無折柳之固. 豈非棄三本而喪根柢之攸召哉! 矧乎安逸觸情, 喪亂日久, 風禿頁教沮, 抑斷之儀廢, 簡脫之俗成, 近人值政化之蚩役, 庸民遭道網之絕紊, 猶網魚之去水罟, 圍獸之出陸羅也.
喪亂以來, 事物屢變, 冠履衣服, 袖袂財制, 日月改易, 無複一定. 乍長乍短, 一廣一狹, 忽高忽卑, 或粗或細, 所飾無常, 以同為快. 其好事者, 朝夕放效, 所謂京輦貴大眉, 遠方皆半額也.
餘實凡夫, 拙於隨俗, 其服物變不勝, 故不變, 無所損者, 余未曾易也. 雖見指笑, 餘亦不理也. 豈苟欲違眾哉, 誠以為不急耳. 上國眾事, 所以勝江表者多, 然亦有可否者, 君子行禮, 不求變俗, 謂違本邦之他國, 不改其桑梓之法也. 況其在於父母之鄉, 亦何為當事棄舊而強更學乎! 吳之善書, 則有皇象劉纂岑伯然朱季平, 皆一代之絕手, 如中州有鍾元常胡孔明張芝索靖, 各一邦之妙, 並用古體, 俱足周事.
余謂廢已習之法, 更勤苦以學中國之書, 尚可不須也, 況於乃有轉易其聲音, 以效北語, 既不能便良, 似可恥可笑, 所謂不得邯鄲之步, 而有匍匐之嗤者. 此猶其小者耳, 乃有遭喪者, 而學中國哭者, 令忽然無複念之情. 昔鍾儀莊舃, 不忘本聲, 古人韙之.
孔子云:喪親者, 若嬰兒之失母. 其號豈常聲之有! 甯令哀有餘而禮不足, 哭以泄哀, 妍拙何在? 而乃治飾其音, 非痛切之謂也. 又聞貴人在大哀, 或有疾病, 服石散以數食宣藥勢, 以飲酒為性命, 疾患危篤, 不堪風冷, 幃帳茵褥, 任其所安, 於是凡瑣小人之有財力者, 了不復居於喪位, 常在別房, 高床重褥, 美食大飲, 或與密客, 引滿投空, 至於沈醉. 曰:此京洛之法也. 不亦惜哉!
餘之鄉里, 先德君子, 其居重難, 或並在衰老, 於禮唯應衰麻在身, 不成喪致毀者, 皆過哀啜粥, 口不經甘. 時人雖不肖者, 莫不企及自勉, 而今人乃自取如此, 何其相去之遼緬乎! 又凡人不解, 呼謂中國之人居喪者多皆奢溢, 殊不然也. 吾聞晉之宣景文武四帝, 居親喪皆毀瘠逾制, 又不用王氏二十五月之禮, 皆行七月服, 於時天下之在重哀者, 鹹以四帝為法, 世人何獨不聞此, 而虛誣高人, 不亦惑乎!

刺驕卷第二十七

抱朴子曰:生乎世貴之門, 居乎熱烈之勢, 率多不與驕期而驕自來矣. 非夫超群之器, 不辯於免盈溢之過也. 蓋勞謙虛己, 則附之者眾;驕慢倨傲, 則去之者多;附之者眾, 則安之徽也;去之者多, 則危之診也.
存亡之機, 於是乎在. 輕而為之, 不亦蔽哉! 亦有出自卑碎, 由微而著, 徒以翕肩斂跡, 偓伊側立, 低眉屈膝, 奉附權豪, 因緣運會, 超越不次, 毛成翼長, 蟬蛻泉壤, 便自軒昂, 目不步足, 器滿意得, 視人猶芥. 或曲晏密集, 管弦嘈雜, 後賓填門, 不復接引. 或於同造之中, 偏有所見, 複未必全得也. 直以求之, 差勤以數接其情, 苞苴繼到, 壺榼不曠者耳.
孟軻所謂愛而不敬, 豕畜之也. 而多有行諸, 雲是自尊重之道. 自尊重之道, 乃在乎以貴下賤, 卑以自牧, 非此之謂也. 乃衰薄之弊俗, 膏肓之廢疾, 安共為之, 可悲者也. 若夫偉人巨器, 量逸韻遠, 高蹈獨往, 蕭然自得, 身寄波流之間, 神躋九玄之表, 道足於內, 遺物於外, 冠摧履決, 藍縷帶索, 何肯與俗人競幹佐之便僻, 修佞幸之媚容, 效上林喋喋之嗇夫, 為春蜩夏繩之聒耳!
求之以貌, 責之以妍, 俗人徒睹其外形之粗簡, 不能察其精神之淵邈, 務在皮膚, 不料心志, 雖懷英抱異, 絕倫邁世, 事動可以悟舉世之術, 言發足以解古今之惑, 含章括囊, 非法不談, 而茅蓬不能動萬鈞之鏗鏘, 侏儒不能看重仞之弘麗, 因而蚩之, 謂為凡憒. 夫非漢濱之人, 不能料明珠於泥淪之蟲奉;非泣血之民, 不能識夜光於重崖之裏. 蟲焦螟之屯蚊眉之中, 而笑彌天之大鵬;寸鮒游牛跡之水, 不貴橫海之巨鱗. 故道業不足以相涉, 聰明不足以相逮. 理自不合, 無所多怪. 所以疾之而不能默者, 願夫在位君子, 無以貌取人, 勉勖謙損, 以永天秩耳.
抱朴子曰:世人聞戴叔鸞阮嗣宗傲俗自放, 見謂大度, 而不量其材力非傲生之匹, 而慕學之. 或亂項科頭, 或裸袒蹲夷, 或濯腳於稠眾, 或溲便於人前, 或停客而獨食, 或行酒而止所親, 此蓋左衽之所為, 非諸夏之快事也. 夫以戴阮之才學, 猶以躭踔自病, 得失財不相補, 向使二生敬蹈檢括, 恂恂以接物, 競競以御用, 其至到何適但爾哉! 況不及之遠者, 而遵修其業, 其速禍危身, 將不移陰, 何徒不以清德見待而已乎!
昔者西施痛而臥於道側, 姿顏妖麗, 蘭麝芬馥, 見者咸美其容而念其疾, 莫不躊躇焉. 於是鄰女慕之, 因偽疾伏於路間, 形狀既醜, 加之酷臭, 行人皆憎其貌而惡其氣, 莫不睨面掩鼻, 疾趨而過焉. 今世人無戴阮之自然, 而效其倨慢, 亦是醜女暗於自量之類也. 帝者猶執子弟之禮於三老五更者, 率人以敬也. 人而無禮, 其刺深矣. 夫慢人必不敬其親也,
蓋欲人之敬之, 必見自敬焉. 不修善事, 則為惡人, 無事於大, 則為小人. 紂為無道, 見稱獨夫;仲尼陪臣, 謂為素王. 則君子不在乎富貴矣. 今為犯禮之行, 而不喜聞遄死之譏, 是負豕而憎說其臭, 投泥而諱人言其汙也.
昔辛有見被發而祭者, 知戎之將熾. 餘觀懷憫之世, 俗尚驕褻, 夷虜自遇, 其後羌胡猾夏, 侵掠上京, 及悟斯事, 乃先著之妖怪也. 今天下向平, 中興有徵, 何可不共改既往之失, 修濟濟之美乎! 夫入虎狼之群, 後知賁育之壯勇;處禮廢之俗, 乃知雅人之不渝. 道化淩遲, 流遁遂往, 賢士儒者, 所宜共惜, 法當扣心同慨, 矯而正之. 若力之不能, 未如之何, 且當竹柏其行, 使歲寒而無改也. 何有便當崩騰競逐其醟茸之徒, 以取容於若曹邪! 去道彌遠, 可謂為痛歎者也.
其或峨然守正, 確爾不移, 不蓬轉以隨眾, 不改雅以入鄭者, 人莫能憎而知其善, 而斯以不同於己者, 便共仇讎而不數之. 嗟乎, 衰弊乃可爾邪, 君子能使以亢亮方楞, 無黨於俗, 揚清波以激濁流, 執勁矢以厲群枉, 不過當不見容與, 不得富貴耳. 天爵苟存於吾體者, 以此獨立不達, 亦何苦何恨乎? 而便當伐本瓦合, 食甫糟握泥, 剸足適履, 毀方入圓, 不亦劇乎!
夫節士不能使人敬之而志不可奪也, 不能使人不憎之而道不可屈也, 不能令人不辱之而榮猶在我也, 不能令人不擯之而操不可改也. 故分定計決, 勸沮不能幹, 樂天知命, 憂懼不能入, 困瘁而益堅, 窮否而不悔, 誠能用心如此者, 亦安肯草靡薄浮, 以索鑿枘, 效乎禮之所棄者之所為哉!
抱朴子曰:聞之漢末諸無行, 自相品藻次第, 群驕慢傲, 不入道檢者, 為都魁雄伯, 四通八達, 皆背叛禮教而從肆邪僻, 訕毀真正, 中傷非黨, 口習醜言, 身行弊事, 凡所雲為, 使人不忍論也. 夫古人所謂通達者, 謂通於道德, 達於仁義耳. 豈謂通乎褻黷而達於淫邪哉!
有似盜蹠, 自謂有聖人之道五者也. 此俗之傷破人倫, 劇於寇賊之來, 不能經久, 豈所損壞一服而已! 若夫貴門子孫, 及在位之士, 不惜典刑, 而皆科頭袒體, 踞見賓客, 既辱天官, 又移染庸民, 後生晚出, 見彼或已經清資, 或佻竊虛名, 而躬自為之, 則凡夫便謂立身當世, 莫此之為美也. 夫守禮防者苦且難, 而其人多窮賤焉;恣驕放者樂且易, 而為者皆速達焉. 於是俗人莫不委此而就彼矣.
世間或有少無清白之操業, 長以買官而富貴, 或亦其所知足以自飾也, 其黨與足以相引也, 而無行之子, 便指以為證, 曰:彼縱情恣欲而不妨其赫奕矣, 此敕身履道而不免於貧賤矣. 而不知榮顯者有幸, 而頓淪者不遇, 皆不由其行也. 然所謂四通八達者, 愛助附己為之, 履不及納, 帶不暇結, 攜手升堂, 連袂入室, 出則接膝, 請會則直致, 所惠則得多, 屬托則常聽, 所欲則必副, 言論則見饒, 有患則見救, 所論薦則蹇驢蒙龍駿之價, 所中傷則孝己受商臣之談. 故小人之赴也, 若決積水於萬仞之高堤, 而放烈火乎雲夢之枯草焉. 欲望蕭雍濟濟, 後生有式, 是猶炙冰使燥, 積灰令熾矣.

百里卷第二十八

抱朴子曰:三台九列, 坐而論道;州牧郡守, 操綱舉領. 其官益大, 其事愈優, 煩劇所鍾, 其唯百里. 眾役於是乎出, 誅求之所叢赴, 牧守雖賢而令長不堪, 則國事不舉, 萬機有闕, 其損敗豈徒止乎一境而已哉!
令長尤宜得才, 乃急於台省之官也. 用之不得其人, 其故無他也, 在乎至公之情不行, 而任私之意不違也. 或父兄貴重, 而子弟以聞望見選;或高人屬托, 而凡品以無能見敘;或是所宿念, 或親戚匪他, 知其不可而能用此等. 亦時有快者, 不為盡無所中也. 要於不精者率多矣. 其能自效立, 勉修清約, 夙夜在公, 以求眾譽, 懼風績之不美, 恥知己之謬舉, 鮮矣! 庸猥之徒, 器小志近, 冒於貨賄, 唯富是圖, 肆情恣欲, 無止無足. 在所司官, 知其有足, 賴主人舉劾彈糾, 終於當解, 慮其結怨, 反見中傷, 不敢犯觸, 而恣其貪殘矣. 如此, 黎庶亦安得不困毒而離判! 離判者眾, 則不得屯聚而為群盜矣.
夫百尋之室, 焚於分寸之飆;千丈之陂, 潰於一蟻之穴. 何可不深防乎! 何可不改張乎! 而秉斤兩者, 或舍銓衡而任情;掌柯斧者, 或曲繩墨於附己. 選之者既不為官擇人, 而求之者又不自謂不任, 於是蒞政而政荒, 牧民而民散, 或有穢濁驕奢而困百姓者矣, 或有苛虐酷烈而多怨判者矣, 或有暗塞退憒而庶事亂者矣, 或有潦倒疏緩而致馳壞者矣, 或有好興不急而疲人力者矣, 或有藏養逋逃而行淩暴者矣, 或有不曉法令而受欺弄者矣, 或有以音聲酒色而致荒湎者矣, 或有圍棋樗蒲而廢政務者矣, 或有田獵遊飲而忘庶事者矣, 或有不省辭訟而刑獄亂者矣. 百姓不堪, 起為寇賊, 釁咎發聞, 寘於叢棘, 虧君上之明, 益刑書之煩, 而民之荼毒, 亦已深矣!
夫用非其人, 譬猶被木馬以繁纓, 何由騁跡於追風? 以壤龍當雲雨, 安能耀景於天衢哉? 若秉國之鈞, 出納王命者, 審良藥之顧眄, 不令跛蹇廁騏騄, 冒昧苟得, 暗於自量者, 慮中道之顛躓, 不以駑薾服鸞衡, 則何患庶績之不康, 何憂四凶之不退, 三皇豈足四, 五帝難六哉!

接疏卷第二十九

抱朴子曰:以英逸而遭大明, 則桑蔭未移, 而金蘭之協已固矣;以長才而遇深識, 則不待曆試, 而相知之情已審矣. 飄乎猶起鴻之乘勁風, 翩乎若勝鱗之躡驚雲也. 若以沈抑而可忽乎, 則薑公不用於周矣;若以疏賤而可距乎, 則毛生不貴乎趙矣;若積素行乃托政, 則甯戚不顯於齊矣;若貴宿名而委任, 則陳韓不錄於漢矣. 明者舉大略細, 不忮不求, 故能取威定功, 成天平地, 豈肯稱薪而爨, 數粒乃炊, 並瑕棄譬, 披毛索厭黑哉!

鈞世卷第三十

或曰:古之著書者, 才大思深, 故其文隱而難曉;今人意淺力近, 故露而易見. 以此易見, 比彼難曉, 猶溝澮之方江河, 蟲豈垤之並嵩岱矣. 故水不發山昆山, 則不能揚洪流以東漸;書不出英俊, 則不能備致遠之弘韻焉.
抱朴子答曰:夫論管穴者, 不可問以九陔之無外;習拘閡者, 不可督以拔萃之獨見. 蓋往古之士, 匪鬼匪神, 其形器雖冶鑠於疇曩, 然其精神, 布在乎方策. 情見乎辭, 指歸可得. 且古書之多隱, 未必昔人故欲難曉, 或世異語變, 或方言不同, 經荒曆亂, 埋藏積久, 簡編朽絕, 亡失者多, 或雜續殘缺, 或脫去章句, 是以難知, 似若至深耳. 且夫《尚書》者, 政事之集也, 然未若近代之優文詔策軍書奏議之清富贍麗也;《毛詩》者, 華彩之辭也, 然不及《上林》《羽獵》《二京》《三都》之汪濊博富也. 然則古之子書, 能勝今之作者, 何也? 然守株之徒, 嘍嘍所玩, 有耳無目, 何肯謂爾. 其於古人所作為神, 今世所著為淺, 貴遠賤近, 有自來矣.
故新劍以詐刻加價, 弊方以偽題見寶也. 是以古書雖質樸, 而俗儒謂之墮於天也;今文雖金玉, 而常人同之於瓦礫也. 古書者雖多, 未必盡美, 要當以為學者之山淵, 使屬筆者, 得辨伐漁獵其中. 然而譬如東甌之木, 長洲之林, 梓豫雖多, 而未可謂之為大廈之壯觀, 華屋之弘麗也;雲夢之澤, 孟諸之藪, 魚肉之(有脫文)雖饒, 而未可謂之為煎火*敖之盛膳, 渝狄之嘉味也. 今詩與古詩, 俱有義理, 而盈於差美.
方之於士, 並有德行, 而一人偏長藝文, 不可謂一例也;比之於女, 俱體國色, 而一人獨閑百伎, 不可混為無異也. 若夫俱論宮室, 而奚斯路寢之頌, 何如王生之賦靈光乎? 同說遊獵, 而叔畋盧鈴之詩, 何如相如之言上林乎? 並美祭祀, 而清廟雲漢之辭, 何台郭氏南郊之豔乎? 等稱征伐, 而出車六月之作, 何如陳琳武軍之壯乎? 則舉條可以覺焉. 近者夏侯湛潘安仁並作補亡詩, 白華由庚南陔華黍之屬, 諸碩儒高才之賞文者, 鹹以古詩三百, 未有足以偶二賢之所作也.
且夫古者事事醇素, 今則莫不雕飾, 時移世改, 理自然也. 至於罽錦麗而且堅, 未可謂之減於蓑衣;輜車並妍而又牢, 未可謂之不及椎車也. 書猶言也, 若入談語, 故為知有(音? ), 胡越之接, 終不相解, 以此教戒, 人豈知之哉! 若言以易曉為辨, 則書何故以難知為好哉? 若舟車之代步涉, 文墨之改結繩, 諸後作而善於前事, 其功業相次千萬者, 不可複縷舉也. 世人皆知之, 快於曩矣, 何以獨文章不及古邪?

抱朴子 外篇31~37

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

省煩卷第三十一

抱朴子曰:安上治民, 莫善於禮, 彌綸人理, 誠為曲備. 然冠婚飲射, 何煩碎之甚邪! 人倫雖以有禮為貴, 但當令足以敘等威而表情敬, 何在乎升降揖讓之繁重, 拜起俯伏之無已邪! 往者天下乂安, 四方無事, 好古官長, 時或修之, 至乃講試累月, 督以楚撻, 晝夜修習, 廢寢與食. 經時學之, 一日試之, 執卷從事, 案文舉動, 黜謫之罰, 又在其間, 猶有過誤, 不得其意. 而欲以為以此為生民之常事, 至難行也. 此墨子所謂累世不能盡其學, 當年不能究其事者也.
古人詢於草芻蕘, 博辨童謠, 狂夫之言, 猶在擇焉. 至於墨子之論, 不能非也. 但其張刑網, 開途徑, 浹人事, 備王道, 不能曲述耳. 至於譏葬厚, 刺禮煩, 未可棄也.
自建安之後, 魏之武文, 送終之制, 務在儉薄, 此則墨子之道, 有可行矣. 余以為喪亂既平, 朝野無為, 王者所制, 自君作古. 可命精學洽聞之士, 才任損益, 免於拘愚者, 使刪定三禮, 割棄不要, 次其源流, 總合其事, 類集以相從. 其煩重遊說, 辭異而義同者存之, 不可常行除之. 無所傷損, 卒可斷約而舉之, 勿令沈隱, 複有凝滯. 其吉凶器用之物, 俎豆觚觶之屬, 衣冠車服之制, 旗章辨色之美, 宮室尊卑之品, 朝饗賓主之儀, 祭奠殯葬之變, 郊祀禘祫之法, 社稷山川之禮, 皆可減省, 務令約儉. 夫約則易從, 儉則用少;易從則不煩, 用少則費薄;不煩則涖事者無過矣, 費薄則調求者無苛矣. 拜休揖讓之節, 升降盤旋之容, 使足敍事, 無令小碎. 條牒各別, 令易案用.
今五禮混撓, 雜飾紛錯, 枝分葉散, 重出互見, 更相貫涉. 舊儒尋案, 猶多所滯, 駁難漸廣異同無已, 殊理兼說, 歲增月長, 自非至精, 莫不惑悶. 躊躇岐路之衢, 悉勞群疑之藪, 煎神瀝思, 考校判例, 嘗有窮年, 竟不豁了. 治之勤苦, 決嫌無地, 呻吟尋析, 憔悴決角, 修之華首不立, 妨費日月, 廢棄他業, 悉困後生, 真未央矣. 長致章句, 多於本書. 今若契合雜俗, 次比種稷, 刪削不急, 抗其綱, 校其令, 炳若日月之著明, 灼若五色之有定, 息學者萬倍之役, 弭諸儒爭訟之煩, 將來達者觀之, 當美於今之視周矣. 此亦改燒石去血食之比, 無所憚難, 而恨恨於惜懷, 推車遲於去巢居也.
然守常之徒, 而卒聞此義, 必將愕然創見, 謂之狂生矣. 夫三王不相沿樂, 五帝不相襲禮, 而其移風易俗, 安上治民一也. 或革或因, 損益懷善, 何必當乘船以登山, 策馬以涉川, 被甲以升廟堂, 重裘以當隆暑乎! 若謂古事終不可變, 則棺槨不當代薪埋, 衣裳不宜改裸袒矣.

尚博卷第三十二

抱朴子曰:正經為道義之淵海, 子書為增深之川流. 仰而比之, 則景星之佐三辰也;俯而方之, 則林薄之裨嵩嶽也. 雖津途殊辟, 而進德同歸;雖離於舉趾, 而合於興化. 故通人總原本以括流末, 操綱領而得一致焉. 古人歎息於才難, 故謂百世為隨踵, 不以璞非昆山而棄耀夜之寶, 不以書不出聖而廢助教之言. 是以閭陌之拙詩, 軍旅之鞫誓, 或詞鄙喻陋, 簡不盈十, 猶見撰錄, 亞次典誥, 百家之言, 與善一揆. 譬操水者, 器雖異而救火同焉;猶針炙者, 術雖殊而攻疾均焉.
漢魏以來, 群言彌繁, 雖義深於玄淵, 辭贍於波濤, 施之可以臻徵祥於天上, 發嘉瑞於後土, 召環雉於大荒之外, 安圜堵於函夏之內, 近弭禍亂之階, 遠垂長世之祉. 然時無聖人, 目其口藻, 故不得騁驊騄之跡於千里之途, 編近世之道於三墳之末也. 拘系之徒, 桎梏淺隘之中, 挈瓶訓詁之間, 輕奇賤異, 謂為不急. 或雲小道不足觀, 或雲廣博亂人思, 而不識合錙銖可齊重於山陵, 聚百十可以致數於億兆, 群色會而袞藻麗, 眾音雜而韶濩和也. 或貴愛詩乘淺近之細文, 忽薄深美富博之子書, 以磋切之至言為騃拙, 以虛華之小辯為妍巧, 真偽顛倒, 玉石混淆, 同廣樂於桑間, 鈞龍章於卉服. 悠悠皆然, 可歎可慨也!
或曰:著述雖繁, 適可以騁辭耀藻, 無補救於得失, 未若德行不言之訓. 故顏閔為上而游夏乃次. 四科之格, 學本而行末, 然則綴文固為餘事, 而吾子不褒崇其源, 而獨貴其流, 可乎? 抱朴子答曰:德行為有事, 優劣易見. 文章微妙, 其體難識. 夫易見者粗也, 難識者精也. 夫唯粗也, 故銓衡有定焉;夫唯精也, 故品藻難一焉. 吾故舍易見之粗, 而論難識之精, 不亦可乎!
或曰:德行者本也, 文章者末也. 故四科之序, 文不居上. 然則著紙者, 糟粕之餘事;可傳者, 祭畢之芻狗. 卑高之格, 是可識矣. 文之體略, 可得聞乎?
抱朴子曰:荃可以棄而魚未獲, 則不得無荃;文可以廢而道未行, 則不得無文. 若夫翰跡韻略之宏促, 屬辭比事之疏密, 源流至到之修短, 蘊藉汲引之深淺. 其懸絕也, 雖天外毫內, 不足以喻其遼邈;其相傾也, 雖三光熠耀, 不足以方其巨細. 龍淵鉛鋌, 未足譬其銳鈍;鴻羽積金, 未足比其輕重. 清濁三差, 所稟有主, 朗昧不同科, 強弱各殊氣, 而俗士唯見能染毫畫紙者, 便概之一例. 斯伯牙所以永思鍾子, 郢人所以格斤不運也. 蓋刻削者比肩, 而班狄擅絕手之稱;援琴者至眾, 而夔襄專知音之難. 廄馬千駟, 而騏驥有邈群之價;美人萬計, 而威施有超世之容. 蓋有遠過眾者也.
且夫文章之與德行, 猶十尺之與一丈, 謂之餘事, 未之前聞. 夫上天之所以垂象, 唐虞之所以為稱, 大人虎炳, 君子豹蔚, 昌旦定聖諡於一字, 仲尼從周之鬱, 莫非文也. 八卦生鷹隼之所被, 六甲出靈龜之所負, 文之所在, 雖賤猶貴, 犬羊之鞟, 未得比焉. 且夫本不必皆珍, 末不必悉薄. 譬若錦繡之因素地, 珠玉之居蚌石, 雲雨生於膚寸, 江河始於咫尺爾. 則文章雖為德行之弟, 未可呼為餘事也.
或曰:今世所為, 多不及古, 文章著述, 又亦如之. 豈氣運衰殺, 自然之理乎?
抱朴子答曰:百家之言, 雖有步起, 皆出碩儒之思, 成才士之手, 方之古人, 不必悉減也. 或有汪濊玄曠, 合契作者, 內辟不測之深源, 外播不匱之遠流, 其所祖宗也高, 其所紬繹也妙, 變化不系滯於規矩之方圓, 旁通不凝閡於一途之逼促, 是以偏嗜酸鹹者, 莫能知其味, 用思有限者, 不能得其神也. 夫應龍徐舉, 顧眄淩云, 汗血緩步, 呼吸千里, 而螻蟲豈怪其無階而高致, 駑蹇患其過己之不漸也. 若夫馳驟於詩論之中, 周旋於傳記之間, 而以常情覽巨異, 以褊量測無涯, 以至粗求至精, 以甚淺揣甚深, 雖始自髫齔, 訖於振素, 猶不得也.
夫賞快者必譽之以好, 而不得曉者, 必毀之以惡, 自然之理也. 於是以其所不解者為虛誕, 慺誠以為爾, 未必違情以傷物也. 又世俗率神貴古昔而黷賤同時:雖有追風之駿, 猶謂之不及造父之所禦也;雖有連城之珍, 猶謂之不及楚人之所泣也;雖有疑斷之劍, 猶謂之不及歐冶之所鑄也;雖有起死之藥, 猶謂之不及和鵲之所合也;雖有超群之人, 猶謂之不及竹帛之所載也;雖有益世之書, 猶謂之不及前代之遺文也. 是以仲尼不見重於當時, 大玄見蚩薄於比肩也. 俗士多云, 今山不及古山之高, 今海不及古海之廣, 今日不及古日之熱, 今月不及古月之朗, 何肯許今之才士, 不減古之枯骨! 重所聞, 輕所見, 非一世之所患矣. 昔之破琴剿弦者, 諒有以而然乎!

漢過卷第三十三

抱朴子曰:曆覽前載, 逮乎近代, 道微俗弊, 莫劇漢末也. 當途端右閹官之徒, 操弄神器, 秉國之鈞, 廢正興邪, 殘仁害義, 蹲踏背憎, 即聾從昧, 同惡成群, 汲引奸黨. 吞財多藏, 不知紀極, 而不能散錙銖之薄物, 施振清廉之窮儉焉. 進官則非多財者不達也, 獄訟則非厚貨者不直也, 官高勢重, 力足拔才, 而不能發毫釐之片言, 進益時之翹俊也. 其所用也, 不越於妻妾之戚屬;其惠澤也, 不出乎近習之庸瑣. 莫戒臧文竊位之譏, 靡追解狐忘私之義, 分祿以擬王林, 致事以由方回. 故列子比屋, 而門無鄭陽之恤;高概成群, 而不遭暴生之薦. 抑挫獨立, 推進附己, 此樊姬所以掩口, 馮唐所以永慨也.
幹時率皆素餐俞容, 掩德蔽賢, 忌有功而危之, 疾清白而排之, 諱忠讜而陷之, 惡特立而擯之, 柔媚者受崇飾之佑, 方稜者蒙訕棄之患. 養豺狼而殲驎虞, 殖枳棘而翦椒桂. 於是傲兀不檢丸轉萍流者謂之弘偉大量;苛碎峭嶮懷螫挾毒者, 謂之公方正直;令色警慧有貌無心者, 謂之機神朗徹;利口小辯希指巧言者, 謂之標領清妍;猝突萍鴬驕矜輕侻者, 謂之巍峨瑰傑;嗜酒好色闒茸無疑者, 謂之率任不矯;求取不廉好奪無足者, 謂之淹曠遠節;蓬發褻服遊集非類者, 謂之通美泛愛;反經詭聖順非而博者, 謂之莊老之客;嘲弄嗤妍淩尚侮慢者, 謂之蕭豁雅韻;毀方投圓面從回應者, 謂之絕倫之秀;憑倚權豪推貨履徑者, 謂之知變炎奇;懶看文書望空下名者, 謂之業大志高;仰賴強親位過其才者, 謂之四豪之匹;輸貨勢門以市名爵者, 謂之輕財貴義;結黨合譽行與口違者, 謂之以文會友;左道邪術假託鬼怪者, 謂之通靈神人;蔔占小數誑飾禍福者, 謂之知來之妙, (般馬)弄矟一夫之勇者, 謂之上將之元;合離道聽偶俗而言者, 謂之英才碩儒.
若夫體亮行高, 神清量遠, 不諂笑以取悅, 不曲言以負心, 含霜履雪, 義不苟合, 據道推方, 嶷然不群, 風雖疾而枝不撓, 身雖困而操不改, 進則切辭正論, 攻過箴闕, 退則端誠杜私, 知無不為者, 謂之門音騃徒苦. 夙興夜寐, 退食自公, 憂勞損益, 畢力為政者, 謂之小器俗吏. 於是明哲色斯而幽遁, 高俊括囊而佯愚, 疏賤者奮飛以擇木, 縶制者曲從而朝隱, 知者不肯吐其秘算, 勇者不為致其果毅, 忠謇離退, 奸凶得志, 邪流溢而不可遏也, 偽途辟而不可杜也. 以臻乎淩上替下, 盜賊多有, 宦者奪人主之威, 三九死庸豎之手. 忠賢望士, 謂之黨人, 囚捕誅鋤, 天下嗟嗷, 無罪無辜, 閉門遇禍. 微煙起於蕭牆, 而飆焚遍於宇宙;淺隙發於膚寸, 而波濤漂乎四極. 金城屠於庶寇, 湯池航於一葦, 勁銳望塵而冰泮, 征人倒戈而奔北, 飛鋒薦於戶衣闥, 左衽掠於禁省, 禾黍生於廟堂, 榛莠秀乎玉階, 雲觀變為狐兔之藪, 象魏化為虎豹之蹊, 東序煙燼於委灰, 生民火焦淪於淵火, 凶家害國, 得罪竹帛, 良史無褒言, 金石無德音. 夫何哉? 夫人故也.

吳失卷第三十四

抱朴子曰:吳之杪季, 殊代同疾, 知前疾之失於彼, 不能改弦於此. 鑒亂亡之未遠, 而躡傾車之前軌, 睹枳首之爭草母, 而忘同身之禍, 笑蟣虱之宴安, 不覺事異而患等. 見競濟之舟沈, 而不知殊途而溺均也. 餘生於晉世所不見, 余師鄭君, 具所親悉, 每誨之云:吳之晚世, 尤劇之病, 賢者不用, 滓穢棄序, 紀綱馳紊, 吞舟多漏. 貢舉以厚貨者在前, 官人以黨強者為右, 匪富匪勢, 窮年無冀. 德清行高者, 懷英逸而抑淪;有才有力者, 躡雲物以官躋. 主昏於上, 臣欺於下, 不黨不得, 不競不進, 背公之俗彌劇, 正直之道遂壞. 於是斥鷃因驚風以淩霄, 朽舟托迅波而電邁, 鴛鳳卷六翮於叢棘, 鷁首滯潢汙而不擢矣. 秉維之佐, 牧民之吏, 非母後之親, 則阿諂之人也. 進無補過拾遺之忠, 退無聽訟之幹, 虛談則口吐冰霜, 行己則濁於泥潦. 莫愧屍祿之刺, 莫畏致戎之禍, 以毀譽為蠶織, 以威福代稼穡. 車服則光可以鑒, 豐屋則群鳥爰止. 叱吒疾於雷霆, 禍福速於鬼神, 勢利傾於邦君, 儲積富乎公室. 出飾翟黃之衛從, 入遊玉根之藻棁. 僮仆成軍, 閉門為市, 牛羊掩原隰, 田池布千里. 有魚滄濯裘之儉, 以竊趙宣平仲之名. 內崇陶侃文信之訾, 實有安昌董鄧之汙. 雖造賓不沐嘉旨之俟, 饑士不蒙升合之救, 而金玉滿堂, 妓妾溢房, 商販千艘, 腐谷萬庾, 園囿擬上林, 館第僭太極, 梁肉餘於犬馬, 積珍陷於帑藏.
其接士也, 無葭莩之薄;其自奉也, 有盡理之厚. 或有不開律令之篇卷, 而竊大理之位;不識幾案之所置, 而處機要之職;不知五經之名目, 而饗儒官之祿;不閑尺紙之寒暑, 而坐著作之地. 筆不狂簡, 而受駁議之榮;低眉垂翼, 而充奏劾之選;不辯人物之精粗, 而委以品藻之政;不知三才之軍勢, 而軒昂節蓋之下;屢為奔北之辱將, 而不失前鋒之顯號;不別菠麥之同異, 而忝叨顧問之近任. 夫魚質龍文, 似是而非, 遭水而喜, 見獺即悲, 雖臨之以斧鋮之威, 誘之以傾城之寶, 猶不能奪鉛鋒於犀兕, 聘駑蹇以追風, 非不忌重誅也, 非不悅美賞也, 體不可力, 無自奈何, 而欲與之輯熙百揆, 弘濟大務, 猶托萬鈞於尺舟之上, 求千鍾於升合之中, 絏芻狗而責盧鵲之效, 構雞駑而崇鷹揚之功, 其不可用, 亦較然矣!
吳主不此之思, 不加夕惕, 佞諂凡庸, 委以重任, 危機急於弓廣弩, 亡徵著於日月, 而自謂安於峙岳, 唐虞可仰也. 目力疲於綺粲, 而不以覽庶事之得失;耳聰盡於淫音, 而不以證獻言之邪正;穀帛靡於不爭, 而不以賑戰士之凍餒;心神悅於愛媚, 而不以念存亡之弘理. 蓋輕乎崇替之源, 而忽乎宗廟之重者也.
鄭君又稱, 其師左先生隱居天柱, 出不營祿利, 不友諸侯, 然心願太平, 竊憂桑梓, 乃慨然永歎於蓬屋之下, 告其門生曰:漢必被耀, 黃精載起, 纘樞紐於太微, 回紫蓋於鶉首. 聯天理物, 光宅東夏, 惠風被於區外, 玄澤洽乎宇內. 重譯接武, 貢楛盈庭, 蕩蕩巍巍, 格於上下, 承平守文, 因循甚易, 而五弦謐響, 南風不詠, 上不獲恭己之逸, 下不聞康哉之歌. 飛龍翔而不集, 淵虯蟠而不躍, 騶虞翳於冥昧, 朱華牙而未秀, 陰陽相沴, 寒燠繆節, 七政告凶, 陵谷易所, 殷雷車訇磕. 於龍潛之月, 凝霜肅殺乎朱明之運. 玉燭不照, 沈醴不湧, 郊聲多壘, 嘉生不遂夫豈他哉? 誠由四凶不去, 元凱不舉, 用者不賢, 賢者不用也.
然高概遠量, 被褐懷玉, 守靜潔志, 無欲於物, 藏路淵洿, 得意遺世, 非禮不動, 非時不見, 困而無悶, 窮而不悔, 樂天任命, 混一榮辱, 進無悅色, 退無戚容者, 固有伏死乎雍瓦牖, 安肯沽炫以進趨, 揭其不貲之寶, 以競燕石之售哉! 孔墨之道, 昔曾不行, 孟軻揚雄, 亦居困否, 有德無時, 有自來耳. 世無離朱, 皂白混焉. 時乏管青, 騏蹇糅焉. 礫積於金匱, 瑾瑤委乎溝洫, 匠石緬而遐淪, 梓豫忽而莫識, 已矣, 悲夫! 我生不辰, 弗先弗後, 將見吳土之化為晉哉, 南民之變成北隸也. 言猶在耳, 而孫氏輿櫬.
抱朴子聞之曰:二君之言, 可為來戒. 故錄於篇, 欲後代知有吳失國, 匪降自天也. 若苟諱國惡, 纖芥不貶, 則董狐無貴於直筆, 賈誼將受譏於過秦乎!

守塉卷第三十五

抱朴子曰:余友人有潛居先生者, 慕寢丘之莫爭, 簡塉土以葺宇, 銳精藝文, 意忽學稼, 屢失有年, 饑色在顏. 或人難曰:天知禮在廩實, 施博由乎貨豐, 高出於有餘, 儉生乎不足. 故十千美於詩人, 食貨首乎八政. 躬稼基克配之業, 耦耕有不改之樂. 奇士之居也, 進則侶鴻鸞以振翮, 退則三陶白之理生, 仕必霸王, 居必千金, 是以昔人必科膏壤以分利, 勤四體以稼穡, 播原菽之與與, 茂嘉蔬之翼翼, 收麰秬之千倉, 積我庾之惟億, 出連騎以遊畋, 入侯服而玉食. 而先王之宅此也, 亢陽則出穀颺塵, 重陰則滔天淩丘, 陸無含秀之苗, 水無吐穗之株, 稗糲曠於圌廩, 薪爨廢於庖廚. 怡爾執待兔之志, 坦然無去就之謨. 吾恐首陽之事, 必見於今;丹山之困, 可立而須. 人為子寒心, 子何晏然而弗憂也? 夫睹機而不作, 不可以言明, 安土而不移, 眾庶之常事, 豈玩鮑者忘蘭, 而大迷者易性乎! 何先生未寤之久也? 鄙人惑焉, 不識所謂. 夫兗冕非禦鋒鏑之服, 典誥非救饑寒之具也. 胡不眎沃衍於四郊, 躬田畯之良業, 舍六藝之迂闊, 收萬箱以賑乏乎?
潛居先生曰:夫聵者不可督之以分雅鄭, 瞽者不可責之以別丹漆, 井蛙不可語以滄海, 庸俗不可說以經術. 吾子苟知老農之小功, 未喻面牆之巨拙, 何異拾瑣沙而捐隋和, 向炯燭而背白日也. 夫好尚不可以一概杚, 趨舍不可以彼我易也. 夫欲隮閬風陟嵩華者, 必不留行於丘垤;意在乎游南溟, 泛滄滄海者, 豈暇逍遙於潢洿. 是以注清聽於九韶者, 巴人之聲不能悅其耳;烹大牢饗方丈者, 荼蓼之味不能甘其口. 鶤鵬戾赤霄以高翔, 鶺鴒傲蓬林以鼓翼, 洿隆殊途, 亦飛之極. 晦朔甚促, 朝菌不識. 蜉蝣忽忽於寸陰, 野馬六月而後息, 鯈鮒氾濫以暴鱗, 靈虯勿用乎不測, 行業乖舛, 意何可得. 餘雖草梨餐之不充, 而足於鼎食矣.
故列子不以其乏, 而貪鄭陽之祿, 曾三不以其貧, 而易晉楚之富. 夫收微言於將墜者, 周孔之遐武也, 情孳孳以為利者, 孟叟之罪人也. 造遠者莫能兼通於岐路, 有為者莫能並舉於耕學, 體瘁而神豫, 亦何病於居約? 且又處塉則勞, 勞則不學清而清至矣. 居沃則逸, 逸則不學奢而奢來矣. 清者, 福之所集也;奢者, 禍之所赴也. 福集, 則雖微可著, 雖衰可興焉;禍赴, 則雖強可弱, 雖存可亡焉. 此不期而必會, 不招而自來者也. 故君子欲正其末, 必端其本;欲輟其流, 則遏其源. 故道德之功建, 而侈靡之門閉矣. 薑望至德而佃不復種, 重華大聖而漁不償網, 然後玉璜表營丘之祚, 大功有二十之高, 何必譏之以惰懶, 而察才以相士乎! 夫二人分財, 取少為廉, 餘今讓天下之豐沃, 處茲邦之偏埆, 舍安昌之膏腴, 取北郭之無欲, 誠萬物之可細, 亦何往而不足哉! 北辰以不改為眾星之尊, 五嶽以不遷為群望之宗. 蟋蟀屢移而不貴, 禽魚饜深則逢患. 方將墾九典之蕪草歲, 播六德之嘉穀, 厥田邈於上士之科, 其收盈乎天地之間. 何必耕耘為務哉! 昔被衣以棄財止盜, 庚氏以推譬厲貪, 琉廣散金以除子孫之禍, 叔敖取塉以弭可欲之憂, 牛缺以載珍致寇, 陶谷以多藏召殃. 得失較然, 可無鑒乎!
於是問者抑然, 良久口張而不能嗑, 首俯而不能仰. 慨而嗟乎, 始悟立不朽之言者, 不以產業汨和, 追下帷之績者, 不以窺園涓目. 子以臭雛之甘呼鴛鳳, 擗蟹之計要猛虎, 豈不陋乎! 鄙哉 , 子之不夙知也!

安貧卷第三十六

抱朴子曰:昔漢火寢耀, 龍戰虎爭, 九有幅裂, 三家鼎據. 有樂天先生者, 避地蓬轉, 播流岷益, 始處昵於文休, 末見知於孔明. 而言高行方, 獨立不群, 時人憚焉, 莫之或與. 時二公之力, 不能違眾, 遂令斯生沈抑衡蓽, 齒漸桑榆, 而韋布不改. 而時主思賢, 不聞不知;當途之士, 莫舉莫貢. 潛側武之陋巷, 竄繩樞之蓬屋, 進廢經世之務, 退忘治生之車, 草梨餐屢空, 朝不謀夕.
於是偶俗公子造而詰之, 曰:蓋聞有伊呂之才者, 不久滯於窮賤;懷猗頓之術者, 不長處於饑寒. 達者貴其知變, 智士驗乎不匱. 故範生出則滅吳霸越, 為命世之佐;入則貨殖營生, 累萬金之貲. 天貧在六極, 富在五福, 《詩》美加可矣,
《易》貴聚人, 垂餌香則鱔鮪來, 懸賞厚則果毅奮, 長卿所以解犢鼻而擁朱旄, 曲逆所以下席扉而享茅土, 不韋所以食十萬之邑, 張侯所以拔囹圄之困也. 故下鄉儉而獲悔咎之辰, 漂嫗豐而蒙千金之報. 先生無少伯之奇略, 專銳思乎六經, 忽絕米長之實禍, 慕不朽之虛名, 恥詭遇以幹祿, 羞炫沽以要榮, 冀西伯之畋, 俟黃河之將清. 甘列子之菜色, 邈全神而遺形, 何異圖畫騏驥, 以代徒行之勞;遙指海水, 以解口焦之渴;張魚網於峻極之巔;施鈞緡於修木之末;雖自以為得所, 猶未免乎迂闊也. 事無身後之功, 物無違時之盛. 今海內瓜分, 英雄力競, 象恭滔天, 猾夏放命, 駑蹇星馳以兼路, 豺狼奮口而交爭. 當途投袂以訟屈, 素士蒙塵以履徑, 純儒釋皇道而治五霸之術, 碩生棄四科而恤月旦之評. 筐篚實者, 進於草萊;乏資地者, 退於朝廷;握黃白者, 排金門而陟玉堂, 誦方策者, 結世讎而委泥濘;贄幣濃者, 瓦石成珪璋;請托薄者, 龍駿棄林坰;黨援多者, 偕驚飆以淩雲;交結狹者, 侶踴鱉以沈泳.
夫丸泥已不能遏彭蠡之沸騰, 獨賢亦焉能反流遁之失正? 今先生入無儋石之儲, 出無束修之調. 徒含章如龍鳳, 被文如虎豹, 吐之如波濤, 陳之如錦繡, 而凍餓於環堵, 何計疏之可吊? 奚不泛輕舟以托迅, 禦飛帆以遠之. 交瑰貨於朔南, 收金碧於九疑. 迪崔烈之遐武, 縻好爵於清時? 徒疲勞於述作, 豈蟬蛻之有期也? 獨苦身以為名, 乃黃老之所蚩也!
樂天先生答曰:六藝備研, 八索必該. 斯則富矣, 振翰摛藻, 德音無窮, 斯則貴矣. 求仁仁至, 舍旃焉如. 夫棲重淵以頤靈, 外萬物而自得, 遺紛埃於險途, 澄精神於玄默. 不窺牖以遐覽, 判微言而靡惑. 雖複設之以台鼎, 猶確爾而弗革也. 曷肯憂貧而與賈豎爭利, 戚窮而與凡瑣競達哉! 吾子苟知商販可以崇寶, 耕也可以免饑, 不識逐麋者不顧兔, 道遠者其到遲也. 且夫尚父之鼓刀, 素首乃吐奇也;萬鈞之為重, 沖飆不能移;簫韶未九成, 靈鳥紆儀也. 是以俟扶搖而登蒼霄者, 不棄詘於蓬蒿之杪;騁蘭筋以陟六萬者, 不爭途乎蹇驢之群. 大孝必畏辱親之險, 故子春戰悸於下堂;上智不貴難得之財, 故唐虞捐金而抵譬. 明哲消禍於未來, 知士聞利則慮害, 而吾子言凡仆以泛舟, 孳孳於潤屋, 勸隋珠之彈雀, 控虎口以奪肉, 輕遺體於不測, 觸重險以遠至, 忘發膚之明戒, 尋乾沒於難冀. 若夫焚輸傾岩, 木拔石飛, 陽侯山峙, 洪濤山罪巍, 輕艘塵漂, 力與心違, 從嗟泣而罔逮, 乃悟達者之見微也.
昔回憲以清苦稱高, 陳平以無金免危, 廣漢以好利喪身, 牛缺以載寶灰糜. 匹夫枉死於懷璧, 豐狐召災於美皮. 今吾子督餘以誨盜之業, 敦餘以召賊之策, 進鴆酒以獻酬, 慧養壽之忠益. 夫士以三墳為金玉, 五典為琴箏, 講肄為鍾鼓, 百家為笙簧, 使味道者以辭飽, 酣德者以義醒, 超流俗以高蹈, 軼億代以揚聲, 方長驅以獨往, 何貨賄之穢情. 夫藏多者亡厚, 好謙者忌盈, 含夜光者速剖, 循覆車者必傾, 超載者沈其舟, 欲勝者殺其生. 蓋下士所用心, 上德所未營也. 於是問者蕩然自失, 請備門生之末編, 永寶長生之良方焉.

仁明卷第三十七

抱朴子曰:門人共論仁明之先後, 各據所見, 乃以諮餘. 餘告之曰:三光華象者乾也, 厚載無窮者坤也, 乾有仁而兼明, 坤有仁而無明. 卑高之數, 不以邈乎! 夫唯聖人, 與天合德. 故唐堯以欽明冠典, 仲尼以明義首篇. 明明在上, 元首之尊稱也. 明哲保身, 大雅之絕蹤也. 蟲口月飛蠕動, 亦能有仁. 故其意愛弘於長育, 哀傷著於啁噍. 然赴阬阱而無猜, 入罻羅而不覺. 有仁無明, 故並趨禍而攸失熾, 潛景以易咀生, 結棟宇以免巢穴, 選禾稼以代毒烈, 制衣裳以改裸飾. 後舟楫以濟不通, 服牛馬以息負步, 序等威以鎮禍亂, 造器械以戒不虞, 創書契以治百官, 制禮律以肅風教, 皆大明之所為, 非偏人之所能辯也.
夫心不違仁而明不經國, 危亡之禍, 無以杜遏, 亦可知矣. 夫料盛衰於未兆, 探機事於無形, 指倚伏於理外, 距浸潤於根生者, 明之功也. 垂惻隱於昆蟲, 雖見犯而不校, 睹觳觫而改牲, 避行葦而不蹈者, 仁之事也. 爾則明者才也, 行者行也. 殺身成仁之行可力為, 而至鑒玄測幽之明難亡假. 精粗之分, 居然殊矣. 夫體不忍之仁, 無臧否之明, 則心惑偽真, 神亂朱紫, 思算不分, 邪正不識. 不遠安危, 則一身之不保, 何暇立以濟物乎! 昔姬公非無友於之愛, 而涕泣以滅親;石石昔非無天性之慈, 而割私以奉公. 蓋明見事體, 不溺近情, 遂為純臣. 以義斷恩, 舍仁用明, 以計抑仁, 仁可時廢而明不可無也. 湯武逆取順守, 誠不仁也. 應天革命, 以其明也. 徐偃修仁以朝同班, 外墜城池之險, 內無戈甲之備, 亡國破家, 不明之禍也.
門人曰:仲尼歎仁為任重而道遠, 又云, 人而不仁如禮何? 若聖與仁, 則吾豈敢!
孟子曰, 仁, 宅也;義, 路也. 人無惻隱之心, 非仁也. 三代得天下以仁, 失天下以不仁. 此皆聖賢之格言, 竹素之顯證也. 而先生貴明, 未見典據. 小子蔽暗, 竊所惑焉.
抱朴子答曰:古人云, 好仁不好學, 其蔽也愚. 子近之矣. 曩六國相吞, 豺虎力競, 高權詐而下道德, 尚殺伐而廢退讓, 孟生方欲抑頓貪殘, 褒隆仁義, 安得不勤勤諄諄, 獨稱仁邪? 然未有片言, 雲仁勝明也. 譬猶疫癘之時, 醫巫為貴, 異口同辭, 唯論藥石, 豈可便謂針艾之伎, 過於長生久視之道乎? 且吾以為仁明之事, 布於方策, 直欲切理示, 大較精神, 舉一隅耳. 而子猶日用而不知, 雲明事之無據乎! 乾稱大明終始, 六位時成. 是立天以明, 無不包也. 坤雲至哉萬物資生, 是地德仁, 承順而已. 先後之理, 不亦炳然! 《詩》云, 明明上天, 照臨下土. 明明天子, 令問不已.《易》曰, 王明並受其福. 幽贊神明, 神而明之. 此則明之與神合體, 誠非純仁, 所能企擬也. 孔子曰聰明神武, 不云聰仁, 又曰昔者明王之治天下, 不曰仁王. 《春秋傳》曰:明德惟磬, 不云仁德. 《書》云元首明哉, 不曰仁哉. 老子歎上士, 則曰明白四達, 其說衰薄, 則曰失道而後德, 失德而後仁. 《易》曰王者南面向明, 不云向仁也. 我欲仁, 斯仁至矣. 又曰為仁由己, 斯則人人可為之也. 至於聰明, 何可督哉! 故孟子云, 凡見赤子將入井, 莫不趨而救之. 以此觀之, 則莫不有仁心, 但厚薄之間, 而聰明之分時而有耳. 昔崔杼不殺晏嬰, 晏嬰謂杼為大不仁, 而有小仁. 然則奸臣賊子, 猶能有仁矣.
門人又曰:《易》稱立人之道, 曰仁與義, 然則人莫大於仁也. 抱朴子答曰:所以云爾者, 以為仁在於行, 行可力為, 而明入於神, 必須天授之才, 非所以訓故也.

抱朴子 外篇38~40

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

博喻卷第三十八

抱朴子曰:盈乎萬鈞, 必起於錙銖;竦秀淩霄, 必始於分毫. 是以行潦集而南溟就無涯之曠, 尋常積而玄圃致極天之高.
抱朴子曰:騁逸策迅策迅者, 雖遺景而不勞, 因風淩波者, 雖濟危而不傾. 是以元凱分職, 而則天之勳就;伊呂去世任, 而革命之功就.
抱朴子曰:瓊艘瑤緝, 無涉川之用;金弧玉弦, 無激乖之能. 是以介潔而無政事者, 非撥亂之器, 儒雅而乏治略者, 非翼亮之才.
抱朴子曰:閬風玄圃, 不借高於丘垤;懸黎結綠, 不假觀於瓊瑉. 是以英偉不群, 而幽蕙之芬駭;峻概獨立, 而眾禽之響振.
抱朴子曰:冰炭不炫能於冷熱, 瑾瑜不證珍而體著. 是以君子恭己, 不恤乎莫與, 至人屍居, 心遺乎毀譽.
抱朴子曰:沖飆傾山, 而不能效力於拔毫;火爍金石, 而不能耀烈以起濕. 是以淮陰善戰守, 而拙理治之策;絳侯安社稷, 而乏承對之給.
抱朴子曰:徇名者不以授命為難, 重身者不以近欲累情. 是以紀信甘灰糜而不恨, 楊朱同一毛於連城.
抱朴子曰:小鮮不解靈虯之遠規, 鳧鷖不知鴻鵠之非匹. 是以耦耕者笑陳勝之投耒, 淺識者嗤孔明之抱膝.
抱朴子曰:淳鈞之鋒, 驗於犀兕;宣慈之良, 效於明試. 是以同否則元凱與斗筲無殊, 並任則騄騏與駑駘不異.
抱朴子曰:器非瑚簋, 必進銳而退速;量擬伊呂, 雖發晚而到早. 是以鷦鷯倦翮, 猶不越乎蓬杪, 鴛雛徐起, 顧眄而戾蒼昊.
抱朴子曰:否終則承之以泰, 晦極則清輝晨耀. 是以垂耳吳阪者, 騁千里之逸軌;縈鱗九淵者, 淩虹霓以高蹈.
抱朴子曰:九斷四屬者, 蘊藻所以表靈;摧柯碎葉者, 茝蕙所以增芬. 是以夷吾桎檻, 而建匡合之績;應侯困辱, 而著入秦之勳.
抱朴子曰:聽競者細, 則利同而讎結;善否殊途, 則事異而結生. 是以嫫母宿瘤, 惡見西施之豔容;商臣小白, 曾聞延州之退耕.
抱朴子曰:精純舛跡, 則淩遲者愧恨;壯弱異科, 則扛鼎者見忌. 是以淮陰顯擢, 而庸隸悒懊以疾其超;武安功高, 而范睢飾談以破其事.
抱朴子曰:必死之病, 不下苦口之藥;朽爛之材, 不受雕鏤之飾. 是以比干匪躬, 而剖心於精忠;田豐見微, 而夷戮於言直.
抱朴子曰:嶧陽孤桐, 不能無弦而激哀響;大夏孤竹, 不能莫吹而吐清聲. 是官卑者稷離不能康庶績, 權薄者伊周不能臻升平.
抱朴子曰:登峻者戒在於窮高, 濟深者禍生於舟重. 是以西秦有思上蔡之李斯, 東越有悔盈亢之文種.
抱朴子曰:剛柔有不易之質, 貞橈有天然之性. 是以百煉而南金不虧其真, 危困而烈士不失其正.
抱朴子曰:不以其道, 則富貴不足居;違仁舍義, 雖期頤不足吝. 是以卞隨負石以投淵, 仲由甘心以赴刃.
抱朴子曰:卑高不可以一概齊, 餐廩不可以勸沮化. 是以惠施患從車之苦少, 莊周憂得魚之方多.
抱朴子曰:出處有冰炭之殊, 躁靜有飛沈之異. 是以墨翟以重繭趼怡顏, 箕叟以遺世得意.
抱朴子曰:適心者交淺而愛深, 忤神者接久而彌乖. 是以聲同則傾蓋而居昵, 道異而白首而無愛.
抱朴子曰:艅艎鷁首, 涉川之良器也, 櫂之以北狄, 則沈漂於波流焉. 蒲梢汗血, 迅趨之駿足也, 禦非造父, 則傾僨於嶮途焉. 青萍豪曹, 剡鋒之精絕也, 操者非羽越, 則有自傷之患焉. 勁兵銳卒, 撥亂之神物也, 用者非明哲, 則速自焚之禍焉.
抱朴子曰:天秩有不遷之常尊, 無禮犯遄死之重刺. 是以玄洲之禽獸, 惟能言而不得廁貴牲;蛩蛩之負厥足, 雖寄命而不得為仁義.
抱朴子曰:謗讀言不可以巧言弭, 實恨不可以虛事釋. 釋之非其道, 弭之不由理, 猶懷冰以遣冷, 重爐以卻暑, 逐光以逃影, 穿舟以止漏矣.
抱朴子曰:明主官人, 不令出其器;忠臣居位, 不敢過其量. 非其才而妄授, 非所堪而虛任, 猶冰碗之盛沸湯, 葭莩之包烈火, 綴萬鈞於腐索, 加倍載於扁舟.
抱朴子曰:豹笏之裘, 不為負薪施;九成六變, 不為聾夫設;高唱遠和, 不為庸愚吐;忘身致果, 不為薄德作.
抱朴子曰:民財匱夫而求不已, 下力竭矣, 而役不休, 欲怨歎之不生, 規其寧之惟永, 斷根以續枝, 割背以裨腹, 刻目以廣明, 剜耳以開聰也.
抱朴子曰:法無一定, 而慕權宜之隨時, 功不倍前, 而好屢變以偶俗, 猶剸高馬以適卑車, 削附踝以就偏履, 斷長劍以赴短鞞, 割尺璧以納促匣也.
抱朴子曰:止波之修鱗, 不出窮穀之隘;鸞棲之峻木, 不秀培螻之卑, 九疇之格言, 不吐庸猥之口 , 金版之高算, 不出恒民之懷, 睹百抱之支, 則足以知其本之不細, 睹汪濊之文, 則足以覺其人之淵邃.
抱朴子曰:桑林鬱藹, 無補柏木之淒冽;膏壤帶郭, 無解黔敖之蒙袂. 然繭纊綈紈, 引之自出, 千倉萬箱, 於是乎生. 故識遠者貴本, 見近者務末.
抱朴子曰:體粗者系形, 知精者得神, 原始見終者, 有可推之緒, 得之未朕者, 無假物之因. 是以晝見天地, 未足稱明, 夜察分毫, 乃為絕倫.
抱朴子曰:鐓藻春耀, 不能離柯以久鮮;吞舟之魚, 不能舍水而攝生. 是以名美而實不副者, 必無沒節之風;位高而器不稱者, 不免致寇之敗.
抱朴子曰:忍痛苦之藥石者, 所以除伐命之疾;嬰甲胄之重冷者, 所以捍鋒鏑之集;潔操履之拘苦者, 所以全拔萃之業;納拂心之至言者, 所以無易方之惑也.
抱朴子曰:鸞鳳競粒於庭場, 則受褻於雞鶩;龍麟雜廁於芻豢, 則見覿於六牲. 是以商老棲峻以播邈世之操, 卞隨赴深以全遺物之聲.
抱朴子曰:浚井不渫則泥濘滋積, 嘉穀不耘則荑莠彌蔓. 學而不思則閡實繁, 講而不精則長惑喪功.
抱朴子曰:積萬金於篋匱, 雖儉乏而不用, 則未知其有異於貧窶. 懷逸藻於胸心, 不寄意於翰素, 則未知其有別於庸猥.
抱朴子曰:南威青琴, 姣冶之極, 而必俟盛飾以增麗, 回賜游夏, 雖天才雋朗, 而實須《墳》《誥》以廣智.
抱朴子曰:丹幃接網, 組帳重蔭, 則醜姿翳矣;朱漆飾致, 錯塗炫耀, 則枯木隱矣. 是以六藝備則卑鄙化為君子, 眾譽集則孤陋邈乎貴遊.
抱朴子曰:繁林翳薈, 則羽族雲萃;玄淵浩汗, 則鱗群兢赴. 德盛業廣, 則宅心者眾, 舍瑕錄用, 即遠懷近集.
抱朴子曰:尋飛絕景之足, 而不能騁逸放於呂梁;淩波泳淵之屬, 而不能陟峻而攀危. 故離朱剖秋毫於百步, 而不能辯八音之雅俗;子野合通靈之絕響, 而不能指白黑於咫尺.
抱朴子曰:四聰廣辟, 則羲和納景;萬仞虛己, 則行潦交赴. 故博辨之道弘, 則異聞畢集;庭燎之耀輝, 則奇士叩角;誹謗之木設, 則有過必知;敢諫之鼓懸, 則直言必獻.
抱朴子曰:能言莫不褒堯, 而堯政不必皆得也;舉世莫不貶桀, 而桀事不必盡失也. 故一條之枯, 不損繁林之蓊藹;蒿麥冬生, 無解畢發之肅殺. 西施有所惡而不能減其美者, 美多也;嫫母有所美而不能救其醜者, 醜篤也.
抱朴子曰:身與名, 難兩濟;功與神, 鮮並全. 支離其德者, 苦而必安;用以適世, 者樂而多危. 故鷙禽以奮擊拘縶, 言鳥以智慧見寵, 瓊瑤以符辨剖判, 三金以琦玩治鑠, 蘭茝以芬馨剪刈, 文梓以含音受伐. 是以翠蚪睹化益而登玄云, 靈鳳值孟戲而反丹穴, 子永歎天倫之偉, 漆園悲被繡之犧.
抱朴子曰:萬麋傾角, 猛虎為之含牙;千禽鱗萃, 鷙鳥為之握爪. 是以四國流言, 公旦不能遏;謗者盈路, 而子產無以塞.
抱朴子曰:威施之豔, 粉黛無以加, 二至之氣, 吹噓不能增. 是以懷英逸之量者, 不務風格以示異;體邈俗之器者, 不恤小譽以徇通.
抱朴子曰:鱗止鳳儀, 所患在少;狐鳴梟呼, 世忌其多. 是以俊乂盈朝, 而求賢者未倦;讒佞作威, 而忠貞者切齒.
抱朴子曰:多力何必孟賁烏獲, 逸容凱唯鄭旦毛嬙, 飆迅非徒驊騮驌騻, 立斷未獨沈閭幹將. 是以能立素王之業者, 不必東魯之丘;能洽掩枯之仁者, 不必西鄰之昌.
抱朴子曰:靈鳳振響於朝陽, 未有惠物之益, 而莫不澄聽於下風焉. 鴟梟宵集於垣宇, 未有分厘之損, 而莫不掩耳而注鏑焉. 故善言之往, 無遠不悅;惡言之來, 靡近不忤. 猶日月無謝於貞明, 枉矢見忘於暫出.
抱朴子曰:影無違形之狀, 名無離實之文. 故背源之水, 必不能揚長流以東漸;非時之華, 必不能稽輝藻於冰霜.
抱朴子曰:鋸牙之獸, 雖低伏而見憚;揮斧之蟲, 雖口止全形而不威. 故君子被褐, 窮而不可輕;小人軒冕, 達而不足重.
抱朴子曰:逸麟逍遙大荒之表, 故無機阱之禍;靈鶬振翅玄圃之峰, 以違罩羅之患. 何必曲穴而永懷怵惕. 何必銜蘆而慘慘畏容. 故充乎宰割之用者, 必愛乎芻豢者也. 給乎煎熬之膳者, 必安乎庭立者也.
抱朴子曰:聰者貴於理遺音於千載之外, 而得興亡之跡. 明者珍於鑒逸群於寒瘁之中, 而抽匡世之器. 若夫聆繁會之響, 而顧問於庸工, 非延州之清聽也. 枉英遠之才, 而諮之於常人, 非獨見之奇識也. 故與不賞物者而論用淩儕之器, 是使瞽者指五色也;與妒勝己者而謀舉疾惡之賢, 是與狐議治裘也.
抱朴子曰:鸗駮危苦於嶮峻之端, 不樂口弗守之役, 吉光饑渴於冰霜之野, 不願犧牲之鮑, 孤竹不以絕粒易鹿台之富, 子廉不以困匱貿銅山之豐.
抱朴子曰:志合者不以山海為遠, 道乖者不以咫尺為近. 故有跋涉而遊集, 亦或密邇而不接.
抱朴子曰:華袞粲爛, 非只色之功;嵩岱之峻, 非一簣之積. 故九子任而康凝之績熙, 四七授而佐命之勳著.
抱朴子曰:翠虯無翅而天飛;螣蛇無足而電鶩, 鱉無耳而關頭善聞, 蚓無口而揚聲. 故皋繇喑而與辯者同功, 晉野瞽而與離朱齊明.
抱朴子曰:官達者才未必當其位, 譽美者實未必副其名. 故鋸齒不能咀嚼, 箕舌不能別味, 壺耳不能理音, 屍彳喬鼻不能識氣, 釜目不能扌盧望舒之景, 床足不能有尋常之逝.
抱朴子曰:路人不能挽勁命中而識養由之射, 顏子不能控轡振策而知東野之敗. 故有不能下棋而經目識勝負, 不能徽弦而過耳解鄭雅者.
抱朴子曰:垂蔭萬畝者, 必出峻極之嶺;滔天襄陵者, 必發板桐之源. 邈世之勳, 必由絕倫之器;定傾之算, 必吐冠俗之懷. 是以蟲焦螟之巢, 無乘風之羽;溝澮之中, 無宵朗之琦.
抱朴子曰:沖飆焚輪, 原火所以增熾也, 而螢燭值之而反滅;甘雨膏澤, 嘉生所以繁榮也, 而枯木得之以速朽;朱輪華轂, 俊民之大寶也, 而負乘竊之而召禍;鼎食萬鍾, 宣力之弘報也, 而近才授之以覆食束.
抱朴子曰:屠犀為甲, 給乎專征之服, 裂翠為華, 集乎後妃之首, 雖出幽谷, 遷於喬木, 然為二物之計, 未若棲竄於林薄, 攝生乎榛藪也. 故靈龜寧曳尾於塗中, 而不願巾笥之寶;澤雉樂十步之啄, 以違雞鶩之禍.
抱朴子曰:偏才不足以經周用, 只長不足以濟眾短. 是以雞知將旦, 不能究陰陽之歷數;鵠識夜半, 不能極晷景之道度;山鳩知晴雨於將來, 不能明天文;蛇蟲豈知潛泉之所居, 不能達地理.
抱朴子曰:禁令不明, 而嚴刑以靜亂;廟算不精, 而窮兵以侵鄰. 猶釤禾以討蝗蟲, 伐木以殺蠹蠍, 食毒以中蚤虱, 徹舍以逐雀鼠也.
抱朴子曰:銳鋒產乎鈍石, 明火熾乎暗木, 貴珠出乎賤蚌, 美玉出乎醜璞. 是以不可以父母限重華, 不可以祖禰量衛霍也.
抱朴子曰:志得則顏怡, 意失則容戚. 本朽則末枯, 源淺則流促. 有諸中者必形乎表, 發乎邇者必著乎遠.
抱朴子曰:妍姿媚貌, 形色不齊, 而悅情可均;絲竹金石, 五聲詭韻, 而快耳不異;繳飛鉤沈, 罾舉罝抑, 而有獲同功;樹勳立言, 出處殊途, 而所貴一致.
抱朴子曰:利豐者害厚, 質美者召災. 是以南禽殲於藻羽, 穴豹死於文皮, 鱣鯉積而玄淵涸, 麋鹿聚而繁林焚, 金玉崇而寇盜至, 名位高而憂責集.
抱朴子曰:商風宵肅則絺扇廢, 登危陟峻則輕舟棄, 干戈雲擾則文儒退, 喪亂既平則武夫黜.
抱朴子曰:價直萬金者, 不待見其物而好惡可別矣;條枝連抱者, 不俟圍其木而巨細可論矣. 故望洪濤之滔天, 則知其不起乎潢汙之中矣;觀翰草之汪濊, 則知其不出乎章句之徒矣.
抱朴子曰:丹華綠草, 不拘於曲瘁之株;紫芝芳秀, 不限於斥鹵之壤. 是以受玄珪以告成者, 生於四罪之門;承歷數於文祖者, 出於頑囂之家.
抱朴子曰:善言居室, 則靡遠不應;枉直不中, 則無近不離. 是以宋野有退舍之熒惑;殷朝有外奔之昵屬. 四環至自少廣之表, 鹿馬變於蕭牆之裏.
抱朴子曰:荊卿朱亥, 不示勇於怯弱之間;孟賁馮婦, 不奮戈戟於俚俠之群. 英儒碩生, 不飾細辯於淺近之徒;達人偉士, 不變日交察於流俗之中.
抱朴子曰:盤旋揖讓, 非禦寇之容;摜甲纓胄, 非廟堂之飾. 垂紳振佩, 不可以揮刃爭鋒;規行矩步, 不可以救火拯溺.
抱朴子曰:乾坤陶育, 而庶物不識其惠者, 由乎其益無方也;大人神化, 而群細不覺其施者, 由乎治之於未有也. 故可知者小也, 易料者少也.
抱朴子曰:娥英任姒, 不以蠶織為首稱, 湯武漢高, 不以細行招近譽. 故澄視於三辰者, 不遑紆鑒於井穀;清聽於韶濩者, 豈暇垂耳於桑間.
抱朴子曰:膚表或不可以論中, 望貌或不可以核能. 仲尼似喪家之狗, 公旦類樸斫之材, 咎繇面如蒙倛, 伊尹形若槁骸, 及龍陽宋朝, 猶土偶之冠夜光, 藉孺董鄧, 猶錦紈之裹塵埃也.
抱朴子曰:勳華不能化下愚, 故教不行於子弟;辛癸不能改上智, 故惡不染於三仁.
茂;熾暑郁陰, 不能消雪山之凍;飆風蕩海, 不能使潛泉揚波;春澤榮物, 不能使枯卉發華. 抱朴子曰:泣血之寶, 仰石監石諸以摛景, 沈閭孟勞, 須楚砥以斂鋒, 騮馬日待王孫而致遠, 令質俟櫽括而成德.
抱朴子曰:棲鸞戢鸑, 雖饑渴而不願籠委於庖人之室;乘黃天鹿, 雖幽饑而不樂草芻秣於濯龍之廄. 是以掇蜩之叟, 忘萬物於芳林, 垂綸之生, 忽執珪於南楚.
抱朴子曰:方圓舛狀, 逝止異歸. 故渾象尊於行健, 坤後貴於安貞. 七政四氣, 以周流成功;五嶽六柱, 以峙靜作鎮. 是以宋墨楚申, 以載馳存國, 幹木胡明, 以無為折沖.
抱朴子曰:得意於丘園者, 身否而神泰;役己以恤物者, 形逸而心勞. 故抱甕灌園者, 歡於台宰;嘔餐茹薇者, 美乎鼎食;仗策去豳者, 形如月居臘;夜以待旦者, 勤憂損命.
抱朴子曰:仁忍有天淵之絕, 善否猶有無之覺. 騶虞側足以蹈虛, 豺狼掩群以害生. 虞卿捐相印以濟窮, 華公讓三事以推賢. 李斯疾勝己而殺韓非, 龐涓患不如而刑孫臏.
抱朴子曰:用得其長, 則才無或棄;偏詰其短, 則觸物無可. 故輕羅霧縠, 治服之麗也, 而不可以禦流鏑;沈閭巨闕, 斷斬之良也, 而不可以挑腳刺.
抱朴子曰:小疵不足以損大器, 短疒火不足以累長才. 日月挾蟲鳥之瑕, 不妨麗天之景, 黃河合泥滓之濁, 不害淩山之流. 樹塞不可以棄夷吾, 奪田不可以薄蕭何, 竊妻不可以廢相如, 受金不可以斥陳平.
抱朴子曰:虎豹不能搏噬於波濤之中, 螣蛇不能登淩於不霧之日, 摯雉兔則鸞鳳不及鷹鷂, 引耕犁則龍麟不逮雙峙. 故武夫勇士, 無用乎晏如之世;碩生逸才, 不貴乎力競之運.
抱朴子曰:兩絆而項領, 則騏騄與蹇驢同矣;失林而居檻, 則猿狖與獾貉等矣;韜鋒而不擊, 則龍泉與鉛刀均矣;才遠任近, 則英俊與庸王肖比矣. 若乃求千里之跡於縶維之駿, 責匠世之勳於劇碎之賢, 謂之不惑, 吾不信也.
抱朴子曰:捐荼茹蒿者, 必無識甘之口;棄瓊拾礫者, 必無甄珍之明. 薄九成而悅北鄙者, 吾知其不能格靈祇而儀翔鳳矣. 舍英秀而杖常民者, 吾知其不能敘彝倫而臻升平矣.
抱朴子曰:達乎通塞之至理者, 不悁悒於窮否;審乎自然之有命者, 不逸豫於道行. 故縈抑淵洿, 則遺慍悶之心;振耀宸戶衣, 而無得意之色. 三仕三已, 則其人也.
抱朴子曰:否泰系乎運, 窮達不足以論士;得失在乎適, 營辱不可以量才. 時命不可以力求, 遭遇不可以智違. 故尚父者, 老婦之棄夫;韓信者, 乞食之餓子;蕭公者, 斗筲之吏;黥布者, 刑黜之亡隸. 當其行龍姿於虺蜥之中, 卷鳳翅乎斥鷃之群, 則彼龍後, 謂為其倫.
抱朴子曰:四靈翳逸, 而為隆平之符;幽人嘉遁, 而為有國之寶. 何必司晨而銜鑣, 羈絏於憂責哉? 有用人之用也, 無用我之用也, 徇身者不以名汨和, 修生者不以物累己.
抱朴子曰:量才而授者, 不求功於器外;揆能而受者, 不負責於力盡. 故滅熒燭者不煩滄海, 扛斤兩者不事烏獲. 運薪輦鹽, 不宜枉騏驥之腳;碎職琑任, 安足屈獨行之俊矣?
抱朴子曰:田巛澮之流, 不能運大白之艘;升合之器, 不能容千鍾之物. 熠耀不能並表微之景, 常才不能別逸倫之器. 蓋造化所假, 聰明有本根也.
抱朴子曰:郢人美下裏之淫蛙, 而薄六莖之和音;庸夫好悅耳之華譽, 而惡利行之良規. 故宋玉舍其延靈之精聲, 智士招其獨見之遠謀.
抱朴子曰:瓊瑉山積, 不能無挾瑕之器;鄧林千里, 不能無偏枯之木. 論珍則不可以細疵棄巨美;語大則不可以少累廢其多故. 叛主者, 良平也, 而吐六奇以安上;群盜者彭越也, 而建弘勳於佐命.
抱朴子曰:五嶽巍峨, 不以藏疾傷其極天之高;滄海滉瀁, 不以含垢累其無涯之廣. 故九德尚寬以得眾, 宣尼泛愛而與進.

廣譬卷第三十九

抱朴子曰:立德踐言, 行全操清, 斯則富矣, 何必玉帛之崇乎? 高尚其志, 不降不辱, 斯則貴矣, 何必青紫之兼拕也? 俗民不能識其度量, 庸夫不得揣其銓衡, 是則高矣, 何必淩雲而蹈霓乎? 問者莫或測其淵流, 求者未有覺其短乏, 是則深矣, 何必洞河而淪海乎? 四海苟備, 雖室有懸磬之窶, 可以無羨乎鑄山而煮海矣. 身處鳥獸之群, 可以不渴乎朱輪而華轂矣.
抱朴子曰:潛靈俟慶雲以騰竦, 棲鴻階勁風以淩虛, 素鱗須姬發而躍, 白雉待公旦而來, 薑老值西伯而投石番溪之綸, 韓英遭漢高乃騁撥亂之才.
抱朴子曰:澄精神於玄一者, 則形器可忘;邈高節以外物者, 則富貴可遺. 故支離之□, 偉造化而怡顏;北人箕叟, 棲嵩岫而得意焉.
金玉剛而可柔, 堅冰密而可離. 公旦不能與伯氏跟絓於馮雲之峻, 仲尼不能與呂梁較伎於百仞之溪.
抱朴子曰:震雷不能細其音, 以協金石之和;日月不能私其耀, 以變曲照之惠;大川不能促其涯, 以適速濟之情;五嶽不能削其峻, 以副陟者之欲. 故廣車不能脅其轍以苟通於狹路, 高士不能撙其節以同塵於隘俗. 抱朴子曰:陰陽以廣陶濟物, 三光以普照著明, 嵩華以藏疾為曠, 北溟以含垢稱大, 碩儒以與進弘道, 遠數以博愛容眾.
抱朴子曰:靈龜之甲, 不必為戰施;麟角鳳爪, 不必為鬥設. 故雋生不釋劍於平世, 擊柝不輟備於思危.
抱朴子曰:南金不為處幽而自輕, 瑾瑤不以居深而止潔. 志道者不以否滯而改圖, 守正者不以莫賞而苟合.
抱朴子曰:登玄圃者, 悟丘阜之卑;浮溟海者, 識池沼之褊. 披九典乃覺牆面之篤蔽, 聞至道乃知拘俗之多迷.
抱朴子曰:渾沌之原, 無皎澄之流;毫釐之根, 無連抱之枝;分寸之燼, 無炎遠之熱;隙穴
之中, 無炳蔚之群;鉤曲之形, 無繩直之影;三差之上, 無整齊之下.
抱朴子曰:不睹瓊琨之熠爍, 則不覺瓦礫之可賤;不覿虎豹之彧蔚, 則不知犬羊之質漫. 聆白雪之九成, 然後悟巴人之極鄙;識儒雅之汪濊, 爾乃悲不學之固陋.
抱朴子曰:無當之玉碗, 不如全用之埏埴;寸裂之錦黻, 未若堅完之韋布. 故夏姬之無禮, 不如孤逐之皎潔;富貴之多罪, 不如貧賤之履道.
抱朴子曰:猛獸不奮搏於度外, 鷹鷂不揮翮以妄擊. 若廟算既內不揆德, 進取又外不量力, 猶輕羽之沒洪爐, 飛雪之委沸鑊, 朝菌之試幹將, 羔犢之犯武虎虎也.
抱朴子曰:三辰蔽於天, 則清景暗於地;根草亥蹶於此, 則柯條瘁於彼;道失於近, 則禍及於遠;政繆於上, 而民困於下.
抱朴子曰:務於遠者或失於近, 治其外者或患生乎內. 覆頭者不必能令足不濡, 蔽腹者不必能令背不傷. 故秦始築城遏胡而禍發幃幄, 漢武懸旌萬里而變起蕭牆.
抱朴子曰:人才無定珍, 器用無常道, 直趨者以適世為奇, 役禦者以合時為妙. 故玄冰結則五明捐, 隆暑熾則裘爐退, 高鳥聚則良弓發, 狡兔多則盧鵲走, 干戈興則武夫奮, 韶夏作則文儒起.
抱朴子曰:激修流揚朝宗者, 不可以背五城而跨積石;舒翠葉吐丹葩者, 不可以舍洪草亥而去繁柯. 敗源失本, 鮮不枯汔, 叛聖違經, 理不弘濟.
不同而鹹悲, 香非一而並芳, 味不等而悉美.
抱朴子曰:物貴濟事而飾其末, 化俗以德而言非其本, 故綿布可以禦寒, 不必貂狐;淳素可以匠物, 不在文辯. 抱朴子曰:沖飆謐氣則轉蓬山峙, 修綱既舒則萬目齊理. 故未有上好謙而下慢, 主賤寶而俗貧.
抱朴子曰:事有緣微而成著, 物有治近而致遠. 故修步武之池, 而引沈鱗於江海;豐朝陽之林, 而延靈禽於丹穴;設象於盤盂, 而翠虯降於玄霄;委灰於尺水, 而望舒變於太極. 是以晉文回輪於勇蟲, 而壯士雲赴;句踐曲躬於怒蛙, 而戎卒輕死. 九九顯而扣角之俊至, 枯骨掩而三分之仁洽 .
抱朴子曰:膏壤在草亥, 而枯葉含榮;率俗以身, 則不言而化. 故有唐以鹿裘臻太平;齊桓以捐紫止奢競. 章華構而豐屋之過成, 露臺輟而玄默之風行.
抱朴子曰:聰者, 料興亡於遺音之絕響;明者, 覿機理於玄微之未形. 故越人見齊桓不振之徵於未覺之疾;箕子識殷人鹿台之禍於象箸之初.
抱朴子曰:二儀不能廢春秋以成歲, 明主不能舍刑德以致治. 故誅貴所以立威, 賞賤所以勸善. 罰上達, 則奸萌破而非懦弱所能用也;惠下逮, 則遠人懷而非儉吝所能辦也.
抱朴子曰:浮海滄者, 必精占於風氣, 故保利涉之福. 善蒞政者, 必戰戰於得失, 故享惟永之慶. 故暗君之所輕, 蓋明主之所重也. 亡國之所棄, 則治世之所行也.
抱朴子曰:毫釐蹉於機, 則尋常達於的;與奪失於此, 則善否亂於彼. 邪正混侔, 則彝倫攸斁;功過不料, 則庶績以崩. 故明君賞猶春雨而無霖淫之失, 罰擬秋霜而無詭時之嚴.
抱朴子曰:明銓衡者, 所重不可得誣也;仗法度者, 所愛不可得私也. 故得人者, 先得之於己者也;失人者, 先失之於己者也. 未有得己而失人, 失己而得人者也.
抱朴子曰:明主躬操威恩, 不假人以利器;暗主倒執干戈, 雖名尊而勢去. 故制慶賞而得眾者, 田常所以奪齊也;擅威福而專朝者, 王莽所以篡漢也.
抱朴子曰:常制不可以待變化, 一途不可以應無方, 刻船不可以索遺劍, 膠柱不可以諧清音. 故翠蓋不設於晴朗, 朱輪不施於涉川, 味淡則加之以鹽, 沸溢則增水而減火.
抱朴子曰:丹書鐵券, 刺牲歃血, 不能救違約之弊, 則難以結繩檢矣. 五刑九伐, 赤族之威, 不足以止覬覦之奸, 則不可以舞幹化矣. 是以《書》有世重之文, 《易》有隨時之宜.
抱朴子曰:人有識真之明者, 不可欺以偽也, 有揣深之智者, 不可誑以淺也. 不然, 以虺蛇為應龍, 狐鴟為麟鳳矣.
抱朴子曰:世有雷同之譽而未必賢也;俗有讙嘩之毀而未必惡也. 是以迎而許之者, 未若鑒其事而試其用;逆而距之者, 未若聽其言而課其實. 則佞媚不以虛談進, 良能不以孤弱退, 駑蹇輟望於大輅, 戎虯揚鑣而電騁. 則功胡大而不可建, 道胡遠而不可到?
抱朴子曰:潛朽之木, 不能當傾山之風, 含隟之崖, 難以值滔天之濤. 故七百之祚, 三十之世, 非徒牧野之功;倒戈之敗, 鹿台之敗, 不始甲子之朝. 其強久矣, 其亡尚矣.
抱朴子曰:貴遠而賤近者, 常人之用情也;信耳而疑目者, 古今之所患也. 是以秦王歎息於韓非之書而想其為人, 漢武慷慨於相如之文而情不同世;及既得之, 終不能拔. 或納讒而誅之, 或放之乎冗散, 此蓋葉公之好偽形, 見真龍而失色也.
抱朴子曰:摩尼不宵朗, 則無別於磧礫;化鯤不淩霄, 則靡殊於桃蟲. 綿駒吞聲, 則與喑人為群;逸才沈抑, 則與凡庸為伍. 故(魚旦)鰍褻絳虯於淵洿, 駑蹇黷駿騄於坰野者, 不識彼物靜與之同, 動與之異.
抱朴子曰:棄金璧於途路, 則行人止足;委錦紈於泥濘, 則見者驚咄. 若夫放高世之士於庸鹵之伍, 捐經國之器於困滯之地, 而談者不訟其屈, 達者不拯其窮, 或貴其文而忽其身, 或用其策而忘其功. 斯之為病, 由來久矣.
抱朴子曰:開源不億仞 , 則無懷山之流;崇峻不淩霄, 則無彌天之雲. 財不豐, 則其惠也不博;才不遠, 則其辭也不贍. 故睹盈丈之牙, 則知其不出徑寸之口;則百尋之枝, 則知其不附毫末之木.
抱朴子曰:靈鳳所以晨起丹穴, 夕萃軒丘, 日未移晷, 周章九陔, 淩風蹈云, 不掇不閡者, 以其六翮之輕勁也. 夫才大器, 亦有國之六翮也.
抱朴子曰:淇衛忘歸, 不能無弦而遠激;振塵之音, 不能無器而興哀. 超俗拔萃之德, 不能立功於未至之時.
抱朴子曰:朱綠之藻, 不秀於枯柯;傾山之流, 不發乎涸源. 熠耀之宵焰, 不能使萬品呈形;志盡勢利, 不能使芳風邈世.
抱朴子曰:重淵不洞地, 則不能含螭龍, 吐吞舟;峻山不極天, 則不能韜琳琅, 播雲雨;立德不絕俗, 則不能收美聲, 著厚實;執志不絕群, 則不能臻成功, 銘弘勳. 而凡夫朝為蜩翼之善, 夕望丘陵之益, 猶立植黍稷, 坐索於豐收也.
抱朴子曰:行無邈俗之標, 而索高世之稱;體無道藝之本, 而營朋黨之末. 欲以收清貴於當世, 播德音於將來, 猶褰裳以越滄海, 企佇而躍九玄.
抱朴子曰:泥龍雖藻繪炳蔚, 而不堪慶雲之招;撩禽雖雕琢玄黃, 而不任淩風之舉;芻狗雖飾以金翠, 而不能躡景以頓逸;近才雖豐其寵祿, 而不能令天清而地平.
抱朴子曰:毒弱既陳, 則旁有爛腸之鼠;明燎宵舉, 則下有聚死之蟲. 芻豢之豐, 則鼎俎承之;才小任大, 則泣血漣如. 桑霍為戒厚矣, 範疏之鑒明矣.
抱朴子曰:滄海揚萬里之濤, 不能斂山峰之塵;驚風摧千仞之木, 不能拔弱草之草亥. 豸區虎武虎闞, 不能威蚊虻;冠世之才, 不能合流俗.
抱朴子曰:堅志者, 功名之主也;不惰者, 眾善之師也. 登山不以艱險而止, 則必臻乎峻嶺矣;積善不以窮否而怨, 則必永其令問矣.
抱朴子曰:和鵲雖不長生, 而針石不可謂非濟命之器也;儒者雖多貧賤, 而墳典不可謂非進德之具也. 播種有不收者矣, 而稼穡不可廢;仁義有遇禍者矣, 而行業不可惰.
抱朴子曰:重載不止, 所以沈我舟也;昧進忘退, 所以危我身也. 聚蠍攻本, 雖權安然, 必傾之徵也.
抱朴子曰:玄雲為龍興, 非虺蜓所能招也;飆風為虎發, 非狐狢之能致也. 是以大人受命, 則逸倫之士集;玉帛幽求, 則丘園之俊起.
抱朴子曰:金以剛折, 水以柔全, 山以高陊, 谷以卑安. 是以執雌節者無爭雄之禍, 多尚人者有召怨之患.
抱朴子曰:淮陰隱勇於跨下, 不損其龍躍而虎視;應侯韜奇於溺簣, 不妨其鸞翔而鳳起也. 或南面稱孤, 或宰總台鼎. 故一抑一揚者, 輕鴻所以淩虛也;乍屈乍伸者, 良才所以俟時也.
抱朴子曰:焦螟之卑棲, 不肯為銜鼠之唳天;玄蟬之潔饑, 不願為蜣螂之穢飽. 是以禦寇不納鄭陽之惠, 曾三不美晉楚之寶.
抱朴子曰:微飆不能揚大海之波;毫芒不能動萬鈞之鍾. 是以漆園思惠, 有捐斤之歎;伯氏哀期, 有剿弦之憤. 短唱不足以致弘麗之和, 勢力不足以移淡泊之心.
抱朴子曰:熊羆不校捷於狐狸, 金鶚不兢擊於小鷂. 是以張耳掩壯於抱關, 朱亥竄勇於鼓刀.
抱朴子曰:懸魚惑於芳餌, 檻虎死於籠狐. 不可以釣緡致者, 必虯螭也;不可以機阱誘者, 必麟虞也.
抱朴子曰:夫雲翔者, 不知泥居之洿;處貴者, 鮮恕群下之勞. 然根朽者, 尋木不能保其千日之茂也;民怨者, 堯舜不能恃其長世之慶也.
抱朴子曰:凡木結根於靈山, 而匠石為之寢斤斧;小鮮寓身於龍池, 而漁父為之息綱罟. 蚊集鷹首, 則鳸鵦不敢啄;鼠住虎側, 則狸犬不敢睨.
抱朴子曰:靈蔡默然, 而吉凶昭晰於無形;春蛙長嘩, 而醜音見患於聒耳. 故聲希者響必巨, 辭寡者信必著.
抱朴子曰:箕踞之俗, 惡盤旋之容;被發之域, 憎章甫之飾. 故忠正者排於讒勝之世, 雅人不容乎惡直之俗.
抱朴子曰:升水不能救藪之燔草熱, 撮壤不能遏砥柱之騰沸, 寸刃不能刊長洲之林, 獨是不能止朋黨之非.
抱朴子曰:千羊不能捍獨虎, 萬雀不能抵一鷹. 庭燎攢舉, 不及羲和之末景;百鼓並伐, 未若震霆之餘聲. 是以庸夫盈明, 不能使彝倫攸敘;英俊孤任, 足以令庶事根長.
抱朴子曰:非分之達, 猶林卉之冬華也;守道之窮, 猶竹柏之履霜也. 故識否泰於獨見者, 雖劫以鋒銳, 猶不失正而改途焉, 安肯諂笑以偶俗乎? 體方貞以居直者, 雖誘以封國, 猶不違情以趨時焉, 安肯躐徑以取容乎?
抱朴子曰:震雷車訇車盍, 而不能致音乎聾聵之耳, 重光麗天, 而不能曲景於幽岫之中;凝冰慘栗, 而不能凋款冬之華;朱飆鑠石, 而不能靡蕭丘之木. 故至德有所不能移也.
抱朴子曰:弓廣弩危機, 嚴鏃銜弦, 至可忌也, 而勇雉觸之而不猜;暗政亂邦, 惡直妒能, 甚難測也, 而貪人競而不避. 故飛鋒暴集而不覺, 禍敗奄及而不振. 是以愚夫之所悅, 乃達者之所悲也;凡才之所趨, 乃大智之所去也.
抱朴子曰:風不輟則扇不用, 日不入則燭不明, 華不墮則實不結, 岸不虧則穀不盈. 九有乂安, 則韓白之功不著;長君繼軌, 則伊霍之勳不成. 故病困乃重良醫, 世亂而貴忠貞.
抱朴子曰:好榮故樂譽之欲多, 畏辱則憎毀之情急. 若夫通精元一, 命契造化, 混盈虛以同條, 齊得失於一指者, 愛惡未始有所系, 窮通不足以滑和.
抱朴子曰:與奪不汨其神者, 至粹者也;利害不染其和者, 極醇者也. 浩浩乎非瓢觶所校矣, 茫茫乎非跬步所尋矣. 聲希所以為大音, 和寡所以崇我貴, 玄黃遼邈而不與□其曠, 死生大矣, 而不以改其守, 常分細碎, 將胡恤焉?
抱朴子曰:林繁則匠入矣, 珠美則蟲奉裂矣. 石含金者焚鑠, 草任藥者剪掘, 刃利則先缺, 弦哀則速絕. 用以適己, 真人之寶也;才合世求, 有伎之災也.
抱朴子曰:准的陳則流鏑赴焉;美名起則謗讀言攻焉. 瑰貨多藏則不招怨而怨至矣, 器盈志驕則不召禍而禍來矣.
抱朴子曰:連城之寶, 非貧寒所能市也;高世之器, 非淺俗所能識也. 然盈尺之珍, 不以莫知而暗其質;逸倫之士, 不以否塞而薄其節. 樂天任命, 何怨何尤!
抱朴子曰:大鵬無戒旦之用, 巨象無馳逐之才. 故蔣琬敗績於百里, 而為三台之標;陳平困瘁於治家, 而懷六奇之略.
抱朴子曰:明暗者, 才也, 自然而不可飾焉;窮達者, 時也, 有會而不可力焉. 呂尚非早蔽而晚智, 然振素而僅遇;韓信非初怯而末勇, 然危困而後達.
抱朴子曰:奔驥不能及既住之失, 千金不能救斯言之玷. 故博其施者, 未若防其微;勤其求者, 不如寡其辭.
抱朴子曰:烈士之愛國也如家, 奉君也如親, 則不忠之事, 不為其罪矣. 仁人之視人也如己, 待疏也猶密, 則不恕之怨, 不為其責矣.
抱朴子曰:玄冰未結, 白雪不積, 則青松之茂不顯;俗化不弊, 風教不頹, 則皎潔之操不別. 在危國而沈賤, 故莊萊抗遺榮之高;居亂邦而饑寒, 故曾列播忘富之稱.
抱朴子曰:天居高而鑒卑, 故其網雖疏而不漏;神聰明而正直, 故其道賞真而伐偽. 是以惠和暢於九區, 則七耀得於玄昊;殘害著於品物, 則二氣謬於四八.
抱朴子曰:天秩有罔極之尊, 人爵無違德之貴. 故仲尼雖匹夫而饗祀於百代, 辛癸為帝王而仆豎不願以見比, 商老身愈賤而名愈貴, 幽厲位彌重而罪彌著. 故齊王之生, 不及柳惠之墓;秦王之宮, 未若康成之閭.
抱朴子曰:影響不能無形聲以著, 余慶不可以無德而招. 故唐堯為政七十餘載, 然後景星摛耀;羊公積行, 黃發不倦, 而乃墜金雨集. 途遠者其至必遲, 施後者其報常晚.
抱朴子曰:理盡者不可責有餘, 一至者不可求兼濟. 故洪濤之末, 不能蕩浮萍;沖風之後, 不能颺輕塵;勁弩之餘力, 不能洞霧縠;西頹之落暉, 不能照山東.
抱朴子曰:懸象雖薄蝕, 不可以比螢燭之貞耀;黃河雖混渾, 不可以方沼沚之清澄. 山雖崩, 猶峻於丘垤;虎雖瘠, 猶猛於豺狼.
抱朴子曰:神農不九疾, 則四經之道不垂;大禹不胼胝, 則玄珪之慶不集. 故久憂為厚樂之本, 暫勞為永逸之始.
抱朴子曰:金鉤桂餌雖珍, 而不能制九淵之沈鱗;顯寵豐祿雖貴, 而不能致無欲之幽人. 故呂梁有鵠立之夫, 河湄繁伐檀之民. 玉帛徒集於子陵之巷, 蒲輪虛反於徐生之門.
抱朴子曰:觀聽殊好, 愛憎難同. 鳥睹西施而驚逝, 魚鱉聞九韶而深沈. 故兗藻之粲煥, 不能悅裸鄉之目;辨菱之清音, 不能快楚隸之耳. 古公之仁, 不能喻欲地之狄;端木之辯, 不能釋系馬之庸.
抱朴子曰:般旋之儀, 見憎於裸踞之鄉;繩墨之匠, 獲忌於曲木之肆. 貪婪饕餮者, 疾素絲之皎潔;比周實繁者, 讎高操之孤立. 猶賈豎之惡同利, 醜女之害國色.
抱朴子曰:君子之升騰也, 則推賢而散祿;庸人之得志也, 則矜貴而忽士. 施惠隆於佞幸, 用財出乎小惠. 不與智者aw 其安, 而望有危而見救;不與奇士同其歡, 而欲有戚之見恤;猶災火張天, 方請雨於名山;洪水淩空, 而伐舟於東閭;不亦晚乎?

辭義卷第四十

或曰:乾坤方圓, 非規定之功, 三辰摛景, 非瑩磨之力;春華粲煥, 非漸染之辨;茝蕙芬馥, 非容氣所假. 知夫至真, 貴乎天然也. 義以罕覿為異, 辭以不常為美, 而曆觀古今屬文之家, 鮮能挺逸麗於毫端, 多斟酌於前言. 何也?
抱朴子曰:清音貴於雅韻克諧, 著作珍乎判微析理. 故八音形器異而鍾律同, 黼黻文物殊而五色均. 徒閑澀有主賓, 妍媸有步驟. 是則總章無常曲, 大庖無定味. 夫梓豫山積, 非班匠不能成機巧;眾書無限, 非英才不能收膏腴. 何必尋木千里, 乃構大廈;鬼神之言, 乃著篇章乎!
抱朴子曰:夫才有清濁, 思有修短, 雖並屬文, 三差萬品, 或浩瀁而不淵渾, 或事情而辭鈍, 違物理而文工, 蓋偏長之一致, 非兼通之才也. 暗於自料, 強欲兼之, 違才易務, 故不免嗤也.
抱朴子曰:五味舛而並甘, 眾色乖而皆麗. 近人之情, 愛同憎異, 貴乎合己, 賤於殊途. 夫文章之體, 尤難詳賞, 苟以入耳為佳, 適心為快, 鮮知忘味之九成, 雅頌之風流也. 所謂考鹽梅之鹹酸, 不知大羹之不致, 明飄搖之細巧, 蔽於沈深之弘邃也. 其英異宏逸者, 則網羅乎玄黃之表;其拘束齷齪者, 則羈絏於籠罩之內. 振翅有利鈍, 則翔集有高卑;騁跡有遲迅, 則進趨有遠近. 駑銳(疑下有脫文)不可膠柱調也. 文貴豐贍, 何必稱善如一口乎! 不能拯風俗之流遁, 世途之淩夷, 通疑者之路, 賑貧者之乏, 何異春華不為肴糧之用, 茝蕙不救冰寒之急. 古詩刺過失, 故有益而貴;今詩純虛譽, 故有損而賤也.
抱朴子曰:屬筆之家, 亦各有病, 其深者則患乎譬煩言冗, 申誡廣喻, 欲棄而惜, 不覺成煩也. 其淺者則患乎妍而無據, 證援不給, 皮膚鮮澤而骨鯁迥弱也. 繁華日韋曄, 則並七曜以高麗;沈微淪妙, 則儕玄淵之無測. 人事靡細而不浹, 王道無微而不憊, 故能身賤而言貴, 千載彌彰焉.

抱朴子 外篇41~48

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

循本卷第四十一

抱朴子曰:玄寂虛靜者, 神明之本也;陰陽柔剛者, 二儀之本也;巍峨岩岫者, 山嶽之本也;德行文學者, 君子之本也. 莫或無本而能立焉. 是以欲致其高, 必豐其基, 欲茂其末, 必深其根. 鄉党之友不洽, 而勤遠方之求, 涖官之稱不著, 而索不次之顯. 是以雖佻虛譽, 猶狂華幹霜以吐曜, 不崇朝而零瘁矣. 雖竊大寶於不料, 冒惟塵以負乘, 猶鮮介附騰波以高淩, 顧眄已枯株於危陸矣. 聖賢孜孜, 勉之若彼, 淺近口止喬口止喬, 忽之如此. 積習則忘鮑肆之臭, 裸鄉不覺呈形之醜, 自非遁世而無悶, 齊物於通塞者, 安能棄近易而尋迂闊哉! 將救斯弊, 其術無他, 徒擢民於岩岫, 任才而不計也.

應嘲卷第四十二

抱朴子曰:客嘲餘云:先生載營抱一, 韜景靈淵, 背俗獨住, 邈爾蕭然. 計決而猶豫, 不棲於心術;分定而世累, 無系於胸間. 伯陽以道德為首, 莊周以逍遙冠篇, 用能標峻格於九霄, 宣芳烈於罔極也. 今先生高尚勿用, 身不服事, 而著君道臣節之書;不交於世, 而作譏俗救生之論;甚愛骨幹毛, 而綴用兵戰守之法;不營進趨, 而有審舉窮達之篇;蒙竊惑焉.
抱朴子曰:君臣之大, 次於天地, 思樂有道, 出處一情, 隱顯任時, 言亦何系. 大人君子, 與事變通. 老子無為者也, 鬼穀終隱者也, 而著其書, 鹹論世務. 何必身居其位, 然後乃言其事乎? 夫器非瓊瑤, 楚和不泣, 質非潛虯, 風雲不集. 余才短德薄, 幹不適治, 出處同歸, 行止一致, 豈必達官, 乃可議政事君, 否則不可論治亂乎? 常恨莊生言行自伐, 桎梏世業, 身居漆園而多誕談, 好畫鬼魅, 憎圖狗馬, 狹細忠貞, 貶毀仁義. 可謂雕虎畫龍, 難以征風雲;空板億萬, 不能救無錢. 孺子之竹馬, 不免於腳剝;士柈之盈案, 無益於腹虛也.
或人又曰:然吾子所著, 彈斷風俗, 言苦辭直, 吾恐適足取憎在位, 招擯於時, 非所以揚聲發譽, 見貴之道也.
抱朴子曰:夫制器者珍於周急, 而不以辨飾外形為善;立言者貴於助教, 而不以偶俗集譽為高. 若徒阿順諂諛, 虛美隱惡, 豈所匡失弼違, 醒迷補過者乎? 慮寡和而廢白雪之音, 嫌難售而賤連城之價, 餘無取焉. 非不能屬華豔以取悅, 非不知抗直言之多吝, 然不忍違情曲筆, 錯濫真偽, 欲令心口相契, 顧不愧景, 冀知音之在後也. 否泰有命, 通塞聽天, 何必書行言用, 榮及當年乎? 夫君子之開口動筆, 必戒悟蔽, 式整雷同之傾邪, 磋礱流遁之暗穢, 而著書者徒飾弄華藻, 張磔迂闊, 屬難驗無益之辭, 治靡麗虛言之美, 有似堅白厲修之書, 公孫刑名之論, 雖曠籠天地之外, 微入無間之內, 立解連環, 離同合異, 鳥影不動, 雞卵有足, 犬可為羊, 大龜長蛇之言, 適足示巧表奇以誑俗, 何異乎畫敖倉以救饑, 仰天漢以解渴. 說昆山之多玉, 不能賑原憲之貧;觀藥藏之簿領, 不能治危急之疾;墨子刻木雞以厲天, 不如三寸之車金害;管青鑄騏驥於金象, 不如駑馬之周用. 言高秋天而不可施者, 丘不與易也.

喻蔽卷第四十三

抱朴子曰:余雅謂王仲任作《論衡》八十餘篇, 為冠倫大才.
有同門魯生難餘曰:夫瓊瑤以寡為奇, 磧礫以多為賤, 故庖犧卦不盈十而彌綸二儀, 老氏言不滿萬而道德備舉. 王充著書, 兼箱累袠, 而乍出乍入, 或儒或墨, 屬詞比義, 又不盡美, 所謂陂原之蒿莠, 未若步武之黍稷也.
抱朴子答曰:且夫作者之謂聖, 述者之謂賢, 徒見述作之品, 未聞多少之限也. 吾子所謂竄巢穴之沈昧, 不知八紘之無外;守燈燭之宵曜, 不識三光之晃朗;遊潢洿之淺狹, 水覺南溟之浩汗;滯丘垤之位埤, 不寤嵩岱之峻極也. 兩儀所以稱大者, 以其函括八荒, 緬邈無表也;山海所以為富者, 以其包籠曠闊, 含受雜錯也. 若如雅論, 貴少賤多, 則穹隆無取乎宏燾, 而旁泊不貴於厚載也. 夫跡水之中, 無吞舟之鱗;寸枝之上, 無垂天之翼;蟻垤之巔, 無扶桑之林;潢潦之源, 無襄陵之流. 巨鼇首冠瀛洲, 飛波淩乎方丈;洪桃盤於度陵, 建木竦於都廣;沈鯤橫於天池, 雲鵬戾乎玄象. 且夫雷霆之駭, 不能細其響;黃河之激, 不能局其流;騏騄追風, 不能近其跡;鴻鵠奮翅, 不能卑其飛. 雲厚者雨必猛, 弓勁者箭必遠. 王生學博才大, 又安省乎!
吾子云 ;玉以少貴, 石以多賤.夫玄圃之下, 荊華之顛, 九員之澤, 折方之淵, 琳琅積而成山, 夜光煥而灼天, 顧不善也. 又引庖犧氏著作不多, 若周公既繇大易, 加之以禮樂, 仲尼作《春秋》, 而重之以十篇. 過於庖犧, 多於老氏, 皆當貶也. 言少則至理不備, 辭寡既庶事不暢. 是以必須篇累卷積, 而綱領舉也. 羲和升光以啟旦, 望舒曜景以灼夜, 五材並生而異用, 百藥雜秀而殊治, 四時會而歲功成, 五色聚而錦繡麗, 八音諧而簫韶美, 群言合而道藝辨. 積猗頓之材, 而用之甚少, 是何異於原憲也? 懷無銓之量, 而著述約陋, 亦何加別於瑣碌也? 音為知者珍, 書為識者傳, 瞽曠之調鍾, 未必求解於同世;格言高文, 豈患莫賞而減之哉! 且夫江海之穢物, 不可勝計, 而不損其深也;五嶽之曲木, 不可訾量, 而無虧其峻也. 夏後之璜, 雖有分毫之瑕, 暉曜符彩, 足相補也. 數千萬言, 雖有不豔之辭, 事義高遠, 足相掩也. 故曰:四瀆之濁, 不方甕水之清;巨象之瘦, 不同羔羊之肥矣.
子又譏云:乍入乍出, 或儒或墨.夫發口為言, 著紙為書. 書者所以代言, 言者所以書事. 若用筆不宜雜載, 是論議當常守一物. 昔諸侯訪政, 弟子問仁, 仲尼答之, 人人異辭. 蓋因事托規, 隨時所急, 譬猶治病之方千百, 而針炙之處無常, 卻寒以溫, 除熱以冷, 期於救死存身而已. 豈可詣者逐一道如齊楚, 而不改路乎? 陶朱白圭之財不一物者, 豐也;雲夢孟諸所生萬殊者, 曠也. 故《淮南鴻烈》, 始於《原道》《俶真》, 而亦有《兵略》《主術》, 莊周之書, 以死生為一, 亦有畏犧慕龜請粟救饑. 若以所言不純而棄其文, 是治珠翳而剜眼, 療濕痹而刖足, 患荑莠而刈穀, 憎枯枝而伐樹也.

百家卷第四十四

抱朴子曰:百家之言, 雖不皆清翰銳藻, 弘麗汪濊, 然悉才士所寄, 心一夫澄思也. 正經為道義之淵海, 子書為增深之川流. 仰而比之, 則景星之佐三辰;俯而方之, 則林薄之裨嵩嶽. 而學者專守一業, 游井忽海, 遂掇躓於泥濘之中, 而沈滯乎不移之困. 子書披引玄曠, 眇邈泓窈, 總不測之源, 揚無遺之流, 變化不系於規矩之方圓, 旁通不淪於違正之邪徑, 風格高嚴, 重仞難盡. 是偏嗜酸甜者, 莫能賞其味也;用思有限者, 不得辯其神也. 先民歎息於才難, 故百世為隨踵, 不以璞不生板桐之嶺, 而捐曜夜之寶;不以書不出周孔之門, 而廢助教之言. 猶彼操水者, 器雖異而救火同焉;譬若針灸者, 術雖殊而攻疾均焉. 狹見之徒, 區區執一, 去博辭精, 思而不識, 合錙銖而以齊重於山陵, 聚百千可以致數億兆, 惑詩賦瑣碎之文, 而忽子論深美之言, 真偽顛倒, 玉石混淆, 同廣樂於桑間, 均龍章於素質, 可悲可慨, 豈一條哉!

文行卷第四十五

或曰:德行者, 本也;文章者, 末也. 故四科之序, 文不居上. 然則著紙者, 糟粕之餘事;可傳者, 祭畢之芻狗. 卑高之格, 是可譏矣.
抱朴子答曰:荃可棄而魚未獲, 則不得無荃;文可廢而道未行, 則不得無文. 若夫翰跡韻略之廣逼, 屬辭比義之妍媸, 源流至到之修短, 韞藉汲引之深淺, 其懸絕也, 雖天外毫內, 不足以喻其遼邈, 雖三光熠耀, 不足以方其巨細. 龍淵鉛鋌, 未足以譬其銳鈍;鴻羽積金, 未足以方其輕重. 而俗士唯見能染毫畫紙, 便概以一例, 斯伯氏所以永思鍾子, 郢人所以格斤不運也. 夫斫削者比肩, 而班狄擅絕手之名;援琴者至多, 而夔襄專清聲之稱. 廄馬千駟, 而騏騮有邈群之價;美人萬計, 而威施有超世之色者, 蓋遠過眾也. 且文章之與德行, 猶十尺之與一丈, 謂之餘事, 未之聞也. 八卦生乎鷹隼之飛, 六甲出於靈龜之負, 文之所在, 雖且貴(疑有脫文)本不必便疏, 末不必皆薄, 譬錦繡之因素地, 珠玉之托蟲奉石, 雲雨生於膚寸, 江河始於咫尺, 理誠若茲, 則雅論病矣.
又曰:應龍徐舉, 顧眄而淩雲;汗血緩步, 呼吸而千里. 故螻蟻怪其無階而高致, 駑蹇驚過己之不漸也. 若夫馳驟詩論之中, 周旋一經之內, 以常情覽巨異, 以褊量測無涯, 始自髫齔, 詣於振素, 不能得也. 又世俗率貴古昔而賤當今, 敬所聞而黷所見. 同時雖有追風絕景之駿, 猶謂不及伯樂之所禦也. 雖有宵良兼城之璞, 猶謂不及楚和之所泣也. 雖有斷馬指雕之劍, 猶謂不及歐冶之所鑄也. 雖有生枯起朽之藥, 猶謂不及和鵲之所合也. 雖有冠群獨行之士, 猶謂不及於古人也.

正郭卷第四十六

抱朴子曰:嵇生以太原郭林宗, 竟不恭三公之命, 學無不涉, 名重於往代, 加之以知人, 知人則哲, 蓋亞聖之器也. 及在衰世, 棲棲惶惶, 席不暇溫, 志在乎匡斷行道, 與仲尼相似.
餘答曰:夫智與不智, 存於一言, 樞機之玷, 亂乎白圭, 愚謂亞聖之評, 未易以輕有許也. 夫所謂亞聖者, 必具體而微, 命世絕倫, 與彼周孔其間無所複容之謂也. 若人者亦何足登斯格哉! 林宗拔萃翹特, 鑒識朗徹, 方之常人所議, 固多引之上及, 實複未足也. 此人有機辯風姿, 又巧自抗遇而善用, 且好事者為之羽翼, 延其聲譽於四方, 故能挾之見推慕於亂世, 而為過聽不核實者所推策, 及其片言所褒, 則重於千金, 游涉所經, 則賢愚波蕩, 謂龍鳳之集, 奇瑞之出也. 吐聲則餘音見法, 移足則遺跡見擬, 可謂善擊建鼓而揭日月者耳, 非真隱也. 蓋欲立朝則世已大亂, 欲潛伏則悶而不堪, 或躍則畏禍害, 確爾則非所安. 彰徨不守, 載肥載月瞿, 而世人逐其華而莫研其實, 玩其形而不究其神, 故遭雨巾壞, 猶複見效, 不覺其短, 皆是類也. 俗民追聲, 一至於是. 故其雖有缺隟, 莫之敢指也. 夫林宗學涉知人, 非無分也. 然而未能避過實之名, 而暗於自料也. 或勸之以出仕進者, 林宗對曰:吾晝察人事, 夜看乾象, 天之所廢, 不可支也. 方今運在明夷之爻, 值勿用之位, 蓋盤桓潛居之時, 非在天利見之會也.
雖有原陸, 猶恐滄海橫流. 吾其魚也, 況可冒沖風而乘奔波乎! 未若岩岫頤神, 娛心彭老, 優哉遊哉, 聊以卒歲.按林宗之言, 其知漢之不可救, 非其才之所辦審矣. 法當仰隮商洛, 俯泛五湖, 追巢父於峻嶺, 尋漁父於滄浪, 若不能結蹤山客, 離群獨往, 則當掩景淵洿, 韜鱗括囊, 而乃自西徂東, 席不暇溫, 欲慕孔墨棲棲之事. 聖者憂世, 周流四方, 猶為退士, 所見譏彈. 林宗才非應期, 器不絕倫, 出不能安上治民, 移風易俗, 入不能揮毫屬筆, 祖述六藝, 行自炫耀, 亦既過差, 收名赫赫, 受饒頗多. 然卒進無補於治亂, 退無跡於竹帛. 觀傾視汨, 冰泮草靡, 未有異庸人也. 無故沈浮於波濤之間, 倒屣於埃塵之中, 遨集京邑, 交關貴遊, 輪刓篋弊, 匪遑啟處, 遂使聲譽翕熠, 秦胡景附, 巷結朱輪之軌, 堂列赤紱之客, 軺車盈街, 載奏連車, 誠為遊俠之徒, 未合逸隱之科也. 有道之世而臻此者, 猶不得複廁高潔之條貫焉, 為秘丘之俊民, 而修茲在於危亂之運, 奚足多哉! 孰不謂之暗於天人之否泰, 蔽於自量之優劣乎! 空背恬默之途, 竟無有為之益, 不值禍敗, 蓋其幸耳. 以此為憂世念國, 希擬素王, 有似蹇足之尋龍騏, 斥鷃之逐鴻鵠, 焦冥之方雲鵬, 鼷鼬之比巨象也.
然則林宗可謂有耀俗之才, 無固守之質, 見無不了, 庶幾大用, 符辨外發, 精神內虛, 不勝煩躁, 言行相伐, 口稱靜退, 心希榮利, 未得□玄圃之棲禽, 九淵之潛靈也. 自炫自媒, 士女之醜事也. 知其不可而尤效尤師, 亞聖之器, 其安在乎? 雖云知人, 知人之明, 乃唐虞之所難, 尼父之所病. 夫以前並日月, 原始見終, 且猶有失, 不能常中, 況於林宗螢燭之明, 得失半解, 已為不少矣. 然則名稱重於當世, 美談盛於既沒, 故其所得者, 則世共傳聞, 而所失者, 則莫之有識爾. 雖頗甄無名之士於草萊, 指未剖之璞於丘園, 然未能進忠烈於朝廷, 立禦每於疆場, 解亡徵於倒懸, 折逆謀之競逐. 若鮑子之推管生, 平仲之達穰苴, 林宗名振於朝廷, 敬於一時, 三九肉食, 莫不欽重, 力足以拔才, 言足以起滯, 而但養疾京輦, 招合賓客, 無所進致, 以匡危蔽, 徒能知人, 不肯薦舉, 何異知沃壤之任良田, 議直木之中樑柱, 而終不墾之以播嘉穀, 伐之以構梁棟, 奚解於不粒, 何救於露居哉! 其距貢舉者, 誠高操也, 其走不休者, 亦其疾也.
嵇生又曰:林宗存為一世之所式, 沒則遺芳永播. 碩儒俊士, 未或指點, 而吾生獨評其短, 無乃見嗤於將來乎! 抱朴子曰:曷為其然哉? 苟吾言之允者, 當付之於後, 後之識者, 何恤於寡和乎? 且前賢多亦譏之, 獨皇生褒過耳. 故太傅諸葛無遜亦曰:林宗隱不修遁, 出不益時, 實欲揚名養譽而已. 街談巷議以為辯, 訕上謗政以為高, 時俗貴之, 歙然猶郭解原涉, 見趨於曩時也. 後進慕聲者, 未能考之於聖王之典, 論之於先賢之行, 徒惑華名, 鹹競准的, 學之者如不及, 談之者則盈耳, 中人猶不覺, 童蒙安能知?故零陵太守殷府君伯緒, 高才篤論之士也, 亦曰:林宗入交將相, 出遊方國, 崇私議以動眾, 關毀譽於朝廷. 其所善則風騰雨驟, 改價易姿;其所惡則摧頓陸沈, 士人不齒. □其名賢, 遭亂隱遁, 含光匿景, 未為遠矣. 君子行道, 以匡君也, 以正俗也, 於時君不可匡, 俗不可正, 林宗周旋, 清談閭閻, 無救於世道之陵遲, 無解於夭民之憔悴也.又故中書郎周生恭遠, 英偉名儒也, 亦曰:夫遇治而贊之, 則謂之樂道;遭亂而救之, 則謂之憂道;亂不可救而避之, 則謂之守道. 虞舜樂道者也, 仲尼憂道者也, 微子守道者也. 漢世將傾, 世務交遊, 林宗法當慨然虛心, 要同契君子, 共矯而正之, 而身棲棲為之雄伯, 非救世之宜也. 於時雖諸黃門, 六畜自寓耳. 其陳蕃竇武之徒, 雖鼎司牧伯, 皆貴重林宗, 信其言論, 臧否取定, 於匡危易俗, 不亦可冀乎? 而林宗既不能薦有為之士, 立毫毛之益, 而逋逃不仕者, 則方之巢許;廢職待客者, 則比之周公;養徒避役者, 則擬之仲尼;棄親依豪者, 則同之游夏. 是以世眩名實, 而大亂滋甚也. 若謂林宗不知, 則無以稱聰明;若謂知之而不改, 則無以言憂道. 昔四豪似周公而不能為周公, 今林宗似仲尼而不得為仲尼也.於是問者慨而歎曰:然則斯人乃避亂之徒, 非全隱之高矣.

彈禰卷第四十七

抱朴子曰:漢末有禰衡者, 年二十有三, 孔文舉齒過知命, 身居九列, 文學冠群, 少長稱
譽, 名位殊絕, 而友衡於布衣, 又表薦之於漢朝, 以為宜起家作台郎.
云:惟嶽降神, 異人並出. 目所一見, 輒誦於口. 耳所瞥聞, 不忘於心. 性與道合, 思若有神.其歎之如此. 衡游許下, 自公卿國士以下, 衡初不稱其官, 皆名之雲阿某, 或以姓呼之為某兒, 呼孔融為大兒, 呼楊修為小兒. 荀彧猶強可與語, 過此以住, 皆木梗泥偶, 似人而無人氣, 皆酒甕飲囊耳. 百官大會, 衡時在坐, 忽顰蹙悽愴, 哀歎忼慨, 或譏之曰:英豪樂集, 非所歎也. 衡眄曆視稠眾而答曰:在此積屍列柩之間, 仁人安能不悲乎?
曹公嘗切齒欲殺之, 然複無正有入法應殆之罪, 又惜有殺儒生之名, 乃謫作鼓吏, 衡了無悔情恥色, 乃縛角於柱, 口就吹之, 乃有異聲, 並搖鼓兆擊鼓, 聞者不知其一人也. 而論更劇, 無所顧忌, 尋亡走投荊州牧劉表, 表欲作書與孫權, 討逆於時已全據江東, 帶甲百萬, 欲結輔車之援, 與共距中國, 使諸文士立草, 盡思而不得表意. 乃示衡. 衡省之曰:但欲使孫左右持刀兒視之者, 此可用爾, 儻令張子布見此, 大辱人也. 即摧壞投地, 表悵然有怪色, 謂衡曰:為了不中芸鋤乎? 惜之也.
衡索紙筆, 便更書之, 眾所作有十餘通, 衡凡一曆視之而已, 暗記書之, 畢以還表. 表以還主, 或有錄所作之本也, 以比校之, 無一字錯, 乃各大驚. 表乃請衡更作, 衡即作成, 手不停輟, 表甚以以為佳而施用焉.
衡驕傲轉甚, 一州人士, 莫不憎恚, 而表亦不復堪, 欲殺之. 或諫以為曹公名為嚴酷, 猶能容忍, 衡少有虛名, 若一朝殺之, 則天下游士, 莫複擬足於荊楚者也. 表遂遣之. 衡走到夏口, 依將軍黃祖, 祖待以上賓. 祖大兒黃射, 與衡偕行, 過人墓下, 俱讀碑銘一過而去.
久之, 射曰:前所視碑文大佳, 恨不寫也. 衡曰:卿存其名目耳. 我一覽尚記之. 即為暗書之, 末有一字, 石缺, 乃不分明. 衡與半字, 曰:疑此當作某字. 恐不審也. 射省可(下有缺文). 雖言行輕人, 寧願榮顯, 是以高游鳳林, 不能幽翳蒿萊, 然修己駁刺, 迷而不覺, 故開口見憎, 舉足蹈禍. 齎如此之伎倆, 亦何理容於天下而得其死哉? 猶梟鳴狐嚾, 從皆不喜, 音響不改, 易處何益. 許下, 人物之海也. 文舉為之主任, 荷之足以至到, 於此不安, 已可知矣. 猶必死之病, 俞附越人, 所無如何. 朽木鉛鋌, 班輸歐冶所不能匠也. 而複走投荊楚間, 終陷極害, 此乃衡懵蔽之效也. 蓋欲之而不能得, 非能得而弗用者矣. 於戲才士, 可勿戒哉!
嵇生曰:吾所惑者, 衡之虛名也;子所論者, 衡之實病也. 敢不寤寐於指南, 投杖於折中乎!

詰鮑卷第四十八

鮑生敬言, 好老莊之書, 治劇辯之言, 以為古者無君, 勝於今世, 故其著論云:儒者曰:天生烝民而樹之君.豈其皇天諄諄然亦將欲之者為辭哉! 夫強者淩弱, 則弱者服之矣;智者詐愚, 則愚者事之矣. 服之, 故君臣之道起焉;事之, 故力寡之民制焉. 然則隸屬役禦, 由乎爭強弱而校愚智. 彼蒼天果無事也, 夫混茫以無名為貴, 群生以得意為歡. 故剝桂刻漆, 非木之願;拔鶡裂翠, 非鳥所欲;促轡銜鑣, 非馬之性;荷車兀運重, 非牛之樂. 詐巧之萌, 任力違真, 伐生之根, 以飾無用, 捕飛禽以供華玩, 穿本完之鼻, 絆天放之腳, 蓋非萬物並生之意. 夫役彼黎烝, 養此在官, 貴者祿厚而民亦困矣. 夫死而得生, 欣喜無量, 則不如向無死也.
讓爵辭祿, 以釣虛名, 則不如本無讓也. 天下逆亂焉而忠義顯矣, 六親不和焉而孝慈彰矣. 曩古之世, 無君無臣, 穿井而飲, 耕田而食, 日出而作, 日入而息, 泛然不系, 恢爾自得, 不競不營, 無榮無辱, 山無蹊徑, 澤無舟梁. 川穀不通, 則不相並兼;士眾不聚, 則不相攻伐. 是高巢不探, 深淵不漉, 鳳鸞棲息於庭宇, 龍鱗群游於園池, 饑虎可履, 虺蛇可執, 涉澤而鷗鳥不入飛, 入林而狐兔不驚. 勢利不萌, 禍亂不作, 干戈不用, 城池不設, 萬物玄同, 相忘於道, 疫癘不流, 民獲考終, 純白在胸, 機心不生, 含食甫而熙, 鼓腹而遊. 其言不華, 其行不飾, 安得聚斂以奪民財, 安得嚴刑以為坑阱!
降及杪季, 智用巧生, 道德既衰, 尊卑有序, 繁升降損益之禮, 飾紱冕玄黃之服, 起土木於淩霄, 構丹綠於棼撩, 傾峻搜寶, 泳淵辨珠. 聚玉如林, 不足以極其變;積金成山, 不足以贍其費. 澶漫於淫荒之域, 而叛其大始之本, 去宗日遠, 背樸彌增, 尚賢則民爭名, 貴貨則盜賊起, 見可欲則真正之心亂, 勢利陳則劫奪之途開. 造剡銳之器, 長侵割之患, 弩恐不勁, 甲恐不堅, 矛恐不利, 盾恐不厚. 若無淩暴, 此皆可棄也. 故曰:白玉不毀, 孰為珪璋? 道德不廢, 安取仁義? 使夫桀紂之徒, 得燔人辜諫者, 脯諸侯, 菹方伯, 剖人心, 破人脛, 窮驕淫之惡, 用炮烙之虐. 若令斯人並為匹夫, 性雖凶奢, 安得施之! 使彼肆酷恣欲, 屠割天下, 由於為君, 故得縱意也. 君臣既立, 眾慝日滋, 而欲攘臂乎桎梏之間, 悉勞於塗炭之中.
人主憂栗於廟堂之上, 百姓煎擾乎困苦之中, 閑之以禮度, 整之以刑罰, 是猶辟滔天之源, 激不測之流, 塞之以撮壤, 障之以指掌也.
抱朴子難曰:蓋聞沖昧既辟, 降濁升清, 穹隆仰燾, 旁泊俯停. 乾坤定位, 上下以形, 遠取諸物, 則天尊地卑, 以著人倫之體;近取諸身, 則元首股肱, 以表君臣之序, 降殺之軌, 有自來矣. 若夫太極混沌, 兩儀無質, 則未若玄黃剖判, 七耀垂象, 陰陽陶冶, 萬物群分也. 由滋以言, 亦知鳥聚獸散, 巢棲穴竄, 毛血是茹, 結草斯服, 入無六親之尊卑, 出無階級之等威, 未若庇體廣夏, 稉梁嘉旨, 黼黻綺紈, 禦冬當暑, 明辟蒞物, 良宰匠世, 設官分職, 宇宙穆如也. 貴賤有章, 則慕賞畏罰;勢齊力均, 則爭奪靡憚. 是以有聖人作, 受命自天, 或結罟以畋漁, 或瞻辰而鑽燧, 或嘗卉以選粒, 或構宇以仰蔽. 備物致用, 去害興利, 百姓欣戴, 奉而尊之, 君臣之道於是乎生, 安有詐愚淩弱之理? 三五迭興, 道教遂隆, 辯章勸沮, 德盛刑清, 明良之歌作, 蕩蕩之化成, 太階既平, 七政遵度, 梧禽激響於朝陽, 麟虞覿靈而來出, 龜龍吐藻於河湄, 景老摛耀於天路, 皇風振於九域, 兇器戢乎府庫, 是以禮制則君安, 樂作而刑厝也. 若夫奢淫狂暴, 由乎人己, 豈必有君, 便應爾乎? 而鮑生獨舉衰世之罪, 不論至治之義, 何也?
且夫逮古質樸, 蓋其未變, 民尚童蒙, 機心不動, 譬夫嬰孩, 智慧未萌, 非為知而不為, 欲而忍之也. 若人與人爭草萊之利, 家與家訟巢窟之地, 上無治枉之官, 下有重類之黨, 則私鬥過於公戰, 木石銳於干戈, 交屍布野, 流血絳路, 久而無君, 噍類盡矣. 至於擾龍馴鳳, 河圖洛書, 或麟銜甲負, 或黃魚波湧, 或丹禽翔授, 或回風三集, 皆在有君之世, 不出無王之時也. 夫祥瑞之徵, 指發玄極, 或以表革命之符, 或以彰至治之盛, 若令有君, 不合天意, 彼嘉應之來, 孰使之哉? 子若以混冥為美乎? 則乾坤不宜分矣;若以無名為高乎? 則八卦不當畫矣. 豈造化有謬, 而太昊之暗哉? 雅論所尚, 唯貴自然, 請問夫識母忘父, 群生之性也;拜伏之敬, 世之末飾也. 然性不可任, 必尊父焉;飾不可廢, 必有拜焉. 任之廢之, 子安乎?
古者生無棟宇, 死無殯葬, 川無舟楫之器, 陸無車馬之用, 吞啖毒烈, 以至殞斃, 疾無醫術, 枉死無限. 後世聖人, 改而垂之, 民到於今, 賴其厚惠, 機巧之利, 未易敗矣. 今使子居則反巢穴之陋, 死則捐之中野, 限水則泳之遊之, 山行則徒步負戴, 棄鼎鉉而為生臊之食, 廢針石而任自然之病. 裸以為飾, 不用衣裳;逢女為偶, 不假行媒. 吾子亦將曰:不可也.況於無君乎? 若令上世人如木石, 玄冰結而不寒, 資糧絕而不饑者, 可也. 衣食之情, 苟在其心, 則所爭豈必金玉, 所競豈必榮位! 橡草予可以生鬥訟, 藜藿足用, 致侵奪矣. 夫有欲之性, 萌於受氣之初, 厚己之情, 著於成形之日, 賊殺並兼, 起於自然, 必也不亂, 其理何居! 夫明王在上, 群後盡規, 坐以待旦, 昧朝旰食, 延誹謗以攻過, 責昵屬之補察, 聽輿謠以屬省, 鑒履尾而夕惕, 颺清風以埽穢, 厲秋威以肅物, 制峻網密, 有犯無赦, 刑戮以懲小罪, 九伐以討大憝, 猶豺狼之當路, 感彝倫之不敘, 憂作威之凶家, 恐奸宄之害國. 故嚴司鷹揚以彈違, 虎臣杖鋮於方嶽, 而狂狡之變, 莫世乏之, 而令放之, 使無所憚, 則盜蹠將橫行以掠殺, 而良善端拱以待禍, 無主所訴, 無強所憑, 而冀家為夷齊, 人皆柳惠, 何異負豕而欲無臭, 憑河而欲不濡, 無轡篋而禦奔馬, 棄枻櫓而乘輕舟, 未見其可也.
鮑生又難曰:夫天地之位, 二氣範物, 樂陽則雲飛, 好陰則川處. 承柔剛以率性, 隨四八而化生, 各附所安, 本無尊卑也. 君臣既立, 而變化遂滋, 夫獺多則魚擾, 鷹眾則鳥亂, 有司設則百姓困, 奉上厚則下民貧, 壅崇寶貨, 飾玩台榭, 食則方丈, 衣則龍章, 內聚曠女, 外多鰥男, 辨難得之寶, 貴奇怪之物, 造無益之器, 恣不已之欲, 非鬼非神, 財力安出哉?
夫穀帛積則民有饑寒之儉, 百官備則坐靡供奉之費, 宿衛有徒食之眾, 百姓養游手之人, 民乏衣食, 自給已劇, 況加賦斂, 重以苦役, 下不堪命, 且凍且饑, 冒法斯濫, 於是乎在. 王者憂勞於上, 台鼎顰戚頁於下, 臨深履薄, 懼禍之及. 恐智勇之不用, 故厚爵重祿以誘之;恐奸釁之不虞, 故嚴城深池以備之. 而不知祿厚則民匱而臣騎, 城嚴則役重而攻巧. 故散鹿台之金, 發钜橋之粟, 莫不歡然;況乎本不聚金, 而不斂民粟乎? 休牛桃林, 放馬華山, 載戢干戈, 載櫜弓矢, 猶以為泰;況乎本無軍旅, 而不戰不戍乎? 茅茨土階, 棄織拔葵, 雜囊為幃, 濯裘布被, 妾不衣帛, 馬不秣粟, 儉以率物, 以為美談, 所謂盜蹠分財, 取少為讓, 陸處之魚, 相煦以沫也.
夫身無在公之役, 家無輸調之費, 安土樂業, 順天分地, 內足衣食之用, 外無勢利之爭, 操杖攻劫, 非人情也. 象刑之教, 民莫之犯, 法令滋彰, 盜賊多有, 豈彼無利性而此專貪殘, 蓋我清靜則民自正, 下疲怨則智巧生也. 任之自然, 猶慮淩暴, 勞之不休, 奪之無已, 田蕪倉虛, 杼柚之空, 食不充口, 衣不周身, 欲令勿亂, 其可得乎? 所以救禍而禍彌深, 峻禁而禁不止也. 關梁所以禁非, 而猾吏因之以為非焉. 衡量所以檢偽, 而邪人因之以為偽焉.
大臣所以扶危, 而奸臣恐主之不危. 兵革所以靜難, 而寇者盜之以為難. 此皆有君之所致也. 民有所利, 則有爭心, 富貴之家, 所利重矣. 且夫細民之爭, 不過小小, 匹夫校力, 亦何所至, 無疆土之可貪, 無城郭之可利, 無金寶之可欲, 無權柄之可競, 勢不能以合徒眾, 威不足以驅異人, 孰與王赫斯怒, 陳師鞠旅, 推無讎之民, 攻無罪之國, 僵屍則動以萬計, 流血則漂櫓丹野. 無道之君, 無世不有, 肆其虐亂, 天下無邦, 忠良見害於內, 黎民暴骨於外, 豈徒小小爭奪之患邪? 至於移父事君, 廢孝為忠, 申令無君, 亦同有之耳. 古之為屋, 足以蔽風雨, 而今則被以朱紫, 飾以金玉;古之為衣, 足以掩身形, 而今則玄黃黼黻, 綿綺紈;古之為樂, 足以定人情, 而今則煩乎淫聲, 驚魂傷和;古之飲食, 足以充饑虛, 而今則焚林漉淵, 宰割群生. (下有脫文. )
 (以下為抱朴子駁難之辭)豈可以事之有過而都絕之乎? 若虞在上, 稷卨贊事, 卑宮薄賦, 使民以時, 崇節儉之清風, 肅玉食之明禁. 質素簡約者, 貴而顯之;亂化侵民者, 黜而戮之;則頌聲作而黎庶安矣. 何必慮火災而壞屋室, 畏風波而填大川乎?
抱朴子曰:鮑生貴上古無君之論, 餘既駁之矣. 後所答余, 文多不能盡載, 餘稍條其論而牒詰之雲.
鮑生曰:人君辨難得之寶, 聚奇怪之物, 飾無益之用, 厭無已之求.
抱朴子詰曰:請問古今帝王, 盡辨難得之寶, 聚奇怪之物乎? 有不爾者也. 余聞唐堯之為君也, 捐金於山;虞舜之禪也, 捐璧於穀. 疏食菲服, 方之監門, 其不汔淵剖珠, 傾岩刊玉, 鑿石鑠黃白之礦, 越海裂翡翠之羽, 網瑇瑁於絕域, 掘丹青於岷漢, 亦可知矣. 夫服章無殊, 則威重不著, 名位不同, 則禮物異數, 是以周公辨貴賤上下之異, 式宮室居處, 則有堵雉之限, 冠蓋旌旗, 則有文物之飾, 車服器用, 則有多少之制, 庖廚供羞, 則有法膳之品, 年凶災眚, 又減撤之. 無已之欲, 不在有道, 子之所云, 可以聲桀紂之罪, 不足以定雅論之證也.
鮑生曰:人君後宮三千, 豈皆天意, 穀帛積則民饑寒矣.
抱朴子詰曰:王者妃妾之數, 聖人之所制也. 聖人, 與天地合其德者也. 其德與天地合, 豈徒異哉! 夫豈徒欲以順情盈欲而已乎! 乃所以佐六宮, 理陰陽, 教爾崇奉祖廟, 祗承大祭, 供玄紞之服, 廣本支之路, 且案周典九土之記, 及漢氏地理之書, 天下女數, 多於男焉. 王者所宗, 豈足以逼當娶者哉? 姬公思之, 似已審矣. 帝王帥百僚以藉田, 後妃將命婦以蠶織, 下及黎庶, 農課有限, 力佃有賞, 怠惰有罰, 十一而稅, 以奉公用. 家有備凶之儲, 國有九年之積, 各得順天分地, 不奪其時, 調薄役希, 民無饑寒, 衣食既足, 禮讓以興. 昔文景之世, 百姓務農, 家給戶豐, 官倉之米, 至腐赤不可勝計. 然而士庶猶侯服鼎食, 牛馬蓋澤, 由於賦斂有節, 不足損下也. 至於季世, 官失佃課之制, 私務浮末之業, 生穀之道不廣, 而遊食之徒滋多, 故上下同之, 而犯非者眾, 鮑生乃歸咎有君. 若夫譏辨擇之過限, 刺農課之不實, 責牛飲之三千, 貶履畝與太半, 但使後宮依周禮, 租調不橫加, 斯則可矣. 必無君乎! 夫一日晏起, 則事有失所, 即鹿無虞, 維入於林中, 安可終已. 靡所宗統, 則君子失所仰, 凶人得其志, 網疏猶漏, 可都無網乎?
鮑生曰:人之生也, 衣食已劇, 況又加之以斂賦, 重之以力役, 饑寒並至, 下不堪命, 冒法犯非, 於是乎生.
抱朴子詰曰:蜘蛛張網, 蚤虱不餒, 使人智巧, 役用萬物, 食口衣身, 何足劇乎? 但患富者無知止之心, 貴者有無限之用耳. 豈可以一蹶之故, 而終身不行, 以桀紂之虐, 思乎無主也. 夫言主事彌張, 賦斂之重於住古, 民力之疲於末務, 饑寒所緣, 以譏之可也. 而言有役有賦, 使國亂者, 請問唐虞升平之世, 三代有道之時, 為無賦役以相供奉, 元首股肱, 躬耕以自給邪? 鮑生乃唯知饑寒並至, 莫能固窮, 獨不知衣食並足, 而民知榮辱乎!
鮑生曰:王者臨深履尾, 不足喻危, 假寐待旦, 日昃旰食, 將何為懼禍及也?
抱朴子難曰:審能如此, 乃聖主也. 王者所病, 在乎驕奢, 賢者不用, 用者不賢, 夏癸指天日以自喻, 秦始憂萬世之同諡, 故致傾亡, 取笑將來. 若能懼危夕惕, 廣納規諫, 詢草芻堯以待聽, 養黃發以乞言, 何憂機事之有違, 何患百揆之不康. 夫戰兢則彝倫敘, 怠荒則奸宄作, 況無君, 能無亂乎?
鮑生曰:王者欽想奇瑞, 引誘幽荒, 欲以崇德邁威, 厭耀未服, 白雉玉環, 何益齊民乎?
抱朴子詰曰:夫王者德及天則有天瑞, 德及地則有地應. 若乃景星摛光, 以佐望舒之耀;冠日含辨, 以表羲和之晷. 靈禽嗈喈於阿閣, 金象焜晃乎清沼, 此豈卑辭所致, 厚幣所誘哉! 王莽奸猾, 包藏禍心, 文致太平, 誑眩朝野, 貺遺外域, 使送瑞物, 豈可以此謂古皆然乎? 夫見盈丈之尾, 則知非咫尺之軀;睹尋仞之牙, 則知非膚寸之口. 故王母之遣使, 明其玄化通靈, 無遠不懷也;越裳之重譯, 足知惠沾殊方, 澤被無外也. 夫絕域不可以力服, 蠻貊不可以威攝, 自非至治, 焉能然哉! 何者鮑生謂為不用? 夫周室非乏玉而須王母之環以為富也, 非儉膳而渴越裳之雉以充庖也, 所以貴之者, 誠以斯物為太平. 則上無苛虐之政, 下無失所之人, 蜎飛蠕動, 鹹得其歡, 有國之美, 孰多於斯! 而雲不用, 無益於齊民. 源遠體大, 固未易見, 鮑生之言, 不亦宜乎?
鮑生曰:人君恐奸釁之不虞, 故嚴城以備之也.
抱朴子詰曰:侯王設險, 大易所貴, 不審嚴城, 何譏焉爾. 夫兩儀肇辟, 萬物化生, 則邪正存焉爾. 夫聖人知凶醜之自然, 下愚之難移, 猶春陽之不能榮枯朽, 炎景之不能鑠金石, 冶容慢藏, 誨淫召盜, 故取法乎習坎, 備豫於未萌. 重門有擊柝之敬, 治戎遏暴客之變, 而欲除之, 其理何居? 兕之角也, 鳳之距也. 天實假之, 何必日用哉! 蜂蠆挾毒以衛身, 智禽銜蘆以捍網, 獾曲其穴, 以備徑至之鋒, 水牛結陣, 以卻虎豹之暴, 而鮑生欲棄甲胄以遏利刃, 墮城池以止衝鋒, 若令甲胄既捐而利刃不住, 城池既壞而衝鋒猶集, 公輸、墨翟, 猶不自全, 不審吾生, 計將安出乎?
或曰:苟夫可欲之物, 雖無城池之固, 敵亦不來者也.
抱朴子答曰:夫可欲之物, 何必金玉, 錐刀之末, 愚民競焉. 越人之大戰, 由乎蚺蛇之不鈞;吳楚之交兵, 起乎一株之桑葉. 饑荒之世, 人人相食, 素手裸跣(下有脫文). 遠則甫侯子羔, 近則於公釋之, 控情審罰, 剖毫析芒. 受戮者吞聲而歌德, 則劓者沒齒無怨言, 此皆非無君之時也. 昔有鰥在下而四嶽不蔽, 明揚仄陋而元凱畢舉, 或投屠刀而排金門, 或釋版築而躡玉堂, 或委芻豢而登卿相, 或自亡命而為上將, 伯柳達讎人, 解狐薦怨家, 方回叩頭以致士, 禽息碎首以推賢, 敢問於時, 有君否邪?
又云:田蕪廩虛, 皆由有君. 夫君非塞田之蔓草, 臣非耗倉之雀鼠也. 其蕪其虛, 卒由戶乙運, 水旱疫癘, 以臻凶荒, 豈在賦稅, 令其然乎? 至於八政之首食, 謂之民天, 後稷躬稼, 有虞親耕, 豐年多黍多稌, 我庾惟億, 民食其陳, 白渠開而斥鹵膏壤, 邵父起陽陵之陂而積穀為山, 叔敖創期思而家有腐粟, 趙過造三犁之巧而關右以豐, 任延教九真之佃而黔庶殷飽, 此豈無君之時乎!

抱朴子 外篇49~50

 

抱朴子外篇

晉 葛洪

知止卷第四十九

抱朴子曰:祝莫大於無足, 福莫厚乎知止. 抱盈居沖者, 必全之算也;宴安盛滿者, 難保之危也. 若夫善卷巢許管胡之徒, 鹹蹈雲物以高騖, 依龍鳳以竦跡, 覘韜鋒於香餌之中, 寤覆車乎來軔之路, 違險途以遐濟, 故能免詹何之釣緡, 可謂善料微景於形外, 覿堅冰於未霜, 徙薪曲突於方熾之火, 纚舟弭楫於沖風之前, 瞻九牛害而深沈, 望密蔚而曾逝, 不托巢於葦苕之末, 不偃寢乎崩山之崖者也. 斯皆器大量弘, 審機識致, 淩儕獨往, 不牽常欲, 神三造化, 心遺萬物, 可欲不能蠆介其純粹, 近理不能耗滑其清澄. 苟無若人之自然, 誠難企及乎絕軌也. 徒令知功成者身退, 處勞大者不賞, 狡兔死則知獵犬之不用, 高鳥盡則覺良弓之將棄. 鑒彭韓之明鏡, 而念抽簪之術;睹越種之暗機, 則識金象之貴. 若範公泛艘以絕景, 薛生遜亂以全潔, 二疏投印於方盈, 田豫釋紱於漏盡, 進脫亢悔之咎, 退無濡尾之吝, 清風足以揚千載之塵, 德音足以祛將來之惑. 方之陳寶, 不亦邈乎!
或智小敗於謀大, 或轅弱折於載重, 或獨是陷於眾非, 或盡忠訐於兼會, 或倡高算而受晁錯之禍, 或竭心力而遭吳起之害. 故有口止局高口止脊厚, 猶不免焉. 公旦之放, 仲尼之行, 賈生遜擯於下士, 子長熏腎乎無辜, 樂毅平齊, 伍員破楚, 白起以百勝拓疆, 文子以九術霸越, 韓信功蓋於天下, 黥布滅家以佐命, 榮不移晷, 辱已及之. 不避其禍, 豈智者哉! 為臣不易, 豈將一途, 要而言之, 決在擇主. 我不足賴, 其驗如此. 告退避賢, 潔而且安, 美名厚實, 福莫大焉. 能修此術, 萬未有一. 吉凶由人, 可勿思乎! 逆耳之言, 樂之者希, 獻納期榮, 將速身禍, 救誹謗其不暇, 何信受之可必哉!
夫矢曾繳紛紜則鴛雛徊翮, 坑阱充蹊則麟虞斂跡. 情不可極, 欲不可滿, 達人以道制情, 以計遣欲, 為謀者猶宜使忠, 況自為策而不詳哉! 蓋知足者常足也, 不知足者無足也. 常足者, 福之所赴也;無足者, 禍之所鍾也. 生生之厚, 殺哉生矣, 宋氏引苗, 郢人張革, 誠欲其快, 而實速萎裂, 知進忘退, 斯之謂乎?
夫筴奔而不止者, 鮮不傾墜;淩波而無休者, 希不沈溺;弄刃不息者, 傷刺之由也;斫擊不輟者, 缺毀之原也. 盈則有損, 自然之理, 周廟之器, 豈欺我哉? 故養由之射, 行人識以馳弦, 東野之禦, 顏子知其方敗, 成功之下, 未易久處也. 夫飲酒者不必盡亂, 而亂者多焉;富貴者豈其皆危, 而危者有焉. 智者料事於倚伏之表, 伐木於毫末之初, 吐高言不於累棋之際, 議治裘不於群狐之中, 古人佯狂為愚, 豈所樂哉! 時之宜然, 不獲已也. 亦有深逃而陸遭波濤, 幽遁而水被焚燒, 若龔勝之絕粒以殞命, 李業煎蹙以吞鴆, 由乎跡之有朕, 景之不滅也. 若使行如蹈冰, 身如居陰, 動無遺蹤可尋, 靜與無為為一, 豈有斯患乎! 又況乎揭日月以隱形骸, 擊建鼓以徇利器者哉! 夫值明時則優於濟四海, 遇險世則劣於保一身, 為此永慨, 非一士也.
吾聞無熾不滅, 靡溢不損, 煥赫有委灰之兆, 春草為秋瘁之端, 日中則昃, 月盈則蝕, 四時之序, 成功者退. 遠取諸物, 則構高崇峻之無限, 則頹壞惟憂矣;近取諸身, 則嘉膳旨酒之不節, 則結疾傷性矣. 況乎其高概雲霄而積之猶不止, 其威震人主而加崇, 又不息者乎! 蚊虻墮山, 適足翱翔;兕虎之墜, 碎而為齏. 此言大物, 不可失所也. 且夫正色彈違, 直道而行, 打撲幹紀, 不慮讎隟, 則怨深恨積. 若舍法容非, 屬托如響, 吐剛茹柔, 委曲繩墨, 則忠□喪敗, 居此地者, 不變勞乎? 是以身名並全者甚希, 而折足覆食束者不乏也. 然而入則蘭房窈窕, 朱帷組帳, 文茵兼舒於華第, 豔容粲爛於左右, 輕體柔聲, 清歌妙舞, 宋蔡之巧, 陽阿之妍, 口吐辨菱延露之曲, 足躡淥水七槃之節, 知音悅耳, 冶姿娛心, 密宴繼集, 醽醁不撤, 仰登綺閣, 俯映清淵, 游果林之丹翠, 戲蕙囿之芬馥, 文鱗瀺灂, 朱習頡頏, 飛繳墮雲鴻, 沈綸引魴鯉, 遠珍不索而交集, 玩弄紛華而自至. 出則朱輪耀路, 高蓋接軫, 丹旗雲蔚, 麾節翕赫, 金口嘈口獻, 戈甲璀錯, 得意托於後乘, 嘉旨盈乎屬車, 窮遊觀之娛, 極畋漁之歡. 聖明之譽, 滿耳而入;諂悅之言, 異口同辭. 於時眇然, 意蔑古人, 謂伊呂管晏, 不足算也.
豈覺崇替之相為首尾, 哀樂之相為朝暮, 肯謝貴盛, 乞骸骨, 背朱門而反丘園哉! 若乃聖明在上, 大賢贊事, 百揆非我則不敘, 兆民非我則不濟, 高而不以危為憂, 滿而不以溢為慮者, 所不論也.
窮達
或問:一流之才, 而或窮或達, 其故何也? 俊逸縶滯, 其有憾乎?
抱朴子答曰:夫器業不異, 而有抑有揚者, 無知己也. 故否泰時也, 通塞命也. 審時者何怨於沈潛, 知命者何恨於卑瘁乎! 故沈閭渟鈞, 精勁之良也, 而不以擊, 則朝菌不能斷焉;珧華黎綠, 連城之寶也, 委之泥濘, 則瓦礫積其上焉. 故可珍而不必見珍也, 可用而不必見用也. 庸俗之夫, 暗於別物, 不分朱紫, 不辯菽麥, 唯以達者為賢, 而不知僥求者之所達也;唯以窮者為劣, 而不詳守道者之所窮也. 且夫懸象不麗天, 則不能揚大明灼無外, 嵩岱不托地, 則不能竦峻極概雲霄. 兔足因夷途以聘迅, 龍艘泛激流以效速, 離光非燧人不熾, 楚金非歐冶不剡, 豐華俟發春而表豔, 棲鴻待沖飆而輕戾, 四嶽不明揚, 則有鰥不登庸, 叔牙不推賢, 則夷吾不式厚, 穰苴賴平仲以超踔, 淮陰因蕭公以鷹揚, 雋生由勝之之談, 曲逆緣無知之薦, 元直起龍縈之孔明, 公瑾貢虎臥之興霸, 故能美名垂於帝籍, 弘勳著於當世也.
漢之末年, 吳之季世, 則不然焉. 舉士也, 必附己者為前;取人也, 必多黨者為決;而附己者不必足進之器也, 同乎我, 故不能遺焉;而多黨者不必逸群之才也, 信眾口, 故謂其可焉. 或信此之庸猥, 而不能遣所念之近情;或識彼之英異, 而不能平心於至公. 於是釋銓衡, 而以疏數為輕重矣;棄度量, 而以綸集為多少矣. 於時之所謂雅人高韻, 秉國之鈞, 黜陟決己, 褒貶由口者, 鮮哉免乎斯累也. 又況於胸中率有憎獨立, 疾非黨, 忌勝己, 忽寒素者乎? 悲夫! 邈俗之士, 不群之人, 所以比肩不遇, 不可勝計, 或抑頓於藪澤, 或立朝而斥退也.
蓋修德而道不行, 藏器而時不會, 或俟河清而齒已沒, 或竭忠勤而不見知, 遠行不騁於一世, 勳澤不加於生民. 席上之珍, 鬱於泥濘, 濟物之才, 終於無施, 操築而不值武丁, 抱竿而不遇西伯, 自曩迄今, 將有何限? 而獨悲之, 不亦陋哉! 瞻徑路之遠, 而恥由之;知大道之否, 而不改之. 齊通塞於一途, 付榮辱於自然者, 豈懷悒悶於知希, 興永歎於川逝乎! 疑其有憾, 是未識至人之用心也. 小年之不知大年, 井蛙之不曉滄海, 自有來矣.
重言
抱朴子曰:余友人玄泊先生者, 齒在志學, 固已窮覽六略, 旁綜河洛, 晝競羲和之末景, 夕照望舒之餘輝, 道靡遠而不究, 言無微而不測, 以儒墨為城池, 以機神為干戈, 故談者莫不望塵而銜璧, 文士寅目而格筆. 俄而寤智者之不言, 覺寸一之無咎, 意得則齊荃蹄之可棄, 道乖則覺唱高而和寡, 於是奉老氏多敗之戒, 思金人三緘之義, 括鋒穎而如訥韜, 修翰於彤管, 含金懷玉, 抑謐華辯, 終日彌夕, 或無一言.
門人進曰:先生默然, 小子胡述? 且與庸夫無殊焉. 竊謂鍾不鳴, 則不異於積銅;浮磬息音, 則未別乎聚石也.
玄泊先生答曰:吾特收遠名於萬代, 求知己於將來, 豈能競見知於今日, 標格於一時乎? 陶甄以盛酒, 雖美不見酣;身卑而言高, 雖是不見信. 徒捲舌而竭聲, 將何救於流遁? 古人六十笑五十九, 不遠迷複, 乃覺有以也. 夫玉之堅也, 金之剛也, 冰之冷也, 火之熱也, 豈須自言, 然後明哉! 且八音九奏, 不能無長短之病, 養由百發不能止, 將有一失之疏, 玩憑河者, 數溺於水;好劇談者, 多漏於口. 伯牙謹於操弦, 故終無煩手之累;儒者敬其辭令, 故終無樞機之辱. 淺近之徒, 則不然焉. 辯虛無之不急, 爭細事以費言, 論廣修堅白無用之說, 誦諸子非聖過正之書, 損教益惑, 謂之深遠, 委棄正經, 競治邪學. 或與暗見者較唇吻之勝負, 為不識者吐清商之談對, 非敵力之人, 旁無賞解之客, 何異奏雅樂於木梗之側, 陳玄黃於土偶之前哉! 徒口枯氣乏, 椎杭抵掌, 斤斧缺壞而盤節不破, 勃然戰色而乖忤愈遠, 致令恚容表顏, 醜言自口, 偷薄之變, 生乎其間, 既玷之謬, 不可救磨. 未若希聲不全大音, 約說以俟識者矣.

自敍卷第五十

抱朴子者, 姓葛, 名洪, 字稚川. 丹陽句容人也. 其先葛天氏, 蓋古之有天下者也. 後降為列國, 因以為姓焉. 洪曩祖為荊州刺史, 王莽之篡, 君恥事國賊, 棄官而歸, 與東郡太守翟義共起兵. 將以誅莽, 為莽所敗, 遇赦免禍, 遂稱疾自絕於世. 莽以君宗強, 慮終有變, 乃徙君於琅邪. 君之子浦廬, 起兵以佐光武, 有大功. 光武踐祚, 以廬為車騎. 又遷驃騎大將軍, 封下邳僮縣侯, 食邑五千戶.
開國初, 侯之弟文, 隨侯征討, 屢有大捷. 侯比上書為文訟功, 而官以文私從兄行, 無軍名, 遂不為論. 侯曰:弟與我同冒矢石, 瘡痍周身, 傷失右眼, 不得尺寸之報. 吾乃重金累紫, 何心以安? 乃自表選取轉封於弟. 書上請報, 漢朝欲成君高義, 故特聽焉. 文辭, 不獲已. 受爵即第, 為驃騎營立宅舍於博望裏. 於今基兆石礎存焉. 又分割租秩以供奉吏士, 給如二君焉. 驃騎殷勤止之而不從. 驃騎曰:此更煩役國人, 何以為讓? 乃托他行, 遂南渡江而家於句容. 子弟躬耕, 以典籍自娛. 文累使奉迎驃騎, 驃騎終不還. 又令人守護博望宅舍, 以冀驃騎之反, 至於累世無居之者.
洪祖父學無不涉, 究測精微, 文藝之高, 一時莫倫. 有經國之才, 仁吳, 曆宰海鹽。臨安。山陰三縣. 入為吏部待郎, 禦史中丞, 廬陵太守, 吏部尚書, 太子少傅, 中書, 大鴻臚, 侍中, 光祿勳, 輔吳將軍, 封吳壽縣侯.
洪父以孝友聞, 行為士表, 方冊所載, 罔不窮覽. 仕吳五官郎, 中正, 建城、南昌二縣令, 中書郎, 廷尉, 平中護軍, 會稽太守. 未辭而晉軍順流, 西境不守, 博簡秉文經武之才, 朝野之論, 僉然推君. 於是轉為五郡赴警. 大都督給親兵五千, 總統征軍, 戍遏疆場. 天之所壞, 人不能支, 故主欽若, 九有同賓, 君以故官, 赴除郎中. 稍遷至大中大夫, 曆位大中正, 肥鄉令. 縣戶二萬, 舉州最治, 德化尤異, 恩洽刑清, 野有頌聲, 路無奸跡, 不佃公田, 越界如市. 秋毫之贈, 不入於門;紙筆之用, 皆出於私財. 刑厝而禁止, 不言而化行. 以疾去官, 發詔見用為吳王郎中令. 正色弼違, 進可替不, 舉善彈枉, 軍國肅雍. 遷邵陵太守, 卒於官.
洪者, 君之弟三子也. 生晚, 為二親所嬌饒, 不早見督以書史. 年十有三, 而慈父見背. 夙失庭訓, 饑寒困瘁, 躬執耕穡, 承星履草, 密勿疇襲. 又累遭兵火, 先人典籍蕩盡. 農隙之暇無所讀, 乃負笈徒步行借. 又卒於一家, 少得全部之書, 益破功日伐薪以給紙筆, 就營田園處, 以柴火寫書. 坐此之故, 不得早涉藝文. 常乏紙, 每所寫, 反覆有字, 人鮮能讀也.
年十六, 始讀《教經》、《論語》、《詩》、《易》. 貧乏無以遠尋師友, 孤陋寡聞, 明淺思短, 大義多所不能通, 但貪廣覽, 於眾書乃無不暗誦精持. 曾所披涉, 自正經、諸史、百家之言, 下至短雜文章, 近萬卷. 既性暗善忘, 又少文, 意志不專, 所識者甚薄, 亦不免惑, 而著述時猶得有所引用, 竟不成純儒, 不中為傳授之師. 其河洛圖緯, 一視便止, 不得留意也. 不喜星書及算術九宮三棋太一飛符之屬, 了不從焉. 由其苦人而少氣味也.
晚學風角望氣三元遁甲, 六壬太一之法, 粗知其旨, 又不研精. 亦計此輩率是為人用之事, 同出身情, 無急以此自勞役, 不如省子書之有益, 遂又廢焉. 案《別錄》《藝文志》, 眾有萬三千二百九十九卷, 而魏代以來, 群文滋長, 倍於往者, 乃自知所未見之多也. 江表書籍, 通同不具, 昔欲詣京師索奇異, 而正值大亂, 半道而還. 每自歎恨. 今齒近不惑, 素志衰頹, 但念損之又損, 為乎無為, 偶耕藪澤, 苟存性命耳. 博涉之業, 於是日沮矣.
洪之為人也, (有脫文)而騃野, 性鈍口訥, 形貌醜陋, 而終不辯自矜飾也. 冠履垢弊, 衣或襤褸, 而或不恥焉. 俗之服用, 俾而屢改, 或忽廣領而大帶, 或促身而修袖, 或長裾曳地, 或短不蔽腳. 洪期於守常, 不隨世變. 言則率實, 杜絕嘲戲, 不得其人, 終日默然. 故邦人咸稱之為抱樸之士. 是以洪著書, 因以自號焉.
洪稟性尪羸, 兼之多疾, 貧無車馬, 不堪徒行, 行亦性所不好. 又患弊俗, 捨本逐末, 交遊過差, 故遂撫筆閒居, 守靜蓽門而無趨從之所, 至於權豪之徒, 雖在密跡, 而莫或相識焉. 衣不辟寒, 室不免漏, 食不充虛, 名不出戶, 不能憂也. 貧無僮仆, 籬落頓決, 荊棘叢於庭宇, 蓬莠塞乎階雨
留, 披榛出門, 排草入室, 論者以為意遠忽近而不恕. 其乏役也. 不曉謁(有脫文)以故初不修見官長. 至於吊大喪, 省困疾, 乃心欲自勉, 強令無不必至, 而居疾少健. 恒複不周, 每見譏責於論者. 洪引咎而不恤也. 意苟無餘, 而病使心違, 顧不愧己而已, 亦何理於人之不見亮乎? 唯明鑒之士, 乃恕其信抱樸, 非以養高也. 世人多慕豫親之好, 推暗室之密, 洪以為知人甚未易, 上聖之所難. 浮雜之交, 口合神離, 無益有損. 雖不能如朱公叔一切絕之, 且必須清澄詳悉, 乃處意焉. 又為此見憎者甚眾而不改也. 馳逐苟達, 側立勢門者, 又共疾洪之異於己, 而見疵毀, 謂洪為傲物輕俗. 而洪之為人, 信心而行, 毀譽皆置於不聞.
至患近人, 或恃其所長而輕人所短, 洪忝為儒者之末, 每與人言, 常度其所知而論之, 不強引之以造彼所不聞也. 及與學士有所辯識, 每舉綱領. 若值惜短, 難解心義, 但粗說意之與向, 使足以發寤而已, 不致苦理, 使彼率不得自還也. 彼靜心者, 存詳而思之, 則多自覺而得之者焉. 度不可與言者, 雖或有問, 常辭以不知, 以免辭費之過也. 洪性深不好幹煩官長, 自少及長, 曾救知己之抑者數人, 不得已, 有言於在位者, 然其人皆不知洪之恤也. 不忍見其陷於非理, 密自營之耳. 其餘雖親至者, 在事秉勢, 與洪無惜者, 終不以片言半字, 少累之也. 至於糧用窮匱急, 合湯藥則喚求朋類, 或見濟, 亦不讓也. 受人之施, 必皆久久漸有以報之, 不令覺也. 非類則不妄受其饋致焉. 洪所食有旬日之儲, 則分以濟人之乏;若殊自不足, 亦不割己也. 不為皎皎之細行, 不治察察之小廉. 村裏凡人之謂良守善者, 用時, 或齎酒肴候洪, 雖非儔匹, 亦不拒也. 後有以答之, 亦不登時也. 洪嘗謂史雲不食於昆弟, 華生治潔於昵客, 蓋邀名之偽行, 非廊廟之遠量也.
洪尤疾無義之人, 不勤農桑之本業, 而慕非義之奸利. 持鄉論者, 則賣選舉以取謝;有威勢者, 則解符疏以索財. 或有罪人之賂, 或枉有理之家. 或為逋逃之藪, 而饗亡命之人;或挾使民丁, 以妨公役;或強收錢物, 以求貴價;或占錮市肆, 奪百姓之利;或割人田地, 劫孤弱之業. 惚恫官府之間, 以窺掊克之益, 內以誇妻妾, 外以釣名位. 其如此者, 不與交焉.
由是俗人憎洪疾己, 自然疏絕, 故巷無車馬之跡, 堂無異志之賓, 庭可設雀羅, 而幾筵積塵焉.
洪自有識以逮將老, 口不及人之非, 不說人之私, 乃自然也. 雖仆豎有其所短, 所羞之事, 不以戲之也. 未嘗論評人物之優劣, 不喜訶譴人交之好惡. 或為尊長所逼問, 辭不獲已, 其論人也, 則獨舉彼體中之勝事而已. 其論文也, 則撮其所得之佳者, 而不指摘其病累, 故無毀譽之怨. 貴人時或問官吏民, 甲乙何如. 其清高閑能者, 洪指說其快事;其貪暴暗塞者, 對以偶不識悉. 洪由此頗見譏責, 以顧護太多, 不能明辯臧否, 使皂白區分, 而洪終不敢改也. 每見世人有好論人物者, 比方倫匹, 未必當允, 而褒貶與奪, 或失准格. 見譽者自謂己分, 未必信德也;見侵者則恨之入骨, 劇於血讎. 洪益以為戒, 遂不復言及士人矣. 雖門宗子弟, 其稱兩皆以付邦族, 不為輕乎其價數也.
或以譏洪, 洪答曰:我身在我者也, 法當易知. 設令有人問我, 使自比古人, 及同時令我自求輩, 則我實不能自知, 可與誰為匹也. 況非我, 安可為取而評定之耶? 漢末俗弊, 朋黨分部, 許子將之徒, 以口舌取戒. 爭訟論議, 門宗成讎. 故汝南人士無複定價而有月旦之評. 魏武帝深亦疾之, 欲取其首, 爾乃奔波亡走, 殆至屠滅. 前鑒不遠, 可以得師矣. 且人之未易知也, 雖父兄不必盡子弟也, 同乎我者遽是乎? 異於我者遽非乎? 或有始無卒, 唐堯、公旦、仲尼、季劄, 皆有不全得之恨, 無以近人信其嘍嘍管見熒燭之明, 而輕評人物. 是皆賣彼上聖大賢乎?
昔大安中, 石冰作亂, 六州之地, 柯振葉靡, 違正黨逆. 義軍大都督邀洪為將兵都尉, 累見敦迫, 既桑梓恐虜, 禍深憂大. 古人有急疾之義, 又畏軍法, 不敢任志, 遂募合數百人, 與諸軍旅進. 曾攻賊之別將, 破之日, 錢帛山積, 珍玩蔽地, 諸軍莫不放兵收拾財物, 繼轂連擔. 洪獨約令所領, 不得妄離行陳. 士有摭得眾者, 洪即斬之以徇. 於是無敢委杖, 而果有伏賊數百, 出傷諸軍. 諸軍悉發, 無部隊, 皆人馬負重, 無複戰心. 遂致驚亂, 死傷狼藉, 殆欲不振. 獨洪軍整齊轂張, 無所損傷. 以救諸軍之大崩, 洪有力焉. 後別戰斬賊小帥, 多獲甲首, 而獻捷幕府. 於是大都督加洪伏波將軍, 例給布百匹. 諸將多封閉之, 或送還家, 而洪分賜將士, 及施知故之貧者, 餘之十匹, 又徑以市肉酤酒, 以饗將吏. 於時竊擅一日之美談焉.
事平, 洪投戈釋甲, 徑詣洛陽, 欲廣尋異書, 了不論戰功. 竊慕魯連不受聊城之金, 包胥不納存楚之賞, 成功不處之義焉. 正遇上國大亂, 北道不通. 而陳敏又反於江東, 歸途隔塞. 會有故人譙國嵇君道, 見用為廣州刺史. 乃表請洪為三軍. 雖非所樂, 然利可避地於南, 故黽勉就焉. 見遣先行催兵, 而君道於後遇害, 遂停廣州. 頻為節將見邀用, 皆不就. 永惟富貴可以漸得而不可頓合, 其間屑屑, 亦足以勞人. 且榮位勢利, 譬如寄客, 既非常物, 又其去不可得留也. 隆隆者絕, 赫赫者滅, 有若春華, 須臾凋落, 得之不喜, 失之安悲? 悔吝百端, 憂懼兢戰, 不可勝言. 不可為也. 且自度性篤懶而才至短, 以篤懶而禦短才, 雖翕肩屈膝, 趨走風塵, 猶必不辦大致名位而免患累, 況不能乎? 未若修松喬之道, 在我而已, 不由於人焉. 將登名山, 服食養性. 非有廢也, 事不兼濟, 自非絕棄世務, 則曷緣修習玄靜哉? 且知之誠難, 亦不得惜問而與人議也. 是以車馬之跡, 不經貴勢之域;片字之書, 不交在位之家. 又士林之中, 雖不可出, 而見造之賓, 意不能拒, 妨人所作, 不得專一, 乃歎曰:山林之中無道也. 而古之修道者, 必入山林者, 誠欲以違遠讙嘩, 使心不亂也. 今將遂本志, 委桑梓, 適嵩嶽, 以尋方平梁公之軌.
先所作子書內、外篇, 幸已用功夫, 聊複撰次, 以示將來雲爾. 洪年十五、六時, 所作詩賦雜文, 當時自謂可行於代, 至於弱冠, 更詳省之, 殊多不稱意. 天才未必為增也, 直所覽差廣, 而覺妍媸之別. 於是大有所制, 棄十不存一. 今除所作子書, 但雜尚餘百所卷, 猶未盡損益之理, 而多慘憤, 不遑複料護之. 他人文成, 便呼快意, 餘才鈍思遲, 實不能爾. 作文章每一更字, 輒自轉勝, 但患懶, 又所作多不能數省之耳. 洪年二十餘, 乃計作細碎小文, 妨棄功日, 未若立一家之言, 乃草創子書. 會遇兵亂, 流離播越, 有所亡失, 連在道路, 不復投筆十餘年, 至建武中, 乃定凡著《內篇》二十卷, 《外篇》五十卷, 碑頌詩賦百卷, 軍書檄移章表箋記三十卷, 又撰俗所不列者, 為《神仙傳》十卷, 又撰高尚不仕者, 為《隱逸傳》十卷又抄五經、七史、百家之言, 兵事、方伎、短雜奇要三百一十卷, 別有目錄. 其《內篇》言神仙方藥、鬼怪變化、養生延年、禳邪卻禍之事, 屬道家;《外篇》言人間得失, 世事臧否, 屬儒家. 洪見魏文帝《典論》自敍, 未及彈棋擊劍之事, 有意於略說所知, 而實不數少所便能, 不可虛自稱揚. 今將具言, 所不閑焉.
洪體純性駑, 寡所玩好, 自總發垂髫, (有脫文)又擲瓦手摶, 不及兒童之群, 未曾鬥雞鶩, 走狗馬, 見人博戲, 了不目眄. 或強牽引觀之, 殊不入神, 有若晝睡. 是以至今不知棋局上有幾道樗蒲齒名. 亦念此輩末伎, 亂意思而妨日月, 在位有損政事, 儒者則廢講誦, 凡民則忘稼穡, 商人則失貨財. 至於勝負未分, 交爭都市, 心熱於中, 顏愁於外, 名之為樂, 而實煎悴, 喪廉恥之操, 興爭競之端, 相取重貨, 密結怨隙. 昔宋閔公、吳太子致碎首之禍, 生叛亂之變, 覆滅七國, 幾傾天朝. 作戒百代, 其鑒明矣. 每觀戲者, 漸恚交集, 手足相及, 醜詈相加, 絕交壞友, 往往有焉. 怨不在大, 亦不在小, 多召悔吝, 不足為也. 仲尼雖有晝寢之戒, 以洪較之, 洪實未許其賢於晝寢. 何則? 晝寢但無益而未有怨恨之憂, 鬥訟之變, 聖者猶韋編三絕, 以勤經業, 凡才近人, 安得兼修, 惟諸戲盡不如示一尺之書, 故因本不喜而不為, 蓋此俗人所親焉.
少嘗學射, 但力少不能挽強, 若顏高之弓耳. 意為射既在六藝, 又可以禦寇辟劫, 及取鳥獸, 是以習之. 昔在軍旅, 曾手射追騎, 應弦而倒, 殺二賊一馬, 遂以得免死. 又曾受刀盾及單刀雙戟, 皆有口訣要術, 以侍取人, 乃有秘法, 其巧入神. 若以此道與不曉者對, 便可以當全獨勝, 所向無前矣. 晚又學七尺杖術, 可以入白刃, 取大戟, 然亦是不急之末學. 知之譬如麟角鳳距, 何必用之? 過此已往, 未之或知.
洪少有定志, 決不出身, 每覽巢許、子州、北人石戶、二姜、兩袁、法真、子龍之傳, 嘗廢書前席, 慕其為人. 念精治五經, 著一部子書, 令後世知其為文儒而已. 後州郡及車騎大將軍辟, 皆不就. 薦名琅邪王丞相府, 昔起義兵, 賊平之後, 了不修名詣府, 論功主者, 永無賞報之冀. 晉王應天順人, 撥亂反正, 結皇綱於垂絕, 修宗廟之廢祀, 念先朝之滯賞, 並無報以勸來. 洪隨例就彼, 庚寅, 詔書賜爵關中侯, 食句容之邑二百戶. 竊謂討賊以救桑梓, 勞不足錄, 金紫之命, 非其始願. 本欲遠慕魯連, 近引田疇, 上書固辭, 以遂微志. 適有大例, 同不見許. 昔仲由讓應受賜而沮為善, 醜虜未夷, 天下多事, 國家方欲明賞必罰, 以彰憲典, 小子豈敢苟潔區區懦志, 而距私通之大制? 故遂息意而恭承詔命焉.
洪既著自敍之篇, 或人難曰:昔王充年在耳順, 道窮望絕, 懼身名之偕滅, 故自紀終篇. 先生以始立之盛, 值乎有道之運, 方將解申公之束帛, 登穆生之蒲輪, 耀藻九五, 絕聲昆吾, 何憾芬芳之不揚, 而務老生之彼務? 洪答曰:夫二儀彌邈, 而人居若寓, 以朝菌之耀秀, 不移晷而殄瘁, 類春華之暫榮, 未改旬而凋墜. 雖飛飆之經霄, 激電之乍照, 未必速也. 夫期賾猶奔星之騰煙, 黃發如激箭之過隙. 況或未萌而殞籜, 逆秋而霧瘁者哉? 故項子有含穗之歎, 揚烏有夙折之哀, 曆覽遠古, 逸倫之士, 或以文藝而龍躍, 或以武功而虎踞, 高勳著於盟府, 德音被乎管弦, 形器雖沈, 鑠於淵壤, 美談飄飄而日載, 故雖千百代, 猶穆如也. 餘以庸陋, 沈抑婆婆, 用不合時, 行舛於世, 發音則響與俗乖, 抗足則跡與眾迕. 內無金張之援, 外乏彈冠之友. 循途雖坦, 而足無騏驎;六虛雖曠, 而翼非大鵬. 上不能鷹揚匡國, 下無以顯親垂名. 美不寄於良史,聲不附乎鍾鼎. 故因著述之餘,而為自敍之篇,雖無補於窮達,亦賴將來之有述焉!

抱朴子 內篇 序、1~3

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

○抱朴子內篇序

  洪體乏超逸。之才,偶好無為之業。假令奮翅則能凌厲玄霄,騁足則能追風躡景,猶故晉書無此字。欲戢勁翮於鷦鷯晉書作鷃。之群,藏逸跡於跛驢之伍,豈況大塊稟我以尋常之短羽,造化假我於晉書作以。至駑之蹇足,以晉書無此字。自卜者審,不能者止。晉書有又字。豈敢力蒼蠅而慕沖天之舉,策跛鱉而追飛兔之軌,飾嫫母之陋丑晉書作篤陋,求媒揚晉書作陽。之美談,推沙礫之賤質,索千金於和肆哉!夫以晉書無此字。焦僥之步,而企及誇父之蹤,近才所以躓閡藏本作閔,晉書作礙。也。以晉書無此字。要離之羸,而強赴扛鼎之契,原校或作勢,晉書作勢。秦人所以斷筋也。是以望絕於榮華之途,而志安乎窮否晉書作圮。之域。藜藿有八珍之甘,而晉書無此字。蓬蓽有藻梲之樂也。故權貴之家,雖咫尺弗從也。知道之士,雖艱遠必造也。

  考覽奇書,既不少矣,率多隱語,難可卒解。自非至精,不能尋究,自非篤勤,不能悉見也。道士淵晉書作宏。博洽聞者寡,而意斷妄說者眾。至於時有好事者,欲有所修為,倉卒不知所從,而意之所疑,又無可晉書作足。諮問。晉書無此字。今為此書,粗舉長生之理,甚至妙者,不得宣之於翰墨。蓋粗言較略,以示一隅。冀悱憤之徒省之,可以思過半矣,豈為暗塞必能窮微暢遠乎!聊論其所先舉原校:先舉一本作「先覺者」。晉書作「先覺者」。耳。

  世儒徒知服膺周孔,桎梏皆死,晉書無此四字。莫信神仙之事,謂為妖妄之說,見余此書,晉書無「事」至「此」共十字。不特大笑之。晉書作「不但大而笑之」。又將謗毀真正,故不以合於此下舊衍「世字」,今校刪。余所箸子書之數,而別為此一部,名曰內篇,凡二十卷,與外篇各起次第也。晉書「故不」至「第也」作「故予所著子,言黃白之事,名曰內篇,其餘駁難通釋,名曰外篇,大凡內外一百一十六篇」,蓋史家刪改之耳。雖不足以藏晉書「以藏」作「藏諸」名山石室,晉書無此二字。且欲緘之金匱,以示識者。晉書止此,無下三十一字。其不可與言者,不令見也。貴使來世好長生者,有以釋其惑,豈求信於不信者乎!謹序。藏本作葛洪稚川謹序。後人所增。

卷 一 · 暢 玄

  抱朴子曰:「玄者,自然之始祖,而萬殊之大宗也。眇眛乎其深也,故稱微焉。綿邈乎其遠也,故稱妙焉。其高則冠蓋乎九霄,其曠則籠罩乎八隅。光乎日月,迅乎電馳。或倏爍而景逝,或飄滭而星流,或滉漾於淵澄,或雰霏而雲浮。因兆類而為有,託潛寂而為無。淪大幽而下沈,凌辰極而上游。金石不能比其剛,湛露不能等其柔。方而不矩,圓而不規。來焉莫見,往焉莫追。乾以之高,坤以之卑,雲以之行,雨以之施。胞胎元一,范鑄兩儀,吐納大始,鼓冶億類,佪旋四七,匠成草昧,轡策靈機,吹噓四氣,幽括沖默,舒闡粲尉,抑濁揚清,斟酌河渭,增之不溢,挹之不匱,與之不榮,奪之不瘁。故玄之所在,其樂不窮。玄之所去,器弊神逝。夫五聲八音,清商流徵,損聰者也。鮮華艷采,彧麗炳爛,傷明者也。宴安逸豫,清醪芳醴,亂性者也。冶容媚姿,鉛華素質,伐命者也。其唯玄道,可與為永。不知玄道者,雖顧眄為生殺之神器,唇吻為興亡之關鍵,綺榭俯臨乎雲雨,藻室華綠以參差。組帳霧合,羅幬云離。西毛陳於閒房,金觴華以交馳,清弦嘈囋以齊唱,鄭舞紛纟柔蜲,哀簫鳴以凌霞,羽蓋浮於漣漪,掇芳華於蘭林之囿,弄紅葩於積珠之池,登峻則望遠以忘百憂,臨深則俯攬以遺朝饑,入宴千門之焜熀,出驅朱輪之華儀。然樂極則哀集,至盈必有虧。故曲終則歎發,燕罷則心悲也。寔理勢之攸召,猶影響之相歸也。彼假借而非真,故物往若有遺也。

  夫玄道者,得之乎內,守之者外,用之者神,忘之者器,此思玄道之要言也。得之者貴,不待黃鉞之威。體之者富,不須難得之貨。高不可登,深不可測。乘流光,策飛景,凌六虛,貫涵溶。出乎無上,入乎無下。經乎汗漫之門,游乎窈眇之野。逍遙恍惚之中,倘佯彷彿之表。咽九華於雲端,咀六氣於丹霞。俳徊茫昧,翱翔希微,履略蜿虹,踐跚旋璣,此得之者也。

  其次則真知足,知足者則能肥遁勿用,頤光山林。紆鸞龍之翼於細介之伍,養浩然之氣於蓬蓽之中。襤褸帶索,不以貿龍章之暐曄也。負步杖筴,不以易結駟之駱驛也。藏夜光於嵩岫,不受他山之攻。沈鱗甲於玄淵,以違鑽灼之災。動息知止,無往不足。棄赫奕之朝華,避僨車之險路。吟嘯蒼崖之閒,而萬物化為塵氛。怡顏豐柯之下,而朱戶變為繩樞。握耒甫田,而麾節忽若執鞭。啜荈漱泉,而太牢同乎藜藿。泰爾有餘歡於無為之場,忻然齊貴賤於不爭之地。含醇守朴,無慾無憂,全真虛器,居平味澹。恢恢蕩蕩,與渾成等其自然。浩浩茫茫,與造化鈞其符契。如闇如明,如濁如清,似遲而疾,似虧而盈。豈肯委屍祝之坐,釋大匠之位,越樽俎以代無知之庖,捨繩墨而助傷手之工。不以臭鼠之細瑣,而為庸夫之憂樂。藐然不喜流俗之譽,坦爾不懼雷同之毀。不以外物汩其至精,不以利害污其純粹也。故窮富極貴,不足以誘之焉,其餘何足以悅之乎?直刃沸鑊,不足以劫之焉,謗讟何足以戚之乎?常無心於眾煩,而未始與物雜也。

  若夫操隋珠以彈雀,舐秦痔以屬車,登朽緡以探巢,泳呂梁以求魚,旦為稱孤之客,夕為狐鳥之餘。棟撓餗覆,傾溺不振,蓋世人之所為載馳企及,而達者之所為寒心而淒愴者也。故至人嘿韶夏而韜藻梲。。奮其六羽於五城之墟,而不煩銜蘆之衛。翳其鱗角乎勿用之地,而不恃曲穴之備。俯無倨鴟之呼,仰無亢極之悔,人莫之識,邈矣遼哉!」

卷 二 · 論 仙

  或問曰:「神仙不死,信可得乎?」抱朴子答曰:「雖有至明,而有形者不可畢見焉。雖稟極聰,而有聲者不可盡聞焉。雖有大章豎亥之足,而所常履者,未若所不履之多。雖有禹益齊諧之智,而所嘗識者未若所不識之眾也。萬物云云,何所不有,況列仙之人,盈乎竹素矣。不死之道,曷為無之?」

  於是問者大笑曰:「夫有始者必有卒,有存者必有亡。故三五丘旦之聖,棄疾良平之智,端嬰隨酈之辯,賁育五丁之勇,而鹹死者,人理之常然,必至之大端也。徒聞有先霜而枯瘁,當夏而凋青,含穗而不秀,未實而萎零,未聞有享於萬年之壽,久視不已之期者矣。故古人學不求仙,言不語怪,杜彼異端,守此自然,推龜鶴於別類,以死生為朝暮也。夫苦心約己,以行無益之事,鏤冰雕朽,終無必成之功。未若攄匡世之高策,招當年之隆祉,使紫青重紆,玄牡龍跱,華轂易步趍,鼎餗代耒耜,不亦美哉?每思詩人甫田之刺,深惟仲尼皆死之證,無為握無形之風,捕難執之影,索不可得之物,行必不到之路,棄榮華而涉苦困,釋甚易而攻至難,有似喪者之逐游女,必有兩失之悔,單張之信偏見,將速內外之禍也。夫班狄不能削瓦石為芒針,歐冶不能鑄鉛錫為干將。故不可為者,雖鬼神不能為也;不可成者,雖天地不能成也。世間亦安得奇方,能使當老者復少,而應死者反生哉?而吾子乃欲延蟪蛄之命,令有歷紀之壽,養朝菌之榮,使累晦朔之積,不亦謬乎?願加九思,不遠迷復焉。」

  抱朴子答曰:「夫聰之所去,則震雷不能使之聞,明之所棄,則三光不能使之見,豈輷磕之音細,而麗天之景微哉?而聾夫謂之無聲焉,瞽者謂之無物焉。又況管弦之和音,山龍之綺粲,安能賞克諧之雅韻,暐曄之鱗藻哉?故聾瞽在乎形器,則不信豐隆之與玄象矣。而況物有微於此者乎?暗昧滯乎心神,則不信有周孔於在昔矣。況告之以神仙之道乎?夫存亡終始,誠是大體。其異同參差,或然或否,變化萬品,奇怪無方,物是事非,本鈞末乖,未可一也。夫言始者必有終者多矣,混而齊之,非通理矣。謂夏必長,而薺麥枯焉。謂冬必凋,而竹柏茂焉。謂始必終,而天地無窮焉。謂生必死,而龜鶴長存焉。盛陽宜暑,而夏天未必無涼日也。極陰宜寒,而嚴冬未必無暫溫也。百川東注,而有北流之浩浩。坤道至靜,而或震動而崩弛。水性純冷,而有溫谷之湯泉;火體宜熾,而有蕭丘之寒焰;重類應沈,而南海有浮石之山;輕物當浮,而牜羊柯有沈羽之流。萬殊之類,不可以一概斷之,正如此也久矣。

  有生最靈,莫過乎人。貴性之物,宜必鈞一。而其賢愚邪正,好醜脩短,清濁貞淫,緩急遲速,趨捨所尚,耳目所欲,其為不同,已有天壤之覺,冰炭之乖矣。何獨怪仙者之異,不與凡人皆死乎?

  若謂受氣皆有一定,則雉之為蜃,雀之為蛤,壤蟲假翼,川蛙翻飛,水蠣為蛉,荇苓為蛆,田鼠為鴽,腐草為螢,鼉之為虎,蛇之為龍,皆不然乎?

  若謂人稟正性,不同凡物,皇天賦命,無有彼此,則牛哀成虎,楚嫗為黿,枝離為柳,秦女為石,死而更生,男女易形,老彭之壽,殤子之夭,其何故哉?苟有不同,則其異有何限乎?

  若夫仙人,以藥物養身,以術數延命,使內疾不生,外患不入,雖久視不死,而舊身不改,苟有其道,無以為難也。而淺識之徒,拘俗守常,鹹曰世閒不見仙人,便云天下必無此事。夫目之所曾見,當何足言哉?天地之間,無外之大,其中殊奇,豈遽有限,詣老戴天,而無知其上,終身履地,而莫識其下。形骸己所自有也,而莫知其心志之所以然焉。壽命在我者也,而莫知其脩短之能至焉。況乎神仙之遠理,道德之幽玄,仗其短淺之耳目,以斷微妙之有無,豈不悲哉?

  設有哲人大才,嘉遁勿用,翳景掩藻,廢偽去欲,執太璞於至醇之中,遺末務於流俗之外,世人猶鮮能甄別,或莫造志行於無名之表,得精神於陋形之裡,豈況仙人殊趣異路,以富貴為不幸,以榮華為穢汙,以厚玩為塵壤,以聲譽為朝露,蹈炎飆而不灼,躡玄波而輕步,鼓翮清塵,風駟雲軒,仰凌紫極,俯棲崑崙,行屍之人,安得見之?假令遊戲,或經人間,匿真隱異,外同凡庸,比肩接武,孰有能覺乎?若使皆如郊閒兩曈之正方,邛疏之雙耳,出乎頭巔。馬皇乘龍而行,子晉躬御白鶴。或鱗身蛇軀,或金車羽服,乃可得知耳。自不若斯,則非洞視者安能覿其形,非徹聽者安能聞其聲哉?世人既不信,又多疵毀,真人疾之,遂益潛遁。且常人之所愛,乃上士之所憎。庸俗之所貴,乃至人之所賤也。英儒偉器,養其浩然者,猶不樂見淺薄之人,風塵之徒。況彼神仙,何為汲汲使芻狗之倫,知有之何所索乎,而怪於未嘗知也。目察百步,不能了了,而欲以所見為有,所不見為無,則天下之所無者,亦必多矣。所謂以指測海,指極而云水盡者也。蜉蝣校巨鼇,日及料大椿,豈所能及哉?魏文帝窮覽洽聞,自呼於物無所不經,謂天下無切玉之刀,火浣之布,及著典論,嘗據言此事。其閒未期,二物畢至。帝乃歎息,遽毀斯論。事無固必,殆為此也。陳思王著釋疑論云,初謂道術,直呼愚民詐偽空言定矣。及見武皇帝試閉左慈等,令斷穀近一月,而顏色不減,氣力自若,常云可五十年不食,正爾,復何疑哉?又云,令甘始以藥含生魚,而煮之於沸脂中,其無藥者,熟而可食,其銜藥者,遊戲終日,如在水中也。又以藥粉桑以飼蠶,蠶乃到十月不老。又以住年藥食雞雛及新生犬子,皆止不復長。以還白藥食白犬,百日毛盡黑。乃知天下之事,不可盡知,而以臆斷之,不可任也。但恨不能絕聲色,專心以學長生之道耳。彼二曹學則無書不覽,才則一代之英,然初皆謂無,而晚年乃有窮理盡性,其歎息如此。不逮若人者,不信神仙,不足怪也。劉向博學則究微極妙,經深涉遠,思理則清澄真偽,研覈有無,其所撰列仙傳,仙人七十有餘,誠無其事,妄造何為乎?邃古之事,何可親見,皆賴記籍傳聞於往耳。列仙傳炳然其必有矣。然書不出周公之門,事不經仲尼之手,世人終於不信。然則古史所記,一切皆無,何但一事哉?俗人貪榮好利,汲汲名利,以己之心,遠忖昔人,乃復不信古者有逃帝王之禪授,薄卿相之貴任,巢許之輩,老萊莊周之徒,以為不然也。況於神仙,又難知於斯,亦何可求今世皆信之哉?多謂劉向非聖人,其所撰錄,不可孤據,尤所以使人歎息者也。夫魯史不能與天地合德,而仲尼因之以著經。子長不能與日月並明,而揚雄稱之為實錄。劉向為漢世之名儒賢人,其所記述,庸可棄哉?凡世人所以不信仙之可學,不許命之可延者,正以秦皇漢武求之不獲,以少君欒太為之無驗故也。然不可以黔婁原憲之貧,而謂古者無陶朱猗頓之富。不可以無鹽宿瘤之醜,而謂在昔無南威西施之美。進趨尤有不達者焉,稼穡猶有不收者焉,商販或有不利者焉,用兵或有無功者焉。況乎求仙,事之難者,為之者何必皆成哉?彼二君兩臣,自可求而不得,或始勤而卒怠,或不遭乎明師,又何足以定天下之無仙乎?

  夫求長生,修至道,訣在於志,不在於富貴也。苟非其人,則高位厚貨,乃所以為重累耳。何者?學仙之法,欲得恬愉澹泊,滌除嗜欲,內視反聽,屍居無心,而帝王任天下之重責,治鞅掌之政務,思勞於萬幾,神馳於宇宙,一介失所,則王道為虧,百姓有過,則謂之在予。醇醪汩其和氣,艷容伐其根荄,所以翦精損慮削乎平粹者,不可曲盡而備論也。蚊噆膚則坐不得安,虱群攻則臥不得寧。四海之事,何祗若是。安得掩翳聰明,歷藏數息,長齋久潔,躬親爐火,夙興夜寐,以飛八石哉?漢武享國,最為壽考,已得養性之小益矣。但以升合之助,不供鐘石之費,畎澮之輸,不給尾閭之洩耳。

  仙法欲靜寂無為,忘其形骸,而人君撞千石之鐘,伐雷霆之鼓,砰磕嘈唁,驚魂蕩心,百技萬變,喪精塞耳,飛輕走迅,釣潛弋高。仙法欲令愛逮蠢蠕,不害含氣,而人君有赫斯之怒,芟夷之誅,黃鉞一揮,齊斧暫授,則伏屍千里,流血滂沱,斬斷之刑,不絕於市。仙法欲止絕臭腥,休糧清腸,而人君烹肥宰腯,屠割群生,八珍百和,方丈於前,煎熬勺藥,旨嘉饜飫。仙法欲溥愛八荒,視人如己,而人君兼弱攻昧,取亂推亡,闢地拓疆,泯人社稷,驅合生人,投之死地,孤魂絕域,暴骸腐野,五嶺有血刃之師,北闕懸大宛之首,坑生煞伏,動數十萬,京觀封屍,仰干雲霄,暴骸如莽,彌山填谷。秦皇使十室之中,思亂者九。漢武使天下嗷然,戶口減半。祝其有益,詛亦有損。結草知德,則虛祭必怨。眾煩攻其膏肓,人鬼齊其毒恨。彼二主徒有好仙之名,而無修道之實,所知淺事,不能悉行。要妙深秘,又不得聞。又不得有道之士,為合成仙藥以與之,不得長生,無所怪也。

  吾徒匹夫,加之罄困,家有長卿壁立之貧,腹懷翳桑絕糧之餒,冬抱戎夷後門之寒,夏有儒仲環堵之映,欲經遠而乏舟車之用,欲有營而無代勞之役,入無綺紈之娛,出無遊觀之歡,甘旨不經乎口,玄黃不過乎目,芬芳不歷乎鼻,八音不關乎耳,百憂攻其心曲,眾難萃其門庭,居世如此,可無戀也。

  或得要道之訣,或值不群之師,而猶恨恨於老妻弱子,眷眷於狐兔之丘,遲遲以臻殂落,日月不覺衰老,知長生之可得而不能修,患流俗之臭鼠而不能委。何者?愛習之情卒難遣,而絕俗之志未易果也。況彼二帝,四海之主,其所耽玩者,非一條也,其所親幸者,至不少矣。正使之為旬月之齋,數日閒居,猶將不能,況乎內棄婉孌之寵,外捐赫奕之尊,口斷甘餚,心絕所欲,背榮華而獨往,求神仙於幽漠,豈所堪哉?是以歷覽在昔,得仙道者,多貧賤之士,非勢位之人。又欒太所知,實自淺薄,飢渴榮貴,冒乾貨賄,衒虛妄於苟且,忘禍患於無為,區區小子之奸偽,豈足以證天下之無仙哉?昔勾踐式怒璉 ? ,戎卒爭蹈火。楚靈愛細腰,國人多餓死。齊桓嗜異味,易牙蒸其子。宋君賞瘠孝,毀歿者比屋。人主所欲,莫有不至。漢武招求方士,寵待過厚,致令斯輩,敢為虛誕耳。欒太若審有道者,安可得煞乎?夫有道者,視爵位如湯鑊,見印綬如縗絰,視金玉如土糞,睹華堂如牢獄。豈當扼腕空言,以僥倖榮華,居丹楹之室,受不訾之賜,帶五利之印,尚公主之貴,耽淪勢利,不知止足,實不得道,斷可知矣。按董仲舒所撰李少君家錄云,少君有不死之方,而家貧無以市其藥物,故出於漢,以假塗求其財,道成而去。又按漢禁中起居注云,少君之將去也,武帝夢與之共登嵩高山,半道,有使者乘龍持節,從云中下。云太乙請少君。帝覺,以語左右曰,如我之夢,少君將捨我去矣。數日,而少君稱病死。久之,帝令人發其棺,無屍,唯衣冠在焉。按仙經云,上士舉形昇虛,謂之天仙。中士游於名山,謂之地仙。下士先死後蛻,謂之屍解仙。今少君必屍解者也。近世壺公將費長房去。及道士李意期將兩弟子去,皆託卒,死,家殯埋之。積數年,而長房來歸。又相識人見李意期將兩弟子皆在郫縣。其家各發棺視之,三棺遂有竹杖一枚,以丹書於枚,此皆屍解者也。

  昔王莽引典墳以飾其邪,不可謂儒者,皆為篡盜也。相如因鼓琴以竊文君,不可謂雅樂主於淫佚也。噎死者不可譏神農之播穀,燒死者不可怒燧人之鑽火,覆溺者不可怨帝軒之造舟,酗酒者不可非杜儀之為酒。豈可以欒太之邪偽,謂仙道之果無乎?是猶見趙高董卓,便謂古無伊周霍光。見商臣冒頓,而云古無伯奇孝己也。又神仙集中有召神劾鬼之法,又有使人見鬼之術。俗人聞之,皆謂虛文。或云天下無鬼神,或云有之,亦不可劾召。或云見鬼者,在男為覡,在女為巫,當須自然,非可學而得。按漢書及太史公記皆云齊人少翁,武帝以為文成將軍。武帝所幸李夫人死,少翁能令武帝見之如生人狀。又令武帝見灶神,此史籍之明文也。夫方術既令鬼見其形,又令本不見鬼者見鬼,推此而言,其餘亦何所不有也。鬼神數為人間作光怪變異,又經典所載,多鬼神之據,俗人尚不信天下之有神鬼,況乎仙人居高處遠,清濁異流,登遐遂往,不返於世,非得道者,安能見聞。而儒墨之家知此不可以訓,故終不言其有焉。俗人之不信,不亦宜乎?惟有識真者,校練眾方,得其徵驗,審其必有,可獨知之耳,不可強也。故不見鬼神,不見仙人,不可謂世閒無仙人也。人無賢愚,皆知己身之有魂魄,魂魄分去則人病,盡去則人死。故分去則術家有拘錄之法,盡去則禮典有招呼之義,此之為物至近者也。然與人俱生,至乎終身,莫或有自聞見之者也。豈可遂以不聞見之,又云無之乎?若夫輔氏報施之鬼,成湯怒齊之靈,申生交言於狐子,杜伯報恨於周宣,彭生託形於玄豕,如意假貌於蒼狗,灌夫守田蚡,子義掊燕簡,蓐收之降於莘,欒侯之止民家,素姜之說讖緯,孝孫之著文章,神君言於上林,羅陽仕於吳朝,鬼神之事,著於竹帛,昭昭如此,不可勝數。然而蔽者猶謂無之,況長生之事,世所希聞乎!望使必信,是令蚊虻負山,與井蟆論海也。俗人未嘗見龍麟鸞鳳,乃謂天下無有此物,以為古人虛設瑞應,欲令人主自勉不息,冀致斯珍也。況於令人之信有仙人乎!

  世人以劉向作金不成,便謂索隱行怪,好傳虛無,所撰列仙,皆復妄作。悲夫!此所謂以分寸之瑕,棄盈尺之夜光,以蟻鼻之缺,捐無價之淳鈞,非荊和之遠識,風胡之賞真也。斯朱公所以鬱悒,薛燭所以永歎矣。夫作金皆在神仙集中,淮南王抄出,以作鴻寶枕中書,雖有其文,然皆秘其要文,必須口訣,臨文指解,然後可為耳。其所用藥,復多改其本名,不可按之便用也。劉向父德治淮南王獄中所得此書,非為師授也。向本不解道術,偶偏見此書,便謂其意盡在紙上,是以作金不成耳。至於撰列仙傳,自刪秦大夫阮倉書中出之,或所親見,然後記之,非妄言也。狂夫童謠,聖人所擇。芻蕘之言,或不可遺。采葑采菲,無以下體,豈可以百慮之一失,而謂經典之不可用,以日月曾蝕之故,而謂懸象非大明哉?外國作水精碗,實是合五種灰以作之。今交廣多有得其法而鑄作之者。今以此語俗人,俗人殊不肯信。乃云水精本自然之物,玉石之類。況於世間,幸有自然之金,俗人當何信其有可作之理哉?愚人乃不信黃丹及胡粉,是化鉛所作。又不信騾及駏驉,是驢馬所生。云物各自有種。況乎難知之事哉?夫所見少,則所怪多,世之常也。信哉此言,其事雖天之明,而人處覆甑之下,焉識至言哉?」

卷 三 · 對 俗

  或人難曰:「人中之有老彭,猶木中之有松柏,稟之自然,何可學得乎?」抱朴子曰:「夫陶冶造化,莫靈於人。故達其淺者,則能役用萬物,得其深者,則能長生久視。知上藥之延年,故服其藥以求仙。知龜鶴之遐壽,故效其道引以增年。且夫松柏枝葉,與眾木則別。龜鶴體貌,與眾蟲則殊。至於彭老猶是人耳,非異類而壽獨長者,由於得道,非自然也。眾木不能法松柏,諸蟲不能學龜鶴,是以短折耳。人有明哲,能修彭老之道,則可與之同功矣。若謂世無仙人乎,然前哲所記,近將千人,皆有姓字,及有施為本末,非虛言也。若謂彼皆特稟異氣,然其相傳皆有師奉服食,非生知也。若道術不可學得,則變易形貌,吞刀吐火,坐在立亡,興雲起霧,召致蟲蛇,合聚魚鱉,三十六石立化為水,消玉為台,潰金為漿,入淵不沾,蹴刃不傷,幻化之事,九百有餘,按而行之,無不皆效,何為獨不肯信仙之可得乎!仙道遲成,多所禁忌。自無超世之志,強力之才,不能守之。其或頗好心疑,中道而廢,便謂仙道長生,果不可得耳。仙經曰,服丹守一,與天相畢,還精胎息,延壽無極。此皆至道要言也。民間君子,猶內不負心,外不愧影,上不欺天,下不食言,豈況古之真人,寧當虛造空文,以必不可得之事,誑誤將來,何所索乎!苟無其命,終不肯信,亦安可強令信哉!」

  或難曰:「龜鶴長壽,蓋世閒之空言耳,誰與二物終始相隨而得知之也。」抱朴子曰:「苟得其要,則八極之外,如在指掌,百代之遠,有若同時,不必在乎庭宇之左右,俟乎瞻視之所及,然後知之也。玉策記曰,千歲之龜,五色具焉,其額上兩骨起似角,解人之言,浮於蓮葉之上,或在叢蓍之下,其上時有白雲蟠蛇。千歲之鶴,隨時而鳴,能登於木,其未千載者,終不集於樹上也,色純白而腦盡成丹。如此則見,便可知也。然物之老者多智,率皆深藏邃處,故人少有見之耳。按玉策記及昌宇經,不但此二物之壽也。云千歲松樹,四邊披越,上杪不長,望而視之,有如偃蓋,其中有物,或如青牛,或如青羊,或如青犬,或如青人,皆壽萬歲。又云,蛇有無窮之壽,獮猴壽八百歲變為猿,猿壽五百歲變為玃。玃壽千歲。蟾蜍壽三千歲,騏驎壽二千歲。騰黃之馬,吉光之獸,皆壽三千歲。千歲之鳥,萬歲之禽,皆人面而鳥身,壽亦如其名。虎及鹿兔,皆壽千歲,壽滿五百歲者,其毛色白。熊壽五百歲者,則能變化。狐狸豺狼,皆壽八百歲。滿五百歲,則善變為人形。鼠壽三百歲,滿百歲則色白,善憑人而卜,名曰仲,能知一年中吉凶及千里外事。如此比例,不可具載。但博識者觸物能名,洽聞者理無所惑耳。何必常與龜鶴周旋,乃可知乎?苟不識物,則園中草木,田池禽獸,猶多不知,況乎巨異者哉?史記龜策傳云:江淮閒居人為兒時,以龜枝床,至後老死,家人移床,而龜故生。此亦不減五六十歲也,不飲不食,如此之久而不死,其與凡物不同亦遠矣,亦復何疑於千歲哉?仙經象龜之息,豈不有以乎?故太丘長穎川陳仲弓,篤論士也,撰異聞記云,其郡人張廣定者,遭亂常避地,有一女年四歲,不能步涉,又不可擔負,計棄之固當餓死,不欲令其骸骨之露,村口有古大塚,上巔先有穿穴,乃以器盛縋之,下此女於塚中,以數月許乾飯及水漿與之而捨去。候世平定,其間三年,廣定乃得還鄉里,欲收塚中所棄女骨,更殯埋之。廣定往視,女故坐塚中,見其父母,猶識之甚喜。而父母猶初恐其鬼也,父下入就之,乃知其不死。問之從何得食,女言糧初盡時甚饑,見塚角有一物,伸頸吞氣,試效之,轉不復饑,日月為之,以至於今。父母去時所留衣被,自在塚中,不行往來,衣服不敗,故不寒凍。廣定乃索女所言物,乃是一大龜耳。女出食穀,初小腹痛嘔逆,久許乃習,此又足以知龜有不死之法,及為道者效之,可與龜同年之驗也。史遷與仲弓,皆非妄說者也。天下之蟲鳥多矣,而古人獨舉斯二物者,明其獨有異於眾故也,睹一隅則可以悟之矣。」

  或難曰:「龜能土蟄,鶴能天飛,使人為須臾之蟄,有頃刻之飛,猶尚不能,其壽安可學乎?」抱朴子答曰:「蟲之能蟄者多矣,鳥之能飛者饒矣,而獨舉龜鶴有長生之壽者,其所以不死者,不由蟄與飛也。是以真人但令學其道引以延年,法其食氣以絕穀,不學其土蟄與天飛也。夫得道者,上能竦身於雲霄,下能潛泳於川海。是以蕭史偕翔鳳以凌虛,琴高乘朱鯉於深淵,斯其驗也。何但須臾之蟄,須刻之飛而已乎!龍蛇蛟螭,狙猥鼉□,皆能竟冬不食,不食之時,乃肥於食時也。莫得其法。且夫一致之善者,物多勝於人,不獨龜鶴也。故太昊師蜘蛛而結網,金天據九□以正時,帝軒俟鳳鳴以調律,唐堯觀蓂莢以知月,歸終知往,乾鵲知來,魚伯識水旱之氣,蜉蝣曉潛泉之地,白狼知殷家之興,鸑鷟見周家之盛,龜鶴偏解導養,不足怪也。且仙經長生之道,有數百事,但有遲速煩要耳,不必皆法龜鶴也。上士用思遐邈,自然玄暢,難以愚俗之近情,而推神仙之遠旨。」

  或曰,「我等不知今人長生之理,古人何獨知之?」「此蓋愚闇之局談,非達者之用懷也。夫占天文之玄道,步七政之盈縮,論凌犯於既往,審崇替於將來,仰望雲物之徵祥,俯定卦兆之休咎,運三棋以定行軍之興亡,推九符而得禍福之分野,乘除一算,以究鬼神之情狀,錯綜六情,而處無端之善否。其根元可考也,形理可求也,而庸才近器,猶不能開學之奧治,至於朴素,徒銳思於糟粕,不能窮測其精微也。夫鑿枘之粗伎,而輪扁有不傳之妙;掇蜩之薄術,而亻區僂有入神之巧,在乎其人,由於至精也。況於神仙之道,旨意深遠,求其根莖,良未易也。松喬之徒,雖得其效,未必測其所以然也,況凡人哉?其事可學,故古人記而垂之,以傳識者耳。若心解意得,則可信而修之,其猜疑在胸,皆自其命,不當詰古人何以獨曉此,而我何以獨不知之意耶?吾今知仙之可得也,吾能休糧不食也,吾保流珠之可飛也,黃白之可求也,若責吾求其本理,則亦實復不知矣。世人若以思所能得謂之有,所不能及則謂之無,則天下之事亦鮮矣。故老子有言,以狸頭之治鼠漏,以啄木之護齲齒,此亦可以類求者也。若蟹之化漆,麻之壞酒,此不可以理推者也。萬殊紛然,何可以意極哉?設令抱危篤之疾,須良藥之救,而不肯即服,須知神農岐伯所以用此草治此病本意之所由,則未免於愚也。」

  或曰:「生死有命,修短素定,非彼藥物,所能損益。夫指既斬而連之,不可續也;血既灑而吞之,無所益也。豈況服彼異類之松柏,以延短促之年命,甚不然也。」抱朴子曰:「若夫此論,必須同類,乃能為益,然則既斬之指,已灑之血,本自一體,非為殊族,何以既斬之而不可續,已灑之而不中服乎!餘數見人以蛇銜膏連已斬之指,桑豆易雞鴨之足,異物之益,不可誣也。若子言不恃他物,則宜搗肉冶骨,以為金瘡之藥,煎皮熬發,以治禿鬢之疾耶?夫水土不與百卉同體,而百卉仰之以植焉。五穀非生人之類,而生人須之以為命焉。脂非火種,水非魚屬,然脂竭則火滅,水竭則魚死,伐木而寄生枯,芟草而兔絲萎,川蟹不歸而蛣敗,桑樹見斷而蠹殄,觸類而長之,斯可悟矣。金玉在九竅,則死人為之不朽。鹽滷沾於肌髓,則脯臘為之不爛,況於以宜身益命之物,納之於己,何怪其令人長生乎?」

  或難曰:「神仙方書,似是而非,將必好事者妄所造作,未必出黃老之手,經松喬之目也。」抱朴子曰:「若如雅論,宜不驗也,今試其小者,莫不效焉。餘數見人以方諸求水於夕月,陽燧引火於朝日,隱形以淪於無象,易貌以成於異物,結巾投地而兔走,針綴丹帶而蛇行,瓜果結實於須臾,龍魚瀺灂於盤盂,皆如說焉。按漢書欒太初見武帝,試令鬥棋,棋自相觸。而後漢書又載魏尚能坐在立亡,張楷能興雲起霧,皆良史所記,信而有徵,而此術事,皆在神仙之部,其非妄作可知矣。小既有驗,則長生之道,何獨不然乎!」

  或曰:「審其神仙可以學致,翻然凌霄,背俗棄世,烝嘗之禮,莫之修奉,先鬼有知,其不餓乎!」抱朴子曰:「蓋聞身體不傷,謂之終孝,況得仙道,長生久視,天地相畢,過於受全歸完,不亦遠乎?果能登虛躡景,雲轝霓蓋,餐朝霞之沆瀣,吸玄黃之醇精,飲則玉醴金漿,食則翠芝朱英,居則瑤堂瑰室,行則逍遙太清。先鬼有知,將蒙我榮,或可以翼亮五帝,或可以監御百靈,位可以不求而自致,膳可以咀茹華璚,勢可以總攝羅酆,威可以叱吒梁成,誠如其道,罔識其妙,亦無餓之者。得道之高,莫過伯陽。伯陽有子名宗,仕魏為將軍,有功封於段干。然則今之學仙者,自可皆有子弟,以承祭祀,祭祀之事,何緣便絕!」

  或曰:「得道之士,呼吸之術既備,服食之要又該,掩耳而聞千里,閉目而見將來,或委華駟而轡蛟龍,或棄神州而宅蓬瀛,或遲回於流俗,逍遙於人間,不便絕跡以造玄虛,其所尚則同,其逝止或異,何也?」抱朴子答曰:「聞之先師云,仙人或昇天,或住地,要於俱長生,去留各從其所好耳。又服還丹金液之法,若且欲留在世間者,但服半劑而錄其半。若後求昇天,便盡服之。不死之事已定,無復奄忽之慮。正復且游地上,或入名山,亦何所復憂乎?彭祖言,天上多尊官大神,新仙者位卑,所奉事者非一,但更勞苦,故不足役役於登天,而止人間八百餘年也。又云,古之得仙者,或身生羽翼,變化飛行,失人之本,更受異形,有似雀之為蛤,雉之為蜃,非人道也。人道當食甘旨,服輕暖,通陰陽,處官秩,耳目聰明,骨節堅強,顏色悅懌,老而不衰,延年久視,出處任意,寒溫風濕不能傷,鬼神眾精不能犯,五兵百毒不能中,憂喜毀譽不為累,乃為貴耳。若委棄妻子,獨處山澤,邈然斷絕人理,塊然與木石為鄰,不足多也。昔安期先生龍眉甯公修羊公陰長生,皆服金液半劑者也。其止世間,或近千年,然後去耳。篤而論之,求長生者,正惜今日之所欲耳,本不汲汲於昇虛,以飛騰為勝於地上也。若幸可止家而不死者,亦何必求於速登天乎?若得仙無復住理者,復一事耳。彭祖之言,為附人情者也。」

  或問曰:「為道者當先立功德,審然否?」抱朴子答曰:「有之。按玉鈐經中篇云,立功為上,除過次之。為道者以救人危使免禍,護人疾病,令不枉死,為上功也。欲求仙者,要當以忠孝和順仁信為本。若德行不修,而但務方術,皆不得長生也。行惡事大者,司命奪紀,小過奪算,隨所犯輕重,故所奪有多少也。凡人之受命得壽,自有本數,數本多者,則紀算難盡而遲死,若所稟本少,而所犯者多,則紀算速盡而早死。又云,人欲地仙,當立三百善;欲天仙,立千二百善。若有千一百九十九善,而忽復中行一惡,則盡失前善,乃當復更起善數耳。故善不在大,惡不在小也。雖不作惡事,而口及所行之事,及責求佈施之報,便復失此一事之善,但不盡失耳。又云,積善事未滿,雖服仙藥,亦無益也。若不服仙藥,並行好事,雖未便得仙,亦可無卒死之禍矣。吾更疑彭祖之輩,善功未足,故不能昇天耳。」

抱朴子 內篇4~5

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 四 · 金 丹

  抱朴子曰:余考覽養性之書,鳩集久視之方,曾所披涉篇卷,以千計矣,莫不皆以還丹金液為大要者焉。然則此二事,蓋仙道之極也。服此而不仙,則古來無仙矣。往者上國喪亂,莫不奔播四出。余周旋徐豫荊襄江廣數州之間,閱見流移俗道士數百人矣。或有素聞其名,乃在云日之表者。然率相似如一,其所知見,深淺有無,不足以相傾也。雖各有數十卷書,亦未能悉解之也,為寫蓄之耳。時有知行氣及斷穀服諸草木藥法,所有方書,略為同文,無一人不有道機經,唯以此為至秘,乃云是君喜所撰。余告之曰,此是魏世軍督王圖所撰耳,非古人也。圖了不知大藥,正欲以行氣入室求仙,作此道機,謂道畢於此,此復是誤人之甚者也。余問諸道士以神丹金液之事,及三皇內文召天神地祇之法,了無一人知之者,其夸誕自譽及欺人,云己久壽。及言曾與仙人共游者將太半矣,足以與盡微者甚鮮矣。或有頗聞金丹,而不謂今世復有得之者,皆言唯上古已度仙人,乃當曉之。或有得方外說,不得其真經。或得雜碎丹方,便謂丹法盡於此也。昔左元放於天柱山中精思,而神人授之金丹仙經,會漢末亂,不遑合作,而避地來渡江東,志欲投名山以修斯道。余從祖仙公,又從元放受之。凡受太清丹經三卷及九鼎丹經一卷金液丹經一卷。余師鄭君者,則余從祖仙公之弟子也,又於從祖受之,而家貧無用買藥。余親事之,灑掃積久,乃於馬跡山中立壇盟受之,並諸口訣訣之不書者。江東先無此書,書出於左元放,元放以授余從祖,從祖以授鄭君,鄭君以授余,故他道士了無知者也。然余受之已二十餘年矣,資無擔石,無以為之,但有長歎耳。有積金盈櫃,聚錢如山者,復不知有此不死之法。就令聞之,亦萬無一信,如何?夫飲玉台則知漿荇之薄味,睹崑崙則覺丘垤之至卑。既覽金丹之道,則使人不欲復視小小方書。然大藥難卒得辦,當須且將御小者以自支持耳。然服他藥萬斛,為能有小益,而終不能使人遂長生也。故老子之訣言云,子不得還丹金液,虛自苦耳。夫五穀猶能活人,人得之則生,絕之則死,又況於上品之神藥,其益人豈不萬倍於五穀耶?夫金丹之為物,燒之愈久,變化愈妙。黃金入火,百煉不消,埋之,畢天不朽。服此二物,煉人身體,故能令人不老不死。此蓋假求於外物以自堅固,有如脂之養火而不可滅,銅青塗腳,入水不腐,此是借銅之勁以扞其肉也。金丹入身中,沾洽榮衛,非但銅青之外傅矣。世間多不信至道者,則悠悠者皆是耳。然萬一時偶有好事者,而復不見此法,不值明師,無由聞天下之有斯妙事也。余今略鈔金丹之都較,以示後之同志好之者。其勤求之,求之不可守淺近之方,而謂之足以度世也。遂不遇之者,直當息意於無窮之冀耳。想見其說,必自知出潢污而浮滄海,背螢燭而向日月,聞雷霆而覺布鼓之陋,見巨鯨而知寸介之細也。如其嘍嘍,無所先入,欲以弊藥必規昇騰者,何異策蹇驢而追迅風,棹藍舟而濟大川乎?

  又諸小餌丹方甚多,然作之有淺深,故力勢不同,雖有優劣,轉不相及,猶一酘之酒,不可以方九醞之醇耳。然小丹之下者,猶自遠勝草木之上者也。凡草木燒之即燼,而丹砂燒之成水銀,積變又還成丹砂,其去凡草木亦遠矣。故能令人長生,神仙獨見此理矣,其去俗人,亦何緬邈之無限乎?世人少所識,多所怪,或不知水銀出於丹砂,告之終不肯信,云丹砂本赤物,從何得成此白物。又云丹砂是石耳,今燒諸石皆成灰,而丹砂何獨得爾。此近易之事,猶不可喻,其聞仙道,大而笑之,不亦宜乎?上古真人愍念將來之可教者,為作方法,委曲欲使其脫死亡之禍耳,可謂至言矣。然而俗人終不肯信,謂為虛文。若是虛文者,安得九轉九變,日數所成,皆如方耶?真人所以知此者,誠不可以庸近思求也。余少好方術,負步請問,不憚險遠。每有異聞,則以為喜。雖見毀笑,不以為戚。焉知來者之不如今,是以著此以示識者。豈苟尚奇怪,而崇飾空言,欲令書行於世,信結流俗哉?盛陽不能榮枯朽,上智不能移下愚,書為曉者傳,事為識者貴。農夫得彤弓以驅鳥,南夷得袞衣以負薪,夫不知者,何可強哉?世人飽食終日,復未必能勤儒墨之業,治進德之務,但共逍遙遨遊,以盡年月。其所營也,非榮則利。或飛蒼走黃於中原,或留連杯觴以羹沸,或以美女荒沈絲竹,或耽淪綺紈,或控弦以弊筋骨,或博弈以棄功夫。聞至道之言而如醉,睹道論而晝睡。有身不修,動之死地,不肯求問養生之法,自欲割削之,煎熬之,憔悴之,漉汔之。而有道者自寶秘其所知,無求於人,亦安肯強行語之乎?世人之常言,鹹以長生若可得者,古人之富貴者,己當得之,而無得之者,是無此道也。而不知古之富貴者,亦如今之富貴者耳。俱不信不求之,而皆以目前之所欲者為急,亦安能得之耶?假令不能決意,信命之可延,仙之可得,亦何惜於試之。試之小效,但使得二三百歲,不猶愈於凡人之少夭乎?天下之事萬端,而道術尤難明於他事也。何可以中才之心,而斷世間必無長生之道哉?若正以世人皆不信之,便謂為無,則世人之智者,又何太多乎?今若有識道意而猶修求之者,詎必便是至愚,而皆不及世人耶?又或慮於求長生,儻其不得,恐人笑之,以為暗惑。若心所斷,萬有一失,而天下果自有此不死之道者,不亦當復為得之者所笑乎?日月有所不能周照,人心安足孤信哉?抱朴子曰:按黃帝九鼎神丹經曰,黃帝服之,遂以昇仙。

  又云,雖呼吸道引,及服草木之藥,可得延年,不免於死也;服神丹令人壽無窮已,與天地相畢,乘雲駕龍,上下太清。黃帝以傳玄子,戒之曰,此道至重,必以授賢,苟非其人,雖積玉如山,勿以此道告之也。受之者以金人金魚投於東流水中以為約,唼血為盟,無神仙之骨,亦不可得見此道也。合丹當於名山之中,無人之地,結伴不過三人,先齋百日,沐浴五香,致加精潔,勿近穢污,及與俗人往來,又不令不信道者知之,謗毀神藥,藥不成矣。成則可以舉家皆仙,不但一身耳。世人不合神丹,反信草木之藥。草木之藥,埋之即腐,煮之即爛,燒之即焦,不能自生,何能生人乎?

  九丹者,長生之要,非凡人所當見聞也,萬兆蠢蠢,唯知貪富貴而已,豈非行屍者乎?合時又當祭,祭自有圖法一卷也。第一之丹名曰丹華。當先作玄黃,用雄黃水、礬石水、戎鹽、鹵鹽、礜石、牡蠣、赤石脂、滑石、胡粉各數十斤,以為六一泥,火之三十六日成,服七之日仙。又以玄膏丸此丹,置猛火上,須臾成黃金。又以二百四十銖合水銀百斤火之,亦成黃金。金成者藥成也。金不成,更封藥而火之,日數如前,無不成也。

  第二之丹名曰神丹,亦曰神符。服之百日仙也。行度水火,以此丹塗足下,步行水上。服之三刀圭,三屍九蟲皆即消壞,百病皆愈也。

  第三之丹名曰神丹。服一刀圭,百日仙也。以與六畜吞之,亦終不死。又能辟五兵。服百日,仙人玉女,山川鬼神,皆來侍之,見如人形。

  第四之丹名曰還丹。服一刀圭,百日仙也。朱鳥鳳凰,翔覆其上,玉女至傍。以一刀圭合水銀一斤火之,立成黃金。以此丹塗錢物用之,即日皆還。以此丹書凡人目上,百鬼走避。

  第五之丹名餌丹。服之三十日,仙也。鬼神來侍,玉女至前。

  第六之丹名煉丹。服之十日,仙也。又以汞合火之,亦成黃金。

  第七之丹名柔丹。服一刀圭,百日仙也。以缺盆汁和服之,九十老翁,亦能有子,與金公合火之,即成黃金。

  第八之丹名伏丹。服之即日仙也。以此丹如棗核許持之,百鬼避之。以丹書門戶上,萬邪眾精不敢前,又辟盜賊虎狼也。

  第九之丹名寒丹。服一刀圭,百日仙也。仙童仙女來侍,飛行輕舉,不用羽翼。

  凡此九丹,但得一丹便仙,不在悉作之,作之在人所好者耳。凡服九丹,欲昇天則去,欲且止人間亦任意,皆能出入無間,不可得之害矣。

  抱朴子曰:復有太清神丹,其法出於元君。元君者,老子之師也。太清觀天經有九篇,云其上三篇不可教授,其中三篇世無足傳,常沈之三泉之下,下三篇者,正是丹經上中下,凡三卷也。元君者,大神仙之人也,能調和陰陽,役使鬼神風雨,驂駕九龍十二白虎,天下眾仙皆隸焉,猶自言亦本學道服丹之所致也,非自然也。況凡人乎?其經曰:上士得道,昇為天官;中士得道,棲集崑崙;下士得道,長生世間。愚民不信,謂為虛言,從朝至暮,但作求死之事,了不求生,而天豈能強生之乎?凡人唯知美食好衣,聲色富貴而已,恣心盡欲,奄忽終歿之徒,慎無以神丹告之,令其笑道謗真。傳丹經不得其人,身必不吉。若有篤信者,可將合藥成以分之,莫輕以其方傳之也。知此道者,何用王侯?為神丹既成,不但長生,又可以作黃金。金成,取百斤先設大祭。祭自有別法一卷,不與九鼎祭同也。祭當別稱金各檢署之。

  禮天二十斤,日月五斤,北斗八斤,太乙八斤,井五斤,灶五斤,河伯十二斤,社五斤,門戶閭鬼神清君各五斤,凡八十八斤。餘一十二斤,以好韋囊盛之,良日於都市中市盛之時,嘿聲放棄之於多人處,逕去無復顧。凡用百斤外,乃得自恣用之耳。不先以金祀神,必被殃咎。又曰,長生之道,不在祭祀事鬼神也,不在道引與屈伸也,昇仙之要,在神丹也。知之不易,為之實難也。子能作之,可長存也。近代漢末新野陰君,合此太清丹得仙。其人本儒生,有才思,善著詩及丹經贊並序,述初學道隨師本末,列己所知識之得仙者四十餘人,甚分明也。作此太清丹,小為難合於九鼎,然是白日昇天之上法也。合之當先作華池赤鹽艮雪玄白飛符三五神水,乃可起火耳。

  一轉之丹,服之三年得仙。二轉之丹,服之二年得仙。三轉之丹,服之一年得仙。四轉之丹,服之半年得仙。五轉之丹,服之百日得仙。六轉之丹,服之四十日得仙。七轉之丹,服之三十日得仙。八轉之丹,服之十日得仙。九轉之丹,服之三日得仙。若取九轉之丹,內神鼎中,夏至之後,爆之鼎熱,內朱兒一斤於蓋下。伏伺之,候日精照之。須臾翕然俱起,煌煌煇煇,神光五色,即化為還丹。取而服之一刀圭,即白日昇天。又九轉之丹者,封塗之於土釜中,糠火,先文後武,其一轉至九轉,遲速各有日數多少,以此知之耳。其轉數少,其藥力不足,故服之用日多,得仙遲也。其轉數多,藥力盛,故服之用日少,而得仙速也。

  又有九光丹,與九轉異法,大都相似耳。作之法,當以諸藥合火之,以轉五石。五石者,丹砂、雄黃、白礜、曾青、慈石也。一石輒五轉而各成五色,五石而二十五色,色各一兩,而異器盛之。欲起死人,未滿三日者,取青丹一刀圭和水,以浴死人,又以一刀圭發其口內之,死人立生也。欲致行廚,取黑丹和水,以塗左手,其所求如口所道皆自至,可致天下萬物也。欲隱形及先知未然方來之事,及住年不老,服黃丹一刀圭,即便長生不老矣。及坐見千里之外,吉凶皆知,如在目前也。人生宿命,盛衰壽夭,富貴貧賤,皆知之也,其法俱在太清經中卷耳。

  抱朴子曰:其次有五靈丹經一卷,有五法也。用丹砂、雄黃、雌黃、石硫黃、曾青、礬石、慈石、戎鹽、太乙餘糧,亦用六一泥,及神室祭醮合之,三十六日成。又用五帝符,以五色書之,亦令人不死,但不及太清及九鼎丹藥耳。

  又有岷山丹法,道士張蓋蹋精思於岷山石室中,得此方也。其法鼓冶黃銅,以作方諸,以承取月中水,以水銀覆之,致日精火其中,長服之不死。又取此丹置雄黃銅燧中,覆以汞曝之,二十日發而治之,以井華水服如小豆,百日,盲者皆能視之,百病自愈,發白還黑,齒落更生。

  又務成子丹法,用巴沙汞置八寸銅盤中以土爐盛炭,倚三隅塹以枝盤,以硫黃水灌之,常令如泥,百日服之不死。

  又羨門子丹法,以酒和丹一斤,用酒三升和,曝之四十日,服之一日,則三蟲百病立下;服之三年,仙道乃成,必有玉女二人來侍之,可役使致行廚,此丹可以厭百鬼,及四方死人殃注害人宅,及起土功妨人者,懸以向之,則無患矣。

  又有立成丹,亦有九首,似九鼎而不及也。其要一本更云,取雌黃雄黃燒下其中銅,鑄以為器,覆之三歲淳苦酒上,百日,此器皆生赤乳,長數分,或有五色琅玕,取理而服之,亦令人長生。又可以和菟絲,菟絲是初生之根,其形似菟,掘取剋其血,以和此丹,服之立變化,任意所作也。又和以朱草,一服之,能乘虛而行雲,朱草狀似小棗,栽長三四尺,枝葉皆赤,莖如珊瑚,喜生名山岩石之下,刻之汁流如血,以玉及八石金銀投其中,立便可丸如泥,久則成水,以金投之,名為金漿,以玉投之,名為玉醴,服之皆長生。

  又有取伏丹法雲,天下諸水,有名丹者,有南陽之丹水之屬也,其中皆有丹魚,當先夏至十日夜伺之,丹魚必浮於水側,赤光上照,赫然如火也,網而取之可得之,得之雖多,勿盡取也,割其血,塗足下,則可步行水上,長居淵中矣。

  又赤松子丹法,取千歲蔂汁及礬桃汁淹丹,著不津器中,練蜜蓋其口,埋之入地三尺,百日,絞檸木赤實,取汁和而服之,令人面目鬢髮皆赤,長生也。昔中黃仙人有赤鬚子者,豈非服此乎?

  又石先生丹法,取烏鷇之未生毛羽者,以真丹和牛肉以吞之,至長,其毛羽皆赤,乃煞之,陰乾百日,並毛羽搗服一刀圭,百日得壽五百歲。

  又康風子丹法,用羊烏鶴卵雀血,合少室天雄汁,和丹內鵠卵中漆之,內雲母水中,百日化為赤水,服一合,輒益壽百歲,服一升千歲也。

  又崔文子丹法,納丹鶩腹中蒸之,服,令人延年,長服不死。

  又劉元丹法,以丹砂內玄水液中,百日紫色,握之不污手,又和以雲母水,內管中漆之,投井中,百日化為赤水,服一合,得百歲,久服長生也。

  又樂子長丹法,以曾青鉛丹合汞及丹砂,著銅筩中,乾瓦白滑石封之,於白砂中蒸之,八十日,服如小豆,三年仙矣。

  又李文丹法,以白素裹丹,以竹汁煮之,名紅泉,乃浮湯上蒸之,合以玄水,服之一合,一年仙矣。

  又尹子丹法,以雲母水和丹密封,致金華池中,一年出,服一刀圭,盡一斤,得五百歲。

  又太乙招魂魄丹法,所用五石,及封之以六一泥,皆似九丹也,長於起卒死三日以還者,折齒內一丸,與硫黃丸,俱以水送之,令入喉即活,皆言見使者持節召之。

  又采女丹法,以兔血和丹與蜜蒸之,百日,服之如梧桐子者大一丸,日三,至百日,有神女二人來侍之,可役使。

  又稷丘子丹法,以清酒麻油百華醴龍膏和,封以六一泥,以糠火熅之,十日成,服如小豆一丸,盡劑,得壽五百歲。

  又墨子丹法,用汞及五石液於銅器中,火熬之,以鐵匕撓之,十日,還為丹,服之一刀圭,萬病去身,長服不死。又張子和丹法,用鉛汞曾青水合封之,蒸之於赤黍米中,

  八十日成,以棗膏和丸之,服如大豆,百日,壽五百歲。

  又綺裡丹法,先飛取五石玉塵,合以丹砂汞,內大銅器中煮之,百日,五色,服之不死。以鉛百斤,以藥百刀圭,合火之成白銀,以雄黃水和而火之,百日成黃金,金或太剛者,以豬膏煮之,或太柔者,以白梅煮之。

  又玉柱丹法,以華池和丹,以曾青硫黃末覆之薦之,內筩中沙中,蒸之五十日,服之百日,玉女六甲六丁神女來侍之,可役使,知天下之事也。

  又肘後丹法,以金華和丹乾瓦封之,蒸八十日,取如小豆,置盤中,向日和之,其光上與日連,服如小豆,長生矣。以投丹陽銅中,火之成金。

  又李公丹法,用真丹及五石之水各一升,和令如泥,釜中火之,三十六日出,和以石硫黃液,服之十年,與天地相畢。又劉生丹法,用白菊花汁地楮汁樗汁和丹蒸之,三十日,研合服之,一年,得五百歲,老翁服更少不可識,少年服亦不老。

  又王君丹法,巴沙及汞內雞子中,漆合之,令雞伏之三枚,以王相日服之,住年不老,小兒不可服,不復長矣,與新生雞犬服之,皆不復大,鳥獸亦皆如此驗。

  又陳生丹法,用白蜜和丹,內銅器中封之,沈之井中,一期,服之經年,不饑,盡一斤,壽百歲。

  又韓終丹法,漆蜜和丹煎之,服可延年久視,立日中無影。過此以往,尚數十法,不可具論。

  抱朴子曰:金液太乙所服而仙者也,不減九丹矣,合之用古秤黃金一斤,並用玄明龍膏、太乙旬首中石、冰石、紫游女、玄水液、金化石、丹砂,封之成水,其經云,金液入口,則其身皆金色。老子受之於元君,元君曰,此道至重,百世一出,藏之石室,合之,皆齋戒百日,不得與俗人相往來,於名山之側,東流水上,別立精舍,百日成,服一兩便仙。若未欲去世,且作地水仙之士者,但齋戒百日矣。若求昇天,皆先斷穀一年,乃服之也。若服半兩,則長生不死,萬害百毒,不能傷之,可以畜妻子,居官秩,任意所欲,無所禁也。若復欲昇天者,乃可齋戒,更服一兩,便飛仙矣。

  以金液為威喜巨勝之法,取金液及水銀一味合煮之,三十日,出,以黃土甌盛,以六一泥封,置猛火炊之,六十時,皆化為丹,服如小豆大便仙,以此丹一刀圭粉,水銀一斤,即成銀。又取此丹一斤置火上扇之,化為赤金而流,名曰丹金。以塗刀劍,辟兵萬里。以此丹金為盤碗,飲食其中,令人長生。以承日月得液,如方諸之得水也,飲之不死。以金液和黃土,內六一泥甌中,猛火炊之,盡成黃金,中用也,復以火炊之,皆化為丹,服之如小豆、可以入名山大川為地仙。以此丹一刀圭粉水銀立成銀,以銀一兩和鉛一斤,皆成銀。金液經云,投金人八兩於東流水中,飲血為誓,乃告口訣,不如本法,盜其方而作之,終不成也。凡人有至信者,可以藥與之,不可輕傳其書,必兩受其殃,天神鑒人甚近,人不知耳。

  抱朴子曰:九丹誠為仙藥之上法,然合作之,所用雜藥甚多。若四方清通者,市之可具。若九域分隔,則物不可得也。又當起火晝夜數十日,伺候火力,不可令失其適,勤苦至難,故不及合金液之易也。合金液唯金為難得耳。古秤金一斤於今為二斤,率不過直三十許萬,其所用雜藥差易具。又不起火,但以置華池中,日數足便成矣,都合可用四十萬而得一劑,可足八人仙也。然其中稍少合者,其氣力不足以相化成,如釀數升米酒,必無成也。

  抱朴子曰:其次有餌黃金法,雖不及金液,亦遠不比他藥也。或以豕負革肪及酒煉之,或以樗皮治之,或以荊酒磁石消之,或有可引為巾,或立令成水服之。或有禁忌,不及金液也。或以雄黃雌黃合餌之,可引之張之如皮,皆地仙法耳。銀及蚌中大珠,皆可化為水服之。然須長服不可缺,故皆不及金液也。抱朴子曰:合此金液九丹,既當用錢,又宜入名山,絕人事,故能為之者少,且亦千萬人中,時當有一人得其經者。故凡作道書者,略無說金丹者也。第一禁,勿令俗人之不信道者,謗訕評毀之,必不成也。鄭君言所以爾者,合此大藥皆當祭,祭則太乙元君老君玄女皆來鑒省。作藥者若不絕跡幽僻之地,令俗閒愚人得經過聞見之,則諸神便責作藥者之不遵承經戒,致令惡人有謗毀之言,則不復佑助人,而邪氣得進,藥不成也。必入名山之中,齋戒百日,不食五辛生魚,不與俗人相見,爾乃可作大藥。作藥須成乃解齋,不但初作時齋也。鄭君云,左君告之,言諸小小山,皆不可於其中作金液神丹也。凡小山皆無正神為主,多是木石之精,千歲老物,血食之鬼,此輩皆邪氣,不念為人作福,但能作禍,善試道士,道士須當以術辟身,及將從弟子,然或能壞人藥也。今之醫家,每合好藥好膏,皆不欲令雞犬小兒婦人見之。若被諸物犯之,用便無驗。又染采者惡惡目者見之,皆失美色。況神仙大藥乎?是以古之道士,合作神藥,必入名山,不止凡山之中,正為此也。又按仙經,可以精思合作仙藥者,有華山泰山霍山恆山嵩山少室山長山太白山終南山女幾山地肺山王屋山抱犢山安丘山潛山青城山娥眉山緌山雲台山羅浮山陽駕山黃金山鱉祖山大小天台山四望山蓋竹山括蒼山,此皆是正神在其山中,其中或有地仙之人。上皆生芝草,可以避大兵大難,不但於中以合藥也。若有道者登之,則此山神必助之為福,藥必成。若不得登此諸山者,海中大島嶼,亦可合藥。若會稽之東翁洲亶洲紵嶼,及徐州之莘莒洲泰光洲郁洲,皆其次也。今中國名山不可得至,江東名山之可得住者,有霍山,在晉安;長山太白,在東陽;四望山大小天台山蓋竹山括蒼山,並在會稽。

  抱朴子曰:予忝大臣之子孫,雖才不足以經國理物,然疇類之好,進趍之業,而所知不能遠餘者,多揮翮雲漢,耀景辰霄者矣。余所以絕慶吊於鄉黨,棄當世之榮華者,必欲遠登名山,成所著子書,次則合神藥,規長生故也。俗人莫不怪予之委桑梓,背清塗,而躬耕林藪,手足胼胝,謂予有狂惑之疾也。然道與世事不並興,若不廢人間之務,何得修如此之志乎?見之誠了,執之必定者,亦何憚於毀譽,豈移於勸沮哉?聊書其心,示將來之同志尚者云。後有斷金之徒,所捐棄者,亦與余之不異也。

  小神丹方,用真丹三斤,白蜜六斤攪合,日暴煎之,令可丸,旦服如麻子許十丸,未一年,發白者黑,齒落者生,身體潤澤,長服之,老翁成少年,長生不死矣。

  小丹法,丹一斤,搗篩,下淳苦酒三升,漆二升,凡三物合,令相得,微火上煎令可丸,服如麻子三丸,日再服,三十日,腹中百病癒,三屍去;服之百日,肌骨強堅;千日,司命削去死籍,與天地相畢,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光也。

  小餌黃金法,煉金內清酒中,約二百過,出入即沸矣,握之出指間令如泥,若不沸,及握之不出指間,即削之,內清酒中無數也。成,服之如彈丸一枚,亦可一丸,分為小丸,服之三十日,無寒溫,神人玉女侍之,銀亦可餌之,與金同法。服此二物,能居名山石室中者,一年即輕舉矣。止人間服亦地仙,勿妄傳也。

  兩儀子餌黃金法,豬負革脂三斤,淳苦酒一升,取黃金五兩,置器中,煎之土爐,以金置脂中,百入百出,苦酒亦爾。食一斤,壽蔽天地;食半斤,壽二千歲;五兩,壽千二百歲。無多少,便可餌之。當以王相日作,服之神良。勿傳非人,傳示非人,令藥不成不神。欲食去屍藥,當服丹砂也。

卷 五 · 至 理

  抱朴子曰:微妙難識,疑惑者眾。吾聰明豈能過人哉?適偶有所偏解,猶鶴知夜半,燕知戊巳,而未必達於他事也。亦有以校驗,知長生之可得,仙人之無種耳。夫道之妙者,不可盡書,而其近者,又不足說。昔庚桑胼胝,文子釐顏,勤苦彌久,及受大訣,諒有以也。夫圓首含氣,孰不樂生而畏死哉?然榮華勢利誘其意,素顏玉膚惑其目,清商流徵亂其耳,愛惡利害攪其神,功名聲譽束其體,此皆不召而自來,不學而已成,自非受命應仙,窮理獨見,識變通於常事之外,運清鑒於玄漠之域,寤身名之親疏,悼過隙之電速者,豈能棄交修賒,抑遺嗜好,割目下之近欲,修難成之遠功哉?夫有因無而生焉,形須神而立焉。有者,無之宮也。形者,神之宅也。故譬之於堤,堤壞則水不留矣。方之於燭,燭糜則火不居矣。身勞則神散,氣竭則命終。根竭枝繁,則青青去木矣。氣疲欲勝,則精靈離身矣。夫逝者無反期,既朽無生理,達道之士,良所悲矣!輕璧重陰,豈不有以哉?故山林養性之家,遺俗得意之徒,比崇高於贅疣,方萬物乎蟬翼,豈苟為大言,而強薄世事哉?誠其所見者了,故棄之如忘耳。是以遐棲幽遁,韜鱗掩藻,遏欲視之目,遣損明之色,杜思音之耳,遠亂聽之聲,滌除玄覽,守雌抱一,專氣致柔,鎮以恬素,遣歡戚之邪情,外得失之榮辱,割厚生之臘毒,謐多言於樞機,反聽而後所聞徹,內視而後見無朕,養靈根於冥鈞,除誘慕於接物,削斥淺務,御以愉慔,為乎無為,以全天理爾。乃父吸寶華,浴神太清,外除五曜,內守九精,堅玉鑰於命門,結北極於黃庭,引三景於明堂,飛元始以煉形,采靈液於金梁,長驅白而留青,凝澄泉於丹田,引沈珠於五城,瑤鼎俯爨,藻禽仰鳴,瑰華擢穎,天鹿吐瓊,懷重規於絳宮,潛九光於洞冥,雲蒼鬱而連天,長谷湛而交經,履躡乾兌,召呼六丁,坐臥紫房,咀吸金英,曄曄秋芝,朱華翠莖,皛皛珍膏,溶溢霄零,治饑止渴,百痾不萌,逍遙戊巳,燕和飲平,拘魂制魄,骨填體輕,故能策風雲以騰虛,並混輿而永生也。然梁塵之盈尺,非可求之漏刻,山霤洞徹,非可致之於造次也。患於聞之者不信,信之者不為,為之者不終耳。夫得之者甚希而隱,不成者至多而顯。世人不能知其隱者,而但見其顯者,故謂天下果無仙道也。

  抱朴子曰:防堅則水無漉棄之費,脂多則火無寢曜之患,龍泉以不割常利,斤斧以日用速弊,隱雪以違暖經夏,藏冰以居深過暑,單帛以幔鏡不灼,凡卉以偏覆越冬。泥壤易消者也,而陶之為瓦,則與二儀齊其久焉。柞楢速朽者也,而燔之為炭,則可億載而不敗焉。轅豚以優畜晚卒,良馬以陟峻早斃,寒蟲以適己倍壽,南林以處溫長茂,接煞氣則彫瘁於凝霜,值陽和則郁藹而條秀。物類一也,而榮枯異功,豈有秋收之常限,冬藏之定例哉?而人之受命,死生之期,未若草木之於寒天也,而延養之理,補救之方,非徒溫暖之為淺益也,久視之效,何為不然?而世人守近習隘,以仙道為虛誕,謂黃老為妄言,不亦惜哉?夫愚夫乃不肯信湯藥針艾,況深於此者乎?皆曰,俞跗扁鵲和緩倉公之流,必能治病,何不勿死?又曰,富貴之家,豈乏醫術,而更不壽,是命有自然也。乃責如此之人,令信神仙,是使牛緣木,馬逐鳥也。

  抱朴子曰:召魂小丹三使之丸,及五英八石小小之藥,或立消堅冰,或入水自浮,能斷絕鬼神,禳卻虎豹,破積聚於腑臟,追二豎於膏肓,起猝死於委屍,返驚魂於既逝。夫此皆凡藥也,猶能令已死者復生,則彼上藥也,何為不能令生者不死乎?越人救虢太子於既殞,胡醫活絕氣之蘇武,淳於能顱以理腦,元化能刳腹以澣胃,文摯愆期以瘳危困,仲景穿胸以納赤餅,此醫家之薄技,猶能若是,豈況神仙之道,何所不為?夫人所以死者,諸欲所損也,老也,百病所害也,毒惡所中也,邪氣所傷也,風冷所犯也。今道引行氣,還精補腦,食飲有度,興居有節,將服藥物,思神守一,柱天禁戒,帶佩符印,傷生之徒,一切遠之,如此則通,可以免此六害。今醫家通明腎氣之丸,內補五絡之散,骨填苟杞之煎,黃蓍建中之湯,將服之者,皆致肥丁。漆葉青蓁,凡弊之草,樊阿服之,得壽二百歲,而耳目聰明,猶能持針以治病,此近代之實事,良史所記注者也。

  又云,有吳普者,從華陀受五禽之戲,以代導引,猶得百餘歲。此皆藥術之至淺,尚能如此,況於用其妙者耶?今語俗人云,理中四順,可以救霍亂,款冬、紫苑,可以治欬逆,萑蘆、貫眾之煞九蟲,當歸、芍葯之止絞痛,秦膠、獨活之除八風,菖蒲、乾姜之止痺濕,菟絲、蓯蓉之補虛乏,甘遂、葶歷之逐痰癖,括樓、黃連之愈消渴,薺苨、甘草之解百毒,蘆如益熱之護眾創,麻黃、大青之主傷寒,俗人猶謂不然也,寧煞生請福,分蓍問祟,不肯信良醫之攻病,反用巫史之紛若,況乎告之以金丹可以度世,芝英可以延年哉?昔留侯張良,吐出奇策,一代無有,智慮所及,非淺近人也,而猶謂不死可得者也,其聰明智用,非皆不逮世人,而曰吾將棄人間之事,以從赤松游耳,遂修道引,絕穀一年,規輕舉之道,坐呂後逼蹴,從求安太子之計,良不得已,為畫致四皓之策,果如其言,呂後德之,而逼令強食之,故令其道不成耳。按孔安國秘記云,良得黃石公不死之法,不但兵法而已。又云,良本師四皓,甪里先生綺裡季之徒,皆仙人也,良悉從受其神方,雖為呂後所強飲食,尋復修行仙道,密自度世,但世人不知,故云其死耳。如孔安國之言,則良為得仙也。又漢丞相張蒼,偶得小術,吮婦人乳汁,得一百八十歲,此蓋道之薄者,而蒼為之,猶得中壽之三倍,況於備術,行諸秘妙,何為不得長生乎?此事見於漢書,非空言也。

  抱朴子曰:服藥雖為長生之本,若能兼行氣者,其益甚速,若不能得藥,但行氣而盡其理者,亦得數百歲。然又宜知房中之術,所以爾者,不知陰陽之術,屢為勞損,則行氣難得力也。夫人在氣中,氣在人中,自天地至於萬物,無不須氣以生者也。善行氣者,內以養身,外以卻惡,然百姓日用而不知焉。吳越有禁祝之法,甚有明驗,多氣耳。知之者可以入大疫之中,與病人同床而己不染。又以群從行數十人,皆使無所畏,此是氣可以禳天災也。或有邪魅山精,侵犯人家,以瓦石擲人,以火燒人屋舍。或形見往來,或但聞其聲音言語,而善禁者以氣禁之,皆即絕,此是氣可以禁鬼神也。入山林多溪毒蝮蛇之地,凡人暫經過,無不中傷,而善禁者以氣禁之,能辟方數十里上,伴侶皆使無為害者。又能禁虎豹及蛇蜂,皆悉令伏不能起。以氣禁金瘡,血即登止。又能續骨連筋。以氣禁白刃,則可蹈之不傷,刺之不入。若人為蛇虺所中,以氣禁之則立愈。近世左慈趙明等,以氣禁水,水為之逆流一二丈。又於茅屋上然火,煮食食之,而茅屋不焦。又以大釘釘柱,入七八寸,以氣吹之,釘即湧射而出。又以氣禁沸湯,以百許錢投中,令一人手探摝取錢,而手不灼爛。又禁水著中庭露之,大寒不冰。又能禁一里中炊者盡不得蒸熟。又禁犬令不得吠。昔吳遣賀將軍討山賊,賊中有善禁者,每當交戰,官軍刀劍皆不得拔,弓弩射矢皆還向,輒致不利。賀將軍長智有才思,乃曰,吾聞金有刃者可禁,蟲有毒者可禁,其無刃之物,無毒之蟲,則不可禁,彼能禁吾兵者,必不能禁無刃物矣。乃多作勁木白棒,選異力精卒五千人為先登,盡捉棓彼山賊,賊恃其善禁者,了不能備,於是官軍以白棒擊之,大破彼賊,禁者果不復行,所打煞者,乃有萬計。夫氣出於形,用之其效至此,何疑不可絕穀治病,延年養性乎?仲長公理者,才達之士也,著昌言,亦論「行氣可以不饑不病,云吾始者未之信也,至於為之者,盡乃然矣。養性之方,若此至約,而吾未之能也,豈不以心馳於世務,思銳於人事哉?他人之不能者,又必與吾同此疾也。昔有明師,知不死之道者,燕君使人學之,不捷而師死。燕君怒其使者,將加誅焉。諫者曰,夫所憂者莫過乎死,所重者莫急乎生,彼自喪其生,亦安能令吾君不死也。君乃不誅。其諫辭則此為良說矣。使彼有不死之方,若吾所聞行氣之法,則彼說師之死者,未必不知道也,直不能棄世事而為之,故雖知之而無益耳,非無不死之法者也。」又云:「河南密縣,有卜成者,學道經久,乃與家人辭去,其始步稍高,遂入雲中不復見。此所謂舉形輕飛,白日昇天,仙之上者也。」陳元方韓元長,皆穎川之高士也,與密相近,二君所以信天下之有仙者,蓋各以其父祖及見卜成者成仙昇天故耳,此則又有仙之一證也。

抱朴子 內篇6~7

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 六 · 微 旨

  抱朴子曰:「余聞歸同契合者,則不言而信著;途殊別務者,雖忠告而見疑。夫尋常咫尺之近理,人間取捨之細事,沈浮過於金羽,皂白分於粉墨,而抱惑之士,猶多不辨焉,豈況說之以世道之外,示之以至微之旨,大而笑之,其來久矣,豈獨今哉?夫明之所及,雖玄陰幽夜之地,豪釐芒發之物,不以為難見。苟所不逮者,雖日月麗天之炤灼,嵩岱干雲之峻峭,猶不能察焉。黃老玄聖,深識獨見,開秘文於名山,受仙經於神人,蹶埃塵以遣累,凌大遐以高躋,金石不能與之齊堅,龜鶴不足與之等壽,念有志於將來,愍信者之無文,垂以方法,炳然著明,小修則小得,大為則大驗。然而淺見之徒,區區所守,甘於荼蓼而不識台蜜,酣於醨酪而不賞醇醪。知好生而不知有養生之道,知畏死而不信有不死之法,知飲食過度之畜疾病,而不能節肥甘於其口也。知極情恣欲之致枯損,而不知割懷於所欲也。余雖言神仙之可得,安能令其信乎?」

  或人難曰:「子體無參午達理,奇毛通骨,年非安期彭祖多歷之壽,目不接見神仙,耳不獨聞異說,何以知長生之可獲,養性之有徵哉?若覺玄妙於心得,運逸鑒於獨見,所未敢許也。夫衣無蔽膚之具,資無謀夕之儲,而高談陶朱之術,自同猗頓之策,取譏論者,其理必也。抱痼疾而言精和鵲之技,屢奔北而稱究孫吳之算,人不信者,以無效也。」余答曰:「夫寸鮹汎跡濫水之中,則謂天下無四海之廣也。芒蠍宛轉果核之內,則謂八極之界盡於茲也。雖告之以無涯之浩汗,語之以宇宙之恢闊,以為空言,必不肯信也。若令吾眼有方瞳,耳長出頂,亦將控飛龍而駕慶雲,凌流電而造倒景,子又將安得而詰我。設令見我,又將呼為天神地祇異類之人,豈謂我為學之所致哉?姑聊以先覺挽引同志,豈強令吾子之徒,皆信之哉?若令家戶有仙人,屬目比肩,吾子雖蔽,亦將不疑。但彼人之道成,則蹈青霄而游紫極,自非通靈,莫之見聞,吾子必為無耳。世人信其臆斷,仗其短見,自謂所度,事無差錯,習乎所致,怪乎所希,提耳指掌,終於不悟,其來尚矣,豈獨今哉?」

  或曰:「屢承嘉談,足以不疑於有仙矣,但更自嫌於不能為耳。敢問更有要道,可得單行者否?」抱朴子曰:「凡學道當階淺以涉深,由易以及難,志誠堅果,無所不濟,疑則無功,非一事也。夫根荄不洞地,而求柯條干云,淵源不泓窈,而求湯流萬里者,未之有也。是故非積善陰德,不足以感神明;非誠心款契,不足以結師友;非功勞不足以論大試;又未遇明師而求要道,未可得也。九丹金液,最是仙主。然事大費重,不可卒辦也。寶精愛氣,最其急也,並將服小藥以延年命,學近術以辟邪惡,乃可漸階精微矣。」

  或曰:「方術繁多,誠難精備,除置金丹,其餘可修,何者為善?」抱朴子曰:「若未得其至要之大者,則其小者不可不廣知也。蓋藉眾術之共成長生也。大而諭之,猶世主之治國焉,文武禮律,無一不可也。小而諭之,猶工匠之為車焉,轅罔軸轄,莫或應虧也。所為術者,內修形神,使延年愈疾,外攘邪惡,使禍害不幹,比之琴瑟,不可以孑弦求五音也,方之甲冑,不可以一札待鋒刃也。何者,五音合用不可闕,而鋒刃所集不可少也。凡養生者,欲令多聞而體要,博見而善擇,偏修一事,不足必賴也。又患好事之徒,各仗其所長,知玄素之術者,則曰唯房中之術,可以度世矣;明吐納之道者,則曰唯行氣可以延年矣;知屈伸之法者,則曰唯導引可以難老矣;知草木之方者,則曰唯藥餌可以無窮矣;學道之不成就,由乎偏枯之若此也。淺見之家,偶知一事,便言已足,而不識真者,雖得善方,猶更求無已,以消工棄日,而所施用,意無一定,此皆兩有所失者也。或本性戇鈍,所知殊尚淺近,便強入名山,履冒毒螫,屢被中傷,恥復求還。或為虎狼所食,或為魍魎所殺,或餓而無絕穀之方,寒而無自溫之法,死於崖谷,不亦愚哉?夫務學不如擇師,師所聞素狹,又不盡情以教之,因告云,為道不在多也。夫為道不在多,自為已有金丹至要,可不用餘耳。然此事知之者甚希,寧可虛待不必之大事,而不修交益之小術乎?譬猶作家,云不事用他物者,蓋謂有金銀珠玉,在乎掌握懷抱之中,足以供累世之費者耳。苟其無此,何可不廣播百穀,多儲果疏乎?是以斷穀辟兵,厭劾鬼魅,禁御百毒,治救眾疾,入山則使猛獸不犯,涉水則令蛟龍不害,經瘟疫則不畏,遇急難則隱形,此皆小事,而不可不知,況過此者,何可不聞乎?」

  或曰:「敢問欲修長生之道,何所禁忌?」抱朴子曰:「禁忌之至急,在不傷不損而已。按易內戒及赤松子經及河圖記命符皆云,天地有司過之神,隨人所犯輕重,以奪其算,算減則人貧耗疾病,屢逢憂患,算盡則人死,諸應奪算者有數百事,不可具論。又言身中有三屍,三屍之為物,雖無形而實魂靈鬼神之屬也。欲使人早死,此屍當得作鬼,自放縱遊行,享人祭酹。是以每到庚申之日,輒上天白司命,道人所為過失。又月晦之夜,灶神亦上天白人罪狀。大者奪紀。紀者,三百日也。小者奪算。算者,三日也。吾亦未能審此事之有無也。然天道邈遠,鬼神難明。趙簡子秦穆公皆親受金策於上帝,有土地之明徵。山川草木,井灶洿池,猶皆有精氣;人身之中,亦有魂魄;況天地為物之至大者,於理當有精神,有精神則宜賞善而罰惡,但其體大而網疏,不必機發而響應耳。然覽諸道戒,無不云欲求長生者,必欲積善立功,慈心於物,恕己及人,仁逮昆蟲,樂人之吉,愍人之苦,周人之急,救人之窮,手不傷生,口不勸禍,見人之得如己之得,見人之失如己之失,不自貴,不自譽,不嫉妒勝己,不佞諂陰賊,如此乃為有德,受福於天,所作必成,求仙可冀也。若乃憎善好殺,口是心非,背向異辭,反戾直正,虐害其下,欺罔其上,叛其所事,受恩不感,弄法受賂,縱曲枉直,廢公為私,刑加無辜,破人之家,收人之寶,害人之身,取人之位,侵克賢者,誅戮降伏,謗訕仙聖,傷殘道士,彈射飛鳥,刳胎破卵,春夏燎獵,罵詈神靈,教人為惡,蔽人之善,危人自安,佻人自功,壞人佳事,奪人所愛,離人骨肉,辱人求勝,取人長錢,還人短陌,決放水火,以術害人,迫脅尪弱,以惡易好,強取強求,擄掠致富,不公不平,淫佚傾邪,凌孤暴寡,拾遺取施,欺紿誑詐,好說人私,持人短長,牽天援地,咒詛求直,假借不還,換貸不償,求欲無已,憎拒忠信,不順上命,不敬所師,笑人作善,敗人苗稼,損人器物,以窮人用,以不清潔飲飼他人,輕秤小鬥,狹幅短度,以偽雜真,採取奸利,誘人取物,越井跨灶,晦歌朔哭。凡有一事,輒是一罪,隨事輕重,司命奪其算紀,算盡則死。但有噁心而無惡跡者奪算,若惡事而損於人者奪紀,若算紀未盡而自死者,皆殃及子孫也。諸橫奪人財物者,或計其妻子家口以當填之,以致死喪,但不即至耳。其惡行若不足以煞其家人者,久久終遭水火劫盜,及遺失器物,或遇縣官疾病,自營醫藥,烹牲祭祀所用之費,要當令足以盡其所取之直也。故道家言枉煞人者,是以兵刃而更相殺。其取非義之財,不避怨恨,譬若以漏脯救饑,鴆酒解渴,非不暫飽而死亦及之矣。其有曾行諸惡事,後自改悔者,若曾枉煞人,則當思救濟應死之人以解之。若妄取人財物,則當思施與貧困以解之。若以罪加人,則當思薦達賢人以解之。皆一倍於所為,則可便受吉利,轉禍為福之道也。能盡不犯之,則必延年益壽,學道速成也。夫天高而聽卑,物無不鑒,行善不怠,必得吉報。羊公積德佈施,詣乎皓首,乃受天墜之金。蔡順至孝,感神應之。郭巨煞子為親,而獲鐵券之重賜。然善事難為,惡事易作,而愚人復以項託伯牛輩,謂天地之不能辨臧否,而不知彼有外名者,未必有內行,有陽譽者不能解陰罪,若以薺麥之生死,而疑陰陽之大氣,亦不足以致遠也。蓋上士所以密勿而僅免,凡庸所以不得其欲矣。」

  或曰:「道德未成,又未得絕跡名山,而世不同古,盜賊甚多,將何以卻朝夕之患,防無妄之災乎?」抱朴子曰:「常以執日,取六癸上土,以和百葉薰草,以泥門戶方一尺,則盜賊不來;亦可取市南門土,及歲破土,月建土,合和為人,以著朱鳥地,亦壓盜也。有急則入生地而止,無患也。天下有生地,一州有生地,一郡有生地,一縣有生地,一鄉有生地,一里有生地,一宅有生地,一房有生地。」

  或曰:「一房有生地,不亦偪乎?」抱朴子曰:「經云,大急之極,隱於車軾。如此,一車之中,亦有生地,況一房乎?」

  或曰:「竊聞求生之道,當知二山,不審此山,為何所在,願垂告悟,以袪其惑。」抱朴子曰:「有之,非華霍也,非嵩岱也。夫太元之山,難知易求,不天不地,不沈不浮,絕險綿邈, { 山罪 } 嵬崎嶇,和氣絪縕,神意並游,玉井泓邃,灌溉匪休,百二十官,曹府相由,離坎列位,玄芝萬株,絳樹特生,其寶皆殊,金玉嵯峨,醴泉出隅,還年之士,挹其清流,子能修之,喬松可儔,此一山也。長谷之山,杳杳巍巍,玄氣飄飄,玉液霏霏,金池紫房,在乎其隈,愚人妄往,至皆死歸,有道之士,登之不衰,采服黃精,以致天飛,此二山也。皆古賢之所秘,子精思之。」或曰:「願聞真人守身煉形之術。」抱朴子曰:「深哉問也。夫始青之下月與日,兩半同昇合成一。出彼玉池入金室,大如彈丸黃如橘,中有嘉味甘如蜜,子能得之謹勿失。既往不追身將滅,純白之氣至微密,昇於幽關三曲折,中丹煌煌獨無匹,立之命門形不卒,淵乎妙矣難致詰。此先師之口訣,知之者不畏萬鬼五兵也。」

  或曰:「聞房中之事,能盡其道者,可單行致神仙,並可以移災解罪,轉禍為福,居官高遷,商賈倍利,信乎?」抱朴子曰:「此皆巫書妖妄過差之言,由於好事增加潤色,至令失實。或亦奸偽造作虛妄,以欺誑世人,隱藏端緒,以求奉事,招集弟子,以規世利耳。夫陰陽之術,高可以治小疾,次可以免虛耗而已。其理自有極,安能致神仙而卻禍致福乎?人不可以陰陽不交,坐致疾患。若欲縱情恣欲,不能節宣,則伐年命。善其術者,則能卻走馬以補腦,還陰丹以朱腸,采玉液於金池,引三五於華梁,令人老有美色,終其所稟之天年。而俗人聞黃帝以千二百女昇天,便謂黃帝單以此事致長生,而不知黃帝於荊山之下,鼎湖之上,飛九丹成,乃乘龍登天也。黃帝自可有千二百女耳,而非單行之所由也。凡服藥千種,三牲之養,而不知房中之術,亦無所益也。是以古人恐人輕恣情性,故美為之說,亦不可盡信也。玄素諭之水火,水火煞人,而又生人,在於能用與不能耳。大都知其要法,御女多多益善,如不知其道而用之,一兩人足以速死耳。彭祖之法,最其要者。其他經多煩勞難行,而其為益不必如其書。人少有能為之者。口訣亦有數千言耳。不知之者,雖服百藥,猶不能得長生也。」

卷 七 · 塞 難

  或曰:「皇穹至神,賦命宜均,何為使喬松凡人受不死之壽,而周孔大聖無久視之祚哉?」抱朴子曰:「命之脩短,實由所值,受氣結胎,各有星宿。天道無為,任物自然,無親無疏,無彼無此也。命屬生星,則其人必好仙道。好仙道者,求之亦必得也。命屬死星,則其人亦不信仙道。不信仙道,則亦不自修其事也。所樂善否,判於所稟,移易予奪,非天所能。譬猶金石之消於爐冶,瓦器之甄於陶灶,雖由之以成形,而銅鐵之利鈍,罋罌之邪正,適遇所遭,非復爐灶之事也。」

  或人難曰:「良工所作,皆由其手,天之神明,何所不為,而云人生各有所值,非彼昊蒼所能匠成,愚甚惑焉,未之敢許也。」抱朴子答曰:「渾茫剖判,清濁以陳,或昇而動,或降而靜,彼天地猶不知所以然也。萬物感氣,並亦自然,與彼天地,各為一物,但成有先後,體有鉅細耳。有天地之大,故覺萬物之小。有萬物之小,故覺天地之大。且夫腹背雖包圍五臟,而五臟非腹背之所作也。肌膚雖纏裹血氣,而血氣非肌膚之所造也。天地雖含囊萬物,而萬物非天地之所為也。譬猶草木之因山林以萌秀,而山林非有事焉。魚鱉之託水澤以產育,而水澤非有為焉。俗人見天地之大也,以萬物之小也,因曰天地為萬物之父母,萬物為天地之子孫。夫虱生於我,豈我之所作?故虱非我不生,而我非虱之父母,虱非我之子孫。蠛蠓之育於醯醋,芝檽之產於木石,蛣屈之滋於污淤,翠蘿之秀於松枝,非彼四物所創匠也,萬物盈乎天地之閒,豈有異乎斯哉?天有日月寒暑,人有瞻視呼吸,以遠況近,以此推彼,人不能自知其體老少痛癢之何故,則彼天亦不能自知其體盈縮災祥之所以;人不能使耳目常聰明,榮衛不輟閡,則天亦不能使日月不薄蝕,四時不失序。由茲論之,大壽之事,果不在天地,仙與不仙,決非所值也。夫生我者父也,娠我者母也,猶不能令我形器必中適,姿容必妖麗,性理必平和,智慧必高遠,多致我氣力,延我年命;而或矬陋尪弱,或且黑且丑,或聾盲頑嚚,或枝離劬蹇,所得非所欲也,所欲非所得也,況乎天地遼闊者哉?父母猶復其遠者也。我自有身,不能使之永壯而不老,常健而不疾,喜怒不失宜,謀慮無悔吝。故授氣流形者父母也,受而有之者我身也,其餘則莫有親密乎此者也,莫有制御乎此者也,二者已不能有損益於我矣,天地亦安得與知之乎?必若人物皆天地所作,則宜皆好而無惡,悉成而無敗,眾生無不遂之類,而項楊無春彫之悲矣!子以天不能使孔孟有度世之祚,益知所稟之有自然,非天地所剖分也。聖之為德,德之至也。天若能以至德與之,而使之所知不全,功業不建,位不霸王,壽不盈百,此非天有為之驗也。聖人之死,非天所殺,則聖人之生,非天所挺也。賢不必壽,愚不必夭,善無近福,惡無近禍,生無定年,死無常分,盛德哲人,秀而不實,竇公庸夫,年幾二百,伯牛廢疾,子夏喪明,盜跖窮凶而白首,莊蹻極惡而黃發,天之無為,於此明矣。」

  或曰:「仲尼稱自古皆有死,老子曰神仙之可學。夫聖人之言,信而有徵,道家所說,誕而難用。」抱朴子曰:「仲尼,儒者之聖也;老子,得道之聖也。儒教近而易見,故宗之者眾焉。道意遠而難識,故達之者寡焉。道者,萬殊之源也。儒者,大淳之流也。三皇以往,道治也。帝王以來,儒教也。談者咸知高世之敦朴,而薄季俗之澆散,何獨重仲尼而輕老氏乎?是玩華藻於木末,而不識所生之有本也。何異乎貴明珠而賤淵潭,愛和璧而惡荊山,不知淵潭者,明珠之所自出,荊山者,和璧之所由生也。且夫養性者,道之餘也;禮樂者,儒之末也。所以貴儒者,以其移風易俗,不唯揖讓與盤旋也。所以尊道者,以其不言而化行,匪獨養生之一事也。若儒道果有先後,則仲尼未可專信,而老氏未可孤用。仲尼既敬問伯陽,願比老彭。又自以知魚鳥而不識龍,喻老氏於龍,蓋其心服之辭,非空言也。與顏回所言,瞻之在前,忽然在後,鑽之彌堅,仰之彌高,無以異也。」

  或曰:「仲尼親見老氏而不從學道,何也?」抱朴子曰:「以此觀之,益明所稟有自然之命,所尚有不易之性也。仲尼知老氏玄妙貴異,而不能挹酌清虛,本源大宗,出乎無形之外,入乎至道之內,其所諮受,止於民閒之事而已,安能請求仙法耶?忖其用心汲汲,專於教化,不存乎方術也。仲尼雖聖於世事,而非能沈靜玄默,自守無為者也。故老子戒之曰:良賈深藏若虛,君子盛德若愚,去子之驕氣與多欲,態色與淫志,是無益於子之身。此足以知仲尼不免於俗情,非學仙之人也。夫棲棲遑遑,務在匡時,仰悲鳳鳴,俯歎匏瓜,沽之恐不售,慷慨思執鞭,亦何肯捨經世之功業,而修養生之迂闊哉?」

  或曰:「儒道之業,孰為難易?」抱朴子答曰:「儒者,易中之難也。道者,難中之易也。夫棄交遊,委妻子,謝榮名,損利祿,割粲爛於其目,抑鏗鏘於其耳,恬愉靜退,獨善守己,謗來不戚,譽至不喜,睹貴不欲,居賤不恥,此道家之難也。出無慶吊之望,入無瞻視之責,不勞神於七經,不運思於律歷,意不為推步之苦,心不為藝文之役,眾煩既損,和氣自益,無為無慮,不怵不惕,此道家之易也,所謂難中之易矣。夫儒者所修,皆憲章成事,出處有則,語默隨時,師則循比屋而可求,書則因解注以釋疑,此儒者之易也。鉤深致遠,錯綜典墳,該河洛之籍籍,博百氏之云云,德行積於衡巷,忠貞盡於事君,仰馳神於垂象,俯運思於風雲,一事不知,則所為不通,片言不正,則褒貶不分,舉趾為世人之所則,動唇為天下之所傳,此儒家之難也,所謂易中之難矣。篤論二者,儒業多難,道家約易,吾以患其難矣,將捨而從其易焉。世之譏吾者,則比肩皆是也。可與得意者,則未見其人也。若同志之人,必存乎將來,則吾亦未謂之為希矣。」

  或曰:「余閱見知名之高人,洽聞之碩儒,果以窮理盡性,研覈有無者多矣,未有言年之可延,仙之可得者也。先生明不能並日月,思不能出萬夫,而據長生之道,未之敢信也。」抱朴子曰:「吾庸夫近才,見淺聞寡,豈敢自許以拔群獨識,皆勝世人乎?顧曾以顯而求諸乎隱,以易而得之乎難,校其小驗,則知其大效,睹其已然,則明其未試耳。且夫世之不信天地之有仙者,又未肯規也。率有經俗之才,當塗之伎,涉覽篇籍助教之書,以料人理之近易,辨凡猥之所惑,則謂眾之所疑,我能獨斷之,機兆之未朕,我能先覺之,是我與萬物之情,無不盡矣,幽翳冥昧,無不得也。我謂無仙,仙必無矣,自來如此其堅固也。吾每見俗儒碌碌,守株之不信至事者,皆病於頗有聰明,而偏枯拘繫,以小黠自累,不肯為純在乎極暗,而了不別菽麥者也。夫以管窺之狹見,而孤塞其聰明之所不及,是何異以一尋之綆,汲百仞之深,不覺所用之短,而云井之無水也。俗有聞猛風烈火之聲,而謂天之冬雷,見游雲西行,而謂月之東馳。人或告之,而終不悟信,此信己之多者也。夫聽聲者,莫不信我之耳焉。視形者,莫不信我之目焉。而或者所聞見,言是而非,然則我之耳目,果不足信也。況乎心之所度,無形無聲,其難察尤甚於視聽,而以己心之所得,必固世閒至遠之事,謂神仙為虛言,不亦蔽哉?」

  抱朴子曰:「妍媸有定矣,而憎愛異情,故兩目不相為視焉。雅鄭有素矣,而好惡不同,故兩耳不相為聽焉。真偽有質矣,而趨捨舛忤,故兩心不相為謀焉。以丑為美者有矣,以濁為清者有矣,以失為得者有矣,此三者乖殊,炳然可知,如此其易也,而彼此終不可得而一焉。又況乎神仙之事,事之妙者,而欲令人皆信之,未有可得之理也。凡人悉使之知,又何貴乎達者哉?若待俗人之息妄言,則俟河之清,未為久也。吾所以不能默者,冀夫可上可下者,可引致耳。其不移者,古人已末如之何矣。」抱朴子曰:「至理之未易明,神仙之不見信,其來久矣,豈獨今哉?太上自然知之,其次告而後悟,若夫聞而大笑者,則悠悠皆是矣。吾之論此也,將有多敗之悔,失言之咎乎!夫物莫之與,則傷之者至焉。蓋盛陽不能榮枯朽之木,神明不能變沈溺之性,子貢不能悅錄馬之野人,古公不能釋欲地之戎狄,實理有所不通,善言有所不行。章甫不售於蠻越,赤舄不用於跣夷,何可強哉?夫見玉而指之曰石,非玉之不真也,待和氏而後識焉。見龍而命之曰蛇,非龍之不神也,須蔡墨而後辨焉。所以貴道者,以其加之不可益,而損之不可減也。所以貴德者,以其聞毀而不慘,見譽而不悅也。彼誠以天下之必無仙,而我獨以實有而與之諍,諍之彌久,而彼執之彌固,是虛長此紛紜,而無救於不解,果當從連環之義乎!」

抱朴子 內篇8~10

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 八 · 釋 滯

  或問曰:「人道多端,求仙至難,非有廢也,則事不兼濟。藝文之業,憂樂之務,君臣之道,胡可替乎?」抱朴子答曰:「要道不煩,所為鮮耳。但患志之不立,信之不篤,何憂於人理之廢乎?長才者兼而修之,何難之有?內寶養生之道,外則和光於世,治身而身長修,治國而國太平。以六經訓俗士,以方術授知音,欲少留則且止而佐時,欲昇騰則凌霄而輕舉者,上士也。自持才力,不能並成,則棄置人間,專修道德者,亦其次也。昔黃帝荷四海之任,不妨鼎湖之舉;彭祖為大夫八百年,然後西適流沙;伯陽為柱史,甯封為陶正,方回為閭士,呂望為太師,仇生仕於殷,馬丹官於晉,范公霸越而泛海,琴高執笏於宋康,常生降志於執鞭,莊公藏器於小吏,古人多得道而匡世,修之於朝隱,蓋有餘力故也。何必修於山林,盡廢生民之事,然後乃成乎?亦有心安靜默,性惡諠譁,以縱逸為歡,以榮任為戚者,帶索藍縷,茹草操耜,玩其三樂,守常待終,不營苟生,不憚速死,辭千金之聘,忽卿相之貴者。無所修為,猶常如此,況又加之以知神仙之道,其亦必不肯役身於世矣,各從其志,不可一概而言也。」抱朴子曰:「世之謂一言之善,貴於千金然,蓋亦軍國之得失,行己之臧否耳。至於告人以長生之訣,授之以不死之方,非特若彼常人之善言也,則奚徒千金而已乎?設使有困病垂死,而有能救之得愈者,莫不謂之為宏恩重施矣。今若按仙經,飛九丹,水金玉,則天下皆可令不死,其惠非但活一人之功也。黃老之德,固無量矣,而莫之克識,謂為妄誕之言,可歎者也。」

  抱朴子曰:「欲求神仙,唯當得其至要,至要者在於寶精行氣,服一大藥便足,亦不用多也。然此三事,復有淺深,不值明師,不經勤苦,亦不可倉卒而盡知也。雖云行氣,而行氣有數法焉。雖曰房中,而房中之術,近有百餘事焉。雖言服藥,而服藥之方,略有千條焉。初以授人,皆從淺始,有志不怠,勤勞可知,方乃告其要耳。故行氣或可以治百病,或可以入瘟疫,或可以禁蛇虎,或可以止瘡血,或可以居水中,或可以行水上,或可以辟飢渴,或可以延年命。其大要者,胎息而已。得胎息者,能不以鼻口噓吸,如在胞胎之中,則道成矣。初學行氣,鼻中引氣而閉之,陰以心數至一百二十,乃以口微吐之,及引之,皆不欲令己耳聞其氣出入之聲,常令入多出少,以鴻毛著鼻口之上,吐氣而鴻毛不動為候也。漸習轉增其心數,久久可以至千,至千則老者更少,日還一日矣。夫行氣當以生氣之時,勿以死氣之時也。故曰仙人服六氣,此之謂也。一日一夜有十二時,其從半夜以至日中六時為生氣,從日中至夜半六時為死氣,死氣之時,行氣無益也。善用氣者,噓水,水為之逆流數步;噓火,火為之滅;噓虎狼,虎狼伏而不得動起;噓蛇虺,蛇虺蟠而不能去。若他人為兵刃所傷,噓之血即止;聞有為毒蟲所中,雖不見其人,遙為噓祝我之手,男噓我左,女噓我右,而彼人雖在百里之外,即時皆愈矣。又中惡急疾,但吞三九之氣,亦登時差也。但人性多躁,少能安靜以修其道耳。又行氣大要,不欲多食,及食生菜肥鮮之物,令人氣強難閉。又禁恚怒,多恚怒則氣亂,既不得溢,或令人發欬,故鮮有能為者也。予從祖仙公,每大醉及夏天盛熱,輒入深淵之底,一日許乃出者,正以能閉氣胎息故耳。房中之法十餘家,或以補救傷損,或以攻治眾病,或以采陰益陽,或以增年延壽,其大要在於還精補腦之一事耳。此法乃真人口口相傳,本不書也,雖服名藥,而復不知此要,亦不得長生也。人復不可都絕陰陽,陰陽不交,則坐致壅閼之病,故幽閉怨曠,多病而不壽也。任情肆意,又損年命。唯有得其節宣之和,可以不損。若不得口訣之術,萬無一人為之而不以此自傷煞者也。玄素子都容成公彭祖之屬,蓋載其粗事,終不以至要者著於紙上者也。志求不死者,宜勤行求之。余承師鄭君之言,故記以示將來之信道者,非臆斷之談也。余實復未盡其訣矣。一塗之道士,或欲專守交接之術,以規神仙,而不作金丹之大藥,此愚之甚矣。」

  抱朴子曰:「道書之出於黃老者,蓋少許耳,率多後世之好事者,各以所知見而滋長,遂令篇捲至於山積。古人質朴,又多無才,其所論物理,既不周悉,其所證按,又不著明,皆闕所要而難解,解之又不深遠,不足以演暢微言,開示憤悱,勸進有志,教戒始學,令知玄妙之塗徑,禍福之源流也。徒誦之萬遍,殊無可得也。雖欲博涉,然宜詳擇其善者,而後留意,至於不要之道書,不足尋繹也。末學者或不別作者之淺深,其於名為道家之言,便寫取累箱盈筐,盡心思索其中。是探燕巢而求鳳卵,搜井底而捕鱔魚,雖加至勤,非其所有也,不得必可施用,無故消棄日月,空有疲睏之勞,了無錙銖之益也。進失當世之務,退無長生之效,則莫不指點之曰,彼修道如此之勤,而不得度世,是天下果無不死之法也;而不知彼之求仙,猶臨河羨魚,而無網罟,非河中之無魚也。又五千文雖出老子,然皆泛論較略耳。其中了不肯首尾全舉其事,有可承按者也。但暗誦此經,而不得要道,直為徒勞耳,又況不及者乎?至於文子莊子關令尹喜之徒,其屬文筆,雖祖述黃老,憲章玄虛,但演其大旨,永無至言。或復齊死生,謂無異以存活為徭役,以殂歿為休息,其去神仙,已千億里矣,豈足耽玩哉?其寓言譬喻,猶有可采,以供給碎用,充御卒乏,至使末世利口之奸佞,無行之弊子,得以老莊為窟藪,不亦惜乎?」

  或曰:「聖明御世,唯賢是寶,而學仙之士,不肯進宦,人皆修道,誰復佐政事哉?」抱朴子曰:「背聖主而山棲者,巢許所以稱高也;遭有道而遁世者,莊伯所以為貴也;軒轅之臨天下,可謂至理也,而廣成不與焉;唐堯之有四海,可謂太平也,而偓佺不佐焉,而德化不以之損也,才子不以之乏也;天乙革命,而務光負石以投河,姬武翦商,而夷齊不食於西山;齊桓之興,而少稷高枕於陋巷;魏文之隆,而干木散發於西河;四老鳳戢於商洛,而不妨大漢之多士也;周黨麟跱於林藪,而無損光武之刑厝也。夫寵貴不能動其心,極富不能移其好,濯纓滄浪,不降不辱,以芳林為台榭,峻岫為大廈,翠蘭為絪床,綠葉為幃幙,被褐代袞衣,薇藿當嘉膳,非躬耕不以充飢,非妻織不以蔽身,千載之中,時或有之,況又加之以委六親於邦族,捐室家而不顧,背榮華如棄跡,絕可欲於胸心,凌嵩峻以獨往,侶影響於名山,內視於無形之域,反聽乎至寂之中,八極之內,將遽幾人?而吾子乃恐君之無臣,不亦多憂乎?」

  或曰:「學仙之士,獨潔其身而忘大倫之亂,背世主而有不臣之慢,余恐長生無成功,而罪罟將見及也。」抱朴子答曰:「夫北人石戶善卷子州,皆大才也,而沈遁放逸,養其浩然,昇降不為之虧,大化不為之缺也。況學仙之士,未必有經國之才,立朝之用,得之不加塵露之益,棄之不覺毫釐之損者乎?方今九有同宅,而幽荒來仕,元凱委積,無所用之。士有待次之滯,官無暫曠之職;勤久者有遲敘之歎,勳高者有循資之屈;濟濟之盛,莫此之美,一介之徒,非所乏也。昔子晉捨視膳之役,棄儲貳之重,而靈王不責之以不孝;尹生委衿帶之職,違式遏之任,而有周不罪之以不忠。何者,彼誠亮其非輕世薄主,直以所好者異,匹夫之志,有不可移故也。夫有道之主,含垢善恕,知人心之不可同,出處之各有性,不逼不禁,以崇光大,上無嫌恨之偏心,下有得意之至歡,故能暉聲並揚於罔極,貪夫聞風而忸怩也。吾聞景風起則裘爐息,世道夷則奇士退,今喪亂既平,休牛放馬,烽燧滅影,干戈載戢,繁弱既韜,盧鵲將烹,子房出玄帷而反閭巷,信越釋甲冑而修魚釣,況乎學仙之士,萬未有一,國家吝此以何為哉?然其事在於少思寡慾,其業在於全身久壽,非爭競之醜,無傷俗之負,亦何罪乎?且華霍之極大,滄海之滉瀁,其高不俟翔埃之來,其深不仰行潦之注,撮壤土不足以減其峻,挹勺水不足以削其廣,一世不過有數仙人,何能有損人物之鞅掌乎?」

  或曰:「果其仙道可求得者,五經何以不載,周孔何以不言,聖人何以不度世,上智何以不長存?若周孔不知,則不可為聖。若知而不學,則是無仙道也。」抱朴子答曰:「人生星宿,各有所值,既詳之於別篇矣。子可謂戴盆以仰望,不睹七曜之炳粲;暫引領於大川,不知重淵之奇怪也。夫五經所不載者無限矣,周孔所不言者不少矣。特為吾子略說其萬一焉。雖大笑不可止,局情難卒開,且令子聞其較略焉。夫天地為物之大者也。九聖共成易經,足以彌綸陰陽,不可復加也。今問善易者,周天之度數,四海之廣狹,宇宙之相去,凡為幾里?上何所極,下何所據,及其轉動,誰所推引,日月遲疾,九道所乘,昏明脩短,七星迭正,五緯盈縮,冠珥薄蝕,四七凌犯,彗孛所出,氣矢之異,景老之祥,辰極不動,鎮星獨東,羲和外景而熱,望舒內鑒而寒,天漢仰見為潤下之性,濤潮往來有大小之變,五音六屬,占喜怒之情,雲動氣起,含吉凶之候,欃、槍、尤、矢,旬始絳繹,四鎮五殘,天狗歸邪,或以示成,或以正敗,明易之生,不能論此也。以次問春秋四部詩書三禮之家,皆復無以對矣。皆曰悉正經所不載,唯有巫咸甘公石申海中郤萌七曜記之悉矣。余將問之曰,此六家之書,是為經典之教乎?彼將曰非也。余又將問曰:甘石之徒,是為聖人乎?彼亦曰非也。然則人生而戴天,詣老履地,而求之於五經之上則無之,索之於周孔之書則不得,今寧可盡以為虛妄乎?天地至大,舉目所見,猶不能了,況於玄之又玄,妙之極妙者乎?」復問俗人曰:「夫乘雲繭產之國,肝心不朽之民,巢居穴處,獨目三首,馬閒狗蹄,脩臂交股,黃池無男,穿胸旁口,廩君起石而汎土船,沙壹觸木而生群龍,女媧地出,杜宇天墮,甓飛犬言,山徙社移,三軍之眾,一朝盡化,君子為鶴,小人成沙,女丑倚枯,貳負抱桎,寄居之蟲,委甲步肉,二首之蛇,弦之為弓,不灰之木,不熱之火,昌蜀之禽,無目之獸,無身之頭,無首之體,精衛填海,交讓遞生,火浣之布,切玉之刀,炎昧吐烈,磨泥漉水,枯灌化形,山夔前跟,石脩九首,畢方人面,少千之劾伯率,聖卿之役肅霜,西羌以虎景興,鮮卑以乘鱉強,林邑以神錄王,庸蜀以流屍帝,鹽神嬰來而蟲飛,縱目世變於荊岫,五丁引蛇以傾峻,肉甚振翅於三海。金簡玉字,發於禹井之側。正機平衡,割乎文石之中。凡此奇事,蓋以千計,五經所不載,周孔所不說,可皆復云無是物乎?至於南人能入柱以出耳,禦寇停肘水而控弦,伯昏躡億仞而企踵,呂梁能行歌以憑淵,宋公克象葉以亂真,公輸飛木玄之翩翾,離朱覿毫芒於百步,賁獲效膂力於萬鈞,越人揣針以蘇死,豎亥超跡於累千,郢人奮斧於鼻堊,仲都袒身於寒天,此皆周孔所不能為也,復可以為無有乎?若聖人誠有所不能,則無怪於不得仙,不得仙亦無妨於為聖人,為聖人偶所不閒,何足以為攻難之主哉?聖人或可同去留,任自然,有身而不私,有生而不營,存亡任天,長短委命,故不學仙,亦何怪也。」

卷 九 · 道 意

  抱朴子曰:「道者涵乾括坤,其本無名。論其無,則影響猶為有焉;論其有,則萬物尚為無焉。隸首不能計其多少,離朱不能察其彷彿,吳札晉野竭聰,不能尋其音聲乎窈冥之內,犭周豨犭步豬疾走,不能跡其兆朕乎宇宙之外。以言乎邇,則周流秋毫而有餘焉;以言乎遠,則彌綸太虛而不足焉。為聲之聲,為響之響,為形之形,為影之影,方者得之而靜,員者得之而動,降者得之而俯,昇者得之以仰,強名為道,已失其真,況復乃千割百判,億分萬析,使其姓號至於無垠,去道遼遼,不亦遠哉?

  俗人不能識其太初之本,而修其流淫之末,人能淡默恬愉,不染不移,養其心以無慾,頤其神以粹素,掃滌誘慕,收之以正,除難求之思,遣害真之累,薄喜怒之邪,滅愛惡之端,則不請福而福來,不禳禍而禍去矣。何者,命在其中,不繫於外,道存乎此,無俟於彼也。患乎凡夫不能守真,無杜遏之檢括,愛嗜好之搖奪,馳騁流遁,有迷無反,情感物而外起,智接事而旁溢,誘於可欲,而天理滅矣,惑乎見聞,而純一遷矣。心受制於奢玩,情濁亂於波蕩,於是有傾越之災,有不振之禍,而徒烹宰肥腯,沃酹醪醴,撞金伐革,謳歌踴躍,拜伏稽顙,守請虛坐,求乞福願,冀其必得,至死不悟,不亦哀哉?若乃精靈困於煩擾,榮衛消於役用,煎熬形氣,刻削天和,勞逸過度,而碎首以請命,變起膏肓,而祭禱以求痊,當風臥濕,而謝罪於靈祇,飲食失節,而委禍於鬼魅,蕞爾之體,自貽茲患,天地神明,曷能濟焉?其烹牲罄群,何所補焉?夫福非足恭所請也,禍非禋祀所禳也。若命可以重禱延,疾可以豐祀除,則富姓可以必長生,而貴人可以無疾病也。夫神不歆非族,鬼不享淫祀,皂隸之巷,不能紆金根之軒,布衣之門,不能動六轡之駕,同為人類,而尊卑兩絕,況於天神,緬邈清高,其倫異矣,貴亦極矣。蓋非臭鼠之酒餚,庸民之曲躬,所能感降,亦已明矣。夫不忠不孝,罪之大惡,積千金之賂,太牢之饌,求令名於明主,釋愆責於邦家,以人釋人,猶不可得,況年壽難獲於令名,篤疾難除於愆責,鬼神異倫,正直是與,冀其曲祐,未有之也。夫慚德之主,忍詬之臣,猶能賞善不須貸財,罰惡不任私情,必將修繩履墨,不偏不黨,豈況鬼神,過此之遠,不可以巧言動,不可以飾賂求,斷可識矣。

  楚之靈王,躬自為巫,靡愛斯牲,而不能卻吳師之討也。

  漢之廣陵,敬奉李須,傾竭府庫而不能救叛逆之誅也。孝武尤信鬼神,鹹秩無文,而不能免五柞之殂。孫主貴待華鄉,封以王爵,而不能延命盡之期。非犧牲之不博碩,非玉帛之不豐醲,信之非不款,敬之非不重,有丘山之損,無毫釐之益,豈非失之於近,而營之於遠乎?

  第五公誅除妖道,而既壽且貴;宋廬江罷絕山祭,而福祿永終;文翁破水靈之廟,而身吉民安;魏武禁淫祀之俗,而洪慶來假,前事不忘,將來之鑒也。明德惟馨,無憂者壽,嗇寶不夭,多慘用老,自然之理,外物何為!若養之失和,伐之不解,百痾緣隙而結,榮衛竭而不悟,太牢三牲,曷能濟焉?俗所謂率皆妖偽,轉相誑惑,久而彌甚,既不能修療病之術,又不能返其大迷,不務藥石之救,惟專祝祭之謬,祈禱無已,問卜不倦,巫祝小人,妄說禍祟,疾病危急,唯所不聞,聞輒修為,損費不訾,富室竭其財儲,貧人假舉倍息,田宅割裂以訖盡,篋櫃倒裝而無餘。或偶有自差,便謂受神之賜,如其死亡,便謂鬼不見赦,幸而誤活,財產窮罄,遂復饑寒凍餓而死,或起為劫剽,或穿窬斯濫,喪身於鋒鏑之端,自陷於醜惡之刑,皆此之由也。或什物盡於祭祀之費耗,縠帛淪於貪濁之師巫,既沒之日,無復凶器之直,衣衾之周,使屍朽蟲流,良可悼也。愚民之蔽,乃至於此哉!淫祀妖邪,禮律所禁。然而凡夫,終不可悟。唯宜王者更峻其法制,犯無輕重,致之大辟,購募巫祝不肯止者,刑之無赦,肆之市路,不過少時,必當絕息,所以令百姓杜凍饑之源,塞盜賊之萌,非小惠也。

  曩者有張角柳根王歆李申之徒,或稱千歲,假託小術,坐在立亡,變形易貌,誑眩黎庶,糾合群愚,進不以延年益壽為務,退不以消災治病為業,遂以招集奸黨,稱合逆亂,不純自伏其辜,或至殘滅良人,或欺誘百姓,以規財利,錢帛山積,富逾王公,縱肆奢淫,侈服玉食,妓妾盈室,管弦成列,刺客死士,為其致用,威傾邦君,勢凌有司,亡命逋逃,因為窟藪。皆由官不糾治,以臻斯患,原其所由,可為歎息。吾徒匹夫,雖見此理,不在其位,末如之何!臨民官長,疑其有神,慮恐禁之,或致禍祟,假令頗有其懷,而見之不了,又非在職之要務,殿最之急事,而復是其愚妻頑子之所篤信,左右小人,並云不可,阻之者眾,本無至心,而諫怖者異口同聲,於是疑惑,竟於莫敢,令人扼腕發憤者也。余親見所識者數人,了不奉神明,一生不祈祭,身享遐年,名位巍巍,子孫蕃昌,且富且貴也。唯余亦無事於斯,唯四時祀先人而已。曾所遊歷水陸萬里,道側房廟,固以百許,而往返徑游,一無所過,而車馬無頗覆之變,涉水無風波之異,屢值疫癘,當得藥物之力,頻冒矢石,幸無傷刺之患,益知鬼神之無能為也。又諸妖道百餘種,皆煞生血食,獨有李家道無為為小差。然雖不屠宰,每供福食,無有限劑,市買所具,務於豐泰,精鮮之物,不得不買,或數十人廚,費亦多矣,復未純為清省也,亦皆宜在禁絕之列。

  或問李氏之道起於何時。余答曰:吳大帝時,蜀中有李阿者,穴居不食,傳世見之,號為八百歲公。人往往問事,阿無所言,但占阿顏色。若顏色欣然,則事皆吉;若顏容慘戚,則事皆凶;若阿含笑者,則有大慶;若微歎者,即有深憂。如此之候,未曾一失也。後一旦忽去,不知所在。後有一人姓李名寬,到吳而蜀語,能祝水治病頗愈,於是遠近翕然,謂寬為李阿,因共呼之為李八百,而實非也。自公卿以下,莫不云集其門,後轉驕貴,不復得常見,賓客但拜其外門而退,其怪異如此。於是避役之吏民,依寬為弟子者恆近千人,而升堂入室高業先進者,不過得祝水及三部符導引日月行氣而已,了無治身之要、服食神藥、延年駐命、不死之法也。吞氣斷穀,可得百日以還,亦不堪久,此是其術至淺可知也。余親識多有及見寬者,皆云寬衰老羸悴,起止咳噫,目瞑耳聾,齒墮發白,漸又昏耗,或忘其子孫,與凡人無異也。然民復謂寬故作無異以欺人,豈其然乎?吳曾有大疫,死者過半。寬所奉道室,名之為廬,寬亦得溫病,託言入廬齋戒,遂死於廬中。而事寬者猶復謂之化形屍解之仙,非為真死也。夫神仙之法,所以與俗人不同者,正以不老不死為貴耳。今寬老則老矣,死則死矣,此其不得道,居然可知矣,又何疑乎?若謂於仙法應屍解者,何不且止人間一二百歲,住年不老,然後去乎?天下非無仙道也,寬但非其人耳。余所以委曲論之者,寬弟子轉相教授,佈滿江表,動有千許,不覺寬法之薄,不足遵承而守之,冀得度世,故欲令人覺此而悟其滯迷耳。

  天下有似是而非者,實為無限,將復略說故事,以示後人之不解者。昔汝南有人於田中設繩罥以捕獐而得者,其主未覺。有行人見之,因竊取獐而去,猶念取之不事。其上有鮑魚者,乃以一頭置罥中而去。本主來,於罥中得鮑魚,怪之以為神,不敢持歸。於是村裡聞之,因共為起屋立廟,號為鮑君。後轉多奉之者,丹楹藻梲,鐘鼓不絕。病或有偶愈者,則謂有神,行道經過,莫不致祀焉。積七八年,鮑魚主後行過廟下,問其故,人具為之說。其鮑魚主乃曰,此是我鮑魚耳,何神之有?於是乃息。

  又南頓人張助者,耕白田,有一李栽,應在耕次,助惜之,欲持歸,乃掘取之,未得即去,以濕土封其根,以置空桑中,遂忘取之。助後作遠職不在。後其裡中人,見桑中忽生李,謂之神。有病目痛者,蔭息此桑下,因祝之,言李君能令我目愈者,謝以一肫。其目偶愈,便殺肫祭之。傳者過差,便言此樹能令盲者得見。遠近翕然,同來請福,常車馬填溢,酒肉滂沱,如此數年。張助罷職來還,見之,乃曰,此是我昔所置李栽耳,何有神乎?乃斫去便止也。

  又汝南彭氏墓近大道,墓口有一石人,田家老母到市買數片餅以歸,天熱,過蔭彭氏墓口樹下,以所買之餅暫著石人頭上,忽然便去,而忘取之。行路人見石人頭上有餅,怪而問之。或人云,此石人有神,能治病,愈者以餅來謝之。如此轉以相語,云頭痛者摩石人頭,腹痛者摩石人腹,亦還以自摩,無不愈者。遂千里來就石人治病,初但雞豚,後用牛羊,為立帷帳,管弦不絕,如此數年。忽日前忘餅母聞之,乃為人說,始無復往者。

  又洛西有古大墓,穿壞多水,墓中多石灰,石灰汁主治瘡,夏月,行人有病瘡者煩熱,見此墓中水清好,因自洗浴,瘡偶便愈。於是諸病者聞之,悉往自洗,轉有飲之以治腹內疾者。近墓居人,便於墓所立廟舍而賣此水。而往買者又常祭廟中,酒肉不絕。而來買者轉多,此水盡,於是賣水者常夜竊他水以益之。其遠道人不能往者,皆因行便或持器遺信買之。於是賣水者大富。人或言無神,官申禁止,遂填塞之,乃絕。

  又興古太守馬氏在官,有親故人投之求恤焉,馬乃令此人出外住,詐雲是神人道士,治病無不手下立愈。又令辨士遊行,為之虛聲,雲能令盲者登視,躄者即行。於是四方雲集,趨之如市,而錢帛固已山積矣。又敕諸求治病者,雖不便愈,當告人言愈也,如此則必愈;若告人未癒者,則後終不愈也,道法正爾,不可不信。於是後人問前來者,前來輒告之云已癒,無敢言未癒者也。旬日之閒,乃致巨富焉。凡人多以小黠而大愚,聞延年長生之法,皆為虛誕,而喜信妖邪鬼怪,令人鼓舞祈祀。所謂神者,皆馬氏誑人之類也,聊記其數事,以為未覺者之戒焉。」

  或問曰:「世有了無知道術方伎,而平安壽考者,何也?」抱朴子曰:「諸如此者,或有陰德善行,以致福祐;或受命本長,故令難老遲死;或亦幸而偶爾不逢災傷。譬猶田獵所經,而有遺禽脫獸;大火既過,時餘不燼草木也。要於防身卻害,當修守形之防禁,佩天文之符劍耳。祭禱之事無益也,當恃我之不可侵也,無恃鬼神之不侵我也。然思玄執一,含景環身,可以辟邪惡,度不祥,而不能延壽命,消體疾也。任自然無方術者,未必不有終其天年者也,然不可以值暴鬼之橫枉,大疫之流行,則無以卻之矣。夫儲甲冑,蓄蓑笠者,蓋以為兵為雨也。若幸無攻戰,時不沈陰,則有與無正同耳。若矢石霧合,飛鋒煙交,則知裸體者之困矣。洪雨河傾,素雪彌天,則覺露立者之劇矣。不可以薺麥之細碎,疑陰陽之大氣,以誤晚學之散人,謂方術之無益也。」

卷 十 · 明 本

  或問儒道之先後。抱朴子答曰:「道者,儒之本也;儒者,道之末也。先以為陰陽之術,眾於忌諱,使人拘畏;而儒者博而寡要,勞而少功;墨者儉而難遵,不可遍循;法者嚴而少恩,傷破仁義。唯道家之教,使人精神專一,動合無形,包儒墨之善,總名法之要,與時遷移,應物變化,指約而易明,事少而功多,務在全大宗之朴,守真正之源者也。而班固以史遷先黃老而後六經,謂遷為謬。夫遷之洽聞,旁綜幽隱,沙汰事物之臧否,覈實古人之邪正。其評論也,實原本於自然,其褒貶也,皆准的乎至理。不虛美,不隱惡,不雷同以偶俗。劉向命世通人,謂為實錄;而班固之所論,未可據也。固誠純儒,不究道意,玩其所習,難以折中。夫所謂道,豈唯養生之事而已乎?易曰:立天之道,曰陰與陽;立地之道,曰柔與剛;立人之道,曰仁與義。又曰:易有聖人之道四焉,苟非其人,道不虛行。又於治世隆平,則謂之有道,危國亂主,則謂之無道。又坐而論道,謂之三公,國之有道,貧賤者恥焉。凡言道者,上自二儀,下逮萬物,莫不由之。但黃老執其本,儒墨治其末耳。今世之舉有道者,蓋博通乎古今,能仰觀俯察,歷變涉微,達興亡之運,明治亂之體,心無所惑,問無不對者,何必修長生之法,慕松喬之武者哉?而管窺諸生,臆斷瞽說,聞有居山林之間,宗伯陽之業者,則毀而笑之曰,彼小道耳,不足算也。嗟乎!所謂抱螢燭於環堵之內者,不見天光之焜爛;侶□蝦於跡水之中者,不識四海之浩汗;重江河之深,而不知吐之者崑崙也;珍黍稷之收,而不覺秀之者豐壤也。今苟知推崇儒術,而不知成之者由道。道也者,所以陶冶百氏,范鑄二儀,胞胎萬類,醞釀彝倫者也。世間淺近者眾,而深遠者少,少不勝眾,由來久矣。是以史遷雖長而不見譽,班固雖短而不見彈。然物以少者為貴,多者為賤,至於人事,豈獨不然?故藜藿彌原,而芝英不世;枳棘被野,而尋木間秀;沙礫無量,而珠璧甚鮮;鴻隼屯飛,而鸞鳳罕出;虺蜴盈藪,而虯龍希覿;班生多黨,固其宜也。夫道者,內以治身,外以為國,能令七政遵度,二氣告和,四時不失寒燠之節,風雨不為暴物之災,玉燭表昇平之徵,澄醴彰德洽之符,焚輪虹霓寢其祅,穨雲商羊戢其翼,景耀高照,嘉禾畢遂,疫癘不流,禍亂不作,巉壘不設,干戈不用,不議而當,不約而信,不結而固,不謀而成,不賞而勸,不罰而肅,不求而得,不禁而止,處上而人不以為重,居前而人不以為患,號未發而風移,令未施而俗易,此蓋道之治世也。故道之興也,則三五垂拱而有餘焉。道之衰也,則叔代馳騖而不足焉。夫唯有餘,故無為而化美。夫唯不足,故刑嚴而奸繁。黎庶怨於下,皇靈怒於上。或洪波橫流,或亢陽赤地,或山谷易體,或冬雷夏雪,或流血漂櫓,積屍築京,或坑降萬計,析骸易子,城愈高而沖愈巧,池愈深而梯愈妙,法令明而盜賊多,盟約數而叛亂甚,猶風波駭而魚鱉擾於淵,纖羅密而羽禽躁於澤,豺狼眾而走獸劇於林,爨火猛而小鮮糜於鼎也。君臣易位者有矣,父子推刃者有矣,然後忠義制名於危國,孝子收譽於敗家。疾疫起而巫醫貴矣,道德喪而儒墨重矣。由此觀之,儒道之先後,可得定矣。」

  或問曰:「昔赤松子王喬琴高老氏彭祖務成郁華皆真人,悉仕於世,不便遐遁,而中世以來,為道之士,莫不飄然絕跡幽隱,何也?」抱朴子答曰:「曩古純朴,巧偽未萌,其信道者,則勤而學之,其不信者,則嘿然而已。謗毀之言,不吐乎口,中傷之心,不存乎胸也。是以真人徐徐於民間,不促促於登遐耳。末俗偷薄,雕偽彌深,玄淡之化廢,而邪俗之黨繁,既不信道,好為訕毀,謂真正為妖訛,以神仙為誕妄,或曰惑眾,或曰亂群,是以上士恥居其中也。昔之達人,杜漸防微,色斯而逝,夜不待旦,睹幾而作,不俟終日。故趙害鳴犢,而仲尼旋軫,醴酒不設,而穆生星行,彼眾我寡,華元去之。況乎明哲,業尚本異,有何戀之當住其間哉?夫淵竭池漉,則蛟龍不游,巢傾卵拾,則鳳凰不集,居言於室,而翔鷗不下,凡卉春翦,而芝蓂不秀,世俗丑正,慢辱將臻,彼有道者,安得不超然振翅乎風雲之表,而翻爾藏軌於玄漠之際乎?山林之中非有道也,而為道者必入山林,誠欲遠彼腥膻,而即此清淨也。夫入九室以精思,存真一以招神者,既不喜諠譁而合污穢,而合金丹之大藥,钅柬八石之飛精者,尤忌利口之愚人,凡俗之聞見,明靈為之不降,仙藥為之不成,非小禁也,止於人中,或有淺見毀之有司,加之罪福,或有親舊之往來,牽之以慶吊,莫若幽隱一切,免於如此之臭鼠矣。彼之邈爾獨往,得意嵩岫,豈不有以乎?或云:上士得道於三軍,中士得道於都市,下士得道於山林,此皆為仙藥已成,未欲昇天,雖在三軍,而鋒刃不能傷,雖在都市,而人禍不能加,而下士未及於此,故止山林耳。不謂人之在上品者,初學道當止於三軍都市之中而得也,然則黃老可以至今不去也。」

  或問曰:「道之為源本,儒之為末流,既聞命矣,今之小異,悉何事乎?」抱朴子曰:「夫升降俯仰之教,盤旋三千之儀,攻守進趣之術,輕身重義之節,歡憂禮樂之事,經世濟俗之略,儒者之所務也。外物棄智,滌蕩機變,忘富逸貴,杜遏勸沮,不恤乎窮,不榮乎達,不戚乎毀,不悅乎譽,道家之業也。儒者祭祀以祈福,而道者履正以禳邪。儒者所愛者勢利也,道家所寶者無慾也。儒者汲汲於名利,而道家抱一以獨善。儒者所講者,相研之簿領也。道家所習者,遣情之教戒也。夫道者,其為也,善自修以成務;其居也,善取人所不爭;其治也,善絕禍於未起;其施也,善濟物而不德;其動也,善觀民以用心;其靜也,善居慎而無悶。此所以為百家之君長,仁義之祖宗也,小異之理,其較如此,首尾汙隆,未之變也。」

  或曰:「儒者,周孔也,其籍則六經也,蓋治世存正之所由也,立身舉動之準繩也,其用遠而業貴,其事大而辭美,有國有家不易之制也。為道之士,不營禮教,不顧大倫,侶狐貉於草澤之中,偶猿猱於林麓之閒,魁然流擯,與木石為鄰,此亦東走之迷,忘葵之甘也。」抱朴子答曰:「摛華騁艷,質直所不尚,攻蒙救惑,疇昔之所饜,誠不欲復與子較物理之善否,校得失於機吻矣。然觀孺子之墜井,非仁者之意,視瞽人之觸柱,非兼愛之謂耶?又陳梗概,粗抗一隅。夫體道以匠物,寶德以長生者,黃老是也。黃帝能治世致太平,而又昇仙,則未可謂之後於堯舜也。老子既兼綜禮教,而又久視,則未可謂之為減周孔也。故仲尼有竊比之歎,未聞有疵毀之辭,而末世庸民,不得其門,修儒墨而毀道家,何異子孫而罵詈祖考哉?是不識其所自來,亦已甚矣。夫侏儒之手,不足以傾嵩華;焦僥之脛,不足以測滄海;每見凡俗守株之儒,營營所習,不博達理,告頑令嚚,崇飾惡言,誣詰道家,說糟粕之滓,則若睹駿馬之過隙也,涉精神之淵,則淪溺而自失也。猶斥鷃之揮短翅,以凌陽侯之波,猶蒼蠅之力駑質,以涉昫猿之峻,非其所堪,袛足速困。然而嘍嘍守於局隘,聰不經曠,明不徹離,而欲企踵以包三光,鼓腹以奮雷靈,不亦蔽乎?蓋登旋璣之眇邈,則知井谷之至卑,睹大明之麗天,乃知鷦金之可陋。吾非生而知之,又非少而信之,始者濛濛,亦如子耳,既觀奧秘之宏修,而恨離困之不早也。五經之事,注說炳露,初學之徒,猶可不解。豈況金簡玉札,神仙之經,至要之言,又多不書。登壇歃血,乃傳口訣,苟非其人,雖裂地連城,金璧滿堂,不妄以示之。夫指深歸遠,雖得其書而不師受,猶仰不見首,俯不知跟,豈吾子所詳悉哉?夫得仙者,或昇太清,或翔紫霄,或造玄洲,或棲板桐,聽鈞天之樂,享九芝之饌,出攜松羨於倒景之表,入宴常陽於瑤房之中,曷為當侶狐貉而偶猿狖乎?所謂不知而作也。夫道也者,逍遙虹霓,翱翔丹霄,鴻崖六虛,唯意所造。魁然流擯,未為戚也。犧腯聚處,雖被藻繡,論其為樂,孰與逸麟之離群以獨往,吉光坼偶而多福哉?」

抱朴子 內篇11~12

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 十 一 · 仙 藥

  抱朴子曰:神農四經曰,上藥令人身安命延,昇為天神,遨遊上下,使役萬靈,體生毛羽,行廚立至。又曰,五芝及餌丹砂、玉札、曾青、雄黃、雌黃、雲母、太乙禹餘糧,各可單服之,皆令人飛行長生。又曰,中藥養性,下藥除病,能令毒蟲不加,猛獸不犯,惡氣不行,眾妖並辟。又孝經援神契曰,椒姜御濕,菖蒲益聰,巨勝延年,威喜辟兵。皆上聖之至言,方術之實錄也,明文炳然,而世人終於不信,可歎息者也。仙藥之上者丹砂,次則黃金,次則白銀,次則諸芝,次則五玉,次則雲母,次則明珠,次則雄黃,次則太乙禹餘糧,次則石中黃子,次則石桂,次則石英,次則石腦,次則石硫黃,次則石台,次則曾青,次則松柏脂、茯苓、地黃、麥門冬、木巨勝、重樓、黃連、石韋、楮實、象柴,一名托盧是也。或云仙人杖,或云西王母杖,或名天精,或名卻老,或名地骨,或名苟杞也。天門冬,或名地門冬,或名莚門冬,或名顛棘,或名淫羊食,或名管松,其生高地,根短而味甜,氣香者善。其生水側下地者,葉細似蘊而微黃,根長而味多苦,氣臭者下,亦可服食。然喜令人下氣,為益尤遲也。服之百日,皆丁肚倍吏於術及黃精也,入山便可蒸,若煮啖之,取足可以斷穀。若有力可餌之,亦可作散,並及絞其汁作酒,以服散尤佳。楚人呼天門冬為百部,然自有百部草,其根俱有百許,相似如一也,而其苗小異也。真百部苗似拔揳,唯中以治欬及殺虱耳,不中服食,不可誤也。如黃精一名白及,而實非中以作糊之白及也。按本草藥之與他草同名者甚多,唯精博者能分別之,不可不詳也。黃精一名兔竹,一名救窮,一名垂珠。服其花勝其實,服其實勝其根,但花難多得。得其生花十斛,乾之才可得五六斗耳,而服之日可三合,非大有役力者不能辨也。服黃精僅十年,乃可大得其益耳。俱以斷穀不及術,術餌令人肥健,可以負重涉險,但不及黃精甘美易食,凶年可以與老小休糧,人不能別之,謂為米脯也。

  五芝者,有石芝,有木芝,有草芝,有肉芝,有菌芝,各有百許種也。

  石芝者,石像芝生於海隅名山,及島嶼之涯有積石者,其狀如肉像有頭尾四足者,良似生物也,附於大石,喜在高岫險峻之地,或卻著仰綴也。赤者如珊瑚,白者如截肪,黑者如澤漆,青者如翠羽,黃者如紫金,而皆光明洞徹如堅冰也。晦夜去之三百步,便望見其光矣。大者十餘斤,小者三四斤,非久齋至精,及佩老子入山靈寶五符,亦不能得見此輩也。凡見諸芝,且先以開山卻害符置其上,則不得復隱蔽化去矣。徐徐擇王相之日,設醮祭以酒脯,祈而取之,皆從日下禹步閉氣而往也。又若得石像芝,搗之三萬六千杵,服方寸匕,日三,盡一斤,則得千歲;十斤,則萬歲。亦可分人服也。又玉脂芝,生於有玉之山,常居懸危之處,玉膏流出,萬年已上,則凝而成芝,有似鳥獸之形,色無常彩,率多似山玄水蒼玉也。亦鮮明如水精,得而末之,以無心草汁和之,須臾成水,服一升,得一千歲也。七明九光芝,皆石也,生臨水之高山石崖之間,狀如盤碗,不過徑尺以還,有莖蒂連綴之,起三四寸,有七孔者,名七明,九孔者名九光,光皆如星,百餘步內,夜皆望見其光,其光自別,可散不可合也。常以秋分伺之得之,搗服方寸匕,入口則翕然身熱,五味甘美,盡一斤則得千歲,令人身有光,所居暗地如月,可以夜視也。石蜜芝,生少室石戶中,戶中便有深谷,不可得過,以石投谷中,半日猶聞其聲也。去戶外十餘丈有石柱,柱上有偃蓋石,高度徑可一丈許,望見蜜芝從石戶上墮入偃蓋中,良久,輒有一滴,有似雨後屋之餘漏,時時一落耳。然蜜芝墮不息,而偃蓋亦終不溢也。戶上刻石為科斗字,曰得服石蜜芝一斗者壽萬歲。諸道士共思惟其處,不可得往,唯當以碗器著勁竹木端以承取之,然竟未有能為之者。按此石戶上刻題如此,前世必已有得之者也。石桂芝,生名山石穴中,似桂樹而實石也。高尺許,大如徑尺,光明而味辛,有枝條,搗服之一斤得千歲也。石中黃子,所在有之,沁水山為尤多。其在大石中,則其石常潤濕不燥,打其石有數十重,乃得之。在大石中,赤黃溶溶,如雞子之在其殼中也。即當飲之,不飲則堅凝成石,不復中服也。法正當及未堅時飲之,既凝則應末服也。破一石中,多者有一升,少者有數合,可頓服也。雖不得多,相繼服之,共計前後所服,合成三升,壽則千歲。但欲多服,唯患難得耳。石腦芝,生滑石中,亦如石中黃子狀,但不皆有耳。打破大滑石千許,乃可得一枚。初破之,其在石中,五色光明而自動,服一升得千歲矣。石硫黃芝,五嶽皆有,而箕山為多。其方言許由就此服之而長生,故不復以富貴累意,不受堯禪也。石硫丹者,石之赤精,蓋石硫黃之類也。皆浸溢於崖岸之間,其濡濕者可丸服,其已堅者可散服,如此有百二十,皆石芝也,事在太乙玉策及昌宇內記,不可具稱也。

  及夫木芝者,松柏脂淪入地千歲,化為茯苓,茯苓萬歲,其上生小木,狀似蓮花,名曰木威喜芝。夜視有光,持之甚滑,燒之不然,帶之辟兵,以帶雞而雜以他雞十二頭其籠之,去之十二步,射十二箭,他雞皆傷,帶威喜芝者終不傷也。從生門上采之,於六甲陰乾之,百日,末服方寸匕,日三,盡一枚,則三千歲也。千歲之栝木,其下根如坐人,長七寸,刻之有血,以其血塗足下,可以步行水上不沒;以塗人鼻以入水,水為之開,可以止住淵底也;以塗身則隱形,欲見則拭之。又可以治病,病在腹內,刮服一刀圭,其腫痛在外者,隨其所在刮一刀圭,即其腫痛所在以摩之,皆手下即愈,假令左足有疾,則刮塗人之左足也。又刮以雜巨勝為燭,夜遍照地下,有金玉寶藏,則光變青而下垂,以鍤掘之可得也。末之,服盡十斤則千歲也。又鬆樹枝三千歲者,其皮中有聚脂,狀如龍形,名曰飛節芝,大者重十斤,末服之,盡十斤,得五百歲也。又有樊桃芝,其木如昇龍,其花葉如丹羅,其實如翠鳥,高不過五尺,生於名山之陰,東流泉水之土,以立夏之候伺之,得而末服之,盡一株得五千歲也。參成芝,赤色有光,扣之枝葉,如金石之音,折而續之,即復如故。木渠芝,寄生大木上,如蓮花,九莖一叢,其味甘而辛。建木芝實生於都廣,其皮如纓蛇,其實如鸞鳥。此三芝得服之,白日昇天也。黃盧子、尋木華、玄液華,此三芝生於泰山要鄉及奉高,有得而服之,皆令人壽千歲。黃檀桓芝者,千歲黃,木下根有如三斛器,去本株一二丈,以細根相連狀如縷,得末而服之,盡一枚則成地仙不死也。此輩復百二十種,自有圖也。

  草芝有獨搖芝,無風自動,其莖大如手指,赤如丹,素葉似莧,其根有大魁如斗,有細者如雞子十二枚,周繞大根之四方,如十二辰也,相去丈許,皆有細根,如白髮以相連,生高山深谷之上,其所生左右無草。得其大魁末服之,盡則得千歲,服其細者一枚百歲,可以分他人也。懷其大根即隱形,欲見則左轉而出之。牛角芝,生虎壽山及吳阪上,狀似蔥,特生如牛角,長三四尺,青色,末服方寸匕,日三,至百日,則得千歲矣。龍仙芝,狀如昇龍之相負也,以葉為鱗,其根則如蟠龍,服一枚則得千歲矣。麻母芝,似麻而莖赤色,花紫色。紫珠芝,其花黃,其葉赤,其實如李而紫色,二十四枝輒相連,而垂如貫珠也。白符芝,高四五尺,似梅,常以大雪而花,季冬而實。朱草芝,九曲,曲有三葉,葉有三實也。五德芝,狀似樓殿,莖方,其葉五色各具而不雜,上如偃蓋,中常有甘露,紫氣起數尺矣。龍銜芝,常以仲春對生,三節十二枝,下根如坐人。凡此草芝,又有百二十種,皆陰乾服之,則令人與天地相畢,或得千歲二千歲。

  肉芝者,謂萬歲蟾蜍,頭上有角,頷下有丹書八字再重,以五月五日日中時取之,陰乾百日,以其左足畫地,即為流水,帶其左手於身,辟五兵,若敵人射己者,弓弩矢皆反還自向也。千歲蝙蝠,色白如雪,集則倒縣,腦重故也。此二物得而陰乾末服之,令人壽四萬歲。千歲靈龜,五色具焉,其雄額上兩骨起似角,以羊血浴之,乃剔取其甲,火炙搗服方寸匕,日三,盡一具,壽千歲。行山中,見小人乘車馬,長七八寸者,肉芝也,捉取服之即仙矣。風生獸似貂,青色,大如狸,生於南海大林中,張網取之,積薪數車以燒之,薪盡而此獸在灰中不然,其毛不焦,斫刺不入,打之如皮囊,以鐵鎚鍛其頭數十下乃死,死而張其口以向風,須臾便活而起走,以石上菖蒲塞其鼻即死。取其腦以和菊花服之,盡十斤,得五百歲也。又千歲燕,其窠戶北向,其色多白而尾掘,取陰乾,末服一頭五百歲。凡此又百二十種,此皆肉芝也。

  菌芝,或生深山之中,或生大木之下,或生泉之側,其狀或如宮室,或如車馬,或如龍虎,或如人形,或如飛鳥,五色無常,亦百二十種,自有圖也。皆當禹步往採取之,刻以骨刀,陰乾末服方寸匕,令人昇仙,中者數千歲,下者千歲也。欲求芝草,入名山,必以三月九月,此山開出神藥之月也,勿以山佷日,必以天輔時,三奇會尤佳。出三奇吉門到山,須六陰之日,明堂之時,帶靈寶符,牽白犬,抱白雞,以白鹽一鬥,及開山符檄,著大石上,執吳唐草一把以入山,山神喜,必得芝也。又采芝及服芝,欲得王相專和之日,支幹上下相生為佳。此諸芝名山多有之,但凡庸道士,心不專精,行穢德薄,又不曉入山之術,雖得其圖,不知其狀,亦終不能得也。山無大小,皆有鬼神,其鬼神不以芝與人,人則雖踐之,不可見也。

  又云母有五種,而人多不能分別也,法當舉以向日,看其色,詳占視之,乃可知耳。正爾於陰地視之,不見其雜色也。五色並具而多青者名雲英,宜以春服之。五色並具而多赤者名雲珠,宜以夏服之。五色並具而多白者名雲液,宜以秋服之。五色並具而多黑者名雲母,宜以冬服之。但有青黃二色者名雲沙,宜以季夏服之。皛皛純白名磷石,可以四時長服之也。服五雲之法,或以桂蔥水玉化之以為水,或以露於鐵器中,以玄水熬之為水,或以硝石合於筒中埋之為水,或以蜜搜為酪,或以秋露漬之百日,韋囊挻以為粉,或以無巔草樗血合餌之,服之一年,則百病除,三年久服,老公反成童子,五年不闕,可役使鬼神,入火不燒,入水不濡,踐棘而不傷膚,與仙人相見。又他物埋之即朽,著火即焦,而五雲以納猛火中,經時終不然,埋之永不腐敗,故能令人長生也。又云,服之十年,雲氣常覆其上,服其母以致其子,理自然也。又向日看之,晻晻純黑色起者,不中服,令人病淋發瘡。雖水餌之,皆當先以茅屋霤水,若東流水露水,漬之百日,淘汰去其土石,乃可用耳。中山衛叔卿服之,積久能乘雲而行,以其方封之玉匣之中,仙去之後,其子名世,及漢使者梁伯,得而按方合服,皆得仙去。

  又雄黃當得武都山所出者,純而無雜,其赤如雞冠,光明曄曄者,乃可用耳。其但純黃似雄黃色,無赤光者,不任以作仙藥,可以合理病藥耳。餌服之法,或以蒸煮之,或以酒餌,或先以硝石化為水乃凝之,或以玄胴腸裹蒸之於赤土下,或以松脂和之,或以三物煉之,引之如布,白如冰,服之皆令人長生,百病除,三屍下,瘢痕滅,白髮黑,墮齒生,千日則玉女來侍,可得役使,以致行廚。又玉女常以黃玉為志,大如黍米,在鼻上,是真玉女也,無此志者,鬼試人耳。

  玉亦仙藥,但難得耳。玉經曰:服金者壽如金,服玉者壽如玉也。又曰:服玄真者,其命不極。玄真者,玉之別名也。令人身飛輕舉,不但地仙而已。然其道遲成,服一二百斤,乃可知耳。玉可以烏米酒及地榆酒化之為水,亦可以蔥漿消之為台,亦可餌以為丸,亦可燒以為粉,服之一年已上,入水不霑,入火不灼,刃之不傷,百毒不犯也。不可用已成之器,傷人無益,當得璞玉,乃可用也,得于闐國白玉尤善。其次有南陽徐善亭部界中玉及日南盧容水中玉亦佳。赤松子以玄蟲血漬玉為水而服之,故能乘煙上下也。玉屑服之與水餌之,俱令人不死。所以為不及金者,令人數數發熱,似寒食散狀也。若服玉屑者,宜十日輒一服雄黃丹砂各一刀圭,散發洗沐寒水,迎風而行,則不發熱也。董君異嘗以玉醴與盲人服之,目旬日而愈。有吳延稚者,志欲服玉,得玉經方不具,了不知其節度禁忌,乃招合得珪璋環璧,及校劍所用甚多,欲餌治服之,後余為說此不中用,乃歎息曰:事不可不精,不但無益,乃幾作禍也。

  又銀但不及金玉耳,可以地仙也。服之法,以麥漿化之,亦可以朱草酒餌之,亦可以龍膏煉之,然三服,輒大如彈丸者,又非清貧道士所能得也。

  又真珠徑一寸以上可服,服之可以長久,酪漿漬之皆化如水銀,亦可以浮石水蜂窠化,包彤蛇黃合之,可引長三四尺,丸服之,絕穀服之,則不死而長生也。淳漆不沾者,服之令人通神長生,餌之法,或以大無腸公子,或云大蟹,十枚投其中,或以雲母水,或以玉水合服之,九蟲悉下,惡血從鼻去,一年六甲行廚至也。

  桂可以蔥涕合蒸作水,可以竹瀝合餌之,亦可以先知君腦,或雲龜,和服之,七年,能步行水上,長生不死也。巨勝一名胡麻,餌服之不老,耐風濕,補衰老也。桃膠以桑灰汁漬,服之百病癒,久服之身輕有光明,在晦夜之地如月出也,多服之則可以斷穀。

  檸木實之赤者,餌之一年,老者還少,令人徹視見鬼。昔道士梁須年七十乃服之,轉更少,至年百四十歲,能夜書,行及奔馬,後入青龍山去。槐子以新甕合泥封之,二十餘日,其表皮皆爛,乃洗之如大豆,日服之,此物主補腦,久服之,令人發不白而長生。玄中蔓方,楚飛廉、澤瀉、地黃、黃連之屬,凡三百餘種,皆能延年,可單服也。靈飛散、未夬丸、制命丸、羊血丸,皆令人駐年卻老也。

  南陽酈縣山中有甘谷水,谷水所以甘者,谷上左右皆生甘菊,菊花墮其中,歷世彌久,故水味為變。其臨此谷中居民,皆不穿井,悉食甘谷水,食者無不老壽,高者百四五十歲,下者不失八九十,無夭年人,得此菊力也。故司空王暢太尉劉寬太傅袁隗,皆為南陽太守,每到官,常使酈縣月送甘谷水四十斛以為飲食。此諸公多患風痺及眩冒,皆得愈,但不能大得其益,如甘谷上居民,生小便飲食此水者耳。又菊花與薏花相似,直以甘苦別之耳,菊甘而薏苦,諺言所謂苦如薏者也。今所在有真菊,但為少耳,率多生於水側,緱氏山與酈縣最多,仙方所謂日精更生,周盈皆一菊,而根莖花實異名,其說甚美,而近來服之者略無效,正由不得真菊也。夫甘谷水得菊之氣味,亦何足言。而其上居民,皆以延年,況將復好藥,安得無益乎?

  余亡祖鴻臚少卿曾為臨沅令,云此縣有廖氏家,世世壽考,或出百歲,或八九十,後徙去,子孫轉多夭折。他人居其故宅,復如舊,後累世壽考。由此乃覺是宅之所為,而不知其何故,疑其井水殊赤,乃試掘井左右,得古人埋丹砂數十斛,去井數尺,此丹砂汁因泉漸入井,是以飲其水而得壽,況乃餌煉丹砂而服之乎?

  余又聞上黨有趙瞿者,病癩歷年,眾治之不愈,垂死。或云不及活,流棄之,後子孫轉相注易,其家乃繼糧將之,送置山穴中。瞿在穴中,自怨不幸,晝夜悲歎,涕泣經月。有仙人行經過穴,見而哀之,具問訊之。瞿知其異人,乃叩頭自陳乞哀,於是仙人以一囊藥賜之,教其服法。瞿服之百許日,瘡都愈,顏色豐悅,肌膚玉澤。仙人又過視之,瞿謝受更生活之恩,乞丐其方。仙人告之曰,此是松脂耳,此山中更多此物,汝煉之服,可以長生不死。瞿乃歸家,家人初謂之鬼也,甚驚愕。瞿遂長服松脂,身體轉輕,氣力百倍,登危越險,終日不極,年百七十歲,齒不墮,發不白。夜臥,忽見屋間有光大如鏡者,以問左右,皆云不見,久而漸大,一室盡明如晝日。又夜見面上有采女二人,長二三寸,面體皆具,但為小耳,遊戲其口鼻之間,如是且一年,此女漸長大,出在其側。又常聞琴瑟之音,欣然獨笑,在人間三百許年,色如小童,乃入抱犢山去,必地仙也。於時聞瞿服松脂如此,於是競服。其多役力者,乃車運驢負,積之盈室,服之遠者,不過一月,未覺大有益輒止,有志者難得如是也。

  又漢成帝時,獵者於終南山中,見一人無衣服,身生黑毛,獵人見之,欲逐取之,而其人逾坑越谷,有如飛騰,不可逮及。於是乃密伺候其所在,合圍得之,定是婦人。問之,言我本是秦之宮人也,聞關東賊至,秦王出降,宮室燒燔,驚走入山,饑無所食,垂餓死,有一老翁教我食松葉松實,當時苦澀,後稍便之,遂使不饑不渴,冬不寒,夏不熱。計此女定是秦王子嬰宮人,至成帝之世,二百許歲,乃將歸,以穀食之,初聞穀臭嘔吐,累日乃安。如是二年許,身毛乃脫落,轉老而死。向使不為人所得,便成仙人矣。

  南陽文氏,說其先祖,漢末大亂,逃去山中,饑困欲死。有一人教之食術,遂不能饑,數十年乃來還鄉里,顏色更少,氣力勝故。自說在山中時,身輕欲跳,登高履險,歷日不極,行冰雪中,了不知寒。常見一高巖上,有數人對坐博戲者,有讀書者,俛而視文氏,因聞其相問,言此子中呼上否。其一人答言未可也。術一名山磷,一名山精。故神藥經曰:必欲長生,常服山精。

  昔仙人八公,各服一物,以得陸仙,各數百年,乃合神丹金液,而昇太清耳。人若合八物,煉而服之,不得其力,是其藥力有轉相勝畏故也。韓終服菖蒲十三年,身生毛,日視書萬言,皆誦之,冬袒不寒。又菖蒲生須得石上,一寸九節已上,紫花者尤善也。趙他子服桂二十年,足下生毛,日行五百里,力舉千斤。移門子服五味子十六年,色如玉女,入水不沾,入火不灼也。楚文子服地黃八年,夜視有光,手上車弩也。林子明服術十一年,耳長五寸,身輕如飛,能超逾淵谷二丈許。杜子微服天門冬,御八十妾,有子百三十人,日行三百里。任子季服茯苓十八年,仙人玉女往從之,能隱能彰,不復食穀,灸瘢皆滅,面體玉光。陵陽子仲服遠志二十年,有子三十七人,開書所視不忘,坐在立亡。仙經曰:雖服草木之葉,已得數百歲,忽怠於神丹,終不能仙。以此論之,草木延年而已,非長生之藥可知也。未得作丹,且可服之,以自支持耳。

  或問:「服食藥物,有前後之宜乎?」抱朴子答曰:「按中黃子服食節度云,服治病之藥,以食前服之;養性之藥,以食後服之。吾以咨鄭君,何以如此。鄭君言,此易知耳,欲以藥攻病,既宜及未食,內虛,令藥力勢易行,若以食後服之,則藥但攻穀而力盡矣;若欲養性,而以食前服藥,則力未行,而被穀驅之下去不得止,無益也。」

  或問曰:「人服藥以養性,云有所宜,有諸乎?」抱朴子答曰:「按玉策記及開明經,皆以五音六屬,知人年命之所在。子午屬庚,卯酉屬己,寅申屬戊,丑未屬辛,辰戌屬丙,巳亥屬丁。一言得之者,宮與土也。三言得之者,徵與火也。五言得之者,羽與水也。七言得之者,商與金也。九言得之者,角與木也。若本命屬土,不宜服青色藥;屬金,不宜服赤色藥;屬木,不宜服白色藥;屬水,不宜服黃色藥;屬火,不宜服黑色藥。以五行之義,木克土,土克水,水克火,火克金,金剋木故也。若金丹大藥,不復論宜與不宜也。

  一言宮。庚子庚午,辛未辛丑,丙辰丙戌,丁亥丁巳,戊寅戊申,己卯己酉。

  三言徵。甲辰甲戌,乙亥乙巳,丙寅丙申,丁酉丁卯,戊午戊子,己未己丑。

  五言羽。甲寅甲申,乙卯乙酉,丙子丙午,丁未丁丑,壬辰壬戌,癸巳癸亥。

  七言商。甲子甲午,乙丑乙未,庚辰庚戌,辛巳辛亥,壬申壬寅,癸卯癸酉。

  九言角。戊辰戊戌,己巳己亥,庚寅庚申,辛卯辛酉,壬午壬子,癸丑癸未。

  禹步法:前舉左,右過左,左就右。次舉右,左過右,右就左。次舉右,右過左,左就右。

  如此三步,當滿二丈一尺,後有九跡。

  小神方,用真丹三斤,白蜜一斤,合和日曝煎之,令可丸。旦服如麻子十丸,未一年,發白更黑,齒墮更生,身體潤澤,長服之,老翁還成少年,常服長生不死也。

  小餌黃金方,火銷金納清酒中,二百出,二百入,即沸矣。握之出指間,令如泥,若不沸及握之不出指間,即復銷之內酒中無數也。成服如彈丸一枚,亦可汁一丸分為小丸,服三十日,無寒溫,神人玉女下之。又銀亦可餌,與金同法。服此二物,可居名山石室中,一年即輕舉矣。人間服之,名地仙,勿妄傳也。

  兩儀子餌銷黃金法,豬負革肪三斤,醇苦酒一鬥,取黃金五兩,置器中煎之,出爐,以金置肪中,百入百出,苦酒亦爾,餐一斤金,壽弊天地,食半斤金,壽二千歲;五兩,千二百歲,無多少,便可餌之。當以王相之日,作之神良,勿傳人,傳人,藥不成不神也。欲食去屍藥,當服丹砂。

  餌丹砂法,丹砂一斤,搗簁,下醇苦酒三升,淳漆二升,凡三物合,令相得,微火上煎之,令可丸,服如麻子三丸,日再。四十日,腹中百病癒,三屍去;服之百日,肌骨堅強;服之千日,司命削死籍,與天地相保,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光矣。

卷 十 二 · 辨 問

  或問曰:「若仙必可得,聖人已修之矣,而周孔不為之者,是無此道可知也。」抱朴子答曰:「夫聖人不必仙,仙人不必聖。聖人受命,不值長生之道,但自欲除殘去賊,夷險平暴,制禮作樂,著法垂教,移不正之風,易流遁之俗,匡將危之主,扶亡徵之國,刊詩書,撰河洛,著經誥,和雅頌,訓童蒙,應聘諸國,突無凝煙,席不暇暖。其事則鞅掌罔極,窮年無已,亦焉能閉聰掩明,內視反聽,呼吸導引,長齋久潔,入室煉形,登山採藥,數息思神,斷穀清哉?至於仙者,唯須篤志至信,勤而不怠,能恬能靜,便可得之,不待多才也。有入俗之高真,乃為道者之重累也。得合一大藥,知守一養神之要,則長生久視,豈若聖人所修為者云云之無限乎?且夫俗所謂聖人者,皆治世之聖人,非得道之聖人,得道之聖人,則黃老是也。治世之聖人,則周孔是也。黃帝先治世而後登仙,此是偶有能兼之才者也。古之帝王,刻於泰山,可省讀者七十二家,其餘磨滅者,不可勝數,而獨記黃帝仙者,其審然可知也。

  世人以人所尤長,眾所不及者,便謂之聖。故善圍棋之無比者,則謂之棋聖,故嚴子卿馬綏明於今有棋聖之名焉。善史書之絕時者,則謂之書聖,故皇象胡昭於今有書聖之名焉。善圖畫之過人者,則謂之畫聖,故衛協張墨於今有畫聖之名焉。善刻削之尤巧者,則謂之木聖,故張衡馬鈞於今有木聖之名焉。故孟子謂伯夷,清之聖者也;柳下惠,和之聖者也;伊尹,任之聖者也。吾試演而論之,則聖非一事。夫班輸倕狄,機械之聖也;附扁和緩,治疾之聖也;子韋甘均,占候之聖也;史蘇辛廖,卜筮之聖也;夏育杜回,筋力之聖也;荊軻聶政,勇敢之聖也,飛廉誇父,輕速之聖也;子野延州,知音之聖也;孫吳韓白,用兵之聖也。聖者,人事之極號也,不獨於文學而已矣。莊周云:盜有聖人之道五焉。妄意而知人之藏者,明也;先入而不疑者,勇也;後出而不懼者,義也;知可否之宜者,知也;分財均同者,仁也。不得此道而成天下大盜者,未之有也。」

  或曰:「聖人之道,不得枝分葉散,必總而兼之,然後為聖。」

  余答之曰:「孔子門徒,達者七十二,而各得聖人之一體,是聖事有剖判也。又云:顏淵具體而微,是聖事有厚薄也。又易曰:有聖人之道四焉,以言者尚其辭,以動者尚其變,以製器者尚其象,以卜筮者尚其占。此則聖道可分之明證也。何為善於道德以致神仙者,獨不可謂之為得道之聖?苟不有得道之聖,則周孔不得為治世之聖乎?既非一矣,何以當責使相兼乎?按仙經以為諸得仙者,皆其受命偶值神仙之氣,自然所稟。故胞胎之中,已含信道之性,及其有識,則心好其事,必遭明師而得其法,不然,則不信不求,求亦不得也。玉鈐經主命原曰:人之吉凶,制在結胎受氣之日,皆上得列宿之精。其值聖宿則聖,值賢宿則賢,值文宿則文,值武宿則武,值貴宿則貴,值富宿則富,值賤宿則賤,值貧宿則貧,值壽宿則壽,值仙宿則仙。又有神仙聖人之宿,有治世聖人之宿,有兼二聖之宿,有貴而不富之宿,有富而不貴之宿,有兼富貴之宿,有先富後貧之宿,有先貴後賤之宿,有兼貧賤之宿,有富貴不終之宿,有忠孝之宿,有兇惡之宿。如此不可具載,其較略如此。為人生本有定命,張車子之說是也。苟不受神仙之命,則必無好仙之心,未有心不好之而求其事者也,未有不求而得之者也。自古至今,有高才明達,而不信有仙者,有平平許人學而得仙者,甲雖多所鑒識而或蔽於仙,乙則多所不通而偏達其理,此豈非天命之所使然乎?

  夫道家寶秘仙術,弟子之中,尤尚簡擇,至精彌久,然後告之以要訣,況於世人,幸自不信不求,何為當強以語之邪?既不能化令信之,又將招嗤速謗。故得道之士,所以與世人異路而行,異處而止,言不欲與之交,身不欲與之雜。隔千里,猶恐不足以遠煩勞之攻;絕軌跡,猶恐不足以免毀辱之醜。貴不足以誘之,富不足以移之,何肯當自衒於俗士,言我有仙法乎?此蓋周孔所以無緣而知仙道也。且夫周孔,蓋是高才大學之深遠者耳,小小之伎,猶多不閒。使之跳丸弄劍,逾鋒投狹,履登幢,擿盤緣案,跟掛萬仞之峻峭,游泳呂梁之不測,手扛千鈞,足躡驚飆,暴虎檻豹,攬飛捷矢,凡人為之,而周孔不能,況過於此者乎?他人之所念慮,蚤虱之所首向,隔牆之朱紫,林下之草芥,匣匱之書籍,地中之寶藏,豐林邃藪之鳥獸,重淵洪潭之魚鱉,令周孔委曲其采色,分別其物名,經列其多少,審實其有無,未必能盡知,況於遠此者乎?聖人不食則饑,不飲則渴,灼之則熱,凍之則寒,撻之則痛,刃之則傷,歲久則老矣,損傷則病矣,氣絕則死矣。此是其所與凡人無異者甚多,而其所以不同者至少矣。所以過絕人者,唯在於才長思遠,口給筆高,德全行潔,強訓博聞之事耳,亦安能無事不兼邪?既已著作典謨,安上治民,復欲使之兩知仙道,長生不死,以此責聖人,何其多乎?吾聞至言逆俗耳,真語必違眾,儒士卒覽吾此書者,必謂吾非毀聖人。吾豈然哉?但欲盡物理耳,理盡事窮,則似於謗訕周孔矣。世人謂聖人從天而墜,神靈之物,無所不知,無所不能。甚於服畏其名,不敢復料之以事,謂為聖人所不為,則人無復能之者也;聖人所不知,則人無復知之者也,不可笑哉?今具以近事校之,想可以悟也。完山之鳥,賣生送死之聲,孔子不知之,便可復謂顏回只可偏解之乎?聞太山婦人之哭,問之,乃知虎食其家三人,又不知此婦人何以不徙去之意,須答乃悟。見羅雀者純得黃口,不辨其意,問之乃覺。及欲葬母,不知父墓所在,須人語之,既定墓崩,又不知之,弟子誥之,乃泫然流涕。又疑顏淵之盜食,乃假言欲祭先人,卜掇塵之虛偽。廄焚,又不知傷人馬否。顏淵後,便謂之已死。又周流七十餘國,而不能逆知人之必不用之也,而棲棲遑遑,席不暇溫。又不知匡人當圍之,而由其途。問老子以古禮,禮有所不解也。問郯子以鳥官,官有所不識也。行不知津,而使人問之,又不知所問之人,必譏之而不告其路,若爾可知不問也。下車逐歌鳳者,而不知彼之不住也。見南子而不知其無益也。諸若此類,不可具舉,但不知仙法,何足怪哉?又俗儒云:聖人所不能,則餘人皆不能。則宕人水居,梁母火化,伯子耐至熱,仲都堪酷寒,左慈兵解而不死,甘始休糧以經歲,范軼見斫而不入,鱉令流屍而更生,少千執百鬼,長房縮地脈,仲甫假形於晨鳧,張楷吹噓起雲霧,未聞周孔能為斯事也。」

  俗人或曰:「周孔皆能為此,但不為耳。」

  吾答之曰:「必不求之於明文,而指之以空言者,吾便可謂周孔能振翮翻飛,翱翔八極,興雲致雨,移山拔井,但不為耳。一不以記籍見事為據者,復何限哉?必若所云者,吾亦可以言周孔皆已昇仙,但以此法不可以訓世,恐人皆知不死之可得,皆必悉委供養,廢進宦而登危浮深,以修斯道,是為家無復子孫,國無復臣吏,忠孝並喪,大倫必亂,故周孔密自為之,而秘不告人,外託終亡之形,內有上仙之實。如此,則子亦將何以難吾乎?亦又未必不然也。靈寶經有正機平衡飛龜授袟凡三篇,皆仙術也。吳王伐石以治宮室,而於合石之中,得紫文金簡之書,不能讀之,使使者持以問仲尼,而欺仲尼曰:『吳王閒居,有赤雀銜書以置殿上,不知其義,故遠諮呈。』仲尼以視之,曰:『此乃靈寶之方,長生之法,禹之所服,隱在水邦,年齊天地,朝於紫庭者也。禹將仙化,封之名山石函之中,乃今赤雀銜之,殆天授也。』以此論之是夏禹不死也,而仲尼又知之;安知仲尼不皆密修其道乎?正復使聖人不為此事,未可謂無其效也。人所好惡,各各不同,諭之以面,豈不信哉?誠合其意,雖小必為也;不合其神,雖大不學也。好苦憎甘,既皆有矣,嗜利棄義,亦無數焉。『聖人之大寶曰位,何以聚人曰財。』又曰:『富與貴,是人之所欲』,而昔已有禪之以帝王之位而不用,委之以四海之富而不願,蔑三九之官,背玉帛之聘,遂山林之高潔,甘魚釣之陋業者,蓋不可勝數耳。又曰:『男女飲食,人之大欲存焉。』是以好色不可諫,甘旨可忘憂。昔有絕穀棄美,不畜妻妾,超然獨往,浩然得意,顧影含歡,漱流忘味者,又難勝記也。人情莫不愛紅顏艷姿,輕體柔身,而黃帝逑篤丑之嫫母,陳侯憐可憎之敦洽。人鼻無不樂香,故流黃郁金、芝蘭蘇合、玄膽素膠、江離揭車、春蕙秋蘭,價同瓊瑤,而海上之女,逐酷臭之夫,隨之不止。周文嗜不美之菹,不以易太牢之滋味。魏明好椎鑿之聲,不以易絲竹之和音。人各有意,安可求此以同彼乎?周孔自偶,不信仙道,日月有所不照,聖人有所不知,豈可以聖人所不為,便云天下無仙!是責三光不照覆盆之內也。」

抱朴子 內篇13~14

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 十 三 · 極 言

  或問曰:「古之仙人者,皆由學以得之,將特稟異氣耶?」抱朴子答曰:「是何言歟?彼莫不負笈隨師,積其功勤,蒙霜冒險,櫛風沐雨,而躬親灑掃,契闊勞藝,始見之以信行,終被試以危困,性篤行貞,心無怨貳,乃得升堂以入於室。或有怠厭而中止,或有怨恚而造退,或有誘於榮利,而還修流俗之事,或有敗於邪說,而失其淡泊之志,或朝為而夕欲其成,或坐修而立望其效。若夫睹財色而心不戰,聞俗言而志不沮者,萬夫之中,有一人為多矣。故為者如牛毛,獲者如麟角也。夫彀勁弩者,效力於發箭;涉大川者,保全於既濟;井不達泉,則猶不掘也;一步未至,則猶不往也。修塗之累,非移晷所臻;凌霄之高,非一簣之積。然升峻者患於垂上而力不足,為道者病於方成而志不遂。千倉萬箱,非一耕所得;干天之木,非旬日所長;不測之淵,起於汀瀅;陶朱之資,必積百千。若乃人退己進,陰子所以窮至道也。敬卒若始,羨門所以致雲龍也。我志誠堅,彼何人哉?」

  抱朴子曰:「俗民既不能生生,而務所以煞生。夫有盡之物,不能給無已之耗;江河之流,不能盈無底之器也。凡人利入少而費用多者,猶不供也,況無錙銖之來,而有千百之往乎?人無少長,莫不有疾,但輕重言之耳。而受氣各有多少,多者其盡遲,少者其竭速。其知道者補而救之,必先復故,然後方求量表之益。若令服食終日,則肉飛骨騰,導引改朔,則羽翮參差,則世閒無不信道之民也。患乎升勺之利未堅,而鐘石之費相尋,根柢之據未極,而冰霜之毒交攻。不知過之在己,而反云道之無益,故捐丸散而罷吐納矣。故曰非長生難也,聞道難也;非聞道難也,行之難也;非行之難也,終之難也。良匠能與人規矩,不能使人必巧也。明師能授人方書,不能使人必為也。夫修道猶如播穀也,成之猶收積也。厥田雖沃,水澤雖美,而為之失天時,耕鋤又不至,登稼被壟,不穫不刈,頃畝雖多,猶無獲也。凡夫不徒不知益之為益也,又不知損之為損也,夫損易知而速焉,益難知而遲焉,人尚不悟其易,安能識其難哉?夫損之者如燈火之消脂,莫之見也,而忽盡矣。益之者如苗禾之播殖,莫之覺也,而忽茂矣。故治身養性,務謹其細,不可以小益為不平而不修,不可以小損為無傷而不防。凡聚小所以就大,積一所以至億也。若能愛之於微,成之於著,則幾乎知道矣。」

  或問曰:「古者豈有無所施行,而偶自長生者乎?」抱朴子答曰:「無也。或隨明師,積功累勤,便得賜以合成之藥。或受秘方,自行治作,事不接於世,言不累於俗,而記著者止存其姓名,而不能具知其所以得仙者,故闕如也。昔黃帝生而能言,役使百靈,可謂天授自然之體者也,猶復不能端坐而得道。故陟王屋而受丹經,到鼎湖而飛流珠,登崆峒而問廣成,之具茨而事大隗,適東岱而奉中黃,入金谷而諮涓子,道養則資玄素二女,精推步則訪山稽力牧,講占候則詢風後,著體診則受雷岐,審攻戰則納五音之策,窮神奸則記白澤之辭,相地理則書青烏之說,救傷殘則綴金冶之術。故能畢該秘要,窮道盡真,遂昇龍以高躋,與天地乎罔極也。然按神仙經,皆云黃帝及老子奉事太乙元君以受要訣,況乎不逮彼二君者,安有自得仙度世者乎?未之聞也。」

  或曰:「黃帝審仙者,橋山之塚,又何為乎?」抱朴子答曰:「按荊山經及龍首記,皆云黃帝服神丹之後,龍來迎之,群臣追慕,靡所措思,或取其幾杖,立廟而祭之;或取其衣冠,葬而守之。列仙傳云:黃帝自擇亡日,七十日去,七十日還,葬於橋山,山陵忽崩,墓空無屍,但劍舄在焉。此諸說雖異,要於為仙也。言黃帝仙者,見於道書及百家之說者甚多,而儒家不肯長奇怪,開異塗,務於禮教,而神仙之事,不可以訓俗,故云其死,以杜民心耳。朱邑欒巴於公,有功惠於民,百姓皆生為之立廟祠。又古者盛德之人,身沒之後,臣子刊其勳績於不朽之器。而今世君長遷轉,吏民思戀,而樹德頌之碑者,往往有焉,此亦黃帝有廟墓之類也,豈足以證其必死哉?」

  或人問曰:「彭祖八百,安期三千,斯壽之過人矣。若果有不死之道,被何不遂仙乎?豈非稟命受氣,自有脩短,而彼偶得其多,理不可延,故不免於彫隕哉?」抱朴子答曰:「按彭祖經云,其自帝嚳佐堯,歷夏至殷為大夫,殷王遣采女從受房中之術,行之有效,欲殺彭祖,以絕其道,彭祖覺焉而逃去。去時年七八百餘,非為死也。黃石公記云:彭祖去後七十餘年,門人於流沙之西見之,非死明矣。又彭祖之弟子,青衣烏公、黑穴公、秀眉公、白兔公子、離婁公、太足君、高丘子、不肯來七八人,皆歷數百歲,在殷而各仙去,況彭祖何肯死哉?又劉向所記列仙傳亦言彭祖是仙人也。又安期先生者,賣藥於海邊,琅琊人傳世見之,計已千年。秦始皇請與語,三日三夜。其言高,其旨遠,博而有證,始皇異之,乃賜之金璧,可直數千萬,安期受而置之於阜鄉亭,以赤玉舄一量為報,留書曰,複數千載,求我於蓬萊山。如此,是為見始皇時已千歲矣,非為死也。又始皇剛暴而驁很,最是天下之不應信神仙者。又不中以不然之言答對之者也。至於問安期以長生之事,安期答之允當,始皇惺悟,信世閒之必有仙道,既厚惠遺,又甘心欲學不死之事,但自無明師也,而為盧敖徐福輩所欺弄,故不能得耳。向使安期先生言無符據,三日三夜之中,足以窮屈,則始皇必將烹煮屠戮,不免鼎俎之禍,其厚惠安可得乎?」

  或問曰:「世有服食藥物,行氣導引,不免死者,何也?」

  抱朴子答曰:「不得金丹,但服草木之藥及修小術者,可以延年遲死耳,不得仙也。或但知服草藥,而不知還年之要術,則終無久生之理也。或不曉帶神符,行禁戒,思身神,守真一,則止可令內疾不起,風濕不犯耳。若卒有惡鬼強邪,山精水毒害之,則便死也。或不得入山之法,令山神為之作禍,則妖鬼試之,猛獸傷之,溪毒擊之,蛇蝮螫之,致多死事,非一條也。或修道晚暮,而先自損傷已深,難可補復。補復之益,未得根據,而疾隨復作,所以剋伐之事,亦何緣得長生哉?或年老為道而得仙者,或年少為道而不成者,何哉?彼雖年老而受氣本多,受氣本多則傷損薄,傷損薄則易養,易養故得仙也。此雖年少而受氣本少,受氣本少則傷深,傷深則難救,難救故不成仙也。夫木槿楊柳,斷殖之更生,倒之亦生,橫之亦生。生之易者,莫過斯木也。然埋之既淺,又未得久,乍刻乍剝,或搖或拔,雖壅以膏壤,浸以春澤,猶不脫於枯瘁者,以其根荄不固,不暇吐其萌芽,津液不得遂結其生氣也。人生之為體,易傷難養,方之二木,不及遠矣。而所以攻毀之者,過於刻剝,劇乎搖拔也。濟之者鮮,壞之者眾,死其宜也。夫吐故納新者,因氣以長氣,而氣大衰者則難長也。服食藥物者,因血以益血,而血垂竭者則難益也。夫奔馳而喘逆,或欬或滿,用力役體,汲汲短乏者,氣損之候也。面無光色,皮膚枯臘,唇焦脈白,腠理萎瘁者,血減之證也。二證既衰於外,則靈根亦凋於中矣。如此,則不得上藥,不能救也。凡為道而不成,營生而得死者,其人非不有氣血也。然身中之所以為氣為血者,根源已喪,但餘其枝流也。譬猶入水之燼,火滅而煙不即息;既斷之木,柯葉猶生。二者非不有煙,非不有葉,而其所以為煙為葉者,已先亡矣。世人以覺病之日,始作為疾,猶以氣絕之日,為身喪之候也。唯怨風冷與暑濕,不知風冷暑濕,不能傷壯實之人也,徒患體虛氣少者,不能堪之,故為所中耳。何以較之,設有數人,年紀老壯既同,服食厚薄又等,俱造沙漠之地,並冒嚴寒之夜,素雪墮於上,玄冰結於下,寒風摧條而宵駭,欬唾凝沍於唇吻,則其中將有獨中冷者,而不必盡病也。非冷氣之有偏,蓋人體有不耐者耳。故俱食一物,或獨以結病者,非此物之有偏毒也。鈞器齊飲,而或醒或醉者,非酒勢之有彼此也。同冒炎暑,而或獨以暍死者,非天熱之有公私也。齊服一藥,而或昏暝煩悶者,非毒烈之有愛憎也。是以沖風赴林,而枯柯先摧;洪濤凌崖,而拆隙首頹;烈火燎原,而燥卉前焚;龍碗墜地,而脆者獨破。由茲以觀,則人之無道,體已素病,因風寒暑濕者以發之耳。苟能令正氣不衰,形神相衛,莫能傷也。凡為道者,常患於晚,不患於早也。恃年紀之少壯,體力之方剛者,自役過差,百病兼結,命危朝露,不得大藥,但服草木,可以差於常人,不能延其大限也。故仙經曰:養生以不傷為本。此要言也。神農曰:百病不愈,安得長生?信哉斯言也。」

  或問曰:「所謂傷之者,豈非淫慾之閒乎?」抱朴子曰:「亦何獨斯哉?然長生之要,在乎還年之道。上士知之,可以延年除病;其次不以自伐者也。若年尚少壯而知還年,服陰丹以補腦,采玉液於長谷者,不服藥物,亦不失三百歲也,但不得仙耳。不得其術者,古人方之於冰杯之盛湯,羽苞之蓄火也。且又才所不逮,而困思之,傷也;力所不勝,而強舉之,傷也;悲哀憔悴,傷也;喜樂過差,傷也;汲汲所欲,傷也;久談言笑,傷也;寢息失時,傷也;挽弓引弩,傷也;沈醉嘔吐,傷也;飽食即臥,傷也;跳走喘乏,傷也;歡呼哭泣,傷也;陰陽不交,傷也;積傷至盡則早亡,早亡非道也。是以養生之方,唾不及遠,行不疾步,耳不極聽,目不久視,坐不至久,臥不及疲,先寒而衣,先熱而解,不欲極饑而食,食不過飽,不欲極渴而飲,飲不過多。凡食過則結積聚,飲過則成痰癖。不欲甚勞甚逸,不欲起晚,不欲汗流,不欲多睡,不欲奔車走馬,不欲極目遠望,不欲多啖生冷,不欲飲酒當風,不欲數數沐浴,不欲廣志遠願,不欲規造異巧。冬不欲極溫,夏不欲窮涼,不露臥星下,不眠中見肩,大寒大熱,大風大霧,皆不欲冒之。五味入口,不欲偏多,故酸多傷脾,苦多傷肺,辛多傷肝,鹹多則傷心,甘多則傷腎,此五行自然之理也。凡言傷者,亦不便覺也,謂久則壽損耳。是以善攝生者,臥起有四時之早晚,興居有至和之常制;調利筋骨,有偃仰之方;杜疾閒邪,有吞吐之術;流行榮衛,有補瀉之法;節宣勞逸,有與奪之要。忍怒以全陰氣,抑喜以養陽氣。然後先將服草木以救虧缺,後服金丹以定無窮,長生之理,盡於此矣。若有欲決意任懷,自謂達識知命,不泥異端,極情肆力,不營久生者,聞此言也,雖風之過耳,電之經目,不足諭也。雖身枯於流連之中,氣絕於紈綺之閒,而甘心焉,亦安可告之以養生之事哉?不惟不納,乃謂妖訛也。而望彼信之,所謂以明鑒給矇瞽,以絲竹娛聾夫也。」

卷 十 四 · 勤 求

  抱朴子曰:「天地之大德曰生,生好物者也。是以道家之所至秘而重者,莫過乎長生之方也。故血盟乃傳,傳非其人,戒在天罰。先師不敢以輕行授人,須人求之至勤者,猶當揀選至精者乃教之,況乎不好不求,求之不篤者,安可衒其沽以告之哉?其受命不應仙者,雖日見仙人成群在世,猶必謂彼自異種人,天下別有此物,或呼為鬼魅之變化,或云偶值於自然,豈有肯謂修為之所得哉?苟心所不信,雖令赤松王喬言提其耳,亦當同以為妖訛。然時頗有識信者,復患於不能勤求明師。夫曉至要得真道者,誠自甚稀,非倉卒可值也。然知之者,但當少耳,亦未嘗絕於世也。由求之者不廣不篤,有仙命者,要自當與之相值也。然求而不得者有矣,未有不求而得者也。世閒自有奸偽圖錢之子,而竊道士之號者,不可勝數也。然此等復不謂挺無所知也,皆復粗開頭角,或妄沽名,加之以伏邪飾偽,而好事之徒,不識其真偽者,徒多之進問,自取誑惑,而拘制之,不令得行,廣尋奇士異人,而告之曰,道盡於此矣。以誤於有志者之不少,可歎可恚也。或聞有曉消五云、飛八石、轉九丹、冶黃白、水瓊瑤、化朱碧、凝霜雪於神爐、采靈芝於嵩岳者,則多而毀之曰,此法獨有赤松王喬知之,今世之人而云知之者,皆虛妄耳。則淺見之家,不覺此言有詐偽而作,便息遠求之意。悲夫,可為慨歎者也!凌晷飆飛,暫少忽老,迅速之甚,諭之無物,百年之壽,三萬餘日耳。幼弱則未有所知,衰邁則歡樂並廢,童蒙昏耄,除數十年,而險隘憂病,相尋代有,居世之年,略消其半,計定得百年者,喜笑平和,則不過五六十年,咄嗟滅盡,哀憂昏耄,六七千日耳,顧眄已盡矣,況於全百年者,萬未有一乎?諦而念之,亦無以笑彼夏蟲朝菌也。蓋不知道者之所至悲矣。裡語有之:人在世閒,日失一日,如牽牛羊以詣屠所,每進一步,而去死轉近。此譬醜雖,而實理也。達人所以不愁死者,非不欲求,亦固不知所以免死之術,而空自焦愁,無益於事。故云樂天知命,故不憂耳,非不欲久生也。姬公請代武王,仲尼曳杖悲懷,是知聖人亦不樂速死矣。俗人見莊周有大夢之喻,因復競共張齊死生之論。蓋詭道強達,陽作違抑之言,皆仲尼所為破律應煞者也。今察諸有此談者,被疾病則遽針灸,冒危險則甚畏死。然末俗通弊,不崇真信,背典誥而治子書,若不吐反理之巧辨者,則謂之朴野,非老莊之學。故無骨殖而取偶俗之徒,遂流漂於不然之說,而不能自返也。老子以長生久視為業,而莊周貴於搖尾塗中,不為被網之龜,被繡之牛,餓而求粟於河侯,以此知其不能齊死生也。晚學不能考校虛實,偏據一句,不亦謬乎?且夫深入九泉之下,長夜罔極,始為螻蟻之糧,終與塵壤合體,令人怛然心熱,不覺咄嗟。若心有求生之志,何可不棄置不急之事,以修玄妙之業哉?其不信則已矣。其信之者,復患於俗情之不蕩盡,而不能專以養生為意,而營世務之餘暇而為之,所以或有為之者,恆病晚而多不成也。凡人之所汲汲者,勢利嗜欲也。苟我身之不全,雖高官重權,金玉成山,妍艷萬計,非我有也。是以上士先營長生之事,長生定可以任意。若未昇玄去世,可且地仙人閒。若彭祖老子,止人中數百歲,不失人理之懽,然後徐徐登遐,亦盛事也。然決須好師,師不足奉,亦無由成也。昔漢太后從夏侯勝受尚書,賜勝黃金百斤,他物不可勝數。及勝死,又賜勝家錢二百萬,為勝素服一百日。成帝在東宮時,從張禹受論語。及即尊位,賜禹爵關內侯,食邑千戶,拜光祿大夫,賜黃金百斤。又遷丞相,進爵安昌侯。年老乞骸骨,賜安車駟馬,黃金百斤,錢數萬。及禹疾,天子自臨省之,親拜禹床下。章帝在東宮時,從桓榮以受孝經。及帝即位,以榮為太常上卿。天子幸榮第,令榮東面坐,設幾杖。會百官及榮門生生徒數百人,帝親自持業講說。賜榮爵關內侯,食邑五千戶。及榮病,天子幸其家,入巷下車,抱卷而趨,如弟子之禮。及榮薨,天子為榮素服。凡此諸君,非能攻城野戰,折衝拓境,懸旌效節,祈連方,轉元功,騁銳絕域也。徒以一經之業,宣傳章句,而見尊重,巍巍如此,此但能說死人之餘言耳。帝王之貴,猶自卑降以敬事之。世閒或有欲試修長生之道者,而不肯謙下於堪師者,直爾蹴迮,從求至要,寧可得乎?夫學者之恭遜驅走,何益於師之分寸乎?然不爾,則是彼心不盡;彼心不盡,則令人告之不力;告之不力,則秘訣何可悉得邪?不得已當以浮淺示之,豈足以成不死之功哉?亦有人皮膚好喜,而信道之誠,不根心神,有所索欲,陽為曲恭,累日之閒,怠慢已出。若值明智之師,且欲詳觀來者變態,試以淹久,故不告之,以測其志。則若此之人,情偽行露,亦終不得而教之,教之亦不得盡言吐實,言不了則為之無益也。陳安世者,年十三歲,蓋灌叔本之客子耳,先得仙道。叔本年七十皓首,朝夕拜安世曰,道尊德貴,先得道者則為師矣,吾不敢倦執弟子之禮也。由是安世告之要方,遂復仙去矣。夫人生先受精神於天地,後稟氣血於父母,然不得明師,告之以度世之道,則無由免死,鑿石有餘焰,年命已凋頹矣。由此論之,明師之恩,誠為過於天地,重於父母多矣,可不崇之乎?可不求之乎?」

  抱朴子曰:「古人質正,貴行賤言,故為政者不尚文辨,修道者不崇辭說。風俗衰薄,外飾彌繁,方策既山積於儒門,而內書亦鞅掌於術家。初學之徒,即未便可授以大要。又亦人情以本末殷富者為快。故後之知道者,干吉容嵩桂帛諸家,各著千所篇,然率多教誡之言,不肯善為人開顯大向之指歸也。其至真之訣,或但口傳,或不過尋尺之素,在領帶之中,非隨師經久,累勤歷試者,不能得也。雜猥弟子,皆各隨其用心之疏密,履苦之久遠,察其聰明之所逮,及志力之所能辨,各有所授,千百歲中,時有盡其囊枕之中,肘腋之下,秘要之旨耳。或但將之合藥,藥成分之,足以使之不死而已,而終年不以其方文傳之。故世閒道士,知金丹之事者,萬無一也。而管見之屬,謂仙法當具在於紛若之書,及於祭祀拜伏之閒而已矣。夫長生制在大藥耳,非祠醮之所得也。昔秦漢二代,大興祈禱,所祭太乙五神,陳寶八神之屬,動用牛羊穀帛,錢費億萬,了無所益。況於匹夫,德之不備,體之不養,而欲以三牲酒餚,祝願鬼神,以索延年,惑亦甚矣。或頗有好事者,誠欲為道,而不能勤求明師,合作異藥,而但晝夜誦講不要之書,數千百卷,詣老無益,便謂天下果無仙法。或舉門扣頭,以向空坐,烹宰犧牲,燒香請福,而病者不愈,死喪相襲,破產竭財,一無奇異,終不悔悟,自謂未篤。若以此之勤,求知方之師,以此之費,給買藥之直者,亦必得神仙長生度世也。何異詣老空耕石田,而望千倉之收,用力雖盡,不得其所也。所謂適楚而道燕,馬雖良而不到,非行之不疾,然失其道也。或有性信而喜信人,其聰明不足以校練真偽,揣測深淺;所博涉素狹,不能賞物。後世頑淺,趣得一人,自譽之子,云我有秘書,便守事之。而庸人小兒,多有外託有道之名,名過其實,由於誇誑,內抱貪濁,惟利是圖,有所請為,輒強喑嗚,俛仰抑揚。若所知寶秘乃深而不可得之狀。其有所請,從其所求,俛仰含笑,或許以頃後,故使不覺者,欲罷而不能,自謂事之未勤,而禮幣之尚輕也。於是篤信之心,尤加恭肅,賂以殊玩,為之執奴僕之役,不辭負重涉遠,不避經險履危,欲以積勞自效,服苦求哀,庶有異聞。而虛引歲月,空委二親之供養,捐妻子而不恤,戴霜蹈冰,連年隨之,而妨資棄力,卒無所成。彼初誠欺之,末或慚之,懵然體中,實自空罄短乏,無能法以相教,將何法以成人乎?余目見此輩不少,可以有十餘人。或自號高名,久居於世,世或謂之已三四百歲,但易名字,詐稱聖人,託於人閒,而多有承事之者,余但不喜書其人之姓名耳。頗游俗閒,凡夫不識妍蚩,為共吹揚,增長妖妄,為彼巧偽之人,虛生華譽,歙習遂廣,莫能甄別。故或令高人偶不留意澄察,而但任兩耳者,誤於學者,常由此輩,莫不使人歎息也。每見此曹,欺誑天下,以規勢利者,遲速皆受殃罰,天網雖疏,終不漏也。但誤有志者可念耳。世人多逐空聲,鮮能校實。聞甲乙多弟子,至以百許,必當有異,便載馳競逐,赴為相聚守之徒,妨工夫以崇重彼愚陋之人也。而不復尋精,彼得門人之力。或以致富,辨逐之雖久,猶無成人之道,愚夫故不知此人不足可事,何能都不與悟,自可悲哉!夫搜尋仞之壟,求干天之木;漉牛跡之中,索吞舟之鱗,用日雖久,安能得乎?嗟乎!將來之學者,雖當以求師為務,亦不可以不詳擇為急也。陋狹之夫,行淺德薄,功微緣少,不足成人之道,亦無功課以塞人重恩也。深思其趣,勿令徒勞也。」

  抱朴子曰:「諸虛名之道士,既善為誑詐,以欺學者;又多護短匿愚,恥於不知,陽若以博涉已足,終不肯行求請問於勝己者,蠢爾守窮,面牆而立;又不但拱默而已,乃復憎忌於實有道者而謗毀之,恐彼聲名之過己也。此等豈有意於長生之法哉?為欲以合致弟子,圖其財力,以快其情慾而已耳。而不知天高聽卑,其後必受斯殃也。夫貧者不可妄云我富也,賤者不可虛云我貴也,況道德之事實無,而空養門生弟子乎?凡俗之人,猶不宜懷妒善之心,況於道士,尤應以忠信快意為生者也,云何當以此之亻敝然函胸臆閒乎?人自不能聞見神明,而神明之聞見己之甚易也。此何異乎在紗幌之外,不能察軒房之內,而肆其倨慢,謂人之不見己。此亦如竊鍾棖物,鏗然有聲,惡他人聞之,因自掩其耳者之類也。而聾瞽之存乎精神者,唯欲專擅華名,獨聚徒眾,外求聲價,內規財力,患疾勝己,乃劇於俗人之爭權勢也。遂以唇吻為刃鋒,以毀譽為朋黨,口親心疏,貌合行離,陽敦同志之言,陰挾蜂蠆之毒,此乃天人所共惡,招禍之符檄也。夫讀五經,猶宜不恥下問,以進德修業,日有緝熙。至於射御之粗伎,書數之淺功,農桑之露事,規矩之小術,尚須師授以盡其理,況營長生之法,欲以延年度世,斯與救恤死事無異也。何可務惜請受之名,而永守無知之困,至老不改,臨死不悔,此亦天民之篤暗者也。令人代之慚悚,為之者獨不顧形影也。為儒生尚當兀然守朴,外託質素,知而如否,有而如無,令庸兒不得盡其稱,稱而不問不對,對必辭讓而後言。何其道士之人,強以不知為知,以無有為有,虛自衒燿,以圖奸利者乎?迷而不知返者,愈以遂往,若有以行此者,想不恥改也。吾非苟為此言,誠有為而興,所謂疾之而不能默然也。徒愍念愚人,不忍見嬰兒之投井耳。若覽之而悟者,亦仙藥之一草也,吾何為哉!不御苦口,其危至矣,不俟脈診而可知者也。」

  抱朴子曰:「設有死罪,而人能救之者,必不為之吝勞辱而憚卑辭也,必獲生生之功也。今雜猥道士之輩,不得金丹大法,必不得長生可知也。雖治病有起死之效,絕穀則積年不饑,役使鬼神,坐在立亡,瞻視千里,知人盛衰,發沈祟於幽翳,知禍福於未萌,猶無益於年命也,尚羞行請求,恥事先達,是惜一日之屈,而甘罔極之痛,是不見事類者也。古人有言曰,生之於我,利亦大焉。論其貴賤,雖爵為帝王,不足以此法比焉。論其輕重,雖富有天下,不足以此術易焉。故有死王樂為生鼠之喻也。夫治國而國平,治身而身生,非自至也,皆有以致之也。惜短乏之虛名,恥師授之蹔勞,雖日不愚,吾不信也。今使人免必死而就戮刑者,猶欣然喜於去重而即輕,脫炙爛而保視息,甘其苦痛,過於更生矣。人但莫知當死之日,故不暫憂耳。若誠知之,而刖劓之事,可得延期者,必將為之。況但躬親灑掃,執巾竭力於勝己者,可以見教之不死之道,亦何足為苦,而蔽者憚焉。假令有人,恥迅走而待野火之燒爇,羞逃風而致沈溺於重淵者,世必呼之為不曉事也,而咸知笑其不避災危,而莫怪其不畏實禍,何哉?」

  抱朴子曰:「昔者之著道書多矣,莫不務廣浮巧之言,以崇玄虛之旨,未有究論長生之階徑,箴砭為道之病痛,如吾之勤勤者也。實欲令迷者知反,失之東隅,收之桑榆,墜井引綆,愈於遂沒。但惜美疢而距惡石者,不可如何耳。人誰無過,過而能改,日月之蝕,睎顏氏之子也。又欲使將來之好生道者,審於所託,故竭其忠告之良謀,而不飾淫麗之言,言發則指切,筆下則辭痛,惜在於長生而折抑邪耳,何所索哉?」

  抱朴子曰:「深念學道藝養生者,隨師不得其人,竟無所成,而使後之有志者,見彼之不得長生,因云天下之果無仙法也。凡自度生,必不能苦身約己以修玄妙者,亦徒進失干祿之業,退無難老之功,內誤其身,外沮將來也。仙之可學致,如黍稷之可播種得,甚炳然耳。然未有不耕而獲嘉禾,未有不勤而獲長生度世也。」

抱朴子 內篇15~16

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 十 五 · 雜 應

  或曰:「敢問斷穀人可以長生乎?凡有幾法,何者最善與?」抱朴子答曰:「斷穀人止可息餚糧之費,不能獨令人長生也。問諸曾斷穀積久者云,差少病痛,勝於食穀時。其服術及餌黃精,又禹餘糧丸,日再服,三日,令人多氣力,堪負擔遠行,身輕不極。其服諸石藥,一服守中十年五年者及吞氣服符飲神水輩,但為不饑耳,體力不任勞也。道書雖言欲得長生,腸中當清;欲得不死,腸中無滓。又云,食草者善走而愚,食肉者多力而悍,食穀者智而不壽,食氣者神明不死。此乃行氣者一家之偏說耳,不可便孤用也。若欲服金丹大藥,先不食百許日為快。若不能者,正爾服之,但得仙小遲耳,無大妨也。若遭世荒,隱竄山林,知此法者,則可以不餓死。其不然也,則無急斷,急既無可大益。又止人中斷肉,聞肥鮮之氣,皆不能不有欲於中心。若未便絕俗委家,巖棲岫處者,固不成遂休五味,無致自苦,不如莫斷穀而節量饑飽。近有一百許法,或服守中石藥數十丸,便辟四五十日不饑,練松柏及術,亦可以守中,但不及大藥,久不過十年以還。或辟一百二百日,或須日日服之,乃不饑者。或先作美食極飽,乃服藥以養所食之物,令不消化,可辟三年。欲還食穀,當以葵子豬膏下之,則所作美食皆下,不壞如故也。洛陽有道士董威輦,常止白社中,了不食,陳子敘共守事之,從學道積久,乃得其方,云以甘草、防風、莧實之屬十許種搗為散,先服方寸匕,乃吞石子大如雀卵十二枚,足辟百日,輒更服散,氣力顏色如故也。欲還食穀者,當服葵子湯下石子,乃可食耳。又赤龍血青龍膏作之,用丹砂曾青水,以石內其中,復須臾,石柔而可食也。若不即取,便消爛盡也。食此石以口取飽,令人丁壯。又有引石散,以方寸匕投一斗白石子中,以水合煮之,亦立熟如芋子,可食以當穀也。張太元舉家及弟子數十人,隱居林慮山中,以此法食石十餘年,皆肥健。但為須得白石,不如赤龍血青龍膏,取得石便可用,又當煮之,有薪火之煩耳。或用符,或用水,或符水兼用。或用乾棗,日九枚,酒一二升者。或食十二時氣,從夜半始,從九九至八八七七六六五五而止。或春向東食歲星青氣,使入肝;夏服熒惑赤氣,使入心;四季之月食鎮星黃氣,使入脾;秋食太白白氣,使入肺;冬服辰星黑氣,使入腎。又中岳道士郗元節食六戊之精,亦大有效。假令甲子之旬,有戊辰之精,則竟其旬十日,常向辰地而吞氣,到後甲復向其旬之戊也。甘始法,召六甲六丁玉女,各有名字,因以祝水而飲之,亦可令牛馬皆不饑也。或思脾中神名,名黃裳子,但合口食內氣,此皆有真效。餘數見斷穀人三年二年者多,皆身輕色好,堪風寒暑濕,大都無肥者耳。雖未見數十歲不食者,然人絕穀不過十許日皆死,而此等已積載而自若,亦何疑於不可大久乎?若令諸絕穀者專羸,極常慮之,恐不可久耳。而問諸為之者,無不初時少氣力,而後稍丁健,月勝一月,歲勝一歲,正爾,可久無嫌也。夫長生得道者,莫不皆由服藥吞氣,而達之者而不妄也。夫服藥斷穀者,略無不先極也。但用符水及單服氣者,皆作四十日中疲瘦,過此乃健耳。鄭君云:本性飲酒不多,昔在銅山中,絕穀二年許,飲酒數斗不醉。以此推之,是為不食更令人耐毒,耐毒則是難病之候也。余因此問山中那得酒?鄭君言,先釀好雲液勿壓漉,因以桂附子甘草五六種末合丸之,曝乾,以一丸如雞子許,投一斗水中,立成美酒。又有黃帝雲液泉法,以□米及七八種藥合之,取一升,輒內一升水投中,如千歲苦酒之內水也。無知盡時,而味常好不變,飲之大益人。又符水斷穀,雖先令人羸,然宜兼知者,倘卒遇荒年,不及合作藥物,則符水為上矣。有馮生者,但單吞氣,斷穀已三年,觀其步陟登山,擔一斛許重,終日不倦。又時時引弓,而略不言語,言語又不肯大聲。問之云,斷穀亡精費氣,最大忌也。余亦屢見淺薄道士輩,為欲虛曜奇怪,招不食之名,而實不知其道,但虛為不啖羹飯耳。至於飲酒,日中斗餘,脯臘台甫棗栗雞子之屬,不絕其口。或大食肉而咽其汁,吐其滓,終日經口者數十斤,此直是更作美食矣。凡酒客但飲酒食脯而不食穀,皆自堪半歲一歲而不蹙頓矣,未名絕穀耳。吳有道士石春,每行氣為人治病,輒不食,以須病者之愈,或百日,或一月乃食。吳景帝聞之曰,此但不久,必當饑死也。乃召取鎖閉,令人備守之。春但求三二升水,如此一年餘,春顏色更鮮悅,氣力如故。景帝問之,可復堪幾時?春言無限,可數十年,但恐老死耳,不憂饑也。乃罷遣之。按如春言,是為斷穀不能延年可知也。今時亦有得春之法者。」

  或問不寒之道。抱朴子曰:「或以立冬之日,服六丙六丁之符,或閉口行五火之氣千二百遍,則十二月中不寒也。或服太陽酒,或服紫石英朱漆散,或服雄丸一,後服雌丸二,亦可堪一日一夕不寒也。雌丸用雌黃、曾青、礬石、磁石也。雄丸用雄黃、丹砂、石膽也。然此無益於延年之事也。」

  或問不熱之道。抱朴子曰:「或以立夏日,服六壬六癸之符,或行六癸之氣,或服玄冰之丸,或服飛霜之散。然此用蕭丘上木皮,及五月五日中時北行黑蛇血,故少有得合之者也。唯幼伯子王仲都,此二人衣以重裘,曝之於夏日之中,周以十爐之火,口不稱熱,身不流汗,蓋用此方者也。」

  或問辟五兵之道。抱朴子答曰:「吾聞吳大皇帝曾從介先生受要道云,但知書北斗字及日月字,便不畏白刃。帝以試左右數十人,常為先登鋒陷陣,皆終身不傷也。鄭君云,但誦五兵名亦有驗。刀名大房,虛星主之;弓名曲張,氐星主之;矢名彷徨,熒惑星主之;劍名失傷,角星主之;弩名遠望,張星主之;戟名大將,參星主之也。臨戰時,常細祝之。或以五月五日作赤靈符,著心前。或丙午日日中時,作燕君龍虎三囊符。歲符歲易之,月符月易之,日符日易之。或佩西王母兵信之符,或佩熒惑朱雀之符,或佩南極鑠金之符,或戴卻刃之符,祝融之符。或傅玉札散,或浴禁蔥湯,或取牡荊以作六陰神將符,符指敵人。或以月蝕時刻,三歲蟾蜍喉下有八字者血,以書所持之刀劍。或帶武威符熒火丸。或交鋒刃之際,乘魁履罡刂,呼四方之長,亦有明效。今世之人,亦有得禁辟五兵之道,往往有之。」

  或問隱淪之道。抱朴子曰:「神道有五,坐在立亡其數焉。然無益於年命之事,但在人閒無故而為此,則致詭怪之聲,不足妄行也。可以備兵亂危急,不得已而用之,可以免難也。鄭君云,服大隱符十日,欲隱則左轉,欲見則右回也。或以玉台丸塗人身中;或以蛇足散,或懷離母之草,或折青龍之草,以伏六丁之下;或入竹田之中,而執天樞之壤;或造河龍石室,而隱云蓋之陰;或伏清泠之淵,以過幽闕之徑;或乘天一馬以游紫房;或登天一之明堂;或入玉女之金匱;或背輔向官,立三蓋之下;或投巾解履、膽煎及兒衣符,子居蒙人,青液桂梗,六甲父母,僻側之膠,駮馬泥丸,木鬼之子,金商之艾,或可為小兒,或可為老翁,或可為鳥,或可為獸,或可為草,或可為木,或可為六畜,或依木成木,或依石成石,依水成水,依火成火,此所謂移形易貌,不能都隱者也。」

  或問:「魏武帝曾收左元放而桎梏之,而得自然解脫,以何法乎?」抱朴子曰:「吾不能正知左君所施用之事。然歷覽諸方書,有月三服薏苡子,和用三五陰丹,或以偶牙陽胞,或以七月七日東行跳脫蟲,或以五月五日石上龍子單衣,或以夏至日霹靂楔,或以天文二十一字符,或以自解去父血,或以玉子餘糧,或合山君目,河伯餘糧,浮雲滓以塗之,皆自解。然左君之變化無方,未必由此也。自用六甲變化,其真形不可得執也。」

  或問曰:「為道者可以不病乎?」抱朴子曰:「養生之盡理者,既將服神藥,又行氣不懈,朝夕導引,以宣動榮衛,使無輟閡,加之以房中之術,節量飲食,不犯風濕,不患所不能,如此可以不病。但患居人閒者,志不得專,所修無恆,又苦懈怠不勤,故不得不有疹疾耳。苦徒有信道之心,而無益己之業,年命在孤虛之下,體有損傷之危,則三屍因其衰月危日,入絕命病鄉之時,招呼邪氣,妄延鬼魅,來作殃害。其六厄並會,三刑同方者,其災必大。其尚盛者,則生諸疾病,先有疹患者,則令發動。是故古之初為道者,莫不兼修醫術,以救近禍焉。凡庸道士,不識此理,恃其所聞者,大至不關治病之方。又不能絕俗幽居,專行內事,以卻病痛,病痛及己,無以攻療,乃更不如凡人之專湯藥者。所謂進不得邯鄲之步,退又失壽陵之義者也。余見戴霸華他所集金匱綠囊崔中書黃素方及百家雜方五百許卷。甘胡呂傅周始甘唐通阮南河等,各撰集暴卒備急方,或一百十,或九十四,或八十五,或四十六,世人皆為精悉,不可加也。余究而觀之,殊多不備,諸急病甚尚未盡,又渾漫雜錯,無其條貫,有所尋按,不即可得。而治卒暴之候,皆用貴藥,動數十種,自非富室而居京都者,不能素儲,不可卒辦也。又多令人以針治病,其灸法又不明處所分寸,而但說身中孔穴榮輸之名。自非舊醫備覽明堂流注偃側圖者,安能曉之哉?余所撰百卷,名曰玉函方,皆分別病名,以類相續,不相雜錯,其救卒參卷,皆單行徑易,約而易驗,籬陌之閒,顧眄皆藥,眾急之病,無不畢備,家有此方,可不用醫。醫多承襲世業,有名無實,但養虛聲,以圖財利。寒白退士,所不得使,使之者乃多誤人,未若自閒其要,勝於所迎無知之醫。醫又不可卒得,得又不肯即為人使,使腠理之微疾,成膏肓之深禍,乃至不救。且暴急之病,而遠行借問,率多枉死矣。」

  或問:「將來吉凶,安危去就,知之可全身,為有道乎?」

  抱朴子曰:「仰觀天文,俯察地理,占風氣,布籌算,推三棋,步九宮,檢八卦,考飛伏之所集,診訞訛於物類,占休咎於龜筴,皆下術常伎,疲勞而難恃。若乃不出帷幕而見天下,乃為入神矣。或以三皇天文,召司命司危五嶽之君,阡陌亭長六丁之靈,皆使人見之,而對問以諸事,則吉凶昭然,若存諸掌,無遠近幽深,鹹可先知也。或召六陰玉女,其法六十日而成,成則長可役使。或祭致八史,八史者,八卦之精也,亦足以預識未形矣。或服葛花及秋芒麻勃刀圭方寸匕,忽然如欲臥,而聞人語之以所不決之事,吉凶立定也。或用明鏡九寸以上自照,有所思存,七日七夕則見神仙,或男或女,或老或少,一示之後,心中自知千里之外,方來之事也。明鏡或用一,或用二,謂之日月鏡。或用四,謂之四規鏡。四規者,照之時,前後左右各施一也。用四規所見來神甚多。或縱目,或乘龍駕虎,冠服彩色,不與世同,皆有經圖。欲修其道,當先暗誦所當致見諸神姓名位號,識其衣冠。不爾,則卒至而忘其神,或能驚懼,則害人也。為之,率欲得靜漠幽閒林麓之中,外形不經目,外聲不入耳,其道必成也。三童九女節壽君,九首蛇軀百二十官,雖來勿得熟視也。或有問之者,或有訶怒之者,亦勿答也。或有侍從暐曄,力士甲卒,乘龍駕虎,簫鼓嘈嘈,勿舉目與言也。但諦念老君真形,老君真形見,則起再拜也。老君真形者,思之,姓李名聃,字伯陽,身長九尺,黃色,鳥喙,隆鼻,秀眉長五寸,耳長七寸,額有三理上下徹,足有八卦,以神龜為床,金樓玉堂,白銀為階,五色雲為衣,重疊之冠,鋒鋋之劍,從黃童百二十人,左有十二青龍,右有二十六白虎,前有二十四朱雀,後有七十二玄武,前道十二窮奇,後從三十六辟邪,雷電在上,晃晃昱昱,此事出於仙經中也。見老君則年命延長,心如日月,無事不知也。」

  或問堅齒之道。抱朴子曰:「能養以華池,浸以醴液,清晨建齒三百過者,永不搖動。其次則含地黃煎,或含玄膽湯,及蛇脂丸、礬石丸、九棘散。則已動者更牢,有蟲者即愈。又服靈飛散者,則可令既脫者更生也。」

  或問聰耳之道。抱朴子曰:「能龍導虎引,熊經龜咽,燕飛蛇屈鳥伸,天俛地仰,令赤黃之景,不去洞房,猿據兔驚,千二百至,則聰不損也。其既聾者,以玄龜薰之,或以棘頭、羊糞、桂毛、雀桂成裹塞之;或以狼毒冶葛,或以附子蔥涕,合內耳中,或以蒸鯉魚腦灌之,皆愈也。」

  或問明目之道。抱朴子曰:「能引三焦之昇景,召大火於南離,洗之以明石,慰之以陽光,及燒丙丁洞視符,以酒和洗之,古人曾以夜書也。或以苦酒煮蕪菁子令熟,曝乾,末服方寸匕,日三,盡一鬥,能夜視有所見矣。或以犬膽煎青羊、班鳩、石決明、充蔚百華散,或以雞舌香、黃連、乳汁煎注之。諸有百疾之在目者皆愈,而更加精明倍常也。」

  或問登峻涉險、遠行不極之道。抱朴子曰:「惟服食大藥,則身輕力勁,勞而不疲矣。若初入山林,體未全實者,宜以雲珠粉、百華醴、玄子湯洗腳,及虎膽丸、朱明酒、天雄鶴脂丸、飛廉煎秋芒、車前、澤瀉散,用之旬日,不但涉遠不極,乃更令人行疾,可三倍於常也。若能乘蹻者,可以周流天下,不拘山河。凡乘蹻道有三法:一曰龍蹻,二曰虎蹻,三曰鹿盧蹻。或服符精思,若欲行千里,則以一時思之。若晝夜十二時思之,則可以一日一夕行萬二千里,亦不能過此,過此當更思之,如前法。或用棗心木為飛車,以牛革結環劍以引其機,或存念作五蛇六龍三牛交罡而乘之,上昇四十里,名為太清。太清之中,其氣甚罡刂,能勝人也。師言鳶飛轉高,則但直舒兩翅,了不復扇搖之而自進者,漸乘罡刂氣故也。龍初昇階雲,其上行至四十里,則自行矣。此言出於仙人,而留傳於世俗耳,實非凡人所知也。又乘蹻須長齋,絕葷菜,斷血食,一年之後,乃可乘此三蹻耳。雖復服符,思五龍蹻行最遠,其餘者不過千里也。其高下去留,皆自有法,勿得任意耳。若不奉其禁,則不可妄乘蹻,有傾墜之禍也。」

  或曰:「老子篇中記及龜文經,皆言藥兵之後,金木之年,必有大疫,萬人餘一,敢問辟之道。」抱朴子曰:「仙人入瘟疫秘禁法,思其身為五玉。五玉者,隨四時之色,春色青,夏赤,四季月黃,秋白,冬黑。又思冠金巾,思心如炎火,大如斗,則無所畏也。又一法,思其發散以被身,一發端,輒有一大星綴之。又思作七星北斗,以魁覆其頭,以罡指前。又思五臟之氣,從兩目出,週身如雲霧,肝青氣,肺白氣,脾黃氣,腎黑氣,心赤氣,五色紛錯,則可與疫病者同床也。或禹步呼直日玉女,或閉氣思力士,操千斤金鎚,百二十人以自衛。或用射鬼丸、赤車使者丸、冠軍丸、徐長卿散、玉函精粉、青年道士熏身丸、崔文黃散、草玉酒、黃庭丸、皇符、老子領中符、赤鬚子桃花符,皆有良效者也。」

卷 十 六 · 黃 白

  抱朴子曰:神仙經黃白之方二十五卷,千有餘首。黃者,金也。白者,銀也。古人秘重其道,不欲指斥,故隱之云爾。或題篇云庚辛,庚辛亦金也。然率多深微難知,其可解分明者少許爾。世人多疑此事為虛誕,與不信神仙者正同也。余昔從鄭公受九丹及金銀液經,因復求受黃白中經五卷。鄭君言,曾與左君於廬江銅山中試作,皆成也。然而齋潔禁忌之勤苦,與金丹神仙藥無異也。俗人多譏余好攻異端,謂予為趣欲強通天下之不可通者。余亦何為然哉!余若欲以此輩事,騁辭章於來世,則余所著外篇及雜文二百餘卷,足以寄意於後代,不復須此。且此內篇,皆直語耳,無藻飾也。余又知論此曹事,世人莫不呼為迂闊不急,未若論俗間切近之理,可以合眾心也。然余所以不能已於斯事,知其不入世人之聽,而猶論著之者,誠見其效驗,又所承授之師非妄言者。而余貧苦無財力,又遭多難之運,有不已之無賴,兼以道路梗塞,藥物不可得,竟不遑合作之。余今告人言,我曉作金銀,而躬自饑寒,何異自不能行,而賣治躄之藥,求人信之,誠不可得。然理有不如意,亦不可以一概斷也。所以勤勤綴之於翰墨者,欲令將來好奇賞真之士,見余書而具論道之意耳。夫變化之術,何所不為。蓋人身本見,而有隱之之法。鬼神本隱,而有見之之方。能為之者往往多焉。水火在天,而取之以諸燧。鉛性白也,而赤之以為丹。丹性赤也,而白之而為鉛。雲雨霜雪,皆天地之氣也,而以藥作之,與真無異也。至於飛走之屬,蠕動之類,稟形造化,既有定矣。及其倏忽而易舊體,改更而為異物者,千端萬品,不可勝論。人之為物,貴性最靈,而男女易形,為鶴為石,為虎為猿,為沙為黿,又不少焉。至於高山為淵,深谷為陵,此亦大物之變化。變化者,乃天地之自然,何為嫌金銀之不可以異物作乎?譬諸陽燧所得之火,方諸所得之水,與常水火,豈有別哉?蛇之成龍,茅糝為膏,亦與自生者無異也。然其根源之所緣由,皆自然之感致,非窮理盡性者,不能知其指歸,非原始見終者,不能得其情狀也。狹觀近識,桎梏巢穴,揣淵妙於不測,推神化於虛誕,以周孔不說,墳籍不載,一切謂為不然,不亦陋哉?又俗人以劉向作金不成,便云天下果無此道,是見田家或遭水旱不收,便謂五穀不可播殖得也。成都內史吳大文,博達多知,亦自說昔事道士李根,見根煎鉛錫,以少許藥如大豆者投鼎中,以鐵匙攪之,冷即成銀。大文得其秘方,但欲自作,百日齋便為之,而留連在官,竟不能得,恆歎息言人閒不足處也。又桓君山言漢黃門郎程偉,好黃白朮,娶妻得知方家女。偉常從駕出而無時衣,甚憂。妻曰,請致兩端縑。縑即無故而至前。偉按枕中鴻寶,作金不成。妻乃往視偉,偉方扇炭燒筩,筩中有水銀。妻曰,吾欲試相視一事。乃出其囊中藥,少少投之,食頃發之,已成銀。偉大驚曰,道近在汝處,而不早告我,何也?妻曰,得之須有命者。於是偉日夜說誘之,賣田宅以供美食衣服,猶不肯告偉。偉乃與伴謀撾笞伏之。妻輒知之,告偉言,道必當傳其人,得其人,道路相遇輒教之;如非其人,口是而心非者,雖寸斷支解,而道猶不出也。偉逼之不止,妻乃發狂,裸而走,以泥自塗,遂卒。近者前廬江太守華令思,高才達學,洽聞之士也,而事之不經者,多所不信。後有道士說黃白之方,乃試令作之,云以鐵器銷鉛,以散藥投中,即成銀。又銷此銀,以他藥投之,乃作黃金。又從此道士學徹視之方,行之未百日,夜臥即便見天文及四鄰了了,不覺復有屋舍籬障。又妾名瑤華者已死,乃見形,與之言語如平生。又祭廟,聞廟神答其拜,床似動有聲。令思乃歎曰,世閒乃定無所不有,五經雖不載,不可便以意斷也。然不聞方伎者,卒聞此,亦焉能不驚怪邪?又黃白朮亦如合神丹,皆須齋潔百日已上,又當得閒解方書,意合者乃可為之,非濁穢之人,及不聰明人,希涉術數者所辨作也。其中或有須口訣者,皆宜師授。又宜入於深山之中,清潔之地,不欲令凡俗愚人知之。而劉向止宮中作之,使宮人供給其事,必非齋潔者,又不能斷絕人事,使不來往也,如此安可得成哉?桓譚新論曰:史子心見署為丞相史,官架屋,發吏卒及官奴婢以給之,作金不成。丞相自以力不足,又白傅太后。太后不復利於金也,聞金成可以作延年藥,又甘心焉,乃除之為郎,捨之北宮中,使者待遇。寧有作此神方可於宮中,而令凡人雜錯共為之者哉?俗閒染繒練,尚不欲使雜人見之,見之即壞,況黃白之變化乎?凡事無鉅細,皆宜得要。若不得其法,妄作酒醬醋羹臛猶不成,況大事乎?余曾諮於鄭君曰:「老君云,不貴難得之貨。而至治之世,皆投金於山,捐玉於谷,不審古人何用金銀為貴而遺其方也?」鄭君答余曰:「老君所云,謂夫披沙剖石,傾山漉淵,不遠萬里,不慮壓溺,以求珍玩,以妨民時,不知止足,以飾無用。及欲為道,志求長生者,復兼商賈,不敦信讓,浮深越險,乾沒逐利,不吝軀命,不修寡慾者耳。至於真人作金,自欲餌服之致神仙,不以致富也。故經曰,金可作也,世可度也,銀亦可餌服,但不及金耳。」余難曰:「何不餌世閒金銀而化作之,作之則非真,非真則詐偽也。」鄭君答余曰:「世閒金銀皆善,然道士率皆貧。故諺云,無有肥仙人富道士也。師徒或十人或五人,亦安得金銀以供之乎?又不能遠行採取,故宜作也。又化作之金,乃是諸藥之精,勝於自然者也。仙經云,丹精生金。此是以丹作金之說也。故山中有丹砂,其下多有金。且夫作金成則為真物,中表如一,百煉不減。故其方曰,可以為釘。明其堅勁也。此則得夫自然之道也。故其能之,何謂詐乎?詐者謂以曾青塗鐵,鐵赤色如銅;以雞子白化銀,銀黃如金,而皆外變而內不化也。夫芝菌者,自然而生,而仙經有以五石五木種芝,芝生,取而服之,亦與自然芝無異,俱令人長生,此亦作金之類也。雉化為蜃,雀化為蛤,與自然者正同。故仙經曰,流珠九轉,父不語子,化為黃白,自然相使。又曰,硃砂為金,服之昇仙者,上士也;茹芝導引,嚥氣長生者,中士也;餐食草木,千歲以還者,下士也。又曰,金銀可自作,自然之性也,長生可學得者也。玉牒記云:天下悠悠,皆可長生也,患於猶豫,故不成耳。凝水銀為金,可中釘也。銅柱經曰:丹沙可為金,河車可作銀,立則可成,成則為真,子得其道,可以仙身。黃山子曰:天地有金,我能作之,二黃一赤,立成不疑。龜甲文曰:我命在我不在天,還丹成金億萬年。古人豈欺我哉?但患知此道者多貧,而藥或至賤而生遠方,非亂世所得也。若戎鹽鹵鹹皆賤物,清平時了不直錢,今時不限價直而買之無也。羌裡石膽,千萬求一斤,亦不可得。徒知其方,而與不知者正同,可為長歎者也。有其法者,則或饑寒無以合之,而富貴者復不知其法也。就令知之,亦無一信者。假令頗信之,亦已自多金銀,豈肯費見財以市其藥物,恐有棄系逐飛之悔,故莫肯為也。又計買藥之價,以成所得之物,尤有大利,而更當齋戒辛苦,故莫克為也。且夫不得明師口訣,誠不可輕作也。」夫醫家之藥,淺露之甚,而其常用效方,便復秘之。故方有用後宮游女,僻側之膠,封君泥丸,木鬼子,金商芝,飛君根,伏龍肝,白馬汗,浮雲滓,龍子丹衣,夜光骨,百花醴,冬鄒齋之屬,皆近物耳,而不得口訣,猶不可知,況於黃白之術乎?今能為之者,非徒以其價貴而秘之矣,此道一成,則可以長生。長生之道,道之至也,故古人重之也。凡方書所名藥物,又或與常藥物同而實非者,如河上奼女,非婦人也;陵陽子明,非男子也;禹餘糧,非米也;堯漿,非水也。而俗人見方用龍膽虎掌、雞頭鴨蹠、馬蹄犬血、鼠尾牛膝,皆謂之血氣之物也;見用缺盆覆盆、釜钅歷大戟、鬼箭天鉤,則謂之鐵瓦之器也;見用胡王使者、倚姑新婦、野丈人、守田公、戴文浴、徐長卿,則謂人之姓名也。近易之草,或有不知,玄秘之方,孰能悉解?劉向作金不成,無可怪之也。及得其要,則復不煩聖賢大才而後作也,凡人可為耳。劉向豈頑人哉,直坐不得口訣耳。今將載其約而效之者,以貽將來之同志焉。當先取武都雄黃,丹色如雞冠,而光明無夾石者,多少任意,不可令減五斤也。搗之如粉,以牛膽和之,煮之令燥。以赤土釜容一斗者,先以戎鹽石膽末薦釜中,令厚三分,乃內雄黃末,令厚五分,復加戎鹽於上。如此,相似至盡。又加碎炭火如棗核者,令厚二寸。以蚓螻土及戎鹽為泥,泥釜外,以一釜覆之,皆泥令厚三寸,勿洩。陰乾一月,乃以馬糞火熅之,三日三夜,寒,發出,鼓下其銅,銅流如冶銅鐵也。乃令鑄此銅以為筩,筩成以盛丹砂水。又以馬屎火熅之,三十日發爐,鼓之得其金,即以為筩,又以盛丹砂水。又以馬通火熅三十日,發取搗治之。取其二分生丹砂,一分並汞,汞者,水銀也,立凝成黃金矣。光明美色,可中釘也。

  △作丹砂水法

  治丹砂一斤,內生竹筩中,加石膽消石各二兩,覆薦上下,閉塞筩口,以漆骨丸封之,須乾,以內醇苦酒中,埋之地中,深三尺,三十日成水,色赤味苦也。

  △金樓先生所從青林子受作黃金法

  先鍛錫,方廣六寸,厚一寸二分,以赤鹽和灰汁,令如泥,以塗錫上,令通厚一分,累置於赤土釜中。率錫十斤,用赤鹽四斤,合封固其際,以馬通火熅之,三十日,發火視之,錫中悉如灰狀,中有纍纍如豆者,即黃金也。合治內土甌中,以炭鼓之,十煉之並成也。率十斤錫,得金二十兩。唯長沙桂陽豫章南海土釜可用耳。彼鄉土之人,作土釜以炊食,自多也。

  △治作赤鹽法

  用寒鹽一斤,又作寒水石一斤,又作寒羽涅一斤,又作白礬一斤,合內鐵器中,以炭火火之,皆消而色赤,乃出之可用也。

  △角里先生從稷丘子所授化黃金法

  先以礬水石二分,內鐵器中,加炭火令沸,乃內汞多少自在,攪令相得,六七沸,注地上成白銀。乃取丹砂水曾青水各一分,雄黃水二分,於钅歷中加微火上令沸,數攪之,令相得,復加炭火上令沸,以此白銀內其中,多少自在,可六七沸,注地上凝,則成上色紫磨金也。

  △治作雄黃水法

  治雄黃內生竹筩中一斤,輒加消石二兩,覆薦上下,封以漆骨丸,內醇大醋中,埋之深三尺,二十日即化為水也。作曾青水方,及礬石水同法,但各異筩中耳。

  △小兒作黃金法

  作大鐵筩成,中一尺二寸,高一尺二寸。作小鐵筩成,中六寸,瑩磨之。赤石脂一斤,消石一斤,雲母一斤,代赭一斤,流黃半斤,空青四兩,凝水石一斤,皆合搗細篩,以醯和,塗之小筩中,厚二分。汞一斤,丹砂半斤,良非半斤。取良非法用鉛十斤內鐵釜中,居爐上露灼之,鉛銷,內汞三兩,早出者以鐵匙抄取之,名曰良非也。攪令相得,以汞不見為候,置小筩中,雲母覆其上,鐵蓋鎮之。取大筩居爐上,銷鉛注大筩中,沒小筩中,去上半寸,取銷鉛為候,猛火炊之,三日三夜成,名曰紫粉。取鉛十斤於鐵器中銷之,二十日上下,更內銅器中,須鉛銷,內紫粉七方寸匕,攪之,即成黃金也。欲作白銀者,取汞置鐵器中,內紫粉三寸已上,火令相得,注水中,即成銀也。

  △務成子法

  作鐵筩長九寸,逕五寸,搗雄黃三斤,蚓螻壤等分,作合以為泥,塗裹使徑三寸,匱口四寸,加丹砂水二合,覆馬通火上,令極乾,內銅筩中,塞以銅合蓋堅,以黃沙築上,覆以蚓壤重泥,上無令洩,置爐炭中,令有三寸炭,筩口赤,可寒發之,雄黃皆入著銅筩,復出入如前法。三斤雄黃精,皆下入著筩中,下提取與黃沙等分,合作以為爐,爐大小自在也。欲用之,置爐於炭火中,爐赤,內水銀,銀動則內鉛其中,黃從傍起交中央,注之於地,即成金。凡作一千五百斤,爐力即盡矣。此金取牡荊赤黍酒漬之,百日,即柔可和也。如小豆,服一丸,日三服,盡一斤,三蟲伏屍,百病皆去,盲者視,聾者聞,老者即還年如三十時,入火不灼,百邪眾毒、冷風暑濕、不能侵入;盡三斤,則步行水上,山川百神,皆來侍衛,壽與天地相畢。以杼血朱草煮一丸,以拭目眥,即見鬼及地中物,能夜書;以白羊血塗一丸,投水中,魚龍立出,可以取也;以青羊血丹雞血塗一丸,懸都門上,一里不疫;以塗牛羊六畜額上,皆不疫病,虎豹不犯也;以虎膽蛇肪塗一丸,從月建上以擲敵人之軍,軍即便無故自亂,相傷殺而走矣;以牛血塗一丸以投井中,井中即沸,以投流水,流水則逆流百步;以白犬血塗一丸,投社廟舍中,其鬼神即見,可以役使;以兔血塗一丸,置六陰之地,行廚玉女立至,可俟六七十人也;以鯉魚膽塗一丸,持入水,水為之開一丈,可得氣息水中以行,冒雨衣不霑也;以紫莧煮一丸,含咽其汁,可百日不饑;以慈石煮一丸,內髻中,以擊賊,白刃流矢不中之,有射之者,矢皆自向也;以六丁六壬上土並一丸,以蔽人中則隱形,含一丸,北向以噴火,火則滅;以庚辛日申酉時,向西地以一丸擲樹,樹木即日便枯;又以一丸,禹步擲虎狼蛇蝮,皆即死;研一丸以書石即入石,書金即入金,書木入木,所書皆徹其肌理,削治不可去也。卒死未經宿,以月建上水下一丸,令入咽喉,並含水噴死人面,即活。以狐血鶴血塗一丸,內爪中,以指萬物,隨口變化,即山行木徙,人皆見之,然而實不動也。凡作黃白,皆立太乙、玄女、老子坐醮祭,如作九丹法,常燒五香,香不絕。又金成,先以三斤投深水中,一斤投市中,然後方得恣其意用之耳。

抱朴子 內篇17~18

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 十 七 · 登 涉

  或問登山之道。抱朴子曰:「凡為道合藥,及避亂隱居者,莫不入山。然不知入山法者,多遇禍害。故諺有之曰,太華之下,白骨狼藉。皆謂偏知一事,不能博備,雖有求生之志,而反強死也。山無大小,皆有神靈,山大則神大,山小即神小也。入山而無術,必有患害。或被疾病及傷刺,及驚怖不安;或見光影,或聞異聲;或令大木不風而自摧折,岩石無故而自墮落,打擊煞人;或令人迷惑狂走,墮落坑谷;或令人遭虎狼毒蟲犯人,不可輕入山也。當以三月九月,此是山開月,又當擇其月中吉日佳時。若事久不得徐徐須此月者,但可選日時耳。凡人入山,皆當先齋潔七日,不經污穢,帶昇山符出門,作週身三五法。又五嶽有受殃之歲,如九州之地,更有衰盛,受飛符煞氣,則其地君長不可作也。按周公城名錄,天下分野,災之所及,可避不可禳,居宅亦然,山嶽皆爾也。又大忌不可以甲乙寅卯之歲,正月二月入東嶽;不以丙丁巳午之歲,四月五月入南嶽;不以庚辛申酉之歲,七月八月入西嶽;不以戊巳之歲,四季之月入中岳;不以壬癸亥子之歲,十月十一月入北嶽。不須入太華霍山恆山太山嵩高山,乃忌此歲,其岳之方面,皆同禁也。又萬物之老者,其精悉能假託人形,以眩惑人目而常試人,唯不能於鏡中易其真形耳。是以古之入山道士,皆以明鏡徑九寸已上,懸於背後,則老魅不敢近人。或有來試人者,則當顧視鏡中,其是仙人及山中好神者,顧鏡中故如人形。若是鳥獸邪魅,則其形貌皆見鏡中矣。又老魅若來,其去必卻行,行可轉鏡對之,其後而視之,若是老魅者,必無踵也,其有踵者,則山神也。昔張蓋蹋及偶高成二人,並精思於蜀云台山石室中,忽有一人著黃練單衣葛巾,往到其前曰,勞乎道士,乃辛苦幽隱!於是二人顧視鏡中,乃是鹿也。因問之曰:汝是山中老鹿,何敢詐為人形。言未絕,而來人即成鹿而走去。林慮山下有一亭,其中有鬼,每有宿者,或死或病,常夜有數十人,衣色或黃或白或黑,或男或女。後郅伯夷者過之宿,明燈燭而坐誦經,夜半有十餘人來,與伯夷對坐,自共樗蒲博戲,伯夷密以鏡照之,乃是群犬也。伯夷乃執燭起,佯誤以燭燼爇其衣,乃作燋毛氣。伯夷懷小刀,因捉一人而刺之,初作人叫,死而成犬,餘犬悉走,於是遂絕,乃鏡之力也。上士入山,持三皇內文及五嶽真形圖,所在召山神,及按鬼錄,召州社及山卿宅尉問之,則木石之怪,山川之精,不敢來試人。其次即立七十二精鎮符,以制百邪之章,及朱官印包元十二印,封所住之四方,亦百邪不敢近之也。其次執八威之節,佩老子玉策,則山神可使,豈敢為害乎?余聞鄭君之言如此,實復不能具知其事也。余師常告門人曰:「夫人求道,如憂家之貧,如愁位之卑者,豈有不得耶?但患志之不篤,務近忘遠,聞之則悅,倔倔前席,未久,則忽然若遺,毫釐之益未固,而丘山之損不已,亦安得窮至言之微妙,成罔極之峻崇乎?」

  抱朴子曰:「入山之大忌,正月午,二月亥,三月申,四月戌,五月未,六月卯,七月甲子,八月申子,九月寅,十月辰未,十一月己丑,十二月寅。入山良日:甲子、甲寅、乙亥、乙巳、乙卯、丙戌、丙午、丙辰,已上日大吉。」抱朴子曰:「按九天秘記及太乙遁甲云,入山大月忌:三日、十一日、十五日、十八日、二十四日、二十六日、三十日;小月忌:一日、五日、十三日、十六日、二十六日、二十八日。以此日入山,必為山神所試。又所求不得,所作不成。不但道士,凡人以此日入山,皆凶害,與虎狼毒蟲相遇也。」

  抱朴子曰:「天地之情狀,陰陽之吉凶,茫茫乎其亦難詳也,吾亦不必謂之有,又亦不敢保其無也。然黃帝太公皆所信仗,近代達者嚴君平司馬遷皆所據用,而經傳有治歷明時剛柔之日。古言曰,吉日惟戊。有自來矣。王者立太史之官,封拜置立,有事宗廟,郊祀天地,皆擇良辰;而近才庸夫,自許脫俗,舉動所為,恥揀善日,不亦戇愚哉?每伺今入山,不得其良時日交,下有其驗,不可輕入也。按玉鈐經云,欲入名山,不可不知遁甲之秘術,而不為人委曲說其事也。而靈寶經云,入山當以保日及義日,若專日者大吉,以制日伐日必死,又不一一道之也。余少有入山之志,由此乃行學遁甲書,乃有六十餘卷,事不可卒精,故鈔集其要,以為囊中立成,然不中以筆傳。今論其較略,想好事者欲入山行,當訪索知之者,亦終不乏於世也。遁甲中經曰,欲求道,以天內日天內時,劾鬼魅,施符書;以天禽日天禽時入名山,欲令百邪虎狼毒蟲盜賊,不敢近人者。出天藏,入地戶。凡六癸為天藏,六己為地戶也。又曰,避亂世,絕跡於名山,令無憂患者,以上元丁卯日,名曰陰德之時,一名天心,可以隱淪,所謂白日陸沈,日月無光,人鬼不能見也。又曰,求仙道入名山者,以六癸之日六癸之時,一名天公日,必得度世也。又曰,往山林中,當以左手取青龍上草,折半置逢星下,歷明堂入太陰中,禹步而行,三祝曰,諾皋大陰,將軍獨聞,曾孫王甲,勿開外人;使人見甲者,以為束薪;不見甲者,以為非人。則折所持之草置地上,左手取土以傅鼻人中,右手持草自蔽,左手著前,禹步而行,到六癸下,閉氣而住,人鬼不能見也。凡六甲為青龍,六乙為逢星,六丙為明堂,六丁為陰中也。ⅤⅥ比成既濟卦,初一初二跡不任九跡數,然相因仍一步七尺。又云,一尺合二丈一尺,顧視九跡。又禹步法:正立,右足在前,左足在後,次復前右足,以左足從右足並,是一步也。次復前右足,次前左足,以右足從左足並,是二步也。次復前右足,以左足從右足並,是三步也。如此,禹步之道畢矣。凡作天下百術,皆宜知禹步,不獨此事也。」

  抱朴子曰:「靈寶經曰,所謂寶日者,謂支幹上生下之日也,若用甲午乙巳之日是也。甲者,木也。午者,火也。乙亦木也,巳亦火也,火生於木故也。又謂義日者,支幹下生上之日也,若壬申癸酉之日是也。壬者,水也。申者,金也。癸者,水也。酉者,金也,水生於金故也。所謂制日者,支幹上克下之日也。若戊子己亥之日是也。戊者,土也。子者,水也。己亦土也,亥亦水也,五行之義,土克水也。所謂伐日者,支幹下克上之日,若甲申乙酉之日是也。甲者,木也。申者,金也。乙亦木也,酉亦金也,金克木故也。他皆仿此,引而長之,皆可知之也。」

  抱朴子曰:「入名山,以甲子開除日,以五色繒各五寸,懸大石上,所求必得。又曰,入山宜知六甲秘祝。祝曰,臨兵斗者,皆陣列前行。凡九字,常當密祝之,無所不辟。要道不煩,此之謂也。」

  抱朴子曰:「山中山精之形,如小兒而獨足,走向後,喜來犯人。人入山,若夜聞人音聲大語,其名曰蚑,知而呼之,即不敢犯人也。一名熱內,亦可兼呼之。又有山精,如鼓赤色,亦一足,其名曰暉。又或如人,長九尺,衣裘戴笠,名曰金累。或如龍而五色赤角,名曰飛飛,見之皆以名呼之,即不敢為害也。」

  抱朴子曰:「山中有大樹,有能語者,非樹能語也,其精名曰雲陽,呼之則吉。山中夜見火光者,皆久枯木所作,勿怪也。山中夜見胡人者,銅鐵之精。見秦者,百歲木之精。勿怪之,並不能為害。山水之閒見吏人者,名曰四徼,呼之名即吉。山中見大蛇著冠幘者,名曰升卿,呼之即吉。山中見吏,若但聞聲不見形,呼人不止,以白石擲之則息矣;一法以葦為矛以刺之即吉。山中見鬼來喚人,求食不止者,以白茅投之即死也。山中鬼常迷惑使失道徑者,以葦杖投之既死也。山中寅日,有自稱虞吏者,虎也。稱當路君者,狼也。稱令長者,老狸也。卯日稱丈人者,兔也。稱東王父者,麋也。稱西王母者,鹿也。辰日稱雨師者,龍也。稱河伯者,魚也。稱無腸公子者,蟹也。巳日稱寡人者,社中蛇也。稱時君者,龜也。午日稱三公者,馬也。稱仙人者,老樹也。未日稱主人者,羊也。稱吏者,獐也。申日稱人君者,猴也。稱九卿者,猿也。酉日稱將軍者,老雞也。稱捕賊者,雉也。戌日稱人姓字者,犬也。稱成陽公者,狐也。亥日稱神君者,豬也。稱婦人者,金玉也。子日稱社君者,鼠也。稱神人者,伏翼也。丑日稱書生者,牛也。但知其物名,則不能為害也。」

  或問隱居山澤辟蛇蝮之道。抱朴子曰:「昔圓丘多大蛇,又生好藥,黃帝將登焉,廣成子教之佩雄黃,而眾蛇皆去。今帶武都雄黃,色如雞冠者五兩以上,以入山林草木,則不畏蛇。蛇若中人,以少許雄黃末內瘡中,亦登時愈也。蛇種雖多,唯有蝮蛇及青金蛇中人為至急,不治之,一日則煞人。人不曉治之方術者,而為此二蛇所中,即以刀割所傷瘡肉以投地,其肉沸如火炙,須臾焦盡,而人得活。此蛇七八月毒盛之時,不得咬人,而其毒不洩,乃以牙咬大竹及小木,皆即燋枯。今為道士人入山,徒知大方,而不曉辟之之道,亦非小事也。未入山,當預止於家,先學作禁法,思日月及朱雀玄武青龍白虎,以衛其身,乃行到山林草木中,左取三口氣閉之,以吹山草中,意思令此氣赤色如雲霧,彌滿數十里中。若有從人,無多少皆令羅列,以氣吹之,雖踐蛇,蛇不敢動,亦略不逢見蛇也。若或見蛇,因向日左取三氣閉之,以舌柱天,以手捻都關,又閉天門,塞地戶,因以物抑蛇頭而手縈之,畫地作獄以盛之,亦可捉弄也。雖繞頭頸,不敢咬人也。自不解禁,吐氣以吹之,亦終不得復出獄去也。若他人為蛇所中,左取三口氣以吹之,即愈不復痛。若相去十數里者,亦可遙為作氣,呼彼姓字,男祝我左手,女祝我右手,彼亦愈也。介先生法,到山中住,思作五色蛇各一頭,乃閉氣以青竹及小木板屈刺之,左徊禹步,思作吳蚣數千板,以衣其身,乃去,終亦不逢蛇也。或以乾姜附子帶之肘後,或燒牛羊鹿角薰身,或帶王方平雄黃丸,或以豬耳中垢及麝香丸著足爪甲中,皆有效也。又麝及野豬皆啖蛇,故以厭之也。又云日鳥及蠳龜,亦皆啖蛇。故南人入山,皆帶蠳龜之尾,云日之喙以辟蛇。蛇中人,刮此二物以塗其瘡,亦登時愈也。云日,鴆鳥之別名也。又南人入山,皆以竹管盛活蜈蚣,蜈蚣知有蛇之地,便動作於管中,如此則詳視草中,必見蛇也。大蛇丈餘,身出一圍者,蜈蚣見之,而能以氣禁之,蛇即死矣。蛇見蜈蚣在涯岸間,大蛇走入川谷深水底逃,其蜈蚣但浮水上禁,人見有物正青,大如綖者,直下入水至蛇處,須臾蛇浮出而死。故南人因此末蜈蚣治蛇瘡,皆登愈也。」

  或問曰:「江南山谷之閒,多諸毒惡,辟之有道乎?」抱朴子答曰:「中州高原,土氣清和,上國名山,了無此輩。今吳楚之野,暑濕郁蒸,雖衡霍正岳,猶多毒蜇也。又有短狐,一名蜮,一名射工,一名射影,其實水蟲也,狀如鳴蜩,狀似三合杯,有翼能飛,無目而利耳,口中有橫物角弩,如聞人聲,緣口中物如角弩,以氣為矢,則因水而射人,中人身者即發瘡,中影者亦病,而不即發瘡,不曉治之者煞人。其病似大傷寒,不十日皆死。又有沙虱,水陸皆有,其新雨後及晨暮前,跋涉必著人,唯烈日草燥時,差稀耳。其大如毛髮之端,初著人,便入其皮裡,其所在如芒刺之狀,小犯大痛,可以針挑取之,正赤如丹,著爪上行動也。若不挑之,蟲鑽至骨,便周行走入身,其與射工相似,皆煞人。人行有此蟲之地,每還所住,輒當以火炙燎令遍身,則此蟲墮地也。若帶八物麝香丸、及度世丸、及護命丸、及玉壺丸、犀角丸、及七星丸、及薺苨,皆辟沙虱短狐也。若卒不能得此諸藥者,但可帶好生麝香亦佳。以雄黃大蒜等分合搗,帶一丸如雞子大者亦善。若已為所中者,可以此藥塗瘡亦愈。父咀赤莧汁,飲之塗之亦愈。五茄根及懸鉤草葍籐,此三物皆可各單行,可以搗服其汁一二升。又射工蟲冬天蟄於山谷間,大雪時索之,此蟲所在,其雪不積留,氣起如灼蒸,當掘之,不過入地一尺則得也,陰乾末帶之,夏天自辟射工也。若道士知一禁方,及洞百禁,常存禁及守真一者,則百毒不敢近之,不假用諸藥也。」

  或問:「道士山居,棲巖庇岫,不必有絪縟之溫,直使我不畏風濕,敢問其術也?」抱朴子曰:「金餅散、三陽液、昌辛丸、葷草耐冬煎、獨搖膏、茵芋玄華散、秋地黃血丸,皆不過五十日服之而止,可以十年不畏風濕。若服金丹大藥,雖未昇虛輕舉,然體不受疾,雖當風臥濕。不能傷也。服此七藥,皆謂始學道者耳。姚先生但服三陽液,便袒臥冰上,了不寒振。此皆介先生及梁有道臥石上,及秋冬當風寒,已試有驗,秘法也。」

  或問涉江渡海辟蛇龍之道。抱朴子曰:「道士不得已而當游涉大川者,皆先當於水次,破雞子一枚,以少許粉雜香末,合攪器水中,以自洗濯,則不畏風波蛟龍也。又佩東海小童符、及制水符、蓬萊札,皆卻水中之百害也。又有六甲三金符、五木禁。又法,臨川先祝曰:卷蓬卷蓬,河伯導前辟蛟龍,萬災消滅天清明。又金簡記云,以五月丙午日日中,搗五石,下其銅。五石者,雄黃、丹砂、雌黃、礬石、曾青也。皆粉之,以金華池浴之,內六一神爐中鼓下之,以桂木燒為之,銅成以剛炭煉之,令童男童女進火,取牡銅以為雄劍,取牝銅以為雌劍,各長五寸五分,取土之數,以厭水精也。帶之以水行,則蛟龍巨魚水神不敢近人也。欲知銅之牝牡,當令童男童女俱以水灌銅,灌銅當以在火中向赤時也,則銅自分為兩段,有凸起者牡銅也,有凹陷者牝銅也,各刻名識之。欲入水,以雄者帶左,以雌者帶右。但乘船不身涉水者,其陽日帶雄,陰日帶雌。又天文大字,有北帝書,寫帛而帶之,亦辟風波蛟龍水蟲也。」或問曰:辟山川廟堂百鬼之法。抱朴子曰:「道士常帶天水符、及上皇竹使符、老子左契、及守真一思三部將軍者,鬼不敢近人也。其次則論百鬼錄,知天下鬼之名字,及白澤圖九鼎記,則眾鬼自卻。其次服鶉子赤石丸、及曾青夜光散、及蔥實烏眼丸、及吞白石英祇母散,皆令人見鬼,即鬼畏之矣。」抱朴子曰:「有老君黃庭中胎四十九真秘符,入山林,以甲寅日丹書白素,夜置案中,向北斗祭之,以酒脯各少少,自說姓名,再拜受取,內衣領中,辟山川百鬼萬精虎狼蟲毒也。何必道士,亂世避難入山林,亦宜知此法也。」

  △入山符

  抱朴子曰:「上五符,皆老君入山符也。以丹書桃板上,大書其文字,令彌滿板上,以著門戶上,及四方四隅,及所道側要處,去所住處,五十步內,辟山精鬼魅。戶內樑柱,皆可施安。凡人居山林及暫入山,皆可用,即眾物不敢害也。三符以相連著一板上。意謂爾非葛氏。」

  抱朴子曰:「此符亦是老君入山符,戶內樑柱皆可施。凡人居山林及暫入山,皆宜用之也。」

  抱朴子曰:「此是仙人陳安世所授入山辟虎狼符,以丹書絹二符,各異之。常帶著所住之處,各四枚。移涉當拔收之以去,大神秘也。開山符以千歲虆名山之門,開寶書古文金玉,皆見秘之。右一法如此,大同小異。」

  抱朴子曰:「此符是老君所戴,百鬼及蛇蝮虎狼神印也。以棗心木方二寸刻之,再拜而帶之,甚有神效。仙人陳安世符矣。」

  △入山佩帶符

  此三符,兼同著牛馬屋左右前後及豬欄上,辟虎狼也。或問曰:「昔聞談昌,或步行水上,或久居水中,以何法乎?」抱朴子曰:「以蔥涕和桂,服如梧桐子大七丸,日三服,至三年,則能行水上也。鄭君言但習閉氣至千息,久久則能居水中一日許。得真通天犀角三寸以上,刻以為魚,而銜之以入水,水常為人開,方三尺,可得氣息水中。又通天犀角有一赤理如綖,有自本徹末,以角盛米置群雞中,雞欲啄之,未至數寸,即驚卻退。故南人或名通天犀為駭雞犀。以此犀角著穀積上,百鳥不敢集。大霧重露之夜,以置中庭,終不沾濡也。此犀獸在深山中,晦冥之夕,其光正赫然如炬火也。以其角為叉導,毒藥為湯,以此叉導攪之,皆生白沫湧起,則了無復毒勢也。以攪無毒物,則無沫起也。故以是知之者也。若行異域有蠱毒之鄉,每於他家飲食,則常先以犀攪之也。人有為毒箭所中欲死,以此犀叉刺瘡中,其瘡即沫出而愈也。通天犀所以能煞毒者,其為獸專食百草之有毒者,及眾木有刺棘者,不妄食柔滑之草木也。歲一解角於山中石閒,人或得之,則須刻木色理形狀,令如其角以代之,犀不能覺,後年輒更解角著其處也。他犀亦辟惡解毒耳,然不能如通天者之妙也。或食六戊符千日,或以赤班蜘蛛及七重水馬,以合馮夷水仙丸服之,則亦可以居水中,只以塗蹠下,則可以步行水上也。頭垢猶足以使金鐵浮水,況妙於茲乎?」

  或問:「為道者多在山林,山林多虎狼之害也,何以辟之?」抱朴子曰:「古之人入山者,皆佩黃神越章之印,其廣四寸,其字一百二十,以封泥著所住之四方各百步,則虎狼不敢近其內也。行見新虎跡,以印順印之,虎即去;以印逆印之,虎即還;帶此印以行山林,亦不畏虎狼也。不但只辟虎狼,若有山川社廟血食惡神能作福禍者,以印封泥,斷其道路,則不復能神矣。昔石頭水有大黿,常在一深潭中,人因名此潭為黿潭。此物能作鬼魅,行病於人。吳有道士戴昺者,偶視之,以越章封泥作數百封,乘舟以此封泥遍擲潭中,良久,有大黿徑長丈餘,浮出不敢動,乃格煞之,而病者並愈也。又有小黿出,羅列死於渚上甚多。山中卒逢虎,便作三五禁,虎亦即卻去。三五禁法,當須口傳,筆不能委曲矣。一法,直思吾身為朱鳥,令長三丈,而立來虎頭上,因即閉氣,虎即去。若暮宿山中者,密取頭上釵,閉氣以刺白虎上,則亦無所畏。又法,以左手持刀閉氣,畫地作方,祝曰,恆山之陰,太山之陽,盜賊不起,虎狼不行,城郭不完,閉以金關,因以刀橫旬日中白虎上,亦無所畏也。或用大禁,吞三百六十氣,左取右以叱虎,虎亦不敢起。以此法入山,亦不畏虎。或用七星虎步,及玉神符、八威五勝符、李耳太平符、中黃華蓋印文、及石流黃散,燒牛羊角,或立西嶽公禁山符,皆有驗也。闕此四符也。」

  此符是老君入山符,下說如文。又可戶內樑柱皆施之。凡人居山林及暫入,皆可用之。

卷 十 八 · 地 真

  抱朴子曰:「余聞之師云,人能知一,萬事畢。知一者,無一之不知也。不知一者,無一之能知也。道起於一,其貴無偶,各居一處,以象天地人,故曰三一也。天得一以清,地得一以寧,人得一以生,神得一以靈。金沈羽浮,山峙川流,視之不見,聽之不聞,存之則在,忽之則亡,向之則吉,背之則凶,保之則遐祚罔極,失之則命彫氣窮。老君曰:忽兮恍兮,其中有象;恍兮忽兮,其中有物。一之謂也。故仙經曰:子欲長生,守一當明;思一至饑,一與之糧;思一至渴,一與之漿。一有姓字服色,男長九分,女長六分,或在臍下二寸四分下丹田中,或在心下絳宮金闕中丹田也,或在人兩眉閒,卻行一寸為明堂,二寸為洞房,三寸為上丹田也。此乃是道家所重,世世歃血口傳其姓名耳。一能成陰生陽,推步寒暑。春得一以發,夏得一以長,秋得一以收,冬得一以藏。其大不可以六合階,其小不可以毫芒比也。昔黃帝東到青丘,過風山,見紫府先生,受三皇內文,以劾召萬神,南到圓隴陰建木,觀百靈之所登,采若乾之華,飲丹巒之水;西見中黃子,受九加之方,過崆峒,從廣成子受自然之經;北到洪隄,上具茨,見大隗君黃蓋童子,受神芝圖,還陟王屋,得神丹金訣記。到峨眉山,見天真皇人於玉堂,請問真一之道。皇人曰:子既君四海,欲復求長生,不亦貪乎?其相覆不可具說,粗舉一隅耳。夫長生仙方,則唯有金丹;守形卻惡,則獨有真一,故古人尤重也。仙經曰:九轉丹,金液經,守一訣,皆在崑崙五城之內,藏以玉函,刻以金札,封以紫泥,印以中章焉。吾聞之於先師曰:一在北極大淵之中,前有明堂,後有絳宮;巍巍華蓋,金樓穹隆;左罡右魁,激波揚空;玄芝被崖,朱草蒙瓏;白玉嵯峨,日月垂光;歷火過水,經玄涉黃;城闕交錯,帷帳琳琅;龍虎列衛,神人在傍;不施不與,一安其所;不遲不疾,一安其室;能暇能豫,一乃不去;守一存真,乃能通神;少欲約食,一乃留息;白刃臨頸,思一得生;知一不難,難在於終;守之不失,可以無窮;陸辟惡獸,水卻蛟龍;不畏魍魎,挾毒之蟲;鬼不敢近,刃不敢中。此真一之大略也。」

  抱朴子曰:「吾聞之於師云,道術諸經,所思存念作,可以卻惡防身者,乃有數千法。如含影藏形,及守形無生,九變十二化二十四生等,思見身中諸神,而內視令見之法,不可勝計,亦各有效也。然或乃思作數千物以自衛,率多煩難,足以大勞人意。若知守一之道,則一切除棄此輩,故曰能知一則萬事畢者也。受真一口訣,皆有明文,歃白牲之血,以王相之日受之,以白絹白銀為約,剋金契而分之,輕說妄傳,其神不行也。人能守一,一亦守人。所以白刃無所措其銳,百害無所容其凶,居敗能成,在危獨安也。若在鬼廟之中,山林之下,大疫之地,塚墓之閒,虎狼之藪,蛇蝮之處,守一不怠,眾惡遠迸。若忽偶忘守一,而為百鬼所害。或臥而魘者,即出中庭視輔星,握固守一,鬼即去矣。若夫陰雨者,但止室中,向北思見輔星而已。若為兵寇所圍,無復生地,急入六甲陰中,伏而守一,則五兵不能犯之也。能守一者,行萬里,入軍旅,涉大川,不須卜日擇時,起工移徙,入新屋舍,皆不復按堪輿星歷,而不避太歲太陰將軍、月建煞耗之神,年命之忌,終不復值殃咎也。先賢歷試有驗之道也。」

  抱朴子曰:「玄一之道,亦要法也。無所不辟,與真一同功。吾內篇第一名之為暢玄者,正以此也。守玄一復易於守真一。真一有姓字長短服色目,玄一但此見之。初求之於日中,所謂知白守黑,欲死不得者也。然先當百日潔齋,乃可候求得之耳,亦不過三四日得之,得之守之,則不復去矣。守玄一,並思其身,分為三人,三人已見,又轉益之,可至數十人,皆如己身,隱之顯之,皆自有口訣,此所謂分形之道。左君及薊子訓葛仙公所以能一日至數十處,及有客座上,有一主人與客語,門中又有一主人迎客,而水側又有一主人投釣,賓不能別何者為真主人也。師言守一兼修明鏡,其鏡道成則能分形為數十人,衣服面貌,皆如一也。」

  抱朴子曰:「師言欲長生,當勤服大藥,欲得通神,當金水分形。形分則自見其身中之三魂七魄,而天靈地祇,皆可接見,山川之神,皆可使役也。」

  抱朴子曰:「生可惜也,死可畏也。然長生養性辟死者,亦未有不始於勤,而終成於久視也。道成之後,略無所為也。未成之閒,無不為也。採掘草木之藥,劬勞山澤之中,煎餌治作,皆用筋力,登危涉險,夙夜不怠,非有至志,不能久也。及欲金丹成而昇天,然其大藥物,皆用錢直,不可卒辦。當復由於耕牧商販以索資,累年積勤,然後可合。及於合作之日,當復齋潔清淨,斷絕人事。有諸不易,而當復加之以思神守一,卻惡衛身,常如人君之治國,戎將之待敵,乃可為得長生之功也。以聰明大智,任經世濟俗之器,而修此事,乃可必得耳。淺近庸人,雖有志好,不能克終矣。故一人之身,一國之象也。胸腹之位,猶宮室也。四肢之列,猶郊境也。骨節之分,猶百官也。神猶君也,血猶臣也,氣猶民也。故知治身,則能治國也。夫愛其民所以安其國,養其氣所以全其身。民散則國亡,氣竭即身死,死者不可生也,亡者不可存也。是以至人消未起之患,治未病之疾,醫之於無事之前,不追之於既逝之後。民難養而易危也,氣難清而易濁也。故審威德所以保社稷,割嗜欲所以固血氣。然後真一存焉,三七守焉,百害卻焉,年命延矣。」

  抱朴子曰:「師言服金丹大藥,雖未去世,百邪不近也。若但服草木及小小餌八石,適可令疾除命益耳,不足以禳外來之禍也。或為鬼所冒犯,或為大山神之所輕凌,或為精魅所侵犯,唯有守真一,可以一切不畏此輩也。次則有帶神符。若了不知此二事以求長生,危矣哉。四門而閉其三,盜猶得入,況盡開者邪?」

抱朴子 外篇19~20

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

卷 十 九 · 遐 覽

  或曰:「鄙人面牆,拘繫儒教,獨知有五經三史百氏之言,及浮華之詩賦,無益之短文,盡思守此,既有年矣。既生值多難之運,亂靡有定,干戈戚揚,藝文不貴,徒消工夫,苦意極思,攻微索隱,竟不能祿在其中,免此壟畝;又有損於精思,無益於年命,二毛告暮,素志衰頹,正欲反迷,以尋生道,倉卒罔極,無所趨向,若涉大川,不如攸濟。先生既窮觀墳典,又兼綜奇秘,不審道書,凡有幾卷,願告篇目。」

  抱朴子曰:「余亦與子同斯疾者也。昔者幸遇明師鄭君,但恨弟子不慧,不足以鑽至堅極彌高耳。於時雖充門人之灑掃,既才識短淺,又年尚少壯,意思不專,俗情未盡,不能大有所得,以為巨恨耳。鄭君時年出八十,先髮鬢班白,數年閒又黑,顏色豐悅,能引強弩射百步,步行日數百里,飲酒二斗不醉。每上山,體力輕便,登危越險,年少追之,多所不及。飲食與凡人不異,不見其絕穀。余問先隨之弟子黃章,言鄭君嘗從豫章還,於掘溝浦中,連值大風。又聞前多劫賊,同侶攀留鄭君,以須後伴,人人皆以糧少,鄭君推米以恤諸人,己不復食,五十日亦不饑。又不見其所施為,不知以何事也。火下細書,過少年人。性解音律,善鼓琴,閒坐,侍坐數人,口答諮問,言不輟響,而耳並料聽,左右操弦者,教遣長短,無毫釐差過也。余晚充鄭君門人,請見方書,告余曰:要道不過尺素,上足以度世,不用多也。然博涉之後,遠勝於不見矣。既悟人意,又可得淺近之術,以防初學未成者諸患也。乃先以道家訓教戒書不要者近百卷,稍稍示余。余亦多所先見,先見者頗以其中疑事諮問之。鄭君言:君有甄事之才,可教也。然君所知者,雖多未精,又意在於外學,不能專一,未中以經深涉遠耳,今自當以佳書相示也。又許漸得短書縑素所寫者,積年之中,合集所見,當出二百許卷,終不可得也。他弟子皆親僕使之役,采薪耕田,唯余尪羸,不堪他勞,然無以自效,常親掃除,拂拭床幾,磨墨執燭,及與鄭君繕寫故書而已。見待余同於先進者,語余曰,雜道書卷卷有佳事,但當校其精粗,而擇所施行,不事盡諳誦,以妨日月而勞意思耳。若金丹一成,則此輩一切不用也。亦或當有所教授,宜得本末,先後淺始,以勸進學者,無所希准階由也。鄭君亦不肯先令人寫其書,皆當決其意,雖久借之,然莫有敢盜寫一字者也。鄭君本大儒士也,晚而好道,由以禮記尚書教授不絕。其體望高亮,風格方整,接見之者皆肅然。每有諮問,常待其溫顏,不敢輕銳也。書在余處者,久之一月,足以大有所寫,以不敢竊寫者,政以鄭君聰敏,邂逅知之,失其意則更以小喪大也。然於求受之初,復所不敢,為斟酌時有所請耳。是以徒知飲河,而不得滿腹。然弟子五十餘人,唯余見受金丹之經及三皇內文枕中五行記,其餘人乃有不得一觀此書之首題者矣。他書雖不具得,皆疏其名,今將為子說之,後生好書者,可以廣索也。

  道經有三皇內文天地人三卷、元文上中下三卷、混成經二卷、玄錄二卷、九生經、二十四生經、九仙經、靈卜仙經、十二化經、九變經、老君玉歷真經、墨子枕中五行記五卷、溫寶經、息民經、自然經、陰陽經、養生書一百五卷、太平經五十卷、九敬經、甲乙經一百七十卷、青龍經、中黃經、太清經、通明經、按摩經、道引經十卷、元陽子經、玄女經、素女經、彭祖經、陳赦經、子都經、張虛經、天門子經、容成經、入山經、內寶經、四規經、明鏡經、日月臨鏡經、五言經、柱中經、靈寶皇子心經、龍蹻經、正機經、平衡經、飛龜振經、鹿盧蹻經、蹈形記、守形圖、坐亡圖、觀臥引圖、含景圖、觀天圖、木芝圖、菌芝圖、肉芝圖、石芝圖、大魄雜芝圖、五嶽經五卷、隱守記、東井圖、虛元經、牽牛中經、王彌記、臘成記、六安記、鶴鳴記、平都記、定心記、龜文經、山陽記、玉策記、八史圖、入室經、左右契、玉歷經、昇天儀、九奇經、更生經、四衿經十卷、食日月精經、食六氣經、丹一經、胎息經、行氣治病經、勝中經十卷、百守攝提經、丹壺經、岷山經、魏伯陽內經、日月廚食經、步三罡六紀經、入軍經、六陰玉女經、四君要用經、金雁經、三十六水經、白虎七變經、道家地行仙經、黃白要經、八公黃白經、天師神器經、枕中黃白經五卷、白子變化經、移災經、厭禍經、中黃經、文人經、涓子天地人經、崔文子肘後經、神光占方來經、水仙經、屍解經、中遁經、李君包天經、包元經、黃庭經、淵體經、太素經、華蓋經、行廚經、微言三卷、內視經、文始先生經、歷藏延年經、南闊記、協龍子記七卷、九宮五卷、三五中經、宣常經、節解經、鄒陽子經、玄洞經十卷、玄示經十卷、箕山經十卷、鹿台經、小僮經、河洛內記七卷、舉形道成經五卷、道機經五卷、見鬼記、無極經、宮氏經、真人玉胎經、道根經、候命圖、反胎胞經、枕中清記、幻化經、詢化經、金華山經、鳳網經、召命經、保神記、鬼谷經、凌霄子安神記、去丘子黃山公記、王子五行要真經、小餌經、鴻寶經、鄒生延命經、安魂記、皇道經、九陰經、雜集書錄、銀函玉匱記金板經、黃老仙錄、原都經、玄元經、日精經、渾成經、三屍集、呼身神治百病經、收山鬼老魅治邪精經三卷、入五毒中記、休糧經三卷、采神藥治作秘法三卷、登名山渡江海敕地神法三卷、趙太白囊中要五卷、入溫氣疫病大禁七卷、收治百鬼召五嶽丞太山主者記三卷、興利宮宅官捨法五卷、斷虎狼禁山林記、召百里蟲蛇記、萬畢高丘先生法三卷、王喬養性治身經三卷、服食禁忌經、立功益筭經、道士奪筭律三卷、移門子記、鬼兵法、立亡術、練形記五卷、郤公道要、角里先生長生集、少君道意十卷、樊英石壁文三卷、思靈經三卷、龍首經、荊山記、孔安仙淵赤斧子大覽七卷、董君地仙卻老要記、李先生口訣肘後二卷。凡有不言卷數者,皆一卷也。

  其次有諸符,則有自來符、金光符、太玄符三卷、通天符、五精符、石室符、玉策符、枕中符、小童符、九靈符、六君符、玄都符、黃帝符、少千三十六將軍符、延命神符、天水神符、四十九真符、天水符、青龍符、白虎符、朱雀符、玄武符、朱胎符、七機符、九天發兵符、九天符、老經符、七符、大捍厄符、玄子符、武孝經燕君龍虎三囊辟兵符、包元符、沈羲符、禹蹻符、消災符、八卦符、監乾符、雷電符、萬畢符、八威五勝符、威喜符、巨勝符、采女符、玄精符、玉歷符、北台符、陰陽大鎮符、枕中符、治百病符十卷、厭怪符十卷、壺公符二十卷、九台符九卷、六甲通靈符十卷、六陰行廚龍胎石室三金五木防終符合五百卷、軍火召治符、玉斧符十卷,此皆大符也。其餘小小,不可具記。」抱朴子曰:「鄭君言符出於老君,皆天文也。老君能通於神明,符皆神明所授。今人用之少驗者,由於出來歷久,傳寫之多誤故也。又信心不篤,施用之亦不行。又譬之於書字,則符誤者,不但無益,將能有害也。書字人知之,猶尚寫之多誤。故諺曰,書三寫,魚成魯,虛成虎,此之謂也。七與士,但以倨勾長短之閒為異耳。然今符上字不可讀,誤不可覺,故莫知其不定也。世閒又有受體使術,用符獨效者,亦如人有使麝香便能芳者,自然不可得傳也。雖爾,必得不誤之符,正心用之。但當不及真體使之者速效耳,皆自有益也。凡為道士求長生,志在藥中耳,符劍可以卻鬼辟邪而已。諸大符乃云行用之可以得仙者,亦不可專據也。昔吳世有介象者,能讀符文,知誤之與否。有人試取治百病雜符及諸厭劾符,去其簽題以示象,皆一一據名之。其有誤者,便為人定之。自是以來,莫有能知者也。」

  或問:「仙藥之大者,莫先於金丹,既聞命矣,敢問符書之屬,不審最神乎?」抱朴子曰:「余聞鄭君言,道書之重者,莫過於三皇內文五嶽真形圖也。古人仙官至人,尊秘此道,非有仙名者,不可授也。受之四十年一傳,傳之歃血而盟,委質為約。諸名山五嶽,皆有此書,但藏之於石室幽隱之地,應得道者,入山精誠思之,則山神自開山,令人見之。如帛仲理者,於山中得之,自立壇委絹,常畫一本而去也。有此書,常置清潔之處。每有所為,必先白之,如奉君父。其經曰,家有三皇文,辟邪惡鬼,溫疫氣,橫殃飛禍。若有困病垂死,其信道心至者,以此書與持之,必不死也。其乳婦難艱絕氣者持之,兒即生矣。道士欲求長生,持此書入山,辟虎狼山精,五毒百邪,皆不敢近人。可以涉江海,卻蛟龍,止風波。得其法,可以變化起工。不問地擇日,家無殃咎。若欲立新宅及塚墓,即寫地皇文數十通,以布著地,明日視之,有黃色所著者,便於其上起工,家必富昌。又因他人葬時,寫人皇文,並書己姓名著紙裡,竊內人塚中,勿令人知之,令人無飛禍盜賊也。有謀議己者,必反自中傷。又此文先潔齋百日,乃可以召天神司命及太歲,日游五嶽四瀆,社廟之神,皆見形如人,可問以吉凶安危,及病者之禍祟所由也。又有十八字以著衣中,遠涉江海,終無風波之慮也。又家有五嶽真形圖,能辟兵凶逆,人欲害之者,皆還反受其殃。道士時有得之者,若不能行仁義慈心,而不精不正,即禍至滅家,不可輕也。

  其變化之術,大者唯有墨子五行記,本有五卷。昔劉君安未仙去時,鈔取其要,以為一卷。其法用藥用符,乃能令人飛行上下,隱淪無方,含笑即為婦人,蹙面即為老翁,踞地即為小兒,執杖即成林木,種物即生瓜果可食,畫地為河,撮壤成山,坐致行廚,興雲起火,無所不作也。其次有玉女隱微一卷,亦化形為飛禽走獸,及金木玉石,興雲致雨方百里,雪亦如之,渡大水不用舟梁,分形為千人,因風高飛,出入無閒,能吐氣七色,坐見八極,及地下之物,放光萬丈,冥室自明,亦大術也。然當步諸星數十,曲折難識,少能譜之。其淮南鴻寶萬畢,皆無及此書者也。又有白虎七變法,取三月三日所殺白虎頭皮,生扆血、虎血,紫綬,履組,流萍,以三月三日合種之。初生草似胡麻,有實,即取此實種之,一生輒一異。凡七種之,則用其實合之,亦可以移形易貌,飛沈在意,與墨子及玉女隱微略同,過此不足論也。」

  遐覽者,欲令好道者知異書之名目也。鄭君不徒明五經、知仙道而已,兼綜九宮三奇、推步天文、河洛讖記,莫不精研。太安元年,知季世之亂,江南將鼎沸,乃負笈持仙藥之撲,將入室弟子,東投霍山,莫知所在。

卷 二 十 · 袪 惑

  抱朴子曰:「凡探明珠,不於合浦之淵,不得驪龍之夜光也。采美玉,不於荊山之岫,不得連城之尺璧也。承師問道,不得其人,委去則遲遲冀於有獲,守之則終已竟無所成,虛費事妨功,後雖痛悔,亦不及已。世閒淺近之事,猶不可坐知,況神仙之事乎?雖聖雖明,莫由自曉,非可以歷思得也,非可以觸類求也。誠須所師,必深必博,猶涉滄海而挹水,造長林而伐木,獨以力劣為患,豈以物少為憂哉?夫虎豹之所餘,乃狸鼠之所爭也。陶朱之所棄,乃原顏之所無也。所從學者,不得遠識淵潭之門,而值孤陋寡聞之人,彼所知素狹,源短流促,倒裝與人,則靳靳不捨,分損以授,則淺薄無奇能,其所寶宿已不精,若復料其粗者以教人,亦安能有所成乎?譬如假穀於夷齊之門,告寒於黔婁之家,所得者不過橡栗縕褐,必無太牢之膳、錦衣狐裘矣。或有守事庸師,終不覺悟。或有幸值知者,不能勤求,此失之於不覺,不可追者也。知人之淺深,實復未易。古人之難,誠有以也。白石似玉,奸佞似賢。賢者愈自隱蔽,有而如無,奸人愈自衒沽,虛而類實,非至明者,何以分之?彼之守求庸師而不去者,非知其無知而故不止也,誠以為足事故也。見達人而不能奉之者,非知其實深而不能請之也,誠以為無異也。夫能知要道者,無慾於物也,不徇世譽也,亦何肯自摽顯於流俗哉?而淺薄之徒,率多夸誕自稱說,以厲色希聲飾其虛妄,足以眩惑晚學,而敢為大言。乃云,已登名山,見仙人。倉卒聞之,不能清澄檢校之者,鮮覺其偽也。余昔數見雜散道士輩,走貴人之門,專令從者作為空名,云其已四五百歲矣。人適問之年紀,佯不聞也,含笑俯仰,云八九十。須臾自言,我曾在華陰山斷穀五十年,復於嵩山少室四十年,復在泰山六十年,復與某人在箕山五十年,為同人遍說所歷,正爾,欲令人計合之,已數百歲人也。於是彼好之家,莫不煙起霧合,輻輳其門矣。

  又術士或有偶受體自然,見鬼神,頗能內占,知人將來及已過之事,而實不能有禍福之損益也。譬如蓍龜耳。凡人見其小驗,便呼為神人,謂之必無所不知。不爾者,或長於符水禁祝之法,治邪有效,而未必曉於不死之道也。或修行雜術,能見鬼怪,無益於年命。問之以金丹之道,則率皆不知也。因此細驗之,多行欺誑世人,以收財利,無所不為矣。此等與彼穿窬之盜,異途而同歸者也。夫託之於空言,不如著之於行事之有徵也,將為晚覺後學,說其比故,可徵之偽物焉。

  昔有古強者,服草木之方,又頗行容成玄素之法,年八十許,尚聰明不大羸老,時人便謂之為仙人,或謂之千載翁者。揚州稽使君聞而試迎之於宜都。既至,而咽嗚掣縮,似若所知實遠,而未皆吐盡者。於是好事者,因以聽聲而響集,望形而影附,雲萃霧合,競稱歎之,饋餉相屬,常餘金錢。雖欒李之見重於往漢,不足加也。常服天門冬不廢,則知其體中未嘗有金丹大藥也。而強曾略涉書記,頗識古事。自言已四千歲,敢為虛言,言之不怍。云已見堯舜禹湯,說之皆了了如實也。世云堯眉八采,不然也,直兩眉頭甚豎,似八字耳。堯為人長大美髭髯,飲酒一日中二斛餘,世人因加之云千鐘,實不能也,我自數見其大醉也。雖是聖人,然年老治事,轉不及少壯時。及見去四凶,舉元凱,賴用舜耳。舜是孤煢小家兒耳,然有異才,隱耕歷山,漁於雷澤,陶於海濱,時人未有能賞其奇者。我見之所在以德化民,其目又有重瞳子,知其大貴之相,常勸勉慰勞之。善崇高尚,莫憂不富貴,火德已終,黃精將起,誕承歷數,非子而誰!然其父至頑,其弟殊惡,恆以殺舜為事。吾常諫諭曰,此兒當興卿門宗,四海將受其賜,不但卿家,不可取次也。俄而受禪,嘗憶吾言之有徵也。又云:孔子母年十六七時,吾相之當生貴子,及生仲尼,真異人也,長九尺六寸,其顙似堯,其項似皋陶,其肩似子產,自腰以下不及禹三寸。雖然,貧苦孤微,然為兒童便好俎豆之事。吾知之必當成就。及其長大,高談驚人,遠近從之受學者,著錄數千人。我喜聽其語,數往從之,但恨我不學,不能與之覆疏耳。常勸我讀易云,此良書也,丘竊好之,韋編三絕,鐵撾三折,今乃大悟。魯哀公十四年,西狩獲麟,麟死。孔子以問吾,吾語之,言此非善祥也。孔子乃愴然而泣。後得惡夢,乃欲得見吾。時四月中盛熱,不能往,尋聞之病七日而沒,於今彷彿記其顏色也。又云:秦始皇將我到彭城,引出周時鼎。吾告秦始皇,言此鼎是神物也。有德則自出,無道則淪亡。君但修己,此必自來,不可以力致也。始皇當時大有怪吾之色,而牽之果不得出也。乃謝吾曰,君固是遠見理人也。又說漢高祖項羽皆分明,如此事類,不可具記。時人各共識之,以為戲笑。然凡人聞之,皆信其言。又強轉惛耄,廢忘事幾。稽使君曾以一玉卮與強,後忽語稽曰,昔安期先生以此物相遺。強後病於壽春黃整家而死。整疑其化去。一年許,試鑿其棺視之,其屍宛在矣。此皆有名無實,使世閒不信天下有仙,皆坐此輩以偽亂真也。

  成都太守吳文,說五原有蔡誕者,好道而不得佳師要事,廢棄家業,但晝夜誦詠黃庭、太清中經、觀天節詳之屬,諸家不急之書,口不輟誦,謂之道盡於此。然竟不知所施用者,徒美其浮華之說而愚人。又教之但讀千遍,自得其意,為此積久,家中患苦之,坐消衣食,而不能有異,己亦慚忿,無以自解,於是棄家,言仙道成矣。因走之異界深山中,又不曉採掘諸草木藥可以辟穀者,但行賣薪以易衣食,如是三年,饑凍辛苦,人或識之,而詭不知也。久不堪而還家,黑瘦而骨立,不似人。其家問之,從何處來,竟不得仙邪?因欺家云,吾未能昇天,但為地仙也。又初成位卑,應給諸仙先達者,當以漸遷耳。向者為老君牧數頭龍,一班龍五色最好,是老君常所乘者,令吾守視之,不勤,但與後進諸仙共博戲,忽失此龍,龍遂不知所在。為此罪見責,送吾付崑崙山下,芸鋤草三四頃,並皆生細,而中多荒穢,治之勤苦不可論,法當十年乃得原。會偓佺子王喬諸仙來按行,吾守請之,並為吾作力,且自放歸,當更自修理求去,於是遂老死矣。初誕還云,從崑崙來,諸親故競共問之,崑崙何似?答云:天不問其高幾里,要於仰視之,去天不過十數丈也。上有木禾,高四丈九尺,其穗盈車,有珠玉樹沙棠琅玕碧瑰之樹,玉李玉瓜玉桃,其實形如世閒桃李,但為光明洞徹而堅,須以玉井水洗之,便軟而可食。每風起,珠玉之樹,枝條花葉,互相扣擊,自成五音,清哀動心。吾見謫失志,聞此莫不愴然含悲。又見崑崙山上,一面輒有四百四十門,門廣四里,內有五城十二樓,樓下有青龍白虎,蜲蛇長百餘里,其中口牙皆如三百斛船,大蜂一丈,其毒煞象。又有神獸,名獅子辟邪、三鹿焦羊,銅頭鐵額、長牙鑿齒之屬,三十六種,盡知其名,則天下惡鬼惡獸,不敢犯人也。其神則有無頭子、倒景君、翕鹿公、中黃先生、與六門大夫。張陽字子淵,浹備玉闕,自不帶老君竹使符左右契者,不得入也。五河皆出山隅,弱水繞之,鴻毛不浮,飛鳥不過,唯仙人乃得越之。其上神鳥神馬,幽昌、鷦明、騰黃、吉光之輩,皆能人語而不死,真濟濟快仙府也,恨吾不得善周旋其上耳。於時聞誕此言了了,多信之者。

  又河東蒲阪有項●都者,與一子入山學仙,十年而歸家,家人問其故。●都曰:在山中三年精思,有仙人來迎我,共乘龍而昇天。良久,低頭視地,窈窈冥冥,上未有所至,而去地已絕遠。龍行甚疾,頭昂尾低,令人在其脊上,危怖嶮巇。及到天上,先過紫府,金床玉幾,晃晃昱昱,真貴處也。仙人但以流霞一杯與我,飲之輒不飢渴。忽然思家,到天帝前,謁拜失儀,見斥來還,令當更自修積,乃可得更復矣。昔淮南王劉安昇天見上帝,而箕坐大言,自稱寡人,遂見謫守天廚三年,吾何人哉!河東因號●都為斥仙人。世多此輩,種類非一,不可不詳也。此妄語乃爾,而人猶有不覺其虛者,況其微茫欺誑,頗因事類之像似者而加益之,非至明者,倉卒安能辨哉?乃復有假託作前世有名之道士者,如白和者,傳言已八千七百歲,時出俗閒,忽然自去,不知其在。其洛中有道士,已博涉眾事,洽煉術數者,以諸疑難諮問和,和皆尋聲為論釋,皆無疑礙,故為遠識。人但不知其年壽,信能近千年不啻耳。後忽去,不知所在。有一人於河北自稱為白和,於是遠近競往奉事之,大得致遺至當。而白和子弟,聞和再出,大喜,故往見之,乃定非也。此人因亡走矣。

  五經四部,並已陳之芻狗,既往之糟粕。所謂『跡』者,足之自出而非足也。『書』者聖人之所作而非聖也,而儒者萬里負笈以尋其師;況長生之道,真人所重,可不勤求足問者哉?然不可不精簡其真偽也!余恐古強、蔡誕、項●都、白和之不絕於世閒,好事者省余此書,可以少加沙汰其善否矣。又仙經云:仙人目瞳皆方。洛中見之白仲理者,為余說其瞳正方,如此果是異人也。」

抱朴子 內篇 附錄

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

附 錄

  ○抱朴子內篇佚文

  余手校抱朴子,因繙檢群書所引見,往往有今本所無者。隨見隨錄,省並複重,得百四十五事。輒依本書大例,以其言神仙黃白事者,為內篇佚文。其餘駮難通釋,為外篇佚文。各一卷。長白繼昌。(明案此錄系嚴可均代輯,見鐵橋漫稿卷六,參全晉文卷一百一十七)

  葛仙翁為丹書符投江中,順流而下。次投一符,逆流而上。次又投一符,不上不下,停住,而水中向二符皆還就之。舊寫本北堂書鈔一百三。

  魏武帝以左慈為妖妄,欲殺之,使軍人收之。慈故欲見而不去。欲拷之,而獄中有七慈,形狀如一,不知何者為真。以白武帝。帝使人盡殺之。須臾,六慈盡化為札,而一慈徑出,走赴羊群。舊寫本北堂書鈔一百四札篇,又御覽六百六。魏武收左慈,慈走入市。吏傳言慈一目眇,葛巾單衣。於是一市皆然也。御覽七百四十。

  城陽郤儉少時行獵,墮空塚中飢餓。見塚中先有大龜,數數回轉,所向無常,張口吞氣,或俛或仰。儉亦素聞龜能導引,乃試隨龜所為,遂不復饑。百餘日,頗苦極。後人有偶窺塚中,見儉而出之。後竟能嚥氣斷穀。魏王召御覽作拘,又作棄。置土室中,閉試之,一年不食,顏色悅澤,氣力自若。藝文類聚七十七,御覽七百二十,又九百三十一。

  吳世有姚光者,有火術。吳主躬臨試之。積荻數千束,光坐其上,又以數千束荻累之。因猛風燔之,火盡,謂光當已化為煙燼。而光恬然端坐灰中,振衣而起,把一卷書,吳主取而視之,不能解也。藝文類聚八十、又八十二。御覽八百七十一,又一千。

  李南乘赤馬行,道逢他人乘白馬者,白馬先鳴,赤馬應之。南謂從者曰,彼白馬言汝今當見一黃馬左目盲者,是吾子,可令使駛,行相及也。從者不信。須臾行二里,果逢所乘黃馬而左目盲。南之赤馬先鳴,而盲馬應之。問其子,疑作人。果向白馬子也。藝文類聚九十三,御覽八百九十七。

  王業疏疑當作為字。荊州卒,白虎三頭匍匐於輀下。舊寫本北堂書鈔三十五,此據嚴氏覆校補。

  案使者甘宗全晉文一百十七宗作祟。所奏西域事云,外國方士能神祝者,臨淵禹步吹氣,龍即浮出,其初出乃長十數丈。於是方士更一吹之,一吹則龍輒一縮。至長數寸,方士乃掇取著壺中。壺中或有四五龍,以少水養之,以疏物塞壺口。國常患旱災。於是方士聞餘國有少雨屢旱處,輒繼龍往賣之,一龍直金數十斤。舉國會斂以顧之直畢。乃發壺出一龍,著淵潭之中。因復禹步吹之,一吹一長,輒長數十丈,須臾而雲雨四集矣。藝文類聚九十六,御覽十一,七百三十六,九百二十九。天陵偃蓋之松,大谷倒生之柏,皆為天齊其長,地等其久。藝文類聚八十八,此據嚴氏覆校補。

  薺麥大蒜,仲夏而枯。藝文類聚八十二,御覽九百八十。若士所食,必此草也。又海中有蛤蜊螺蚌之類,未加煮炙,凡人所不能啖,況君子與若士乎?藝文類聚九十七,御覽九百四十二。

  青雲芝生於名山之陰,大青石間。青蓋三重,上有雲氣覆之。味辛甘,以陰乾食之,令人壽千歲不老,能乘雲通天見鬼神。藝文類聚九十八。案此以下十九條疑仙藥篇佚文。

  黃龍芝生於神山之中,狀如黃龍。味辛甘,以四時采,陰乾治。日食一合,壽萬年,令人光澤。同上。

  金蘭芝生於名山之陰,金石之間。上有水蓋,莖出。疑作赤。入秋旬求之,飲其中水,壽千歲,耳目聰明。同上。

  蒼山岑石之中赤雲芝,狀如人豎,豎如連鼓。其色如澤,以夏采之。陰乾食之,令人乘雲,能上天觀見八極,通見神明,延壽萬年。同上。

  丹芝生於名山之陰,崑崙之山,大谷源泉,金石之中。同上。

  火芝常以夏采之,葉上赤,下莖青。赤松子服之,常在西王母前,隨風上下,往來東西。同上。

  人芝生名山之陰,青蓋白莖。治乾食,日半合,則使人壽,入水可久也。同上。

  月精芝秋生山陽石上,莖青上赤。味辛苦,盛以銅物,十月食之,壽萬歲。同上。

  黑芝生於山之陰,大谷中,白蓋赤莖。味甘,秋采之,陰乾。日食,令人身輕齒堅,與天地無極。同上。

  火芝案上已有火芝,疑有一誤。生於名山陽,其色黃澤,大如車蓋。同上

  金芝生於金石之中,青蓋莖。味甘辛,以秋取,陰乾治食。令人身有光,壽萬歲。同上。

  萬年芝令人不老,延壽九千。同上。

  夜光芝出於名山之陰,大谷源泉中金石閒。上有浮雲翔其上,有五色,有目如兩日。同上。

  白雲芝生於名山之陰,白石上,有白雲覆之,白蓋二重。味辛甘,小苦。以秋采之,陰乾治食,日一合,不中風雷,令人色澤光也。同上。

  雲母芝生於名山之陰,青蓋赤莖。味甘,以季秋竹刀采之,陰乾治食,使人身光,壽千歲,醮以牛脯。同上。

  葉芝生於名山之陽,及出央山大谷源泉水中。赤蓋白莖,上有兩葉三實。同上。葉當作華。

  鬼芝青蓋長莖,陰乾屑之,日食五合,所見神明,令人長生。同上。

  有自然之龍,有蛇蠋化成之龍。初學記三十、白孔六帖九十五、御覽九百二十九。

  田地既有自然之鱔,而有荇莖芩根土龍之屬化為鱔。御覽九百三十七,又一千引 { 艹琴 } 根化為蘚,當即此。

  龜蛇潛蟄則食氣,夏恣口而甚瘦,冬穴蟄而大肥。初學記三十。案對俗篇云:龍蛇蛟螭狙猥鼉■,皆能竟冬不食。不食之時,乃肥於食時也。語意同而文全異。此當是佚文。

  黃帝醫經有蝦蟆圖,言月生始二日,蝦蟆始生,人亦不可針灸其處。御覽四。

  歷陽有彭祖仙室,請雨必得。御覽十一。

  左元放言,金華山可以合神丹,免五兵洪水之害。御覽四十七。

  崑崙及蓬萊,其上鳥獸飲玉井,皆長生不死也。御覽二十。井下脫泉字。

  上古無謚,始於周家耳。黃帝謚,蓋後人追為之。謚取其法法當作治世時行跡而已,非黃帝群臣之作也。俗人通自不信仙,寧肯以仙謚黃帝乎?御覽五百六十二。

  吳景帝時,戍將於江陵又作廣陵掘塚,取板治城。後發一大塚,內有重閤石扉,皆樞轉開閉,四周徼道通事,當作車。且廣高可乘馬。又鑄銅為人數十枚,又作十數頭。長五尺,皆大冠衣,執劍列侍。靈坐皆刻銅人,背後石壁。言殿中將將下脫軍字。或言侍郎,似王公塚也。破其棺。棺中有人,鬢毛班白鮮明,面體如生人。棺中有雲母,厚尺許,白玉璧三十雙以藉身又作屍。兵人舉出死人以倚塚壁。一玉長一尺,形似冬瓜,從死人懷中出墮地。兩耳及鼻孔中,皆有黃金,大如棗許。此等等當作則骨骸三字。有假物而不朽之效也。御覽五百五十八,八百五,八百六,八百八,八百十,又八百十三。

  專心憑師,依法行道,濟身度世,利在永亨,事師盡敬,得道為期,承間候色也。不盡力明師道,有罪不可除也。學道得明師事之,害亂不得發也。御覽六百五十九。

  道林子有五種屍解符,今太玄陰生符,及是一病解者。御覽六百六十四。

  薛振,字季和,燕代人。周武王時,學道於鍾山北河,經七試而不過者,由淫泆鄙滯敗其試耳。御覽六百六十六。郭文舉,河內軹縣人。入陸渾山學道,獨能無情,意不生也。同上

  范零子,少好仙道,如此積年。後遇司馬季主。季主同入常山,積七年,入石室當有脫文甕。季主出行,懇戒之曰,慎勿開。零子忽發視之。季主還,乃遣歸。後復召至,使守一銅匱,又戒勿發。零子復發之。季主乃遣之,遂不得道。同上。石室下脫北東角有石五字。

  馮良者,南陽人,少作縣吏。年三十為尉佐史,迎督郵,自恥無志,乃毀車殺牛裂敗衣。尋去從師,受詩傳禮易,復學道術占候。游十五年,乃還。州郡禮辟不就。詔特舉賢良高第。平道委此句有脫誤,平當作半。還家。年六十七,棄世東度入山,在鹿跡洞中。同上安丘望之,字仲都,京兆長陵人也。修尚黃老。漢成帝從疑作重。或此下有脫文。其道德,常宗師之。愈自損退。成帝詣之,若值望之章醮,則待事畢然後往。老子章句有安丘之學。望之忽病篤,弟子公沙都與與當作輿。於庭樹下,望之曉然病有痊。時冬月,鼻聞李香,開目則見雙赤李著枯枝。望之仰手承李,自墜掌中。因食李,所苦盡除,身輕目明,遂去,莫知何在也。同上

  家有三皇圖,必先齋戒百日,乃君至此句疑有脫誤。君至當作召致。天地五嶽社稷之神,後聖君命清虛小有真人,撰集上仙真菉,總名為上清一本作真正法,以慴萬邪。百年再授於人,須齋戒方得。御覽六百六十七。案此條齋戒方得下復引三元品經靈寶赤書太素玉菉經云云,疑非抱朴子文,未敢錄之。李阿者,行道逢奔車,阿兩腳中車,腳即折。弟子古強一作古弼,誤。神仙傳作古強,祛惑篇亦有其人。見之驚怖。阿須臾取斷腳相續如故也。御覽七百三十六。案此條疑是道意篇佚文。

  葛仙公每飲酒醉,常入門前陂中,竟日乃出。會從吳主到荊州,還大風,仙公船沒。吳主謂其已死。須臾從水上來,衣履不濕,而有酒色,云昨為伍子胥召,設酒不能便歸,以淹留也。御覽八百四十五。案首三語與釋滯篇異,非即彼文也。神仙傳載船沒事,亦與此文異。

  軫星逐鬼,張星拘魂,東井還魂也。御覽八百八十六。

  伍被記八公造淮南王安,初為老公,不見通。須臾皆成少年。御覽八百八十八。

  韓子治以地黃甘草,哺五十歲老馬,以生三駒,又百三十歲乃死。御覽八百九十七。

  南方水牛,無冬夏常臥水中。御覽八百九十九。

  以鸛血塗金丹一丸,內衣中,以指物,隨口變化。御覽九百二十五。

  胡麻好者,一夕蒸之,如炊。須曝乾復蒸,細篩,白蜜和丸,如雞子大,日二枚。一年,顏色美,身體滑;二年,白髮黑;三年,齒落更生;四年,入水不濡;五年,入火不燋;六年,走及奔馬。或蜜水和作餅如糖狀,炙食一餅。御覽九百八十九。

  中經曰:鉤吻狼毒,太陰之精氣,主殺,故入口令人死。御覽九百九十。

  ○抱朴子外篇自敘

  抱朴子者,姓葛,名洪,字稚川,丹陽句容人也。其先葛天氏,蓋古之有天下者也,後降為列國,因以為姓焉。洪曩祖為荊州刺史,王莽之篡,君恥事國賊,棄官而歸,與東郡太守翟義共起兵,將以誅莽,為莽所敗,遇赦免禍,遂稱疾自絕於世。莽以君宗強,慮終有變,乃徙君於琅邪。君之子浦廬,起兵以佐光武,有大功。光武踐祚,以廬為車騎,又遷驃騎大將軍,封下邳僮縣侯,食邑五千戶。開國初,侯之弟文,隨侯征討,屢有大捷。侯比上書為文藏本作文為,從舊寫本乙轉。訟功,而官以文私從兄行,無軍名,遂不為論。侯曰:弟與我同冒矢石,瘡痍週身,傷失右眼,不得尺寸之報,吾乃重金累紫,何心以安?乃自表乞轉封於弟。書至上請報。漢朝欲成君高義,故特聽焉。文辭不獲已受爵,即第為驃騎營立宅舍於博望裡,於今基兆石礎存焉。又分割租秩,以供奉吏士,給如二君焉。驃騎慇勤止之而不從。驃騎曰:此更煩役國人,何以為讓?乃託他行,遂南渡江,而家於句容。子弟躬耕,以典籍自娛。文累使奉迎驃騎,驃騎終不還。又令人守護博望宅舍,以冀驃騎之反,至於累世無居之者。

  洪祖父學無不涉,究測精微,文藝之高,一時莫倫,有經國之藏本作史,從舊寫本改。才。仕吳,歷宰海鹽臨安山陰三縣,入為吏部侍郎、御史中丞、廬陵太守、吏部尚書、太子少傅、中書、大鴻臚、侍中、光祿勳、輔吳將軍,封吳壽縣侯。洪父以孝友聞,行為士表,方冊所載,罔不窮覽。仕吳五官郎、中正,建城南昌二縣令,中書郎、廷尉平、中護軍、拜會稽太守未辭,而晉軍順流,西境不守。博簡秉文經武之才,朝野之論,僉然推君,於是轉為五郡赴警。大都督給親兵五千,總統征軍,戍遏疆場。天之所壞,人不能支,故主欽若,九有同賓。藏本作實,從舊寫本改。君以故官赴除郎中,稍遷至大中大夫,歷位大中正、肥鄉令,藏本無正字,肥作肐,從舊寫本補改。縣戶二萬,舉州最治,德化尤異,恩洽刑清,野有頌聲,路無奸跡,不佃公田,越界如市,秋毫之贈,不入於門,紙筆之用,皆出私財,刑厝而禁止,不言而化行。以疾去官,發詔見用為吳王郎中令,正色弼違,進可替不,舉善彈枉,軍國肅雍。遷邵陵太守,卒於官。

  洪者,君之第三子也。生晚,為二親所嬌饒,不早見督以書史。年十有三,而慈父見背,夙失庭訓,饑塞困瘁,躬執耕穡,承星履草,密勿疇襲。又累遭兵火,先人典籍蕩盡,農隙之暇無所讀。乃負笈徒步行借,又卒於一家,少得全部之書。益破功日伐薪賣之,以給紙筆,就營田園處,以柴火寫書。坐此之故,不得早涉藝文。常乏紙,每所寫,反覆有字,人鮮能讀也。年十六,始讀孝經論語詩易。貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不通。但貪廣覽,於眾書乃無不暗誦精持,曾所披涉,自正經諸史百家之言,下至短雜文章,近萬卷。既性闇善忘,又少文,意志不專,所識者甚薄,亦不免惑。而著述時猶得有所引用,竟不成純儒,不中為傳授之師。其河洛圖緯,一視便止,不得留意也。不喜星書、及算術、九宮、三棋、太一、飛符之屬,了不從焉,由其苦人而少氣味也。晚學風角、望氣、三元、遁甲、六壬、太一之法,粗知其旨,又不研精。亦計此輩率是為人用之事,同出身情,無急以此自勞役,不如省子書之有益,遂又廢焉。案別錄藝文志,眾有萬三千二百九十九卷,而魏代以來,群文滋長,倍於往者,乃自知所未見之多也。江表書籍,通同不具。昔欲藏本作故,從舊寫本改。詣京師,索奇異,而正值大亂,半道而還,每自藏本作具,從舊寫本改。歎恨。今齒近不惑,素志衰穨,但含損之又損,為乎無為,偶耕藪澤,苟存性命耳。博涉之業,於是日沮矣。

  洪之為人也,(有脫文)而騃野,性鈍口訥,形貌醜陋,而終不辯自矜飾也。冠履垢弊,衣或襤褸,而或不恥焉。俗之服用,俄而屢改。或忽廣領而大帶,或促身本作身促,從意林乙轉。而修袖,或長裾曳地,或短不蔽腳。洪期於守常,不隨世變,言則率實,杜絕嘲戲,不得其人,終日默然。故邦人咸稱之為抱朴之士,是以洪著書,因以自號焉。洪稟性尪羸,兼之多疾,貧無車馬,不堪徒行,行亦性所不好。又患弊俗,捨本逐末,交遊過差,故遂撫筆閒居,守靜蓽門,而無趨從之所。藏本作趨所之從,今從舊寫本改。至於權豪之徒,雖在密跡,而莫或相識焉。衣不辟寒,室不免漏,食不充虛,名不出戶,不能憂也。貧無僮僕,籬落頓決,荊棘叢於庭宇,蓬莠塞乎階霤,披榛出門,排草入室,論者以為意遠忽近,而不恕藏本作怒,從舊寫本改。其乏役也。不曉謁有脫文。以故初不修見官長,至於吊大喪,省困疾,乃心欲自勉強,令無不必至,而居疾少健,恆復不周,每見譏責於論者,洪引咎而不恤也。意苟無餘,而病使心違,顧不媿己而已,亦何理於人之不見亮乎?唯明鑒之士,乃恕其信抱朴,非以養高也。

  世人多慕豫親之好,推闇室藏本作至,從舊寫本改。之密,洪以為知人甚未易,上聖之所難,浮雜之交,口合神疕,舊寫本作離。無益有損,雖不能如朱公叔一切絕之,且必須清澄詳悉,乃處意焉。又為此見憎者甚眾而不改也。馳逐苟達,側立勢門者,又共疾洪之異於己而見疵毀,謂洪為泬物輕俗。而洪之為人,信心而行,毀譽皆置於不聞。藏本置作之,舊寫本作毀譽之皆如不聞,今從盧本。至患近人,或恃其所長而輕人所短。洪忝為儒者之末,每與人言,常度其所知而論之,不強引之以造彼所不聞也。及與學士有所辯識,每舉綱領,若值惜短,難解心義。藏本作家,從舊寫本改。但粗說意之與向,使足以發寤而已,不致苦理,使彼率不得自還也。彼靜心者存舊寫本存字空白,疑是衍文。詳而思之,則多自覺而得之者焉。度不可藏本無不字,從舊寫本補。與言者,雖或有問,常辭以不知,以免辭費之過也。

  洪性深不好幹煩官長,自少及長,曾救知己之抑者數人,不得已藏本無已字,從舊寫本補。有言於在位者。然其人皆不知洪之恤也,不忍見其陷於非理,密自營之耳。其餘雖親至者,在事秉勢,與洪無惜者,終不以片言半字少累之也。至於糧用窮匱,急合湯藥,則喚求朋類,或見濟,亦不讓也。受人之施,必皆久久漸有以報之,不令覺也。非類則不妄受其饋致焉。洪所食有旬日之儲,則分以濟人之乏,若殊自不足,亦不割己也。不為皎皎之細行,不治察察之小廉。村裡凡人之謂舊寫本謂字空白,疑有誤。良守善者,用舊寫本用字空白,疑有誤。時或繼酒餚候洪,雖非儔匹,亦不拒也。後有以答之,亦不登時也。洪嘗謂史云不食於昆弟,華生治潔於暱客,蓋邀名之偽行,非廊廟之遠量也。洪尤疾無義之人,不勤農桑之本業,而慕非義之奸利。持鄉論者,則賣選舉以取謝。有威勢者,則解符疏以索財。或有有字當誤,舊寫本空白。罪人之賂,或當作而。枉有理之家,或為逋逃之藪,而饗亡命之人,疑作入。或挾使民丁以妨本作妨以,從下文乙轉。公役,或強收錢物以求貴價,或占錮市肆,奪百姓之利,或割人田地,劫孤弱之業,匆恫官府之閒,以窺掊克之益,內以誇妻妾,外以釣名位,其如此者,不與交焉。由是俗人憎洪疾己,自然疏絕。故巷無車馬之跡,堂無異志之賓,庭可設雀羅,而幾筵積塵焉。

  洪自有識以逮。將老,口不及人之非,不說人之私,乃自然也。雖僕豎有其所短所羞之事,不以戲之也。未嘗論評人物之優劣,不喜訶譴人交舊寫本作又人。之好惡。或為尊長所逼問,辭不獲已,其論人也,則獨舉彼體中之勝事而已。其論文也,則撮其所得之佳者,而不指摘其病累。故無毀譽之怨。貴人時或問官吏民甲乙何如。其清高閒舊寫本作賢。能者,洪指說其快事;其貪暴闇塞者,對以偶不識悉。洪由此頗見譏責,以顧護太多,不能明辯臧否,使皂白區分,而洪終不敢改也。每見世人有好論人物者,比方倫匹,未必當允,而褒貶與奪,或失准格。見譽者自謂已分,未必信德也;見侵者則恨之入骨,劇於血讎。洪益以為戒,遂不復言及士人矣。雖門宗子弟,其稱兩皆以付邦族,不為輕乎當作平,舊寫本作評。其價數也。或以譏洪。洪答曰:我身在我者也,法當易知。設令有人問我,使自比古人,及同時令我自求輩,則我實不能自知可與誰為匹也,況非我安可為取而。評定之耶?漢末俗弊,朋黨分部,許子將之徒,以口舌取戒,爭訟論議,門宗成讎。故汝南人士無復定價,而有月旦之評。魏武帝深亦疾之,欲取其首,爾乃奔波亡走,殆至屠滅。前鑒不遠,可以得師矣。且人之未易知也,雖父兄不必盡子弟也。同乎我者遽是乎?異於我者遽非乎?或有始無卒,唐堯公旦仲尼季札,皆有不全得之恨,無以近人信其嘍嘍管見熒舊寫本作螢。燭之明,而輕評人藏本作人評,從舊寫本乙轉。物,是皆賣賣字疑舊寫本空白。彼上聖大賢乎?

  昔大安中,石冰作亂,六州之地,柯振葉藏本作鎮業,從舊寫本改。靡,違正黨逆,義軍大都督邀洪為將兵都尉,累見敦迫。既桑梓恐虜,禍深憂大,古人有急疾之義。又畏軍法,不敢任志。遂募合數百人,與諸軍旅進。曾攻賊之別將,破之日,錢帛山積,珍玩蔽地。諸軍莫不放兵收拾財物,繼轂連擔。洪獨約令所領,不得妄離行陣。士有摭得眾者,洪即斬之以徇。於是無敢委杖。而果有伏賊數百,出傷諸軍。諸軍悉發,無部隊,皆人馬負重,無復戰心,遂致驚亂,死傷狼藉,殆欲不振。獨洪軍整齊轂張,無所損傷,以救諸軍之大崩,洪有力焉。後別戰,斬賊小帥,多獲甲首,而獻捷幕府。於是大都督加洪伏波將軍。例給布百匹,諸將多封閉之,或送還家。而洪分賜將士,及施知故之貧者。餘之十匹,又徑以市肉酤酒,以饗將吏。於時竊擅一日之美談焉。

  事平,洪投戈釋甲,逕詣洛陽,欲廣尋異書,了不論戰功。竊慕魯連不受聊城之金,包胥不納存楚之賞,成功不處之義焉。正遇上國大亂,北道不通,而陳敏又反於江東,歸塗隔塞。會有故人譙國嵇君道,本作居道,從意林及晉書改,下放此。見用為廣州刺史,乃表請洪為參軍,雖非所樂,然利可避地於南,故黽勉就焉。見遣先行催兵,而君道於後遇害,遂停廣州,頻為節將見邀用,皆不就。永惟富貴可以漸得,而不可頓合,其閒屑屑亦足以勞人。且榮位勢利,譬如寄客,既非常物,又其去不可得留也。隆隆者絕,赫赫者滅,有若春華,須臾凋落。得之不喜,失之安悲?悔吝百端,憂懼兢戰,不可勝言,不足為也。且自度性篤嬾而才至短,以篤嬾而御短才,雖翕肩屈膝,趨走風塵,猶必不辦,大致名位而免患累,況不能乎?未若修松喬之道,在我而已,不由於人焉。將登名山,服食養性,非有廢也。事不兼濟,自非藏本作不,從舊寫本改。絕棄世務,則曷緣修習玄靜哉?且知之誠難,亦不得惜問而與人議也。是以車馬之跡,不經貴勢之域;藏本作貴世之域,從舊寫本改。片字之書,不交在位之家。又士林之中,雖不可出,而見造之賓,意不能拒,妨人所作,不得專一。乃歎曰,山林之中無道也。而古之修道者,必入山林者,誠欲以違遠讙譁,使心不亂也。今將遂本志,委桑梓,適嵩岳,以尋方平梁公之軌。先所作子書內外篇,幸已用功夫,聊復撰次,以示將來云爾。

  洪年十五六時,所作詩賦雜文,當時自謂可行於代。本脫於代二字,從意林補。至於弱冠,更詳省之,殊多不稱意,天才未必為增也,直所覽差廣,而覺妍媸之別。於是大有所制,棄十不存一。今除所作子書,但雜尚餘百所捲,猶未盡損益之理,而多慘憤,不遑復料護之。他人文成,便呼快意。余才鈍思遲,實不能爾。作文章每一更字,輒自轉勝,但患嬾,又所作多,不能數省之耳。

  洪年二十餘,乃計作細碎小文,妨棄功日,未若立一家之言,乃草創子書。會遇兵亂,流離播越,有所亡失,連在道路,不復投筆十餘年,至建武中乃定,凡著內篇二十卷,外篇五十卷,碑頌詩賦百卷,軍書檄移章表箋記三十卷。又撰俗所不列者為神仙傳十卷,又撰高尚藏本作上,今從舊寫本。不仕者為隱逸傳十卷,又抄五經七史百家之言,兵事方伎短雜奇要三百一十卷,別有目錄。其內篇言神仙方藥鬼怪變化養生延年禳邪卻禍之事,屬道家。其外篇言人閒得失,世事臧否,屬儒家。洪見魏文帝典論藏本作典目,從舊寫本改。自敘,末藏本作未,從舊寫本改。及彈棋擊劍之事,有意於略說所知,而實不數少所便能,不可虛自稱揚,今將具言,所不閒焉。

  洪體鈍性駑,寡所玩好,自總發垂髫,有脫句。又擲瓦手搏,不及兒童之群,未曾鬥雞鶩走狗馬。見人博戲,了不目眄,或強牽引觀之,殊不入神,有若晝睡。是以至今不知棋局上有幾道,樗蒲齒名。亦念此輩末伎,亂意思而妨日月,在位有損政事,儒者則廢講誦,凡民則忘稼穡,商人則失貨財。至於勝負未分,交爭都市,心熱於中,顏愁於外,名之為樂,而實煎悴。喪廉恥之操,興爭競之端,相取重貨,密結怨隙。昔宋閔公吳太子致碎首之禍,生叛亂之變,覆滅七國,幾傾天朝,作戒百代,其鑒明矣。每觀戲者,慚恚交集,手足相交,丑詈相加,絕交壞友,往往有焉。怨不在大,亦不在小,多召悔吝,不足為也。仲尼雖有晝寢之戒,以洪較之,洪實未許其賢於晝寢。何者,晝寢但無益,而未有怨恨之憂,斗訟之變。聖者猶韋編三絕,以勤經業,凡才近人,安得兼修。惟諸戲盡不如示一尺之書,故因本不喜而不為,蓋此俗人所親焉。

  少嘗學射,但力少不能挽強,若顏高之弓耳。意為射既在六藝,又可以禦寇辟劫,及取鳥獸,是以習之。昔在軍旅,曾手射追騎,應弦而倒,殺二賊一馬,遂以得免死。又曾受刀楯及單刀雙戟,皆有口訣要術,以待取人,乃有秘法,其巧入神。若以此道與不曉者對,便可以當全獨勝,所向無前矣。晚又學七尺杖術,可以入白刃,取大戟。然亦是不急之末學,知之譬如麟角鳳距,何必用之?過藏本脫過字,從舊寫本補。此已往,未之或知。

  洪少有定志,決不出身。每覽巢許子州北人石戶二姜兩袁法真子龍之傳,嘗廢書前席,慕其為人。念精治五經,著一部子書,令後世知其為文儒而已。後州郡及車騎大將軍辟,皆不就。薦名琅邪王丞相府。昔起義兵,賊平之後,了不修名,詣府論功,主者永無賞報之冀。晉王應天順人,撥亂反正,結皇綱於垂絕,修宗廟之廢祀,念先朝之滯賞,並無報以勸來。洪隨例就彼。庚寅詔書,賜爵關中侯,食句容之邑二百戶。竊謂藏本作詔,從舊寫本改。討賊以救桑梓,勞不足錄,金紫之命,非其始願,本欲遠慕魯連,近引田疇,上書固辭,以遂微志。適有大例,同不見許。昔仲由讓應受之賜,而沮為善。丑虜未夷,天下多事,國家方欲明賞必罰,以彰憲典,小子豈敢苟潔區區之懦志,而距弘通之大制,故遂息意而恭承詔命焉。

  洪既著自敘之篇。或人難曰:昔王充年在耳順,道窮望絕,懼身名之偕滅,故自紀終篇。先生以始立之盛,值乎有道之運,方將解申公之束帛,登穆藏本作枚,從舊寫本改。生之蒲輪,耀藻九五,絕聲昆吾,何憾芬芳之不揚,而務老生之彼務。洪答曰:夫二儀彌邈,而人居若寓,以朝菌之耀秀,不移晷而殄瘁,類春華之暫榮,未改旬而凋墜,雖飛飆之經霄,激電之乍照,未必速也。夫期頤猶奔星之騰煙,藏本作炯,從舊寫本改。黃發如激箭之過隙,況或未萌藏本作明,從舊寫本改。而殞籜,逆秋而零瘁者哉?故項子有含穗之歎,揚烏有夙折之哀。歷覽遠古逸倫之士,或以文藝而龍躍,或以武功而虎踞,高勳著於盟府,德音被乎管弦,形器雖沈鑠於淵壤,美談飄颻而日載,故雖千百代,猶穆如也。余以庸陋,沈抑婆娑,用不合時,行舛於世,發音則響與俗乖,抗足則跡與眾迕,內無金張之援,外乏彈冠之友,循塗雖坦,而足無騏驎,六虛雖曠,而翼非大鵬,上不能鷹揚匡國,下無以顯親垂名,美不寄於良史,聲不附乎鐘鼎。故因著述之餘,而為自敘之篇,雖無補於窮達,亦賴將來之有述焉。

抱朴子 目錄、序

 

抱朴子內篇

晉·葛洪著

  ○抱朴子內篇目錄

  暢玄卷第一,論仙卷第二,對俗卷第三,金丹卷第四,至理卷第五,微旨卷第六,塞難卷第七,釋滯卷第八,道意卷第九,明本卷第十,仙藥卷第十一,辨問卷第十二,極言卷第十三,勤求卷第十四,雜應卷第十五,黃白卷第十六,登涉卷第十七,地真卷第十八,遐覽卷第十九,袪惑卷第二十。

  右目錄依道藏本定。按抱朴子內篇敘云,別為此一部名曰內篇,凡二十卷,與外篇各起次第也。又外篇自敘云,凡著內篇二十卷,外篇五十卷。又云,其內篇言神仙方藥、鬼怪變化、養生延年、禳邪卻禍之事,屬道家。其外篇言人閒得失、世事臧否、屬儒家。隋書經籍志內篇亦屬道家,與外篇分行。道藏雖並收外篇,原未合為一部。觀其內篇之後,外篇之前,以抱朴子別旨一種閒隔之,可曉然矣。明人刻此書,從道藏取出,而不知其為三種,遂總名曰抱朴子,非也。今校刊內篇二十卷,不連外篇,以復葛氏之舊,兼正明人之誤。舊唐書經籍志及各家書目俱為二十卷。隋志二十一卷,音一卷者,或加序目及音為二十二卷也。音久不傳。道藏序在第一卷前,故不復列數云。或疑別旨既自為一種,何以不見於自敘。考道藏所收,又有抱朴子養生論及稚川真人較證術一卷,抱朴子神仙金汋經三卷,葛稚川金木萬靈論,俱不見於自敘。然則別旨,正同斯例,蓋皆非稚川所撰也。嘉慶十六年十月五松居士孫星衍敘錄。

  ○校刊抱朴子內篇序

  道家宗旨,清淨沖虛而已。其弊或流為權謀,或流為放誕,無所謂金丹仙藥、黃白玄素、吐納導引、禁咒符菉之術也。秦漢方士,絕不附會老子。即依託黃帝,亦非道家之說。漢書藝文志以黃帝諸篇,分屬道家神仙,蓋本七略。七略又本於別錄。劉子政固誦習鴻寶,篤信神仙者,而典校秘書,仍別方技於諸子之外,不相殽也。

  東漢之季,桓帝好神仙,祠老子。張陵之子衡,使人為祭酒,主以老子五千文都習。神仙之附會道家,實昉於此。抱朴子內篇,古之神仙家言也。雖自以內篇屬之道家,然所舉仙經神符,多至二百八十二種,絕無道家諸子。且謂老子泛論較略,莊子文子關尹喜之徒,祖述黃老,永無至言,去神仙千億里。尋其旨趣,與道家判然不同。又後世學仙者,奉魏伯陽為正宗。是書偶及伯陽內篇之名,並無一語稱述,惟神仙傳中言參同契假爻象以說作丹之意而已。是稚川之學,匪特與道家異,並與後世神仙家無幾微之合。

  余嘗謂漢之仙術,元與黃老分途。魏晉之世,玄言日盛,經術多歧。道家自詭於儒,神仙遂溷於道。然第假借其名,不易其實也。迨及宋元,乃緣參同爐火而言內丹,钅柬養陰陽,混合元氣,斥服食胎息為小道,金石符祝為旁門,黃白玄素為邪術,惟以性命交修,為谷神不死,羽化登真之訣。其說旁涉禪宗,兼附易理,襲微重妙,且欲並儒釋而一之。自是而漢晉相傳神仙之說,盡變無餘,名實交溷矣。然則葛氏之書,墨守師傳,不矜妙悟。譬之儒者說經,其神仙家之漢學乎!

  孫伯淵漕司,篤好古義,兼綜九流,以明刻抱朴子及天一閣鈔本錯亂脫誤,手自校讎,復屬余與顧澗●各以家藏諸本,參證他書,覆校數過,伯淵敘錄篇目,將以刊行。余因舉神仙與道家者流,古今分合之故,論次為序,覽者或有考焉。嘉慶十七年七月甲戌桐城方維甸撰。

  按:明刻抱朴子於內篇之後,附入別旨一篇,專論吐納導引,與內篇本意不合,辭義亦甚淺近,不似晉人手筆。考之稚川自敘,本無此書。隋唐諸志,皆不著錄。惟宋史藝文志道家有抱朴子別旨二卷。注云,不知作者。亦不謂為稚川所著也。晚出之書,元不可信。且今本五百六十餘言,不盈一卷,並非宋元舊本。故削去之,不復附於篇末云。維甸又跋。

  ○葛洪撰述書目表

  抱朴子內篇二十卷抱朴子內篇序。抱朴子外篇自敘。隋志作二十一卷。今存。

  抱朴子外篇五十卷自敘。隋志作三十卷,並云梁有五十一卷。今存。

  碑頌詩賦百卷自敘。晉書本傳頌作誄。仙苑編珠引陳馬樞道學傳同。

  軍書檄移章表箋記三十卷自敘。本傳作檄移章表。

  神仙傳十卷自敘。本傳。今存。

  隱逸傳十卷自敘。本傳。

  兵事方伎短雜奇要三百一十卷自敘。本傳作方伎雜事。

  金匱藥方一百卷本傳。

  玉函方一百卷

  抱朴子雜應篇。疑即前金匱藥方。

  肘後要急方四卷本傳。雜應篇作救卒方三卷。隋志作肘後方六卷。舊唐志作肘後救卒方四卷。四庫全書目錄作肘後備急方八卷。今存。道藏正一部肘後備急方八卷,誤題作葛仙翁。

  神仙服食藥方十卷隋志。

  太清神仙服食經五卷新唐志。

  服食方四卷唐釋法琳辨正論卷九。

  玉函煎方五卷隋志。

  黑髮酒方一卷崇文總目。通志略。

  渾天論晉書天文志。文廷式補晉書藝文志。(簡稱補晉志)

  幕阜山記一卷補晉志。潮說補晉志。略見於外篇佚文。

  兵法孤虛月時秘要法一卷新唐志。

  陰符十德經一卷新唐志。

  抱朴子軍術補晉志。云此外篇中佚篇也,嚴可均全晉文輯得四十二條。今別錄其目。

  金木萬靈訣一卷宋志通志略。今存道藏洞神部眾術類。蓋刪改金丹篇而成。太清玉碑子一卷宋志。葛洪與鄭思遠問答。今存道藏洞神部眾術類。

  大丹問答一卷今存道藏洞神部眾術類。

  還丹肘後訣三卷今存道藏洞神部眾術類。

  四家要訣一卷通志略。集劉向、陵陽子、抱朴子、狐剛子所記煉丹事。

  抱朴子養生論一卷宋志。今存道藏洞神部方法類。

  稚川真人校證術一卷今存道藏洞神部眾術類。

  神仙金汋經三卷通志略不著撰人。今存道藏洞神部眾術類。

  嚴可均曰:抱朴子養生論,前半即地真篇也,後半與極言篇相輔。稚川真人校證術是後人所演。

  神仙金汋經三卷,其中下二卷,即金丹篇也。見鐵橋漫稿

  卷六代繼蓮龕為抱朴子敘。

  孫詒讓札迻十抱朴子微旨條云:

  金汋經,晉宋間人依傅抱朴子假託為之。

  要用字苑一卷舊唐志。顏氏家訓書證篇作字苑。馬國翰有輯佚本。

  史記鈔十四卷新唐志。

  漢書鈔三十卷隋志。

  後漢書鈔三十卷舊唐志。

  良吏傳十卷本傳。

  集異傳十卷本傳。

  西京雜記六卷舊唐志。

  四庫全書簡明目錄子部十二云:舊本或題漢劉歆撰,或題晉葛洪撰,實則梁吳均撰。但余嘉錫四庫提要辨證子部七考定為葛洪作。今存。

  漢武內傳一卷隋志不著撰人。文廷式補晉志云:日本見在書目題葛洪,今從之。余嘉錫四庫提要辨證子部七考定為晉葛洪撰。今存道藏洞真部記傳類。

  老子道德經序訣二卷舊唐志。

  修撰莊子十七卷釋法琳辨正論。補晉志。

  喪服變除一卷隋志。

  遯甲肘後立成囊中秘一卷隋志。

  登涉篇作囊中立成。

  遯甲返覆圖一卷隋志。

  遯甲要用四卷隋志。

  遯甲秘要一卷隋志。

  遯甲要一卷隋志。

  三元遯甲圖三卷舊唐志。

  龜決二卷隋志。

  周易雜佔十卷隋志。

  抱朴君書隋志集部。

  序房內秘術一卷隋志稱葛氏撰。新唐志。或即葛洪。

  太一真君固命歌一卷宋志。

  抱朴子別旨一篇通志略。今存道藏太清部。蓋後人掇輯吐納導引之訣而成,殆與胎息術相類。

  胎息要訣一卷通志略。

  胎息術一卷補晉志。

  郭文傳補晉志。明案:郭文,字文舉,河內軹人。與葛

  洪同時亦遭世亂而隱者。先洪卒。見晉書隱逸本傳。

  五金龍虎歌一卷崇文總目。

  五嶽真形圖文一卷崇文總目。

  老子戒經一卷通志略。

  關中記一卷宋志。玉海引中興書目。

  馬陰二君內傳一卷宋志。

  隱淪雜訣一卷宋志。明案抱朴子雜應篇答問隱淪之道,或為雜訣之所本。

  元始上真眾仙記一卷宋志。今存道藏洞真部譜■類。劉師培讀道藏記云:此書「次行題葛洪枕中記五字,中志各仙官位號及治所,即今所傳枕中記也」。

  明案:道藏洞神部方法類另有枕中記一卷,言養生接命之術,與眾仙記內容迥異。通志略著錄唐孫思邈枕中記一卷,未知孰是。四庫全書總目提要云:枕中書一卷,舊本題晉葛洪撰。考隋、唐、宋藝文志但有墨子枕中記及枕中素書,而無葛洪枕中書。此本(枕中書)一名元始上真眾仙記。余嘉錫四庫提要辨證卷十九謂枕中書提到許穆與許玉斧,而洪當長於穆,許玉斧更其後輩,二人之去世,洪皆不及見,安得取而著之書中。是枕中書(上真眾仙記)之「不出於(葛)洪亦明矣」。余先生之說是。

  抱朴子玉策記補晉志。

  明案:此蓋抱朴子引玉策記,非葛洪所撰之玉策記也。徐堅初學記卷二十九狐第十三條引抱朴子玉策記曰:「狐及狸狼,皆壽八百歲,滿三百歲暫變為人形」。正是抱朴子對俗篇引玉策記之語(參校敦煌殘卷文字)。遐覽篇已著錄玉策記一卷,足徵葛洪曾見其書。而初學記始誤以玉策記屬抱朴子。嚴可均鐵橋漫稿卷六云此記恐後人依託之書。亦不確。余意並非後人有意假託,實乃唐人徐堅輩誤題耳。

抱朴子 神仙金汋經卷上

 

抱朴子神仙金汋經卷上

 

  金汋還丹,太一所服而神仙,白日昇天者也。求仙而不得此道,徒自苦也。其方列之如後:上黃金十二兩,水銀十二兩,取金鑪作屑,投水銀中令和合。
  恐鑪屑難鍛,鐵質鍛金成薄如絹,鉸刀萬之,令如韭葉許,以投水銀中,此是世問以塗仗法。金得水銀,須臾皆化為泥。其金白,不復黃也。可瓦器為之。

  乃以清水洗之十過也。

  以生青竹筒盛之,多少令得所,勿令長大。

  加雄黃、硝石,各二兩。
  古者秤重,今所謂吳秤者是晉秤。殊不知起魏,武帝作之,以賞賜軍功,金銀半斤耳。今秤此藥,宜用古秤計之。雄黃、硝石亦然。雄黃須武都,色如雞冠者,無夾石者。今碼門始興郡雄黃似,黃土色不赤,又多夾石,恐不消化,其氣又薄,不能殺金毒也。硝石難得好者,不好則不能化雄黃。以少許先試之,化雄黃為水,即佳。若不化,則不可用也。硝石化諸石方,在三十六水方中。雄黃、硝石二物,檮之千杵,如粉乃秤之。
  漆其口板,固之帛際,須令際會,內左味中百日,勿令少日也。日足即藥成,日數少即不能化也。卻如此置之,令藥成也,筒不能顛倒也。
  又當板蓋,覆器物上,五十日水銀伏火不起。是為五十日,則金水為汞水,別不復合,可知也。聖人以審其動驗之候矣。藥不伏,須五十日燒水銀也。几開,如前際之令牢密,不爾即亡失藥物,虛費功夫矣。
  百日皆化為水。
  皆化者,即是金及雄黃、硝石,化為水也。
  以金水煮水銀二斤,以淳苦酒汨漬其上,苦酒與水銀自別不合。
  自更取水銀煮之,非謂用筒中水銀也。金在竹筒中久,則與水銀各別成水,其色理亦不相似也。何以知之。方下p云:取金水汞水,各一兩服之。故知此二物在筒中別也。但不知雄黃水當復不別耳。若別者,其色當有異。若不見有雄黃水者,是雄黃水入金中去也。金中有毒,故內雄黃以殺金毒,又內硝石,正欲以化雄黃也。
猛火中煆之三十日,水銀皆紫色。

  須水銀出紫色,乃止。
水銀以黃土甌盛之。出此煮水銀,內黃土甌中也。方不具疏。黃土甌者,意是土釜也。出在廣州及長沙、豫章、臨川、鄱陽者,皆可用之,又此諸郡皆作黃土墊,亦可用之,皆耐火不破。他處出者,如似瓦器,不堪用,得火便破也。南方黃土器者,亦可。馬毛若江籬,合黃土搗之千杵,以作甌器,陰乾使佳,乃燒令堅。用之,先六一泥泥甌中,乃內水銀,此方實也。

  以六一泥。
  六與一合為七,聖人祕之,故云六一。

  作六一泥法,以礬石、戎鹽、鹵鹹、譽石四物,先燒二十日,取束海左顧牡蠣、赤石脂等分,多少自在,合搗萬杵,細羅下,和百日苦酒,令如泥。乃可用泥黃土甌裹,令厚三分,可至五分,曝之於日,極燥乃用。
  此正爾露甌,上不復以器合覆,如九丹法。
  從旦至暮,皆化為丹,所謂之還丹也。
  水銀本丹,燒成水銀,今燒水銀,復成還丹。丹復本體,故日還丹也。

  刀圭粉提,黃白成焉。

  凡服丹,皆先試作金銀。金銀成,即可服。今此方作還丹,而不即服之,而先言刀圭粉提黃白成焉者也。此是復先試之,以作金銀。黃者金也,白者銀也。仙人祕之,不指其名,故言黃白也。然道刀圭,而不別道何所粉提。祕之,口口相傳,不盡書之。今依《九丹經》,試作金銀法。小試之耳,九丹一銖丹華,投水銀一斤,即成金也。人以丹華投鉛一斤,亦成。依此為例。其法當取水銀若鉛,內鐵器中燒,使水銀若鉛,大沸良久,乃以藥投中,以鐵耗之,須臾下地凝成也。
  黃土甌中所緞作還丹,可服餌也。吞如小豆,白日昇天,神明奉迎,龍虎煩冤。
  此還丹先以金水煮之,令得金水之氣味。今又燒之,還丹成,不與常水銀同,故能使人得仙也。仙官下降,所在山川土地之神,悉為下官,故云奉迎。神人皆左青龍,右白虎,煩冤懇也。凡服仙藥,皆推四時王相之日,甲子開除平旦,向日,日始出時服之。此方不道日數,似是一服便仙也。然丹經有一品,上士服之即日昇天,中士服之十日而仙,下士服之一年乃仙。今若服此丹一丸,而無異者,可旦旦服之,有異為度。但服此丹,便是仙也,不復須服金水也。汞水在人意所欲服,服此丹久無益,可服金水及汞水也。
  金水汞水,極用不耗,但漬苦酒耳。
  上言金水煮水銀,似是別取筒中金水,不用汞水也。此言金水汞水極用,汞不是耗,應兼用二水,以煮水銀,作還丹也。
  此二物水,可煮萬斤。
  此一句論之,多是兼用二水煮之,金多可作兩劑,各自試之,恐金少不定也。
  神丹道畢矣。
  萬斤,謂煮他汞,非筒中水銀水也。又金水汞水煮他汞,輒成還丹。此二水不耗,苦酒乾即益之,故言可煮萬斤成一輩。藥畢後,故丁復煮汞也。

  取丹一斤,置猛火上。

  取所煥他汞水,以成還丹也。正爾燒之不,復以甌鑪也。恐藥散,可以苦酒紙五六重,以裹丹,炭火燒之,可下地作小溝子,以注小陷中也。
  極扇精之,神丹為金下也。
  囊鼓鞘扇之,如鍛金銀工小皮翰,筐作管以吹火,神丹銷合流下,如燒鉛錫之流也。
  其色正赤,名日丹金,以塗刀罈,辟兵萬里。
  用之塗刀劍也,如塗物,可用新燒未凝時塗之。
  以丹金作盤碗,飲食其中,長生不死。
  可作土形範,以火銷丹金而鑄器仗,大小在人意也。飲食其中者,為常人不服立仙之藥者,以器飲食,但不得神仙,可以久壽耳,得仙者與天地相畢也。
  與天地相畢。

  天地元窮,故言相畢。以證長生,猶非仙人,但不復死也。

  以此盤承日月,當得神光醴。

  亦如方諸承月,得水在其中也。

  男女異器食之,立升天也。
  此器已神,復加以日月神光熙入其中,故能令人升仙也。
  又取金水汞水各一兩。
  五十日伏火,不越百日,皆化為水。古人隱之,使不相次,使有智者自求之也。
  向日飲之,立為金人。
  日初出時,向日服也。昔韓眾服之,身立金色。又經云:服之面皆黃色,此蓋得道之證,作此色也,非為身內堅剛如金人。
  身則光明,羽翼即生,上為中黃太一,
承叔元精。
  昔上輔仙官者,皆隸屬中黃丈人,及太一君。此二君者,仙人之主也。服金汐還丹,升天則為此天神,調和陰陽也。承猶奉也,叔猶行也,元精者天氣也,言此上仙,便成天神,助天奉行四時之氣,皆得次叔也。

  金水各飲半兩。

  古之半兩,今之一兩也。

  長生無窮。

  半兩力不足以升天,但長生不死而已o
  又以金水汞和黃土,猛火鍛之一日,盡化黃金。燒之二日,皆化成丹。
  但和黃土燒之,著炭在底,恐燒此黃上,成金作還丹。丹成當散。上恐以金著黃土甌中燒之,如上作還丹時方法也。
  名曰辟仙,服之如小豆,可以入名山大水,而為仙也。
  辟仙者,辟死。說云但辟穀長生,不升天。故入名山大水而仙也。地仙作山川之神,如束海小童、五岳君之屬也。入大水者,非入水中去也,但以大水為其封,譬如南海太守之類也。

抱朴子 神仙金汋經卷中

 

抱朴子神仙金汋經卷中

 

  神仙論金丹

  抱朴子日:余考覽養性之書,鳩集久視之方,曾所披涉篇卷,以千計矣,莫不以還丹金液為大要焉。然此二事,蓋仙道之極也。服此不仙,則古無仙矣。往者國土喪亂,莫不奔播四出。余周旋徐豫荊湘江廣數州之問,閱見流移道士數百人矣。或有素聞其名,乃在雲日之表者,然率相似如一,其所知見深淺有無,不足以相傾也。各各有數十卷經書,亦未必能悉解之也,為寫畜之耳。時有知行氣斷穀,服諸草木藥法,所有方書,略為同文,無一人不有《道機經》,唯以此為至祕,乃云是尹喜所撰。余告之日:此是近世魏軍督王圖所撰耳,非古人也。圖了不知大藥,正欲行氣入室求仙,此道機為道,畢於此,此復是誤人之甚。余問諸道士以神丹金液之事,及《三皇內文》,召天地神祇之法,了無一人知之。其誇誕自譽,及欺人云:已久壽,及言曾與仙人共遊者,將太半矣。足學盡微者甚緲。或有頗聞有金丹,而不謂今世復有得之者,皆言唯上古已度仙人,乃當曉之。或有得丹方外說,不得其真經。或得雜碎丹方,便謂丹法盡於此矣。
  昔左元放於天柱山中精思,而神人受之以金丹仙經。會漢末大亂,不遑合作,避地來江束,志欲投之於名山,以修斯道。余從祖仙公,又從元放受之。凡受《太清丹經》三卷,及《九鼎丹經》一卷,《金液丹經》一卷。余師鄭君,余從祖仙公之弟子也。又於從祖受之,而家貧無用置藥。余親事之,灑掃積久,乃於馬邊山中,立壇盟受之,并口訣不書者。江束先無此書,此書出左元放授余從祖,從祖以授鄭君,鄭君授余。故他道士了無知者。
  然余受已二十餘年矣。資無飯石,無以為之,但有長嘆耳。有積金盈櫃,聚錢若山者,復不知有此不死之法。就令問之,亦萬無一言。如何。夫飲玉粕則知漿蔣之薄味,睹崑崙則覺丘埋之至卑。既覽金丹之道,則使人不欲復視小小之方。然大藥卒難得辦為當,且御小者,以自支持耳。然服他藥百斛,為能小小益,而終不能使人長生也。故《老君口訣》云:子不得還丹金液,虛自苦耳。夫五穀猶能活人,得之則生,絕之則死,又死於上品之神藥,其益人豈不萬倍於五穀耶。夫金丹之為物,燒之愈久,變化愈妙。黃金入火,百鍊不銷,埋之畢天不朽。服此二藥,鍊人身體,故能令人不老不死。此蓋假借外物,以自堅固。有如脂之養火,而可以不滅耳。銅青塗腳,入水不腐。此是借銅之勁,以抒其肉也。金丹入身中,沾洽榮衛,非但銅青之外傳矣。世問多不信至道者,則悠悠者皆是耳。然萬一時偶有好事者,而復不見此法,不值明師,無由聞天下之有斯妙事也。
余今略抄金丹之都較,以示後人同志者,勤求之,不可守淺近之方,而謂之足,以辦度世也。遂不遇之者,直當息意於無窮之冀耳,想見其說,必如出演汙而浮滄海,背螢燐而向日月,聞雷霆而覺布鼓之陋,見巨鯨而知寸紗之細也,其嘍嘍無所先入。欲以弊藥,必規升騰者,何異策賽驢而欲尋迅風,櫂艦舟而欲濟大川乎。又諸小餌丹方甚多,然法有深淺,力勢不同,其優劣轉不相及,猶一酸之酒,不可以方九醞之醇耳。然小丹之下者,猶自遠勝草木之上者也。凡草木之物,燒即糜爛。而丹砂燒之,則成水銀,積變又還成丹,其去凡藥亦遠矣。故能令人長生,而神人獨見此理矣。其去俗人,一何緬邈之無垠乎。世人少所識,多所怪。或不知水銀出於丹砂,告之終不肯信。云丹砂本赤物,從何得成此白物。又云丹砂是石耳,今燒諸石皆成灰,而丹砂何得獨爾。此近易之事,猶不可喻。其聞神仙之道而大笑之,不亦宜乎。上古真人,愍念將來之可教者,為作方法委曲,欲使其免死亡之禍,可謂至矣。然而俗民不肯信,謂為虛文。若是虛文者,焉得九轉九變,日數所成,皆如方耶。真人所以知此者,誠不可以庸夫近思求也。

  余好方術,負涉請問,不憚瞼遠,每有異聞,則以為喜。雖見毀笑,不以為惡。焉知來者不如今,是以著此,以示識者,豈苟尚奇怪,而崇飾空言。欲令書行於世,信結流俗哉。盛陽不能榮枯朽,上.智不能移下愚。書為信者傳,事為識者貴。農夫得彤弓以驅烏,南夷得一表衣以負薪。夫不知者,復何可強哉。世人飽食終日,復未必能勤儒墨之業,治進德之務。但其逍遙遊遨,以盡年月。其所營也,非榮則利。或飛蒼走黃,或流連梧觴,或以美女荒沈絲竹,或耽淪綺執,或控弦以疲筋骨,或博弈以棄功夫。聞至道之言而如醉,睹道論而晝睡,有身不恪,動之死地,不肯求問養生之法,自欲割削之,一烈熬之,憔悴之,灑吃之。而有道者自寶,祕其所知,無求於人,亦安肯強行語之乎。世人常言,咸以長生,若可求得者,古之聖人以之富貴者,當得之,而無得者,是無此道也。而不知古之富貴者,亦今之富貴,正同耳。俱不信不求,而皆以目前之所欲者為急,亦安能得之耶。假令不能次意信命之,可延仙之可得,亦何惜於試之。試之小效,但得二三百歲不已,愈於凡人之多乎。天下之事萬端,而道術尤難明於他事,何可以中才之心,而斷世問必無長生之道哉。若正以世人皆不信之,便謂無,則世人之智者又何太多乎。今若有識道意,而獨修求之者,詛必便是至愚,而皆不及世人耶。又或慮於求長生,儻其不得,恐人笑之,以為間惑。若已心所斷,萬有一失,而天下果自有不死之道者,不亦當復為得之者所笑乎。日月有所,不能周照人心,以安足孤信哉。
余案《黃帝九鼎神丹經》曰:黃帝服之遂昇仙。又云:雖呼嗡導引,及服草木之藥,可得延年,不免於死也。服神丹令人壽無窮,與天地相畢,乘雲駕鶴,上下太清。黃帝以傳涓子,戒之日:此道至重,必以授賢。苟非其人,雖積金如山,勿以此道告也。受之者,以金魚投之於東流水中,以為約,歡血為盟,無神仙之骨者,亦不得聞見此道也。合丹當於名山中,無人之地,結伴不過三人。先齋百日,沐浴五香,致加精潔,勿經穢汙,及與人往來,又勿令不信道者知之,謗毀神藥,藥則不成。可以舉家皆仙,不但一身。世人不合神丹,反信草木之藥。草木之藥,埋之則腐,煮之則爛,燒之則焦,不能自全,何能生人乎。九丹者,長生之要,非凡人所能見聞也。萬兆蠢蠢,唯知貪富貴而已,豈非行尸者乎。合之,又當祭。祭有圖法一卷,在《太清經》末卷內具載。所有下卷神丹法,第一丹名丹華,當先作玄黃,用雄黃等細法,標列之下卷耳。

抱朴子 神仙金汋經卷下

 

抱朴子神仙金汋經卷下

  神仙論諸仙金丹

  第一之丹名丹華。當先作玄黃,用雄黃水、礬石、汞、戎盥、鹵鹹、譽石、牡蠣、赤石脂、滑石、胡粉,各數十斤.以為六一泥,泥火之三十六日成,服之七日仙。又以玄膏丸此丹,置猛火中,須臾成黃金。又以二百二十銖,合水銀百斤,火亦三十六日,成黃金。金成者,藥成也。金不成,更封藥而火之,日數如前,無不成也。
  第二之丹名神符,服之百日仙也。行大水,以此丹塗足下,即步行水上。服之三刀圭,三尸九蟲皆即消壞,百病皆愈也。
  第三之丹名神丹,服一刀圭,百日仙也。畜吞之口亦終木死也戶又辟五兵。服之百日,仙人玉女,山川鬼神,皆來侍之,見形如人也。
  第四之丹名還丹,服一刀圭,百日仙也。朱烏鳳凰翔覆其上,玉女至傍。以一刀圭,合水銀一斤,火之立成黃金。以此丹塗錢物上,用之即日自還。以此丹書凡人目上,百鬼皆走避之。

  第五之丹名餌丹,服之三十日仙也。鬼神來侍,玉女至前。
第六之丹名鍊丹,服之十日仙也。又合汞火之,成黃金。
第七之丹名柔丹,服一刀圭,百日仙也。以缺盆汗和服之,九十老翕皆有子。與鉛合火之,即成黃金。
第八之丹名伏丹,服之百日仙也。以此丹如棗核許,持之行,百鬼避之。以丹書門戶,萬邪眾精不敢近前,又辟盜賊及虎狼也。
第九之丹名寒丹,服一刀圭,百日仙也。仙童玉女來侍,飛行輕舉,不用羽翼。
凡此九丹,但得一丹便仙,不在悉作之。作之在人所好者耳。凡服九丹,欲昇天則去,欲且止人問,亦任意,皆能出入元間,不可得害也。復有太清宮神丹,其法出元君。元君者,老君之師也。《太清上經》有九篇云:其上三篇,不可教授。其中三篇,世無足傳,當沉之於三泉之下。下三篇者,正是丹經上中下三篇也。

  元君者,大神仙人也。能調和陰陽,役使鬼神,風雨膠駕,九龍十二白虎,天下眾仙皆隸之也。猶自言本亦學道,服丹之所致也,非自然也,死凡人乎。其經曰:上士得道,昇為天官。中士得道,柄集崑崙。下士得道,長生世問。愚民不信,謂之虛言,從朝至暮,但作求死之事了,不求生天,豈能強生之乎。凡人唯知美食好衣,聲色富貴而已,恣心盡欲,奄忽終歿之徒,慎無以神丹告之,令笑道謗真。傳丹經不得其人,身必不吉。若有篤信者,可將合藥以分之,莫輕以其方傳之也。知此道者,何用侯王為乎。
  神丹既成,不但長生,又可以作金。金成取百斤,先設大醮,自有法一卷,不與九鼎祭同也。祭當別稱金,各檢署之祭祀。天二十斤,日月五斤,北斗八斤,太一八斤,井五斤,鼇五斤,河伯十二斤,社五斤,門戶問鬼靖君各五斤,凡八十斤餘。二十斤以葦囊盛之,良日於都市盛時,默然放棄之於多人之處,徑去無復顧。凡用百斤,乃得自恣用之耳。若不先以金祭祀諸神,必被殃咎。又曰長生之道,不在祭祀事鬼神也,亦不在導引與屈伸也,昇仙之道要,在神丹也。知之不易,為之實難也。子能作之,可長生也。
  近代漢末新野陰君,合此太清丹得仙。其人本儒生,有才思,著詩及丹經讚並序,述初學道隨師本末,列所知識之得仙者三十餘人,甚明也。作此太清丹小為,難合於九鼎丹,然是白日昇天之上法。合之當先作華池溺水,金公黃華,赤鹽艮雪,玄白飛符,三五神水,乃可起火耳。一轉之丹,服之三年得仙。二轉之丹,服之二年得仙。三轉之丹,服之一年得仙。四轉之丹,服之半年得仙。五轉之丹,服之百日得仙。六轉之丹,服之三十日得仙。七轉之丹,服之二十日得仙。八轉之· 丹,服之十日得仙。九轉之丹,服之一日得仙。若取九轉之丹,內神鼎中,夏至之後,暴之鼎熱,內朱兒一斤於蓋下,伏伺之,候日精照之,須臾翕然俱起,煌煌輝輝,神光五色,即化為還丹。取而服之一刀圭,即白日昇天。

  又九轉之丹者,封塗內之於土釜中,糠火火之,先文後武。其一轉至九轉,遲速各有日數多少,以此知之耳。其轉數少,則用日少,其藥力未足,故服之用日多,得仙遲也。其轉數多,其藥盛也,故服之用了少,而得仙速也。
又有九光丹,與九轉異,法大都相似耳。作之法,當先以諸藥合,火之轉五石。五石者,丹砂,雄黃,白譽,曾青,磁石。一石輒五轉,而各成五色,五石合為二十五色,色各一兩,而異器盛之。欲起死人未滿三日者,取青丹一刀圭和之,以水浴死人之身,又以一刀圭發其口內之,而死人立生也。欲致行廚,取黑丹和水塗左手,其所求如口所道,皆自至,可致天下萬物也。欲隱形,及先知未然方來之事,及住年不老,服黃華丹一刀圭,即便長生不復老。坐見千里之外,吉凶皆可知,如在目前,人生宿命,盛衰壽夭,富貴貧賤,皆知之矣。其法.俱在《太清》中卷。其次有《五靈丹經》一卷,有五法。用丹砂、雄黃、雌黃、石硫黃、曾青、譽石、磁石、戎鹽、太一禹餘根,亦用六一泥及神室,祭醮合之,火三十六日成。又用五帝符,以五色畫之,亦令人不死,但不及太清與九鼎丹耳。又有岷山丹法,道士張盍蹋精思於岷山石室中,得此方也。其法鼓冷黃銅,以作方諸,以承取月水,以水銀覆之,致日精火中,長服之不死。

  又取丹,置雄黃銅燧中,覆以汞,暴之二十日,發而治之,以井華水服小豆許,百日盲者能視,百病即愈,髮白還黑,齒落更生。
  又有務成子丹伕,用巴砂求置八寸銅盤中,以土鑪盛炭,倚三隅塹,以枝盤,以石硫黃水灌之,常令如泥,百日服之不死。
  又有羨門子丹法,以酒和丹砂一斤,三斗酒漬暴之三十日。服之一日,三蟲百病立去。服之三年,仙道乃成,必有玉女二人來侍之,可役使,立致行廚。此丹又可厭百鬼,及四方死人殃痙,害人舍宅,及起造土功妨人家者,懸向之,即無恙也。

  又立成丹亦有九首,似九鼎而不及也。其要取雄黃燒下其中銅鑄為器,以覆三歲淳苦酒上,百日,此器皆生赤乳,長數分,或有五色琅圩,取治之而服之,亦令人長生也。
  又說和兔絲初生之根,其形似兔,掘取刻其汁,以和此丹,服之立變化,在意所作也。
  又和以朱草,一服之,能乘虛而行云。朱草狀似小桑棗我也,長三四尺,枝葉皆赤,莖如珊瑚,生名山巖石之下,刻之取汁流如血也。以玉及八石、金銀投其中,立可丸之如泥,久則成水也。以金投中,則名為金漿。以玉石投之,則名玉醴。服之長生。
  又有取伏丹法,云天下諸水有名丹者,若南陽之丹水之屬也。其中皆有丹魚,常赤。以夏至十日夜伺之,丹魚必浮於水側,赤光生,上照赫如火也,網而取之可得。得之雖多,勿盡取也。割取其血,以塗足下,則可步行水上,長居淵中。

  又有赤松子丹法,取之千歲蒙汁,及樊桃汁搔丹,著不津之器中,縑密蓋其口,埋入地二尺,百日,絞梓木赤實取汁,和而服之j令人面目鬚髮,皆赤長也。昔中黃仙人有赤鬚子者,豈非服此藥乎。
又白石生丹法,取峻巖之上。千歲松葉,金菊花,狹苓,狹神,成散,華池水服之,能致神靈。
又以相葉陰乾百日,鍊蜜丸散,服久得壽身輕。
又取烏轂之未生毛羽者,以真丹和牛肉,以吞之,至長,其毛羽皆赤。乃殺之,陰乾百日,並毛羽檮,服一刀圭,百日,得壽五百歲。
又康風子丹法,用羊烏鸛血,合少室天雄汁,和丹內鵠卵中,漆之,內雲母水中,百日化為赤水,服一合輒益壽百歲,服一升壽千歲。
又崔文子丹法,內丹驚卵腹中蒸之,服延年,長服亦不死。

  又劉子丹法,以丹內玄水液中百日,紫色,握之不汙手。又和之以雲母水,內管中漆之,投井中,百日化為赤水。服一合得百歲,久服長生。
  又樂子長丹法,以曾青、鉛丹合汞及丹砂,著銅莆中,用瓦滑石封之,白沙中蒸之,八十日。服如小豆子,三年內仙矣。
  又李文丹法,以白素裹丹,以竹汁煮之,名曰紅泉,乃浮湯上蒸之,合以玄水服之,一合一年仙也。
  又尹子丹法,以雲母水和丹,密封,置金華池中,一年出,服一刀圭,盡一斤,得五百歲。
  又太一召魂丹法,所用用五石,及封之以六一泥,似九丹也。長於起卒、死,三日以還者,拆齒內一丸,與硫黃,俱以水送之,令入喉中,即活。活者皆見使者持節召之也。
  又釆女丹法,以兔血和丹,與蜜蒸之百日,服之如梧子者一丸,日三至百一日,有神女江人來侍之,乃可役使也。

  又稷丘子丹法,以清酒、麻油、百華醴、龍膏和,封以六一泥,糠火媼之十日成。服如小豆,乃盡劑,得五百歲。

  又墨子丹法,用汞及五色石之液,於銅器中火熬之,以鐵匕攪之,十日還為丹。服之一刀圭,萬病去身,長服不死。
  又張子和丹法,用鉛汞砂、曾青水合封之,蒸之於赤黍米中,八十日成。以棗膏和丸之,服如大豆,百日壽五百歲。
  又綺里季丹法,先飛取五石玉塵,合以丹砂汞,內大銅管中,煮之百日,五色。服之仙飛。以鉛百斤,以藥百刀圭,合火之成白銀。以雄黃水和而火之,百日成黃金。金或太剛者,以楮汁煮之,或太柔者,以白梅煮之,盡一劑得長生。

  又王桂丹法一,以華池和丹,以曾青、吭黃末覆蓋之,內莆中,以回於之五十日,服百日,玉女六甲六丁神女來侍之,可使,知天下之事。

  又肘後丹法,以金華和丹,以莆盛之,乾瓦封之,蒸八十日,取如小豆,置盤中,向日和之,其光上與日連。服如小豆,長生矣。以投丹陽銅中,火之成金。
又一法,以柚汁和丹,服之百日,長生。
又李公丹法,用真丹及五石之水,各一升,和令如泥,釜中火之三十六日,出和以石硫黃液,服之十年,與天地相畢。
又劉生丹法,用白菊花汁、蓮花汁、地血汁、地楮汁、櫺汁和丹,蒸之三十日,研令服之一年,得五百歲,老筑服更少不可識,少服亦不老。
又王君丹法,用巴砂及汞,內雞子中,漆合之,令雞伏之三枚,以王相日服之,在.年不老。小兒不可服,不復長矣。與新生雞犬食之,皆不復大,烏獸皆如此驗。
又陳生丹法,用白蜜和丹,內銅器中,封之,沈井中。一期服之,經年不飢,盡一斤,壽百歲。

  又韓眾丹法,用漆蜜和合丹煎之,可延年久視。服之千日,日中無影。過此以往,尚數十法,不足論也。

  抱朴子日:金液,太一所服而仙者,不喊九丹矣。合之用古秤黃金一斤,並玄明、龍膏骨、太一旬首中石水紫游女玄水液金化石丹砂,封之成水。其真經云:金液入口,身皆金色。老君受之於元君,日此道至重,百世一出,藏之石室,合之皆須齋戒,不與俗人相來往,於名山之側,束流水上,立起精室,百日成,服一兩便昇仙。若未欲去世,且作地仙之士者,但齋百日耳。若欲昇天,皆先斷穀一年,乃服也。若半兩,則長生不死,萬害百毒不能復傷之,可以畜妻子,致家居官秩,在意所欲,元所禁也。若後欲昇天者,乃齋戒,更服一兩,便飛仙矣。
  又金液為威喜巨勝之法,取金液及水銀左味,合煮之三十日,出黃土甌盛,封以六一泥,置之猛火上,炊之卒時,化為丹。服如小豆大,便仙。以此丹一刀圭,粉水銀一斤,即成銀。又取此丹一斤,置猛火扇之,即化為赤金而流,名曰丹金。以塗刀劍,辟五兵萬里。以此丹金為盤碗,飲食其中,令人長生。以引承日月,當得神液,如方諸之得水也,飲之不死。以金液和黃土,內六一泥甌中,猛火炊之,盡成黃金,中用、也。復以火炊之,皆化為丹。服之如小豆,可以入名山大水,為地仙。以一刀圭粉水銀,立成銀。以銀一兩,和鉛一斤,皆變成銀。《金液經》云:投金八兩,於東流水,飲血為誓,乃告口訣。不知本法,盜其方而作之,終不得成也。凡人有至信者,可以藥與之。不可輕傳其書,必兩受其殃。天監人甚近,而人不知耳。
  抱朴子日:九丹誠為仙藥之上法,然令作之,所用雜藥極多,若四方清通者,市之可具。若九域分隔,則物不可得也。
  又當起火時,當晝夜數,十伺候火力,不可令失其適,勤苦至難,故不及合金液之易也。合金液唯金為難。得古秤秤一斤,於今二斤,率不過直二十餘萬錢。其所用雜藥差易,又不起火,但以置華池中,日數足便成耳。都合之所用三十萬,而得一劑,可足令八人仙也。然不中稍少合者,其氣力不足以相化成,如釀數升米酒無成也。
抱朴子日:其次則有餌黃金,雖不及金液然亦足,遠不比於他藥也。或陝淤覓"革眸及齊舞之",一蜘既佩皮口治之,或刻酒磁石消之,或可引如布,或立成水服之,或有禁忌不及金液也,或以雄黃雌黃等合餌之,可以引之張之如皮也,皆地仙法耳。銀及蚌中大珠,皆可化為水服之,然須長服不可供,故不及金液。
抱朴子曰:金此金液及九丹,既當用錢,又宜入山絕人事,故能為之者少。且千萬人中,時當有一人得其經,者一,故謂作道書者,略無說金丹者也。第一禁勿令俗人不信道者,謗訕毀之,必不成也q鄭君言:所以爾者,合作此大藥裁、皆、當祭。祭則太一元君、九丹老君,玉女皆來監省。作藥者若不絕入幽僻之地,令俗聞惡人亦得經過聞見,則諸神責作藥者,不遵承經戒,致令惡人有言毀之,則不復祐助之,而邪黑得進,藥必不成。必入名山之中,齋戒百日,不食五辛生魚,不與俗人相見爾,乃可作大藥。須成乃常齋,不但初作藥時齋也。

  鄭君言左君告之云:諸小小山,皆不可於其中,作金液神丹也。凡小山皆無正神為主,多是千歲老物、血食之鬼。此輩皆邪氣,令合藥不成,不為人作福,但能作禍,善試道士。道士雖當作衛以辟身,及弟子然,亦或能壞人藥也。今之醫家,每合好藥好膏,皆不欲雞犬、婦人、小兒見之。若被諸物犯之,便用之不驗。又染綵者惡,惡目者見之皆失色。況神丹大藥乎。是以古人道士合作神仙大藥,必入名山,不止凡山之中,正為此也。
  又按仙經,可以精思合作仙藥者,有華山、泰山、霍山、恆山、嵩高山、少室山、昊山、終南山、王屋山、女几山、地肺山、抱犢山、安丘山、潛山、青城山、綏山、雲臺山、羅浮山、陽駕山、黃金山、鼇祖山、天台山、四望山、蓋竹山,此皆是正神在其中,其中或有地仙之人,上皆生芝草,可以避大兵大水,不但於中以合藥也,若有道者登之,則此山神必助之為福也,其藥必成。若不得登此諸山者,海中大島嶼亦可合藥。若會稽之束翁洲,紛嶼及徐州之羊莒洲,黍洲光洲、鬱洲皆其次也。今中國名山不可得至,江東名山可往之者,唯霍山,在晉安長沙。太山、太白山,在束陽。四望山、天台山、蓋竹山、括蒼山,悉在會稽。
  抱朴子曰:余忝大臣之子孫,雖才不足以經國治物,然儔類之好進趣之業,而所知不能遠余者,多揮翮雲漢,耀景辰霄者矣。余所以絕慶吊於鄉黨,棄當世榮華,必欲速登名山,成所著子書。次則合神藥,以規長生。故俗人莫不怪余之委桑梓,背清塗,而躬耕林藪,手足胼胝,謂余有狂惑之疾也。然道與世反,事不並興。若不廢人問之務,何得修如此之志乎。見之誠了,執之必定者,亦何憚於毀譽,豈移於沮勸哉。聊書其心,亦示將來之同志者。云想後之斷金之徒,所有指棄者亦與余不異耳。

  小神丹方,用真丹三斤,白蜜六斤,攪合,日暴,煎之,令可丸。日一服如麻子許,十丸,未一年,白鬚更黑,齒落更生,身體潤澤。長服之,老翁成年少,長生不死。
小餌丹法,丹一斤檮下篩,淳苦酒三升,淳漆三升,凡三物相得,微火上煎令可丸。服如麻子,三丸,日再服,三十日,腹中百病愈,三尸去。服之百日,肌骨強堅。服千日,司命削去死籍,與天地相保,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光也。
小餌黃金法,消金內清酒中,約二百過,出入即沸,握之出指問,令如泥。若不沸,及泥之不出指問,即消之,內清酒中無數也。成,服之如彈子丸一枚,亦可一丸分為小丸,服之三十日,無寒溫,神人玉女事之。銀亦得可餌,與金同法服。此二物能居名山石室中者,一年輕舉矣。止人問亦地仙,勿妄傳。

  兩儀子餌黃金法,堵負革脂三斤,淳苦酒一升,取黃金五兩,置器中煎之,土鑪,以金置脂中,百入百出者,苦酒亦然。餐一斤金,壽蔽天地,食半斤金,壽三千歲。食五兩金,一千二百歲。金無多少,便可餌之,當以王相日服之作之,神良。勿傳非人。傳示非人,令藥不成不神。欲去當服丹砂。

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